ホテルではチャーリーがロビーを行ったり来たり、階段を登ったり降りたり、落ち着かない動きを繰り返していた。エンジェルたちはソファからその様を眺めている。先ほどまでヴァギーもチャーリーを止めていたが、落ち着けと言ったところで無駄だったので好きなだけ慌てさせておくことにした。
 約束の時間のニ分前になってロビーに現れたアラスターが話しかけなければ、チャーリーはまだ意味もなく動き回っていたことだろう。


「『チャーリー。お伝えした通り、飾り付けは要りませんよ』」

「そうは言ってもせっかくのお客様でしょう?! 来てくれるんだから、わたしたちあなたを歓迎してますってアピールしたくて!」

「『そういう意味ではなくてですね。いや、はっきり理由を言わなかったワタシが悪いのですが』」


 今日はアラスターの客人が来てくれる日だ。正確に言うとアラスターのファンなのだという。アラスターはかなり自慢げにこれから来る客人が自分のラジオの大ファンだと話していた。
 話を聞く限り、アラスターに会いに来たり、ラジオ局に行くのが目的でホテル自体に興味を持ってもらえているとは言い難いが、それでもせっかく来てくれる客人だ。もてなすことでホテルの印象が上がれば、ここで暮らす意志を持ってくれるかもしれない。そうでなくとも思想をちょっとでも理解してもらって、ちょっとでも好意的に広めてくれたりなんかしたら、チャーリーたちにとってはそれだけでプラスだ。
 チャンスをものにしなくては、と意気込むチャーリーの横を通り過ぎ、アラスターは扉に手をかけた。気配はないように感じ、チャーリーたちは首を傾げる。


「『ようこそいらっしゃいました』」

「アラスター、お招きありがとう」


 開かれた扉の先には、美しい悪魔がいた。ウサギの悪魔だろうか。柔らかそうな耳は垂れ下がり、ふわふわとした毛並みは先端に向かって色濃くなっている。肌はひどく青白くて血の気はなく、黒いレースで目を覆っていても、その美貌にはハッとさせられるものがあった。
 ロビーに入ってくると彼女の動きで、黒いドレスが揺れた。細身の彼女に似合う、繊細なレースのドレスだ。


「『彼女はナマエ。ワタシの友人です。“スクリームラバー”と呼ばれる上級悪魔と言えば名の通りがいいですかね?』」

「やめてよ、アラスター。わたくしは今、上級悪魔としてではなく、あなたのファンとしてご招待を受けたのよ?」


 チャーリーはナマエの美しさに目を奪われていたばかりだったが、それ以外の反応はだいぶ違う。後ろにいたハスクは虚ろな目でナマエを見ていたし、エンジェルは“スクリームラバー”の名を聞いて引いていた。
 ざっくり言えば、その名の通り、他人の悲鳴が大好きなド鬼畜悪魔だ。その辺を歩いているような類いではないものの、街中に現れて彼女が“スクリームラバー”だと聞けば街のものは我先に逃げ出すようなヤバい悪魔である。なるほど、悲鳴が流れることで有名な“ラジオデーモン”のラジオの大ファンなわけだ。
 ほとんど姿を現さない上級悪魔であるため、見た目こそ知らなかったが、名前と逸話だけならエンジェルでも聞いたことがあるビッグネームだ。当然のようにアラスターと契約しているハスクはアラスターの“友人”であり“大ファン”であるナマエと会ったことがある。“ラジオデーモン”の“友人”で“大ファン”とか大概ヤバイに決まっている。


「ご紹介に預かりましたナマエと申します。わたくし、別に誰彼構わず食い散らかすような怖い上級悪魔ではありませんのよ」


 エンジェルがハスクを見る。お前知ってんだろ、どうなんだよ。どうもこうも“ラジオデーモン”の“大ファン”だぞ。ヴァギーがハスクを見る。私たちを害するような相手なのか?機嫌次第だが、“ラジオデーモン”の“大ファン”だからアラスターにとってマイナスになるようなことはしないぞ。サー・ペンシャスがハスクを見る。“ラジオデーモン”の“大ファン”って言葉の説得力異常ではありません?そういうことだ。
 目線だけでの会話で、とりあえずのところは大丈夫そうだと考えていたヴァギーたちだったが、その横でチャーリーが動き出した。


