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大分早起きをしたはずなのに、時計を見ると待ち合わせの時間ギリギリだった。必要な物だけ小さい鞄に詰めて、最後にもう一度だけ鏡を見る。いつもよりほんの少しだけ、背伸びしたような自分がいた。大丈夫よ、と一度深呼吸すると、ふわふわとした気持ちで階段を降りた。
「おはよう」
そう言ってソファから立ち上がった彼の姿を見ても、メグはなんだかまだ夢見心地だった。夢じゃない、確かめるように彼の姿をまじまじと見つめてしまう。合いそうになった視線をぱっとそらすと、メグも「おはよう」と短く返した。
「じゃあ行こうか」
にこりと笑う彼の表情に見惚れているのがばれてしまわないように、俯きながらもそっと歩き始めた彼の隣に並んだ。さっき確かめたはずなのに、未だに信じられなくて。私の隣にいるのがあのビルだなんて。隣にいる彼は遠くから見つめているより、その存在がずっと大きく温かく感じられた。彼よりずっと背の低い私に足取りを合わせてくれる、そんな優しさに触れただけでも、心臓の奥の方がぎゅっと握られているような不思議な感覚だった。
「まだお昼前なのに凄い人混みね...」
「これから休暇に入るしね...僕も今日は家族に何か買おうと思って」
二人で苦笑いを浮かべながら顔を見合わせた。ホグズミードに着くなり、二人とも用があるということでハニーデュークスへ向かったがこの有様だ。想像していはいたものの、その範疇を大きく超えて店内は人で溢れかえっている。店の外から見ても中が人でいっぱいなのはよくわかるし、無事に買い物を終えられるだろうか。ビルと二人で仲良く買い物が出来たらなんて考えていた自分が少し恥ずかしい。
「メグ、買いたい物は大体決まっているんだよね?」
「いくつか候補は考えてきたわ。ゆっくり見て回る暇は...どう考えてもなさそうだし」
メグがそう言って店の方を向きながらため息をつくと、「そうだね」とビルも笑った。
「僕も買いたい物はある程度決まってるんだ。だからお互いの買い物を済ませたら待ち合わせよう」
「そうね、三本の箒の前でどう?」
「うん、じゃあお昼もそこで食べようか」
ビルと軽く作戦会議を終わらせると店の扉を開ける。「僕の後ろからついてきて」と代わりに人混みを掻き分けてくれたビルの背中は、店の中に入ると途端に目で追えなくなってしまった。不安に思いながらも、買い物を終えてしまおうと目当ての棚になんとか向かい、キョロキョロと見渡す。メグは家族やルームメイトのためのチョコレートの箱やクッキーの缶など山積みの荷物を抱えてレジに並ぶ。ただでさえ多い荷物だったが、レジに並んでいる途中にふと懐かしいものが目に入ってきた。その瓶詰めも手に取って支払いを済ませると、なんとか店から出ることが出来た。
*
「遅いなあ...」
時計を忘れてしまったため、店から出てどれくらい経ったのかはわからない。随分前に痺れた腕を休めるために、買い物袋をとうとう地面におろしてしまった。待ちぼうけて空を見上げていると、途端に不安もこみ上げてくる。まさか忘れられた、置いて行かれたなんてことはないにしてもその不安は拭いきれない。そもそもビルが誘ってくれた理由はまだわからないままで、どうして私なんか、という言葉しか見つからないのだ。今日は久しぶりによく晴れている。見上げた陽の光が眩しくて、俯いてしまう様子はまるで彼と私みたい。なんて、くだらないことを考えていると、見つめていた地面の足先に影がかかった。
「ごめん!」
顔を上げると、そこには対照的に頭を下げたビルがいた。
「本当にごめん!随分と待ったよね...」
「なんだ...良かった...置いていかれちゃったのかと思って」
「そんなことするわけないよ、これを買ってたら時間がかかっちゃって」
メグの目の前に小さな置物のようなものが差し出された。一見スノードームのように見えるそれの中身は小さなツリーに、本物の雪が降るように魔法がかけられているようでとても綺麗だった。
「今日僕に付き合ってくれたお礼」
「私に...?」
「うん。お礼のつもりだったのに結局不安にさせちゃったみたいだけど...」
「ありがとう。凄く綺麗ね、早く部屋に飾りたい」
彼が来てくれた安心感で、受け取った途端身体の力がふわりと抜けていった。そんなメグをビルは少し不思議そうに見つめると、今度は慌てて地面に置いてあるメグの荷物を持ち上げた。
「お腹空いたよね、入ろう」
「ちょっとビル、いいのよ。自分の荷物くらい自分で持てるわ」
メグも慌てて持ち上げた荷物に手をかけようとすると、ビルはひょいとメグの手の届かない高さに持ち上げた。
「いいんだ、待たせて不安にさせちゃったお詫び。っていってもたいしたお詫びにならないから、今日はメグの食べたい物、なんでもどうぞ」
「本当に?」
メグが尋ねると、タイミングを見計らったかのように小さくお腹の音が鳴った。二人で笑いながら店の中に入ると、お昼時というのもあってか、ここも人で溢れかえっている。
「ちょっと狭いけど、大丈夫?」
「大丈夫、でも私やっぱり買い過ぎたみたい」
隅の方の席が空いたのでなんとか座ることができた。テーブルを挟んで席に着くなり、自分の隣の荷物をぎゅうぎゅうと奥に押し込んでいるとビルは懐かしそうに笑った。
