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※真夜中の劣等生 続編


「...先生今日はもうこの辺で終わりにしませんか?」

メグが顔を上げると、先生の素敵な笑顔が無言で返ってきた。ごめんなさい、嘘です、と返してまた羊皮紙に視線を戻す。若干黄色がかったその紙とにらめっこして数時間経った。こんなものより先生の素敵な笑顔を見ていたいです。

「君が頑張れば頑張るほど、はやく一緒にお茶が出来る」

先生はそう言いながら優雅にカップに紅茶を注ぐと、砂糖を入れてスプーンでかき混ぜ始めた。中々上手くなったね、と褒めてくれたが、私はまだ自分が淹れた紅茶を飲めていない。いいなあと羨ましそうに先生のカップを見つめると、はやく課題の続きをやるように目で促された。



先生の手伝いもとい、罰則は私が想像していたよりずっとハードなものだった。1日の授業をこなした後、すぐに先生の部屋に向かい、まず次の授業の準備を手伝う。必要なものや資料を集めたりすることもあったが、主に先生の授業のシュミレーションに付き合うことが圧倒的に多かった。つまり、先生の授業を誰よりも最初に受けることができたのだ。先生は私の反応を見て面白がって笑ったりとても楽しそうだったので私自身もそれはそれで楽しかった。

問題はその後の特別授業だ。あの時の先生は、確か復習を手伝う程度の事しか言っていなかったはずなのに、それは紛れもなく授業だった。特に苦手な闇の魔術に対抗する防衛術(苦手になったのはわざとだが)の復習から始まり、先生は天文学やら魔法薬学やら専門外の授業の説明もすらすらとこなして、課題も見せるように言った。先生に他の教科も丸ごと面倒を見てもらえるなんて夢みたい!とはじめのうちは思ったが、優しそうな顔をして先生は厳しい。先生のスパルタな添削に根をあげそうになりながらもなんとか日々の復習と課題こなしていた。



「おっと、もうこんな時間か。そろそろ帰る支度をしなさい。寮まで送るよ」

最後はいつも先生のこの台詞でお開きになるのが決まりだった。自ら"罰則セット"と称した鞄に教科書や羊皮紙を詰め込むと慌てて先生のあとに着いて行く。先生の部屋から寮までの道のりを、2人きりで並んで歩くことができるこの時間が何より好きだった。

「綺麗ですね」

大きな窓のある通りを歩いていると、細い月が顔を覗かせていた。2週間ほど前に満月を迎えたそれは、徐々に欠けている途中だった。ということは、この罰則にもうすぐ終わりが近づいている。終わってほしくない、という私の沈む暗い気持ちとは反対に、欠けた月と、星空から溢れる光が私と先生を照らしてくれていた。私の問いかけに、そうだね、と先生は少し間を空けて答えた。月の方はほとんど見ていなかったように思えたが、気のせいだろうか。私が不思議に思いながらもまた月に目を向けると、先生が尋ねた。

「メグは月が好きかい?」

質問に、どうしてですか?と質問で返すと先生にまったく君は、と窘められたが、先生は続けた。

「私に見つかった日も星とか...それこそ月を見ていたから寮に戻るのが遅くなったんじゃなかったかな。だからてっきり君は天文学に興味があるのかと思っていたんだがー」

先生の問いかけに、しばらく考えた後、好きですと答えた。先生は一瞬ぎょっとして目を見開いたが、天文学が、と付け足すとどこかほっとしたような顔になり、納得したようだった。別に、そんな顔をしなくてもいいのに。

「私はどうもこの光が苦手でね」

先生は煩わしそうに目を細めるとちらりと月を盗み見たがすぐに目を逸らしてしまった。どうやら本当に苦手らしい。そういえば満月の頃は先生も体調を崩していたな、なんてぼんやりと考えた。そんなことを思っていると、少し先に扉が見えた。もう着いてしまう。先生とこうやって歩くのもあと数日だ。

「月は苦手だが、美しいものは好きだ」

扉の前に着くと、先生は私の目を見て言った。不意に向けられた視線を逸らすことが出来ずに、私はそのまま例えば?とゆっくり尋ねた。

「宝石と答えてもいいが、湖だって太陽の光を反射して輝いているし、冬に一面銀世界になるホグワーツもなかなか捨て難い。」

例えが多すぎて迷ってしまうな、と先生はくすりと笑う。そんな先生に見惚れているうちにあっという間に寮の前までたどり着いてしまった。ありがとうございました、と今日もいつものようにお礼を言おうとした矢先、先生が続きを口にした。

「それに、君のその深い瞳の色も私は負けないくらい美しいと思うけどね」

唐突にそんなことを言い出した先生は、また私をじっと見つめた。ずるい、と私は悔しくなって視線を落とす。ぎゅっと握りしめた私の両手のからは汗が滲んできたような気がした。今まで堪えてきたのに、先生の何気ない一言で私はたまらなくなる。先生に気持ちを伝えてしまいたくなる。最初はただ、こっちを見て欲しかっただけなの。ほんの少し、先生の気を引きたかっただけなのに。日々を過ごすうちに歯止めが効かなくなった私の気持ちは、どんどん貪欲にわがままになって、その一線を超えたがった。

「先生、私ー」

言いかけた私を制すように、メグと先生は優しく、どこか悲しそうに私の名前を呼んだ。先生には、いつも全部見透かされているのだ。私の言いかけた言葉の先も、気持ちも全部。わかっているのにそんなことを言うのだから、先生はやっぱり意地が悪い。私はあなたの考えも、気持ちも何一つ確かにわからないのに。でもこれ以上先生を困らせたいわけじゃない。先生にそんな顔して欲しくない。

「君が好きなものを私も好きになりたかったんだがね」

先生はそう言うと、また最後に少しだけ、後ろに見える月にちらりと視線を移した。そんな風に笑ってくれる先生が目の前にいるだけで、もう十分だと思った。きっとこの先も、ずっと私と先生は先生と生徒の関係のままで、でも、それでいい。この月明かりと、先生と過ごした日々と、私の気持ちと、素敵な思い出をこの先もずっと"美しい"ものとして、胸の中にしまっておくことにしよう。

引き返していく先生をまた月明かりが照らしていた。くたびれたローブの、大好きな背中を見つめながら、私はそう心に決めたのだった。



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