何となく、そわそわする。身体が物足りないと騒いで、集中出来なくなった私は読んでいた図鑑を閉じた。試しに個性を使ってみるが、やっぱり想像と現実のギャップがいつもより酷い。今日はもうやめだ。中学の頃よりも、潔い諦めをするようになったと思う。部屋着を脱ぎ捨てて、ジーンズに履き替える。スマホと財布をポケットにねじ込もうとして、入らないことに気付く。仕方なく小さめの肩掛けのバッグに仕舞って、私は部屋から出た。
「もしもーし」
「…また?」
「うん。今から行ってもいい?あ、コンビニに寄るんだけど、欲しいものある?」
「もう外に出てんのね」
「うん」
「コンビニにまで迎えに行く。豆乳頼むわ」
「分かった」
電話の相手はため息をつきながらも、立ち上げる動作の音みたいなものがしたから動いてくれてるっぽい。何と言うか、瀬呂くんは優しい。ずっと、中学のときから思ってたけど優しい。どろどろに甘いとか、ふんわり包み込んでくれるとか、そういうのではないけど。優しい人だ。なんだろ、あっさりサラダ味のせんべいみたいな感じ。たまに欲しくなって、傍に置きたくなる。
行き慣れたコンビニに着いて、私はカゴに自分の飲み物と、瀬呂くんのリクエストを放り込んでいく。瀬呂くんはどうせ食べないだろうけど、おやつも一応入れておこう。夜にスナック菓子とかあり得ないと、以前私は瀬呂くんに引かれた経験がある。夜更かしとか、そう言うのも瀬呂くんはあんまり好きじゃない。瀬呂くんはとても健康志向なのだ。
商品を見るふりして、瀬呂くんを待っていた。仕事帰りのOLやサラリーマンがお弁当やインスタント食品を買っていく。みんな疲れた顔をしていた。お疲れさまです。心の中で労わりの言葉を投げかけていると、その人たちに交じって疲れた顔をした瀬呂くんが登場した。
「はー、本当名字は唐突だな」
「だってね、急にむ」
「はい、黙って」
「うん。買って来るから、待ってて」
私の言葉に瀬呂くんは頷いた。コンビニの外で待っていてもいいのに。…もしかして、瀬呂くんはタバコの匂いが嫌いなのかな。コンビニの前で、タバコを吸っている人は結構多い。今度覚えていたら、聞いてみよう。
***
新しい環境に身体も心も慣れて、ほんの少しだけだろうが…自分の時間を取れるようになった頃、名字から連絡が来るようになった。彼女の目的も悩みも知っている俺は二つ返事で了承して、彼女を部屋に招き入れることとなった。適当にネットサーフィンをする俺の腕の中で、大人しくしている彼女が俺の部屋に馴染むのも時間の問題だ。
高校に入る前の春休み。俺は彼女に抱いてくれ、と迫られた。結論から言うと、俺は彼女を抱かなかった。流されそうになった、絆されそうになった理性で一応聞いた。彼女に経験はあるのか、と。彼女は当然のように未経験だと言ってくれた。彼女の首筋も、胸も、太ももの内側までも、俺は暴き出していて、彼女も頬を赤くして熱っぽい瞳で俺を見ていた。もう完全にやってしまう雰囲気だった。
「…え、処女なの?」
「うん」
「……」
「処女めんどくさい?」
「いや、違うけど……」
曖昧に言葉を返して誤魔化しながらも、俺は自分の中で熱が冷めていくのが分かった。熱が冷めるって言うか、やっぱりダメってブレーキがかかった感じ。俺は身体を起こして、外してしまったボタンを下から留め直す。彼女は大きく瞬きを繰り返して、眉を下げた。しょぼん、と落ち込まれると俺もしょぼんとしてしまう。何か勘違いしてそう。
「やっぱさ」
「…」
「こういうのは大切にした方がいいよ。名字さんみたいな子は特に」
「…私みたいって?」
捲り上げたスカートを元に戻して、俺は彼女の手を引っ張って身体を起こす。彼女は俺の胸の中に簡単に収まった。きょとん、と無防備な顔をして俺を見上げる彼女を見ながら、思う。彼女のやりたいことはきっと彼女の意志なんて関係なくやれる。やろうと思えば、やれる。力尽くで、出来ることだ。なんか、名字さんには似合わない。きっと世の中にはされたくもない相手にされてしまう人だっている。なんか、ヒーローを目指すってなんだろうって最近考えたりなんかしちゃって、ちょっと…らしくないけど、俺って結構真面目な方だと思う。
「うーん。だってさ……無理やりやろうと思えば、出来ることじゃん。望まなくたって、やられる人とかいる世の中でさ」
「……」
彼女の瞳がゆらゆらと揺れて、薄い膜が張る。その柔い膜が弾けて、ぽろぽろと彼女の頬を伝った。場違いながらも、俺はそんな彼女の透明な滴を綺麗だなぁ、なんて思いながら彼女の頭を撫でた。
ああ、ほらね、彼女はやっぱりいい子だ。
「…ごめんなさい。軽率だった……」
「うん」
こうして、俺と彼女のファーストコンタクトは幕を閉じたのだ。
***
「でも、なんで急に?名字さんの周りって、別に処女だからダサいとかないでしょ?」
ここで言う周りってのは、彼女の交友関係のことだ。恋愛にエネルギーを使う事自体に省エネの動きがあると思われる若者の事情に、彼女の行動は謎しかない。身なりを整えた俺と彼女はおしゃべりをしていた。ローテーブルには昔懐かしの麦茶とクッキーだ。このちぐはぐな感じが、友達の家に来たって感じがする。彼女は俺の言葉に顔を赤くすると、言い辛そうに唇を噤む。言いにくいなら別にいいけど、と俺が口を開きそうになった途端に彼女が話し始めた。
「……その」
「うん」
「たぶん…」
「うん?」
「よ、よっきゅうふまんで……」
ん?
