「…!」
どくどく、と激しい鼓動の音で目が覚めた。鉛が身体に乗っかっているように、身体が重い。重力に圧を掛けられているようだ。無理やり押し切るように、身体を起き上がらせた。暗い部屋の中を、慎重に歩いて冷蔵庫までたどり着く。ペットボトルを取り出して、お行儀は悪いが、そのまま口を付けて喉に流し込む。ミネラルウォーターの冷たさに、冷静を取り戻すことはできた。でも、それ以上に不快感と恐怖の方が募っている。
しばし、私は悩みに悩んで、部屋を出ることにした。
***
夜もそこそこいい時間になって、俺はコーヒーを淹れ直した。生徒のことはもちろん、仕事内容はそれだけではない。それに、今は前代未聞の事態が続いて、色々と立て込んでいる。仕事の効率化を目指して、改善を重ねても、どうしても睡眠時間を削ることになってしまう。熱く、濃い目のコーヒーに口を付けて、俺は目薬を差す。ああ、パソコン作業をすると、余計に目が乾く。身体を伸ばして、気合を入れた所で部屋の外に違和感を持った。
んなぁ〜
…新入りか?聞いたことがない、鳴き声に俺は首を傾げた。雄英にはちょこちょこと野良猫が迷い込んだり、住み着いていたりする。猫好きとしては、嬉しい…が、場所が場所なので、それなりの対応をしなければならない。新入りの癖に、寮に迷い込んだ奴は図太いらしい。カリカリと、遠慮なく音を立てて扉を引っ掻きやがる。俺は予定より進んだ資料を見て、椅子から腰を上げた。
少しだけ、だからな。
「…やっぱ、見ない顔だな」
んなぁ〜
「鳴き声も可愛くない」
扉を開けると、黒く小さな猫が一匹。その黒猫は俺の足にすり寄って、ごつんごつん、と小さな頭で頭突きをしてきた。甘えたいのだろうか。しばらく様子を見守っていると、前足で俺の足に登ろうする。かりかり、と軽く爪を立てられそうになって、俺はやっと黒猫を抱き上げた。
「お前メスか」
にゃあああ
俺の言葉に、黒猫は短い足をばたばたさせる。早く抱っこしろ、とでも言っているようだ。
「…で、お前誰だ」
ぴしっ、と黒猫の動きが固まって、尻尾もだらんと下がって、縮こまる。まあ、言う気がないなら、言わせるまでか。あんまり使いたくねぇって、普段から言ってるはずなんだけどな。俺が個性を発動した途端に、腕の中の黒猫が重くなって、…ヤバい、ことになった。
「っうぶ!」
「さっさと、これ着ろ」
腕の中で、丸裸になった生徒を見て冷静では居られない。やらしい意味ではなく、この状況を第三者に見られたらヤバい的な意味で。俺は適当にそこら辺に脱ぎ捨てた中でも、比較的清潔だと思われる上着を投げ付ける。俺の後ろでは、もぞもぞと着替えているらしい名字の動く音がした。そうか…名字の個性は、こういう風にも使えるのか。
名字名前。個性、身体変化(トランス)。体内で自らが望む性質を持つナノマシンを生成・操作する能力…、簡単に言うと、自分が想像したものに身体を変化させることが出来るって訳だ。普段の彼女は、髪を刃物に変化させたり、背中から翼を生やしたりと…それは、もう、多種多様な使い方をしている。身体を変化させると言う能力ゆえに、衣服もナノマシンによって分解され、肉体と同化するので衣服が無くなるような変化をした場合でも着替えの必要は無いのだ。
その代償で俺の個性とは、相性が悪い。彼女の衣服そのものが個性と言ってもいい。俺が個性を使えば、彼女は変化した身体だけでなく、衣服まで抹消されてしまうのだ。だから、こうなるはめになる。
「先生着ました…」
「…で、お前は何がしたかったんだ」
彼女は誰かさんのような問題児でもないし、堅物でもない。うちのクラスには珍しく、普通の生徒だ。それこそ、手が掛からないし、教師としては助かる。彼女は反抗するつもりも、言い訳するつもりもないらしく、耳の垂れた犬のように、しょんぼりと身体を小さくしていた。先生は猫派だ。
「…その…、怖い夢を見て…」
「…まさか」
「…はい、まさかです…一人で寝れなくなっちゃって…」
微かに頬を赤くする彼女はますます申し訳なそうに小さくなってしまう。まあ…、親の元を離れて雄英に通う奴らも居れば、三年間親と一緒に住んで通って卒業する奴も居るしな。こればっかりは、環境の差か。元々彼女は全寮制になる前は、両親と暮らしていたし…。普段、外ではいい子な分、色々と我慢しているのかもしれない。いや、だからって、贔屓をするつもりはない。
「…俺は教師だ。この時間帯に、教師の部屋に、生徒を入れること自体…非常識だ」
「…ご、ごめんなさい…相沢先生…猫が好きって聞いたので」
「…」
狙ってやったのか。意外だ。つーか、俺の好みチクったの誰だ。そう問いかけるように、彼女を見下ろせば、彼女は顔を青くして、マイク先生です…と口にした。…アイツ。
「はぁ…この部屋に生徒は入れれない」
「…はい、すみませんでした」
「…まあ、生徒だからな。ケジメは大事だろ」
「はい」
「猫なら、良かったのにな」
「…?…!」
彼女は一瞬呆けたように、瞬きを繰り返した後、嬉しそうに目を輝かせた。俺は再びパソコンへと向かうため、彼女に背を向けて椅子に座った。後ろで、衣服が落ちる音がして、その代わりに小さな足音が俺に近づいて来た。こらこら、部屋に居ていいとは言ったが、…膝に乗っかっていいとは言ってねぇぞ。
「…」
「寝るの早すぎだろ…」
俺の膝の上で身体を丸めた途端に、黒猫は小さな腹を規則正しく上下に動かし始めていた。
あとがき
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