十六光年果ての恋
※アイナナEXPO2日目の、Re:valeキャスト陣によるトークイベントが元ネタです。同性愛的な表現を含みます。
オレたちは、ときどき、指輪の場所を中指から薬指に変えることがある。
もっとも、それは普段のRe:valeの芸風に近い冗談めいた笑いを取るためのものではなくて、意外にもある種の目的意識があって行われていることだった。というのも、そういうことをするのはファンクラブ向けのオフショットなどで、一般にひろく公開されることはほとんどないのだ。例外的に、例えばNEXT Re:valeの3周年特番のあとにそうした写真を公開することはあったが、それはあくまで放送内容に即してのことで、そういう意味では普段の芸風による文脈で成されたものであって、趣旨は少し異なっていると言える。
オレたちがときどき指輪を薬指に移すのは、ファンクラブの会員に向けたファンサービスであり、オレたちを愛し、また許してくれる人への恩返しのようなもので、見世物であって見世物ではないような、そんな不思議な風習だった。
発端は、案外遡ることなく思い出すことができる。ゼロアリーナのこけら落とし公演を終えた直後のことで、その頃オレたちは、過ぎ去ってきた五年間のすべてに追いかけられるように、ひどく疲弊していた。それは精神の昂ぶりに対し、いわば肉体が脱落したようなもので、満面の笑顔のまま一日中ソファで伸びていられるような、そんな甘く圧し掛かる疲労感だった。時間はすべての人に平等である、などということはなく、そのくたくたになった身体と浮足立つ精神が収まるところを見失ったまま、高揚をはらんだ疲労を引きずってファンクラブ用の写真撮影に臨んだとき、ちょっとした事故が起こる。
朝に弱いユキが寝ぼけたまま、間違えて指輪を薬指につけてしまったのだ。ちょうどよく、ファンクラブ用であるために撮影まわりの人間もほとんど岡崎事務所の人員で、みな例外なくくたくたで、それに気づく人はいなかった。結局、その事故に気が付いたのは、しばらくしてさあ今月の会報の用意をしよう、と写真の整理をし始めたときだった。なにせ、その指摘を最初にしたのはあの岡崎凛太郎である。それもあって、その時のことを、オレは今でも鮮明に思い出すことができる。
「ユキ、お前、結婚したのか?」
だって、第一声がこうだ。驚くなという方が無理がある。相変わらずの重役出勤でやってきて、弟の事務作業をぼうっと鑑賞していた社長は、おかりんの肩越しにモニターに視線をやってそう言い放った。しばらく岡崎事務所の時間は止まって、それから真っ先に動き出したのはオレだった。
「社長、その冗談面白くないってば」
今思えば、当たり前だけどオレも混乱していた。まったくアイドルらしからぬ表情を浮かべたオレに対し、社長はあくまで飄々とした顔を崩さないまま、ほら、と指をさす。その指の先を目で追えば、確かに指輪が中指ではなく薬指に嵌っていたのだ。
「指輪、Re:valeでお揃いじゃないか。それを結婚指輪代わりにするなんて、相変わらず図太いやつだな」
「兄さん!」
目を瞠るオレの横でそう言い放った社長に、おかりんが手近にあったファイルを振りかぶるのは刹那の出来事だった。オレは社長の言葉の意図を読み損ねて怪訝な顔をしていたが、ユキは発端となった社長の爆弾に対しては何が問題なのかと言わんばかりに不思議そうに首をかしげていたのに対して、今の言葉にはひどく過剰に反応した。
「は? 僕があの指輪をそんな風に扱うわけないだろ」
そう忌々しげに吐き捨てるユキを見て、ようやくオレも社長の意図を理解した。横のユキがかんかんになって社長をぼこぼこに言っていたこともあって、オレ自身は怒りというより呆れを強く感じていたが、まあ一度反省するべきだとは思った。これで当時は交際している女性がいたというのだから(そして現在はその女性とよりにもよって結婚しているというのだから)、人間関係というものに考えを馳せるのを、オレは柄にもなく一瞬やめたくなった。
ともかく岡崎凛太郎という親の顔が見てみたくなるような人物による指摘から、ユキのうっかりミスは大々的に取りざたされることになる。というのも、ほんとうに偶然、その回はユキの手が映っている写真が多かったのだ。その多くはマグカップを握っているとか、楽器をゆっくりと爪弾いているとか、ユキの白く美しい手をことさら取り上げたものではなかった。しかし、ファンクラブ用の写真はあくまでオフショットと銘打たれているわけで、そのため指輪を隠そうにも違和感のある隠し方にしかならず、ユキの写真の扱いは難航した。
