クラスメイトの好ましくない視線を四六時中浴び続けた1年生を何とか乗り越えて進級の春。新たなクラスで待っていたのは根も葉もない噂が面白おかしく蔓延るような、結局のところ何も変わらない2年生の始まりだった。新しい環境に少なからず期待していたのだろうと前から二番目の席に座る一ノ瀬蓮は、思いのほか自分がガッカリしているのに気付いてうっそりと息を吐いた。
けれど耳も目も塞いでやり過ごす生活はがらりと一転する。

「俺はしゃべりたい奴としゃべるよ」

孤独であった蓮を何ともなしに救い上げた一言は明るい感情が込み上がるほどで。無表情にじわりと滲む嬉しさを見つけた安堂拓海はやっぱりウワサはウワサなんだと片頬に笑みを浮かべた。



次の授業は移動になりました。と急に変更になったことを担当教科係りの生徒が黒板にチョークを滑らせる。この場にいないクラスメイトが戻ってきた時にわかるようにと書き記していた。慣れない作業で少々歪に仕上がった文字をやり直そうかと悩む素振りを見せるがまぁいっかと切り上げて待たせている友人の元に向かう。そんな黒板前での動きは変更の知らせを聞いてすぐ席を立った蓮は知らず、今しがた教室を出たばかりの安堂を追いかけるように二人分の荷物を持って廊下を歩いていた。
誰が開けたのか窓から入り込んだ風に廊下にいる生徒が寒いと震えた声を上げるのが聞こえる。大袈裟だ、隣の友人が薄着だからだと笑う声が続き、蓮の前髪がやわらかく揺れた。「あ、蓮くんだ」「ほんとだ」「・・・・・・」

春の暖かさに時折り混ざる冷たい風を吸い込んで、ふいに思い出されるのはお世話になった教師の言葉だった。『季節を感じなさい』何をしても上手くいかない時に恩師からもらった言葉だという。心に余裕を持たせたかったのだろうと自分なりに解釈して、忙しくて空回ったら風を嗅ぐようにしていると話す先生は今年から余所の学校に異動してしまった。受け持つ生徒の一人だった蓮を何かと気にかけてくれた教師の言葉だからか未だにそのことを覚えていた。それを思い出したのはやわらかく吹く風に季節を感じたからだった。
(もう春も終わりか)すぐに梅雨が始まる。そんな予感めいたことがわかるようになって、先生のクセが自分にもうつったのかと懐かしく思っていると。

「あっ夏の匂いがした!」

飛んでくる声にビクリと肩が震える。色んな声が廊下を行ったり来たりしている中でその声がはっきりと耳に入り蓮はただただ驚いていた。どうやらさっき通り過ぎた時に聞こえた寒いと震える声とそれを笑う声、と一緒にいた女子生徒のものだと聞こえた先に視線だけをわずかに振り返らせる。そばにいた二人は何それと訝しげに眉を寄せていた。

「知らない? 今は異動していなくなっちゃったんだけどさ、1年のときの選択授業でワンコ先生が話してたんだよ!」
「ワンコ先生・・・・・・、あーそんなあだ名だったね。受けてたけどそんな話覚えてないなぁ」
「わたしその選択授業取ってなかったからわかんないや」

ええーと不満顔で二人を見やる彼女と意図せずに思考が通じ合いだんだんと気持ちが昂るのを感じた。(俺とおんなじこと)すごい偶然だ。心臓が騒ぐ理由にそれを当てはめて止まりかけた足をそのまま動かす。トイレから出てきた安堂と合流した蓮は次の授業が行われる教室に向かいながら再び顔に当たる風に意識を持っていった。春に紛れる夏の匂いを見つけて、ふっと小さな笑みが浮かぶ。

「なに笑ってんの?」
「・・・もうすぐ夏だなーって思って」
「は?」

眩い世界に慣れた目がとびきりの色を見つけた。



19.1018