いつもように名字に電話で呼び出されて、すっかり常連になってしまったコンビニへと急ぐ。コンビニへ着き、彼女を見つけて声を掛ける。また、いつものように彼女は俺を見上げて、眉を下げて笑うのだ。そのまま会計を済ませ、適当に話ながら歩く……はずだった。妙に彼女の手とぶつかると思っていたら、彼女が俺の手を控えめに握った。それこそ、俺の指先を中途半端に握るような、そんな握り方だった。一方的居な感じ。身長の関係上、俯いている彼女の顔は見えない。見えないが、どこか口数も少ない彼女は落ち込んでいるようにも見える。俺はしばし迷って、控えめな主張をしてくる手を握り返した。初めて、彼女と手を繋いだ。
彼女はゆっくりと顔を上げて、そのまま甘えるように俺の腕に凭れ掛かって来た。
「名字歩きにくいんですけど」
「うん」
いや、うんじゃなくて。内心突っ込むが、口には出さない。どうやら思っているよりも、今日の彼女は気落ちしているらしい。
***
「ちょいちょい…たんま」
「最後までしないからお願い」
俺の家へ入るなり、部屋に入るなり、人をベッドに押し倒して、服を脱がそうとするバカがいるか。しゅるしゅる、と拘束するように俺の身体に巻き付くのは彼女の髪だった。彼女の個性だ。少なくとも、個性を使ってまで迫られたことはないので、俺は酷く困惑した。俺も負けじと個性を使おうとするも、上手い具合に俺に個性を使えないように拘束されて、俺の回避策は空しくも散ってしまう。気付いたら、下着だけだった。彼女は服を着たまんまだ。俺だけ裸って恥ずかし過ぎる。なんだ、この、辱めは…。俺が何をしたと、言うんだ。
情けなくも泣きそうになっていると、彼女が躊躇もなく脱ぎだすものだから、俺は慌てて目を瞑った。おいおい。俺たちのファーストコンタクトで、こういう事はしないっていう話になっただろ。ああ、そいや、さっき最後までしないって言ってたか?いやいや、こんなんに最初も最後もないだろ。まだ間に合う。やめろ。やめてくれ。頼む。頭が回らないまま彼女に言葉をかけるが、布が擦れる音しか返ってこない。そして、恐れていたことが起こった。
俺の胸板に、形容し難い感触がした。一度、しっかりと触れたことがある。正確に言うと、生活している中で何度か触れてしまったことがある。満員電車とか、混んだエレベーターとか、いろいろ。もちろん、事故である。しかも、殆ど感触分かんねぇし。唯一なまともな一回も、もう殆ど記憶にない。たださえ他人の、生肌の触感ってだけで、やべぇのに。なに、そんなとこ押し付けてぇんだよ。腰辺りつーか、腹辺りに彼女は遠慮なく座っている所為で、起き上がれない。そもそも、この髪解け。
「名字落ち着け。何があったんだよ」
「…瀬呂くんとこうするの、気持ちいい」
言葉のキャッチボール。うっとりしたような、彼女の声は俺の耳の横、すぐそばで聞こえた。堅く目を瞑っている所為で、視界以外からの刺激がやけに強く感じる。だからって、流されるかっての。
「名字マジで落ち着けって」
「……」
「俺は逃げないから」
その言葉に彼女の体温が離れていく。その隙に起き上がったが、すぐに彼女に抱き着かれた。彼女の腕だけの、拘束の方がいい。可愛らしいし、怖くない。はいはい、よしよし、と彼女の頭を撫でて、またやけに走った彼女を慰める。いや、何に彼女が凹んでんのか知らないけど。
「で、名字さん」
「……はい」
「今回はどうしたんですか」
警察ドラマの刑事と犯人(実は犯人じゃなくて、勘違いされる損な役)のようなやり取りをして、俺は彼女の口を開くのをじっと待った。
***
「名字さん」
「あ、瀬呂くん」
「ほい、アイツらのノート。今日提出でしょ」
初めて、話した瀬呂くんとの会話。先生に頼まれたのにクラスの皆の前で、出してって言えなくて、効率悪いけど個人に聞いて回って集めてた。瀬呂くんはそんな私に気付いて、こんな私の性格を分かった上で、私が聞きにくい子たちの分を代わりに集めてくれたんだと、思う。
「あ、ありがとう」
「うん、いーよ」
私にとって瀬呂範太くんという、男の子は特別だった。同年代の男子と騒ぐようなノリの良さもあるけど、何処か大人っぽい一面もある。中学の頃の、クラスの女の子はきっと何人かそんな瀬呂くんに好意を寄せていたと思う。私は好意と言うよりも、瀬呂くんに理想を持っていた。きっと瀬呂くんなら、私のお願いを聞いてくれると思った。そう言った、大人っぽさがあるって、信じていた。私みたいな、女の子でも相手にしてくれると思ったのだ。今考えれば、この考え方はとても瀬呂くんに失礼極まりなくて、最悪な行為である。