オレたちはRe:valeであり、ファンクラブもRe:valeのファンクラブなのだから、オレとユキのどちらか片方だけに偏った内容になることは避けるべきだ。しかし一般的に、薬指の指輪というのは多分に恋愛的な意図を含む。それはアイドルとしては避けるべきだろう、とオレは強く主張したし、おかりんもふかく頷いていた。社長はともかく、こういうミスをしたユキを事務所の人は誰も責めたりはしなくて、それを見て、やっぱり岡崎事務所っていい人たちだな、と改めてうれしく思ったことを、よく覚えている。
オレがあわてたりうれしくなったり百面相していた傍ら、ユキはじっと写真を見つめていた。ユキはぼんやりさんだから誤解されてしまうときもあるが、この時もたぶん、ユキは自分なりにオレやおかりんの語る問題点自体は理解したうえで、自分なりに言葉を探していたのだろう。オレたちの会議が踊っていたときに、ふとユキが口を開いた。
「モモも、指輪、薬指にしてよ。それで、手だけでも二人で薬指に指輪をした写真を撮って、それも併せて会報に載せればいいんじゃないか。そうしたら、僕らのファンは、この写真を喜んでくれるだろ」
そう言って、ユキがオレの中指にあった指輪を鮮やかな手つきで抜き取って、いっそ仰々しいほどに丁寧に、オレの中指に嵌め込んだ。オレは、悲鳴を上げた。銀河の歴史に残るイケメンとか、その動作はいずれほんとうに結婚する女の子のために残しておいてあげてとか、言いたいことはたくさんあったはずなのに、身体はまるで雷に打たれたかのようにしびれて、まったく使い物にならなかった。もうろうとした視界の中で、おかりんが呆れつつもユキにそっと頷いたのが見えて、一日に摂取してよい基準値を超えたイケメンを浴びて馬鹿になったオレの頭は、前後の文脈を読み取れないままおかりんの笑顔にただ安堵していた。
経緯だけを抜き出せば、まるで普段の笑いを取るための夫婦漫才のようにも見える。しかし、そうした経緯をかいつまんで説明した内容を含んだ会報は、意外にも穏やかな喜びをもって迎えられた。オレたちのこうした芸風は、メディアではしばしば悪いように曲解して勘繰られることもある。けれども、この一連の事件はファンにとってはわざとらしいものではなかったらしい。ユキのハプニングに翻弄されるオレたちを笑いつつも労っていたりとか、写真とはいえ間近で指輪を見ることができて嬉しいとか、そういうふつうの感想の中に、決まってオレたちが薬指に指輪をしていることへの喜びが当たり前のように触れられていた。
そうして、ある意味では自然にファンたちに受け止められたことは、オレたちにとっても意外なことだった。それから、ユキとオレ、おかりんの三者によるちょっとした相談のうえ、このファンサービスはゆっくりと続いている。下世話な言い方をする人はこれを媚びだと言うかもしれないが、オレたちはそうは考えていなかったし、きっとファンの人たちもそうは捉えていない。繰り返しになるが、これは、オレたちのいろんなことをファンが愛し、あるいは許す、信頼の証なのだとオレは思う。
そんなことを思い浮かべながら、今月のファンクラブ用の撮影を終えて、オレはユキの家を訪れていた。ユキの作る魔法のような絶品料理にめいっぱい舌鼓を打って、それからおいしい料理をたらふく食べたお礼にオレが皿洗いをして、ユキはその間にお風呂に入る。それは、オレたちが仕事終わりの時間をゆっくりと過ごす日の大まかなルーティーンだった。今日もそれをなぞって皿洗いをして、ユキがお風呂から上がるまで、オレはユキの家の大きなソファに身を投げ出して寛いでいた。
撮影はもちろん疲れることも多いけれど、ファンクラブ用の撮影は目的が一般的な撮影とは大きく異なることもあって、その疲労感はオレたちに対してとってもやさしい。ぬるいくらい温かい気持ちのまま、オレはふとダイニングテーブルに置き去りにされていたスマホを手に取った。薬指に嵌めたままの指輪が、普段と違う場所からスマホの側面に引っかかって主張する。
なんとなく、せっかくだからSNSを更新しよう、と思った。指輪はあくまでファンクラブ向けの内輪のもので、SNSにアップすることはしないが、ほどよい疲労感をスパイスに甘やかに広がる幸福感を、ファンに伝えたくなったのだ。もちろんおかりんに内容をチェックしてもらう必要はあるから今すぐにとはいかないが、どんな文面にしようかと考えながらSNSを立ち上げて、――オレはびっくりして、思わず手が止まった。
「Revale結婚記念日」という言葉が、トレンドを席巻している。
