華やかな文化祭からすっかり元通りに戻った学校に訪れたのはテスト期間という現実だった。
文化祭の空気がまだ抜け切れず勉強に身が入らない感覚を多くの人と共有しながら、様々な誘惑(携帯や漫画、テレビなど)から打ち勝って得た結果はそこそこなデキでほっとする。英語が危なげだったけど古典の中々な点数に内心にんまりとする。自信のなかった問題に丸がついていてふふんと嬉しく見つめていると、前の席の頭が徐々に下がっていくのが見えて・・・何となく察した。
休み時間。廊下の開かれた窓に両腕を乗せて下を見るとしっぽを揺らめかせて歩くネコがいた。ゴロンとまるいお腹を地面に横たわらせて体を伸ばす様子に知らず知らず熱い視線を送る。隣に並ぶはるがそんな私に気が付いてか「ノブナガだ」と同じように下をのぞいた。
この暖かな天気に猫じゃなくても昼寝ができる環境は学生の私には羨ましい。お弁当をついさっき食べ終えたばかりだからこのあとも続く授業を思えば自由に寝れるのはとてもいい。いつも睡魔との戦いを強いられるものだからそんなふうに思っているとはるが話してくれた。
(明言は避けているけど歴女なのね。・・・覚えておこ)
美術教師でトモちゃんとみんなから慕われる先生の趣味を知って何となく話が合うかもしれないと感じた。少し前にチラリと目に入った携帯画面の待ち受けが戦国武将だと気付いてから薄々そうなんじゃないかと思っていればやっぱりそのようだ。ノブナガと名付けた理由もたぶんあの頭の模様からだろうと欠かさず視聴しているドラマが思い浮かぶ。脇役にああいう前髪をした同名キャラがいるのだ。(良いヤツだったんだけど先週死んじゃったんだよね)あの衝撃的な展開は読めなくて興奮したけどこの話題で盛り上がりたいのにはるは見てないときているから何だか燃焼不足を感じていた。トモちゃん先生はこの話題に乗ってくれるだろうか。
のんびりとはると一緒にノブナガを眺めているそんな時、黄色い声が聞こえた。途端に並び立つはるがしかめっ面をしていたからやっぱり面白くないんだろう。前に教室で一ノ瀬のことで盛り上がっていた時もこれと同じ顔をしていた。そんな顔するならさっさと言えばいいのに。バカなのか素直なのか、そんな友人がちょっと可愛く見えて意地悪く言ってしまったけど。それができたらどんなにいいだろうと少なからずはるの性格を理解しているからやれやれと息を吐くしかなかった。
思い出して苦笑いを浮かべた私は窓の外でノブナガの突飛な行動を目撃して急いでその場から移動した。階段を下りている途中ではるに一声掛けないで行ったことに気が付いて思い悩んだがまぁいいかと足を動かした。
そして駆け足で向かった先には木の上から降りれなくなったノブナガが鳴いていた。聞こえによっては悲痛に響く声。その下では私と同じように駆け付けたのか仁菜子ちゃんが心配そうに見上げている。近づく私に気付いて振り向く仁菜子ちゃんは今にも助け出しに行きそうな顔つきをしていた。
「エリちゃん! 部長が・・・っ!」
「(部長?)待って仁菜子ちゃん。危ないからすこし落ち着こう?」
「っそ、そうだね! でもどうしたら」
「んー・・・梯子があったらいいのかな・・・、・・・とりあえず梯子を借りに行って来るから仁菜子ちゃんは」
「何やってんの?」
仁菜子ちゃんを落ち着かせようと話している時、後ろから声をかけられて二人して振り返れば怪訝そうに首を傾げる一ノ瀬と、がっちゃんと寺田くんがいた。行く手間が省けたと瞬時に思って一ノ瀬の腕を引っ張る。私の行動に困惑する一ノ瀬を急き立てるようにノブナガがいる木のところへ連れて行く。
「降りれなくて困ってるの」
木の上を指差してそう言うと見上げた視線にネコを捉えて理解してくれた一ノ瀬はわかったとブレザーを脱いだ。
無事助け出されたノブナガは安心したように丸くなって喉を鳴らしている。その安心しきった姿に手を伸ばすとその手に顔をすり寄せてきてあまりのかわいさににやけてしまう唇をぎゅっと引き締めた。(っかわいすぎ)人懐っこさに和んでいるとそばの仁菜子ちゃんが「部長よかったね〜」と頭を撫でた。
「仁菜子ちゃんはこの子のこと『部長』って呼んでるんだ?」
「うん。こないだ課長から出世したの」
「???」
どういうことだと仁菜子ちゃんをのぞき込めば悩ましげに眉を寄せていた。頭の模様に平社員と名付けたけど見かける度にどんどん太って貫禄が付いたから、ということらしい。異例のスピード出世と言い切る仁菜子ちゃんに堪らず笑った。「アハハハっ 異例のスピード出世って!」同じところでツボった一ノ瀬の笑い声と重なってびっくりしたが、やっぱりおもしろいよね。バリバリ働くネコの姿が思い浮かんでまた笑う。仁菜子ちゃんのおもしろい発想に肩を揺らした。サラリーマンも悪くないな。部長のインパクトがでかすぎて今まで呼んでいた呼称が霞みそうだと思ったとき「ネコ好きなんだね」その言葉が耳に入った。誰に対して、とまず思うことを上機嫌だったからか自分に言ったものだと思い込んだ私はすっと耳に入ったそれを。
「ふふっ ん、すきー」
恥ずかしさを覚える返し方をしていた。
そう答えてすぐに冷静になった私は遅れた判断によって声の主を理解して舌打ちをしたくなった。そうしたいわけではないが、極力・・・できることなら関わらずにこのままを望んでいた私の心臓が間隔をあけずに動いているのを感じる。
