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「新入生?手伝うよ」―――かけられた声に振り向けば、私は言葉を失った。



また駄目だった。あくび紛れに小さくため息をついていると、朝からため息なんて気が滅入るわ、と同室の友達に窘められた。ごめん、と謝ったが自分でも内心うんざりしている。ただの ”おはよう” の一言さえ、まともに言えないなんて。何年経っても変わらない何も出来ない自分に腹を立てるどころか、最近はあきれ果ててしまっている。このままではきっと、何も変わらないまま卒業を迎えてしまうだろうと考えるとまた気分がどんよりとした。重い足取りで今朝もいつもと変わらず、大広間で朝食をとるために友人たちと一緒に寮を出た。数分前の出来ごとが、頭の中をぐるぐると巡る。

「セドリック!おはよう!」

部屋を出て談話室へ行くと、一人の青年と出くわしてしまった。
私が言えない一言を簡単に話す彼の友人たちはあっという間に彼を取り囲んだ。多忙を極めている彼が珍しく談笑しながらゆったりとした朝を過ごしている。いつもとは少し違う談話室の光景に戸惑いを感じながらも、朝から彼の姿を近くで見ることが出来た、確実に気分は上がっていた、はずなのに。今日こそ声をかけてみよう、挨拶くらいなんてことない、という強気な私の気持ちは、彼をいざ目の前にすると緊張でしぼんだ風船の様に小さくなってしまって、また、今日の私も駄目だったのだ。



セドリックとの出会いは、ホグワーツ特急だった。
メグは空いていたコンパートメントを見つけ、トランクを入れようとしていたが何にしろ重く持ち上がらない。どうしようかとため息をついていたところ、後ろから声をかけられた。

「新入生?手伝うよ」

メグはありがとう、とお礼を言おうと振り向いた。しかし、彼を見たメグの、その口からこぼれた言葉はメグ自身も予想だにしていなかった言葉で――

"かっこいい"

メグがそうつぶやくと、一瞬の沈黙のあと、セドリックは困惑した様子、でえーっと...と頭を掻く。セドリックの目が点になっている姿を見て、ようやくメグは自分が発した言葉の意味を理解した。

「あ、あのいきなりごめんなさい!」

頭の中がパニックになったメグは頭を勢いよく下げて謝った。何故こんなことをしてしまったのか。初対面で、しかも上級生と思われる相手に発してしまった言葉に対して焦りと恥ずかしさで何も考えられず、何も言えず、とにかく謝るしかなかった。ぺこぺこと頭を下げ続けるメグに対して、とりあえずそれ、入れておこうかとセドリックはトランクを指差した。メグがあれほど苦労してもびくともしなかったトランクは、セドリックの手によっていとも簡単に持ち上げられた。ようやく席に着ける状態になると、それを見て満足したのか、セドリックはじゃあ、またホグワーツでと手を振り、自分のコンパートメントへ戻っていった。



図書館でレポート用の資料を探しながら、ぼんやりとそんな2年前のやりとりを思い出していた。あの時から、ずっと彼を目で追うようになった。彼と同じ寮生になれたことも喜んだ。同時に2年前から自分が何も成長していないことを思い知る。いや、逆に退化しているんじゃないだろうか。人気者の彼のことが好きだと気づいた今では、挨拶どころか、近づくことすら出来ない。自己嫌悪に陥りながら、今度は深いため息をついてしまう。


「その本、そんなに難しい?」


不意にかけられた声に振り向くと、そこには2年前と同じ"かっこいい"彼の姿があった。
背は高く、すらりと伸びた手足に黒いローブ。ハンサムで優しそうな彼の二つの瞳は2年前と変わらずまっすぐ私をとらえている。いや、より大人っぽくなった彼は2年前よりずっと格好良くなっていた。動揺して答えられない私をよそに、すごく難しそうな顔で読んでいたから、と彼は本を覗き込んだ。

「それに、またため息をついてた」

本に向けられていた視線が、不意に私に戻される。バクバクと音を立てる心臓がうるさい。彼の言葉に一つ一つに耳を傾けなければ頭が真っ白になってしまう。今何てーー

「前もこんなこと、あったと思うんだけど...僕の記憶違いだったらごめん」

私は驚きと嬉しさで頭の中がいっぱいになった。こんな昔のこと、彼は覚えていないだろうと思っていた。私にとっては特別な思い出でも、彼にとっては新入生を手助けしただけの、なんてことのない出来ごとの一つで。言葉に詰まってしまう。あぁ、これじゃあ2年前と同じじゃないか。やっぱり私は成長していない。また2年前から"駄目だった"自分を繰り返すのにはもううんざりだ。

「ありがとう」

やっと絞り出せた最初の言葉はたった5文字だった。きょとんとしていた彼に、あの時お礼を言いそびれたからと付け加えると、彼は、はっとした顔になり、どういたしまして、と優しく答えた。そして、やっぱり僕の記憶違いじゃなかった、と安心したようにつぶやくと、こう続けた。

「僕もあの時君にお礼を言いそびれたんだ」


"かっこいい"をありがとう


彼は少しはにかんだ様子でそう言うと、私の目を見つめてまた微笑んだ。ずっと言おうと思ってた、声をかけてよかった、と。すると友達に呼ばれたのか彼は2年前と同じ様にじゃあ、また、今度は談話室でと手を振り友達のもとへ戻っていった。ずるい。私は一人ため息をつくと、高鳴る心臓を落ち着かせるようにぎゅっと本を強く抱えた。



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