思ったよりも、瀬呂くんはロマンチストと言うか、純情だ。
「瀬呂くんはその初めて、からしてないの?」
「名字さんはぶっちゃけてから、結構ストレートになったよね」
「あ、だめだった…?」
「ダメじゃねぇけど……、うーん、まあ、そういうのはね、好きな人とやるもんなんですよ」
「好きな人じゃないと、瀬呂くんは出来ない人?」
「……てか、好きな人としたい人」
「へえ」
「へえってね、名字さん」
瀬呂くんに抱いてほしいとお願いしたときと、その理由を告白したとき、見てしまったのだ。二回も。あどけない一人の男の子の傷ついた顔を、見てしまった。瀬呂くんは思ったよりも、大人ではなくて、普通の男の子だった。その傷付いた顔を見て、もうこんなこと絶対しないって、誓った。大袈裟じゃない。本当にそう、思った。人の気持ちを踏みにじる行為は私が思っているより、想像しているより、ずっとしんどくて、重いことだから。
瀬呂くんの、提案に乗ったのは瀬呂くんの言葉の裏の意味に気付いていたから。瀬呂くんは私に責任を取るなんて、言っていたけど、本当に責任を取らないといけないのは私のほうだ。瀬呂くんの求める、欲求を私なんかでいいなら、満たそうと思った。思いながら、過ごしてた。いつか、瀬呂くんを本当に求める子が現れたら、瀬呂くんが求める子が現れたら、瀬呂くんに甘えるのはやめようと思った。
でも、瀬呂くんの傍に居て、瀬呂くんと話して、ときどき瀬呂くんに触れてもらって、自分の気持ちに気付いてしまった。あっさりした優しさを、するりと人の隙に入ってくる手のひらの温かさを、独り占めして傍に置きたいと、思ってしまった。
そして、どうすればいいか悩んで、瀬呂くんとぬるま湯のような関係に甘えていたら、恐れていたことが起こった。ついに、瀬呂くんを本当に求める子が現れてしまったのだ。
***
「あそこ告白場所にしない方がいいと思う」
「…なに…、名字見てたのか」
「見えたんだよ。
あそこ女子トイレの窓の真下だから」
俺に抱き着いたままで、不貞腐れたようにぼやく名字の行動に俺の心臓は嫌な音を立てる。あー落ち着け。よくないよくない、この雰囲気よくない。可愛い子だったのに…、と彼女は嫌でも意識してしまうことを言いながら、俺の背中を細い指でなぞる。いやいやいやいや。頭を軽く振って、彼女の背中を支えながら、距離をとった。
「確かに可愛かったけど」
「……」
「痛いんですけど、名字さん」
「……」
急に細い指が俺のうすい、うすーい背中の肉を摘まんだ。酷い。めちゃくちゃ痛いんだけど。
「なに、…何か言いたいことあんの?」
「………かわいい、かわいい子だったのに、どうして断ったの。彼女作る気ない、とかの理由以外しか承りません」
「……」
彼女の理不尽な言動に眉を顰めて、俺は彼女の肩を掴んだ。これじゃ、話にならねぇ。
「名字もうやけはしないって、俺と約束したじゃん。なんで、今日こんなことしたわけ?」
「…違うよ」
「は?」
俯いていた彼女は顔を上げた。泣きそうな顔だった。駄々っ子みたい。これじゃないと嫌だって、ダメだって、ワガママを言ってる、聞き分けのない子みたいだった。
「やけじゃない。本当に瀬呂くんとしたいと思ったから。瀬呂くんに私以外として欲しくないって思ったから」
「……かんちがい、するって。そういうこと言われ」
「勘違い、して」
なくした、距離がまたなくなった。彼女の熱い体温も、涙も、間違いなく今俺は感じていて、彼女の言葉に俺の心臓は鼓動を早くしていて、……今ここには、同じものしかないんじゃないかって。互いに同じもん、を持っていて…、それ見せあいっこしたら、一つになるんじゃないかって。そんな馬鹿みたいな錯覚を起こしそうだった。
「…名字は俺が、好き?」
「うん、瀬呂くんが好きです」
「だから、不安になって、ヤキモチ妬いてんの?」
「……」
肩に感じた、小さな振動に嫌でも顔がニヤけてしまった。やっとこの子を抱き締められる、そう思ったら我慢出来るはずもなかった。
「名字はアレだよな、切羽詰まると大胆になるよな」
「先生にいざってときの、判断力は褒められたことあるよ」
「……うーん、なるべく俺以外の前ではやめてね」
「…?」
「名字さん返事」
「はい」
あとがき
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