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置いていく



 十凜とうりは雨に好かれた男だった。
 父が怪異に飲まれた昼下がり、十凜は知らず篠突く雨を呼んでいた。
 今日もそうだ。大粒の雨は絶えず地面を叩いている。ばたばたと忙しなく、絶え間なく。叫ぶ声がしていた。
 十凜には雨と仲良くなった覚えはなかった。しかし、幼い頃から付き纏っているものが、成人した今になって変わるものでもない。少なくとも十凜はそうだと諦めていた。
 霜月も半ばを過ぎ、師走の袖口が見える頃合い。十凜は神鷹こうたか本家の廊下の角で、天塚夕弦あまつかゆづるに出くわした。神鷹と天塚。本家と分家。彼と彼女。
 薄く雨雲を反射する眼鏡の奥。孔雀の飾り羽のような緑の瞳が、怯えたように揺らいだのを十凜は見た。

「お邪魔しておりました。失礼致します」

 夕弦は当主たる十凜にすかさず会釈をした。彼女の背筋はすらりとしており、尊敬さえする姿勢だ。これほど綺麗なひとを十凜は知らない。
 父は几帳面で四角四面なひとであったが、時折その角は母が丸くしていたように思う。削られたわけではない。彼の持つ母への強い情がそうさせた事を、十凜は知っていた。夕弦もそうであれば良いのに。彼女の鋭利な角が存在するかは判然としないが、それを十凜が少しでも滑らかに出来たなら。

「天塚さん」

 彼女の姿勢、声音。それは父の持っていた角によく似ている。どうしてそんなに円やかな鋭利さを持つ事が出来るのか。それを知りたくて声をかけた。
 びくん、と夕弦の肩が震える。十凜は言葉に詰まった。次。次は何と言えば良い。
 彼女に怖がられている。十凜の直感が囁いた。これでは知れるものも知る事が出来ない。
 普段ならば柔らかな日差しを受けて、穏やかな温度を持つ縁側が、今は建具に仕切られ暗く影を落とし、雨を防いでいる。今日のこの雨も、十凜が呼んでしまったのだ。彼女はこれから濡れながら、天塚の家、若しくは職場へと戻るのかもしれない。折角会えたのに、勿体無い。
 外では風が唸り、中庭の紅葉が大きく葉を揺らす。これほど美しい紅の扇を、十凜はこれまで意識的に見た事がなかった。

「雨が」

 十凜の瞳も、弓弦のそれと同じ色をしている。当然かもしれない。本家と、その血を共に継ぐ分家の子なのだ。
 風が強く吹きつける。ざあざあと忙しなく紅い扇が会釈をして止まない。会合で集まり、心にもない挨拶する人間達を想起させた。

「何でしょうか」

 夕弦は居心地が悪そうに十凜を見上げた。二人の身長の差は凡そ十五センチといったところだろうか。一メートルは離れている彼女との距離に、十凜は僅かに眉をひそめた。悔しかったのだ。子供の頃はあんなに近しかったのに。
 十凜と夕弦の幼い頃。天塚家よりも、神鷹家が後継者を巡る問題に苦しみ喘いでいた。墓を守ってほしい男子が、大事な跡取りが。ろくに祓う技術も持たぬ分家の少女に、視線を奪われ続けている。
 昔からずっとそうだった。彼女だって彼を見ていた。ある日を境に、その視線は逸らされてしまったが。

「雨が落ち着くまで、少し休んでいかれませんか」

 分家の女性は、返答に酷く困窮している様子だった。はい、とも、いいえ、とも言えず。ただ視線を泳がせていた。
 誰が見ても解る。夕弦は十凜に苦手意識を抱いている。そんな女のこころも知らず、繋ぎ止めようとしている。十凜は、そんな愚かな男だった。