固まる俺と、ベッドに顔を埋めて唸る彼女。ストッパーが外れたのか、マシンガンのように話し始めた彼女の話を要約してみる。
ネットサーフィンをしていたら、誤ってエロ広告をクリックしてしまい、ページが飛んだと。思わず興味本位で内容を見てしまい、その日からもやもやしていると。まるで男の子みたいにエロい夢まで見てしまって、受験と言う大事な時期なのに、どうすればいいのか分からずに自己嫌悪に陥る日々。受験は無事終わったが、これからの新生活が不安で俺に連絡した……と。
「え、まって。なんで、俺?」
「だって…瀬呂くん教室で話してたとき……」
俺は思考を巡らして、あのときの会話を必死で思い出した。
「瀬呂…マジで?脱童貞?」
「疑うとか、ひでーな」
「え、え?どんな感じ?気持ちいい?」
「やめろ、直球過ぎんだろ。気持ちわりい。
……で、瀬呂どうだった」
「お前も興味津々かよ。
いや、べつに……思ってたよりいいもんじゃねぇよ」
「……思ってたよりもいいものじゃないらしいから、いっその事経験した方が……この、もやもやとおさらばできるかなって」
今度は俺がベッドに埋めてしまう。思ったよりも元クラスメイトの女の子に、生々しい会話聞かれてた。恥じしかない。無理。しかも悪影響与えてる。説教もどき、かましてる場合じゃない。
項垂れながら俺はぼのぼののように、焦ってこっちの様子を伺っている名字さんの頭に手を伸ばした。直接的でなくても、俺が原因でこんなぶっ飛んだ行動に走ってしまったのだ。本当に柄でもないが、責任を取ろうと思った。
「名字さんさ、これから欲求不満?になったとき、俺のコト呼んでいーよ」
「えっ?!」
「ちゃんと名字さんがしたい、って思った相手が出来るまで。気紛らわすの、付き合う」
「いや、でも、大丈夫だよ……。もう、こんなことしないし、瀬呂くんに迷惑かけられ、ないから」
彼女は俺の手を受け入れながらも、困ったような、泣きそうな顔をして首を横に振る。
「名字さん俺以外に、このコト言ったことある?」
「ま、まさか……こんな恥ずかしい事、他の人に言えるわけ、ないよ」
形勢逆転を受けたような、錯覚だ。さっきまで攻めの勢いだった彼女はすっかり意気消沈してしまっている。でも、恥ずかしいコトって自覚あったんだ。まあ、別に冷静に見れば、当たり前の欲で恥ずかしいことではないんだけど。
でも、自らの口でこんな恥ずかしいコト、と言うコトを俺には教えてくれた。元クラスメイトたちは、これからクラスメイトになる奴は(まあ、高校でも彼女とクラスが一緒になるかは分からないが)彼女の、こんな一面を知らない。知っているのは、俺だけ。
その事実は俺の気分を酷く高揚させるもの、だった。
「誰にも、言えないから…悩んでたんじゃないの?」
「うっ」
「俺は知っちゃったし。そもそも、名字さんに変な影響も与えちゃったのは俺だし?」
茶化すように言えば、彼女は顔を赤くしながら、弁解をしようと口を開くが言葉は出てこない。
「……」
「…どうする?」
「……お願いします…」
こうして、俺たちの少し変わった関係は始まったのだ。まあ、しかし、彼女の可愛らしい恥じらいはこの瞬間だけで、次からは堂々とむらむらした、どうしようと彼女から連絡が来たときは、俺がどうしようって感じだった。
あとがき
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