暑い。夏だから、仕方ない。俺は温くなったペットボトルのお茶で喉を潤して、窓の外へ視線を向ける。教室の様子が窓に薄っすらと映っていた。三年になって、将来のために皆それぞれの本格的だった活動が、さらに本格的になった。最近はクラスのメンバーが全員揃う方が珍しい。青々とした葉の隙間から、眩しい太陽の光が漏れて、俺はその眩しさに幼馴染を思い出した。大丈夫だろうけど、無理していないといい。短い休み時間に、そんなことを考えていると、ふいにゆらゆらと揺れるものを見つけて、俺は首を傾げた。動くものがあると、気になる。蝶でも居るのだろうか。
窓の外を、少し身を乗り出して見てみるが何処にも、居ない。気のせい…か、と思ったとき、また視界の隅に揺れるものを見つける。ああ…、揺れる正体を見つけて、視線を教室に戻した。そこには、高く結い上げた髪先が揺れていた。白い首筋を見え隠れするように、揺れる髪。
なんだっけ…、そう、ポニーテールだ。
「あ〜それは大変だったねぇ」
「でしょ〜名前もインターン先どう?」
「うーん、私はね」
名字さんだ。友達の話を肩を揺らして、楽しそうに聞いている。また、髪先が揺れた。それはまるで素知らぬ顔をして、悪戯に人の心を弄ぶ小悪魔の囁きのようだな、と少し思った。
***
「んー今日も少ないな。先生寂しいから、席詰めてー」
先生の言葉に、皆から笑い声が漏れた。中間辺りの席の俺はどうしたらいいのか、迷って席を立てずにいると、俺の前へ彼女が座った。どうやら、友達と隣同士にしたいらしい。
ゆらゆら、と不規則に揺れる髪先から、いい匂いがして、俺は思わず視線を机に落とした。気付いてはいけない、秘密に気付いてしまったような気分になったからだ。別にやましいことなんて、ないのに。悪魔とは程遠いはずのクラスメイトの彼女を、小悪魔みたいと思ってしまった罰か何かだろうか。
心臓がうるさくて、頬が熱い。その内、皆の楽しそうな声が静まって、先生の声だけが教室に響く。
俺も集中しない、と…。
いつもより、集中できない。黒板を見る度に、彼女の姿が目に入る。剥き出しの腕は白いままで、全然焼けていない。意外に背中は丸くて、ノートを書くときも、目線が近い。ちょっと目が悪くなってしまい、そうだ。問題を解く間も、彼女は首を傾げる癖があるのか。彼女が身を動かす度に、毛先もゆらゆらと揺れて、気のせいかもしれないけど、ふわっと匂いがした。
ああ、もう、問題は解けたのに、落ち着かない。右手で左腕を掴んで、彼女から視線を逸らす。左腕を掴むのは落ち着かないときの、癖のようなものだ。
なんで、こんな匂い一つで俺は…動揺しているんだ。自分のメンタルの不安定さに落ち込んでいると、追い打ちをかけるようにぱんっと大きな音がして、ぶわっと濃い匂いが鼻を擽った。ぱさぱさ、纏まっていた髪が広がって、彼女の白いうなじが見えなくなった。
「わあ…びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだよ…!もう、ゴム代えある?」
「ない…輪ゴムなら、筆箱にある…」
「いや、絶対痛いって。待って…ほら、これ貸してあげるから」
「ありがとう」
彼女は友達の手から新しいゴムを受け取ると、するすると器用に髪をまとめて、結び直した。呆気なく、また無防備に彼女のうなじは晒されてしまう。そんなとき、彼女がいきなり俺の方を向いて眉を下げる。
「天喰くんごめんね。いきなり大きい音して、びっくりしたよね」
「…え、いや…大丈夫だよ…」
「良かったーあ、天喰くん問題解けてる!私ね、ちょっと分かんなくて…」
教えてもらってもいい?と言って、彼女が小首を傾げて俺を見つめる。わざと、なのだろうか。その見上げる瞳も、さらりと揺れる髪も、本当に何も意識していないのか。俺の心臓はこんなにもダメージを受けていると言うのに。
「ご、ごめん…天喰くんも見直しとか、したいよね…」
口を噤んで固まっていると、彼女は焦ったように眉を下げて、前へ向き直そうとした。咄嗟に手が出てしまった。想像よりも、ずっと細くて柔らかい毛先が俺の手からするすると抜けて、彼女が目を大きくして、振り向く。
「…!…ご、ごめんっ!…えっと、…これは」
自分でも思いもよらない行動をして、自分の事なのに自分のことが分からない。でも、この機会を逃したら、いけないって本能で思ったんだ。
彼女は瞬きを繰り返して、くすりと笑う。
「天喰くんって猫みたいだね。
…良かった、私天喰くんに嫌われているのかと思ったから」
「…そんなこと、ない」
「うん」
彼女は嬉しそうに笑って、俺は恥ずかしくて俯いて、…俯いた先には、綺麗に解けた問題があった。
「…名字さん」
「うん?」
「俺で良かったら…、問題の解き方教えるよ」
「ほんと?ありがとう!助かります!」
彼女は弾けるように笑って、俺の机に彼女のノートが置かれた。
この問題が分かって、二人揃って丸を貰ったときは、今度は君が俺にこの鼓動の正体を教えて欲しいなんて…、
「ん?」
「…いや、何でもない」
言えるわけがない。
あとがき
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