「あの、ナマエさん? ようこそ、ホテルへ! わたし、チャーリーです」

「チャーリーさんね、アラスターから話は聞いています。なんだか頑張ってらっしゃるって」

「光栄です! あのそれで、もしその、よかったら、アラスターとの用が終わったあとにでも、ちょっとでもいいので、ホテルの話も聞いてくださったり……?」


 やべえ上級悪魔だって言ってるのに何言ってんのこの子は!!!
 ヴァギーやエンジェルがチャーリーを止めるよりも早く、ナマエが笑顔で返事をした。


「もちろん。なんなら、先に聞かせていただいても? アラスター、肝心なことは話してくださらなくって」

「『ワタシが話すよりチャーリー本人から聞いた方がずっと本音が伝わるというものです』」

「ア、アラスタ〜〜〜……!!」


 アラスターがチャーリーにウインクを飛ばすと、チャーリーが泣きそうに目を潤ませている。アラスターはわざわざナマエに話を振っており、このホテルやチャーリーを気にするように仕向けてくれていたのだ。
 こんなチャンスをくれるなんて! と素直にチャーリーが喜ぶ中、ヴァギーとエンジェルがアラスターに向ける目は厳しい。チャーリー以外の誰も、アラスターがストレートにいいことをするなんて思っていない。こいつ、何を考えてやがる?
 チャーリーはそんなこと気にもしないで、ホテルの方針や理念について語った。人口過密の問題。天国への足掛かり。改心すれば天国に行けるはずだという、理想論。甘ったるく、そしてとてもやさしい理想だった。
 ナマエはチャーリーの言葉に耳を傾け、時には質問を交えて真剣に聞いてくれた。一通り話し終わると、ナマエはうなずいて笑った。


「なるほど、素敵なホテルですわ」

「ほ、ほ、ほほ、ホントですか!? ホントにそう思いますか!!」

「もちろん。わたくし、嘘はつかないんですのよ」


 恋人でもなければ知り合いでもない関係のない第三者に、話を聞くだけでこのホテルについて認められたのは、アラスターに次いで二人目だった。ほかならぬアラスターの本心はさておき、チャーリーはナマエの言葉に興奮していた。自分の考えが認められて、救われる罪人が増えるきっかけになる。しかもナマエは上級悪魔だ。影響力はアラスターと同等ということになるのだろうか。
 チャーリーが色々と考えていると、アラスターが意外そうな、あるいは詰まらなそうな顔してナマエを見た。


「『おや。ナマエ、あなたが気に入るとは思いませんでした。このホテルのどんなところが素敵だと?』」


 おいテメー、どういうつもりでチャーリーに話させたんだ。周りの気持ちが一つになった。
 気に入らないであろう理念の話をさせて、ナマエを怒らせるつもりだったのだろうか? 上級悪魔の“スクリームラバー”だなんて呼ばれるヤバイ女を? その方が面白いって? 自分の方が強いから大丈夫だって? それとも、自分のファンだから本当に襲い掛かることはないって?
 周りの空気が張り詰めていることなど気にもしないアラスターは、まっすぐにナマエだけを見ている。彼女の言葉を待っていた。


「そうかしら? 好きで地獄に来たわけでもない罪人なんて、いくらでもいると思うわ。天国への道を示してもらえるのなら、苦痛や苦難を乗り越えてでもチャレンジできる施設があるのは良いことでしょう?」


 ナマエの言葉は上級悪魔とは思えないほど全うで、そしてチャーリーの言いたいことをしっかりと理解してくれていた。この地獄でしっかり話を聞いてくれた上に、ちゃんと理解してくれる人がどれほどいるだろうか。チャーリーは感極まって泣きそうになった。というかもう半ば泣いていた。ヴァギーがチャーリーの肩を抱いて、慰めているなか、アラスターの空気の読めない言動が場を冷やす。


「『なるほどなるほど! あなたには関係ないことなので、どうでもいいという意味の“ステキ”だったということですね?』」

「アラスター! そんな言い方、ナマエさんに失礼よ!」

「チャーリーさん、お気になさらず。この人、こういう言い方をするのはいつものことですわ」


 ほほほ、とナマエは優しく上品に笑う。アラスターの煽るような言葉ひとつにも気にしていないあたり、上級悪魔としてやっていくにはこれくらいの余裕が必要なのかもしれない。あるいは、単純にこういった物言いも含めて“ラジオデーモン”の“大ファン”なのかもしれないが。


「それに実際、わたくしは地獄にいたくているクチですので、あながち彼の言っていることは間違っていませんのよ」


 ──悲鳴を上げさせることが大好きな“スクリームラバー”としての顔でナマエは笑った。いびつで、残虐で、見るものすべてを凍り付かせるような、ひどい悪魔としての笑みだった。
 正面からその笑顔を向けられたチャーリーは引きつった顔で笑みを浮かべることしかできなかった。伝わってるけど、響いてはいなかった。チャーリーは先ほどとは違う意味で泣きそうになっている。


「わたくしはここに住んで改心したいとも天国に行きたいとも思いません。地獄に落ちるだけの理由がわたくしの本性にはありますし、自分が天使にすり潰されたって構いません。わたくしは血と悲鳴に塗れるのが生きがいの女ですので。けれども、チャーリーさん、あなたが改心を望むものの希望になってくださるのは、とっても素敵なことだと思いますのよ」

「『そう! そして、その連中を踏みつぶして悲鳴を上げさせたいと思っているような女です!』」

「アラスター!!!」


 チャーリーが再度アラスターに非難の声を上げる。ナマエの笑みで凍った空気が、またすこし穏やかなものに戻る。ナマエはその声を聞いて、楽しそうに笑った。──いえでもそれも本当の事ですから。

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