「なんだか懐かしいね」
「この大荷物が?」
「いや、うん、あの時は僕の荷物だったけど」
くすくすと笑うビルを見てメグも思い出したようにあっと声を出した。彼と初めて会ったあのコンパートメントで、ビルは自分のトランクを押し込んでいたのを思い出す。向かい合って座っているこの様子もなんだか数年前のあの日を連想させた。
「あの時はピカピカの新入生だったのに、もうすぐ上級生の仲間入りよ。あっという間ね」
「そうだね、メグと初めて会って、もうこんなに時間が経った」
その時不意にビルの瞳がじっとメグをとらえた気がした。突然のことに慌てて取り出した瓶詰めを落としそうになる。
「こ、これさっきたまたま見つけたの」
テーブルの上に出された鮮やかな黄色をしたレモンキャンディーの瓶詰めを見て、ビルはまた優しく笑った。
「これ僕に?」
「さっきのスノードームと、あの時のお返し。ちょっと多過ぎるかもしれないけど...」
「うん、ちょっと一人じゃ食べ切れないかも」
「大丈夫よ、私と違ってビルには沢山友達もいるしー」
言いかけて、やってしまったと気がついた。余計なことを言ってしまった。何もここで僻むようなことを言わなくても良かったのに。口ごもるメグに、ビルは優しい表情のまま声をかけた。
「メグ、誰かと自分を比べる事なんてないんだよ。メグにはメグの良いところがある。君のことを大切に思ってくれてる人だってちゃんといるんだ。だから自分のこと、自分でももっと大事にしなくちゃ」
やっぱり私、彼が好きだ。メグはただそう思った。好きな人に、しかも目の前で、こんなに優しいことを言われてしまったら感情を抑えることなんてできなくて。ずっと見ているだけで良かったはずなのに。わがままになった私から、気がつけばその言葉が口をついて出た。
「....ずるい」
「メグ?」
「ビル、あなたったら本当、卑怯よ」
一瞬ぽかんとした彼の表情が目に入ってきたが、赤い顔を誤魔化すように俯いてテーブルに視線を移した。彼にとっては何てことない言葉でこんなになってしまうなんて。そんな自分に呆れるのも何回目だろうか。
「...あなたにとってはなんでもなくても、そんなこと言われたらー」
「...僕のこと好きになってくれる?」
「...へ!?」
とんでもなく間抜けな声が出たのが自分でもわかった。この空気感に耐えられなくて、飲もうと手にかけていたコップの中身は大きく揺れて少し溢れた。今なんて?すぐに確かめることが出来ずに、溢れたバタービールでテーブルに描かれた斑点を眺めながらメグは瞬きを繰り返した。
「...な、何言ってるのビル」
「何って、僕の正直な気持ち」
顔を上げると、先程までの優しい笑顔とはどこか違う、いたずらっぽく笑う彼の姿があった。
「本当はずっと気づいてたんだ。君の視線の先に僕がいるってこと。君の気持ちが僕に向いてるんじゃないかって。僕は嬉しかった」
「嘘...」
「けど勘違いだったら恥ずかしいからね、それで確かめるために今日君をデートに誘った」
「本当は、僕からちゃんと言うつもりだったんだけど」とビルは照れ臭そうに頭を掻いた。信じられない。けど目の前にはしっかりとメグをとらえた彼の瞳がこちらを見つめている。顔に熱が集まっていくことがわかって尚更恥ずかしい。それなのに、彼から目をそらすことが出来なくて、メグは固まってしまったかのように動けないままでいた。
「...なんだか信じられない。本当の本当?だって私なんかじゃー」
「メグ、それ、君の悪い癖だ」
彼に触れられている部分が熱い。気がついたらコップに添えた両手は彼の温かい手に包まれていた。
「さっきも言ったよね、自分のこと大事にしないとって。君のこと大切に思ってる人もいるんだからって」
「確かにそれは聞いたけど...私のことそんなに大切に思ってくれる人なんて」
「僕はメグのこと大切にしたいって思ってる」
「...ビル、私のことからかってる?」
「僕は本気だよ。本気で君のことが好きだ。あの日、コンパートメントで居合わせた時からずっと気になってた。なのに中々話せなくて...僕も随分臆病なんだと思い知らされたよ」
恥ずかしい、嬉しいなんてものじゃない。バクバクと音を立てる心臓がうるさくて何も考えられない。メグはもう泣き出してしまいそうだった。好き?彼が私のことを?信じられないことなのに、目の前の彼が現実なんだと証明している。
「メグは?」
重ねられた手の温かさとは裏腹に、またビルは少し意地悪そうに笑っている。彼はとびっきり優しいのに、意地が悪いんだ。自分の知らない彼の一面が垣間見えた気がする。ビル・ウィーズリーは本当にずるい。私の答えなんかとうの昔にわかっていたのに。
「私もビルが好き。あの日貴方の赤色に惹かれた時からずっと」
じわじわと込み上げる恥ずかしさに視線をそらすと、ビルはメグの額に顔を寄せてキスをした。その一瞬の出来事に、ぽかんとして開けていたころんと口の中に転がったものはあの日と同じ、ふわりとレモンの香りがした。程よい酸味と甘い香りが鼻を抜けていく。
「僕も好きだよ。君のこの綺麗な色の髪も、君のその瞳の色も」
そう言った彼は窓から溢れた陽の光に照らされていた。彼の赤色はとても綺麗で、眩しかった。