なんで? オレもユキも、年頃とはいえいまだに未婚である。特にユキは、気心知れた後輩たちやバンさんに対しては、結婚願望はないと公言してはばからない。オレも、ユキを差し置いて結婚する気にはならなかった。それなのに、ゴシップ的な表現ではなく、あくまで祝うような記念という言葉が使われて、オレたちの結婚について語られている。焦りと困惑とで類を見ない速さで頭が回転して、まるでドラム式洗濯機の中に投げ込まれたような気分になりながら、オレは不意にちょっとした事実に気が付いた。
たぶん、ユキとオレが薬指に指輪をした会報が配信されたのが、ちょうど一年前の今日なのだ。ユキとの膨大な記念日をあらかた記憶していると自負する通り、オレはわりとそういう日程を覚えるのも得意で、それがなくともあの会報はこけら落とし公演が終わってからしばらくのことという点から、日程的な推測も容易だった。気づいて、身体がひっくり返るような驚きと、ぽかぽかとしたあたたかさをはらんだ納得がいっぺんに襲ってきた。
「モーモ。また百面相してる。何がそんなに面白いんだ?」
唐突に、背後からちょっと拗ねたようなイケメンの声が聞こえた。反応する間もないまま悪戯っぽく肩を叩かれて、オレはさっきまで考えていたものとはまったく違う驚きで飛び上がって、それがまたユキを笑わせたらしい。笑いによってぷるぷると肩を震わせながら、ユキはオレの横にゆっくりと腰かけた。オレのそばに寄り添ってやさしく微笑んでくれるユキの姿を見れば、結婚、の二文字が自然と脳裏をよぎった。ユキにも早く知ってほしくて、わざとあざとくバスローブの裾を引いてみる。
「ユキ! これ見て!」
片手にスマホを持って、裾を引いたもう片方の手でSNSの画面を指さす。人差し指以外を握りこむと、両脇の指に当たった指輪の縁が段差になってほのかに痛くて、それがたまらなくうれしい。ユキはオレの指を追うように視線を動かして、それから目を丸くして首を傾げた。ユキはいかにもクールビューティーという見た目のわりに表情が豊かで、そういうところもイケメン、とオレは思わず囃し立ててしまう。ユキはありがとう、とオレに向かってファンサービスをしながら、要領を得ない言葉に頭を悩ませているらしかった。
「結婚記念日って、どうして今日?」
「ふふん、それにはちゃんと理由があるんだよ〜。ユキ、今日はオレたちにとって何の記念日でしょう!」
「結婚記念日以外で? えっ、わからない。モモ、それぜんぜんヒントになってない……」
そういうところ! ユキの言葉に、オレは叫びたくなるのを寸でで飲み込んだ。記念日やお祝いごとに敏感なオレと対照的に、ユキはあくまでそういう確たるタイミングには鈍感で、ユキの愛情はいわばブームのように波がある。それにさんざん悩んだこともあったし、今でも記念日にはオレと一緒に浮かれてほしいと思わなくもないけれど、今はべつにそれでもいいかな、と思う。察しの悪いダーリンのために、オレはチッチッ、とわざとらしく指を振って催促する。
「ヒントはー、ゼロアリーナのこけら落とし!」
オレのヒントを受けて、ユキはそれでも少しだけ考えている時間があったが、じきに気が付いたらしかった。
「あ、そうか。指輪を初めて薬指につけた会報、去年の今日が配信日なんだ」
ぴんぽーん、とオレは声でクイズ番組風のSEを鳴らす。司会じゃないんかい、と突っ込みながらも、ユキは答えに気付いたうれしさからかゆるく口元を緩めて、オレの指先の「結婚記念日」の文字をそっとなぞっていた。その指先を追って、オレはなぜかわけもわからずどきどきした。ユキの手つきが見たこともないくらいやさしくて――そう思い浮かべて、ふとオレは考え直す。たぶん、きっと、オレの薬指に指輪を嵌めてくれた時も、ユキはこんな風にやさしかった。
「祝ってくれるのか。嬉しいな……。ねえモモ、僕たちのファン、すごくあったかいね」
「うん」
噛みしめるように、ユキはそうつぶやいた。オレも、ゆっくりと相槌を打つ。トレンドからリンクするSNSの投稿を覗いてみれば、ときどき愉快犯的なアカウントがことさら露悪的に批判している投稿も見かけるが、大半が好意的で、また大半が「結婚」というある種比喩表現めいた言葉を当たり前に受け止めてくれていた。不思議な光景だなあ、とオレはぼんやりと考える。アイドルなのに堂々と「結婚」なんて言葉がくっついている。それは、ファンの人たちからの愛であり、許しに他ならない。
オレはユキのことがめちゃくちゃ好きで、ユキのことが大好きであることを許してくれるファンのことも、とびきりも好きなのだ。ユキも同じ気持ちであればいいな、と思うし、ファンの人たちもみんな、同じ気持ちであればいいな、と思う。画面をなぞってかすかに触れたユキの指先は、お風呂上りらしくぽかぽかとあたたかかった。
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白鉛筆back