そろりとノブナガから視線を上げるとやはりというかなんというか寺田くんが相槌を打っていた。ノブナガの目と目の間を撫でながら「へぇーそうなんだ」と柔和な口調で。あの頃より少し成長した優しげな眼差しを、ノブナガに向けて。
きまりが悪くて視線を上に逃がすと、あっと口が開いた。声をかけずに行ったことをすっかり忘れていた私は、先ほどまでいた場所ではるが見下ろしている光景にデジャブのようなものを感じていた。それと罪悪感。ぽつんと立ち尽くしたはるは何を見ていたかわかり切ったことだ。そんなの決まってる。(・・・一ノ瀬―――)その答えが頭に浮かんだ瞬間、はるが見えなくなった。消えるように隠れたと状況を想像できたのは「飴谷さん」という小さな声が聞こえたからだ。今のはるの心境も想像できたのは、これまでの経験がそうさせたに違いない。
★
はるの誤解を解こうと急いで教室に戻ると簡単には取り入ってくれない様子だった。授業を終えてそそくさと逃げるあたりがそのことを如実に表していて逆にこちらが苛立ってしまう。(話聞けっての!)教科書の両端を握りしめてガンと机に打ち付けるとその反動でペンが転げ落ちた。それを拾うより先に誰かの手が伸びて机に乗せられる。「ありがとー」「テスト悪かったのか?」苛立ちを見られたのか。苦く笑って横に首を振ったあとペンを拾ってくれたその人はあるところを指差した。
「呼ばれてるぞ」
含みを持って告げたその指差した先では開け放たれた扉を塞ぐように立つ3人組の中の一人が顔を赤くしていた。
☆
「・・・っす、好きです・・・付き合ってください!」
仲間から囃し立てられたのだろうか。スポーツに興じる楽しげな声が背景に流れたこの場で、赤らめて告白する彼を前にして聞こえた物音からそう思う。こうして一対一で向き合う中、近くで感じた気配はさっきまでいた他の男子たちだろうから彼らの思惑やらが何となく見えてくる。(たぶん面白半分、いや大半か?)小声で盛り上がっているのが聞こえて居心地の悪さからくる不快な感覚に素っ気なく返した。「ごめんなさい」今度は大きめな音がはっきりと届いた。「フラれたあああ」おもしろおかしく声を上げるさまに隠れる気はないんだと見世物のような現状に嫌悪感を抱いて音が聞こえた方向をギッと睨んだ。「やべっ」「はしゃぎすぎた」
「、・・・っ聞いてくれてありがとう。・・・えっと・・・・・・それじゃあ・・・」
見るからに落ち込む彼を気の毒な感情で見送って深いため息をついた。もうすこしやさしくしたらよかったかもしれない。八つ当たりのようにしてしまったついさっきの返事を、あんな後ろ姿を見たら後悔の気持ちが強まる。でもそこを付け込まれたら後々めんどーになったのかも。自分を正当化させたいこんな思いが頭をもたげるから、何だか疲れた。もう一度ため息をついて来た道を戻ると隠れきれない存在を見つけて足を止める。
(ほかにも見物客がいたのか)
冷めた目をじっと向けると観念したのか姿を見せるが、出てきた人物に驚いて見開いた目に熱がこもった。思いもしない出来事に混乱したまま固まっていると謝罪の声を聞いた。はっとして視線を下げ首を横に振る。どうしよう。この人との一対一はどうしたらいいかわからない。がっちゃんやはるがいれば意識しなくて済むのに今は。私と寺田くんだけ。
度を越した緊張を再び味わった今、あの日のことをフラッシュバックしていた。あの日、不安な、彼女に、嘘を、・・・・・・
「本当にごめん。戻ろうとしたら、二人が来てそれで咄嗟に隠れて、盗み聞きなんてことをして本当にごめん」
「いっ、いいの! っあなたは悪くないから、寺田くんはきっ気にしないで!」
声が震えないように気張ったけどすんなり言えなくて顔が赤くなる。目も合わせられなくて、落ち着かない心音が余計に落ち着かない。どうしよう。正常に働かない思考がそれだけしか浮かばない。何もわからなくて黙りこくっていれば視界に映した自分のつま先の近くにつま先が見えてぎょっと顔を上げた。先ほどより縮まった距離に思わず後ろに足が動いた。一歩二歩と下がる私の行動を慌てた様子で寺田くんも一歩後ろに下がった。
「ご、ごめん! 泣いてたらどうしようって思って、あっいやだからって近づくものじゃないな・・・! 無神経なマネして謝るばかりしか」
「ほんとに大丈夫だから。どうか気になさらず」
幾ばかりか安定した心臓のリズムに合わせて呼吸もそうすれば、相変わらず目を合わせづらかったが言葉はちゃんと出てきた。とりあえず出直そう、訳のわからないことを考えながらそれじゃあと別れを切り出した。突然のことで未だにきちんと働かない脳だったが何かが強く命令している。とにかく一刻も早くここから去れ。それはもう私の願望だった。
「あ、待って・・・・・・っエリ、ちゃん!」
「!!!?」
背を向けて歩き出した私の足が呪いにかかったように動きを止める。(呪われた呪われた)恐ろしいことのように思うのに。唇を噛んで一体何を耐えているのだろう。そんなのわかっているからこそ激しく打つ鼓動がどうしようもなくて。何を言われるかわからない恐怖で振り向けずに身構える私は神経が鋭くなっていたらしく、口を開く動作を敏感に感じ取り肩がビクッと震えた。(逃げ出したい)
時を同じくして、このすぐそばで一ノ瀬が誤解を深める場面を見上げていたとは、この時の私はもちろん知らない。
5.5 うらうらおもて
14.1028