01
私が流に拾ってもらったのは、あの事件のおおよそ半年後のことだった。家族でショッピングモールに買い物に来ていた私は、突然の爆発によって意識を失った。その後どうなったのか私もわからず、ただただ真っ暗闇の世界に閉じ込められていた。出る方法もわからず、ずっと泣いていた私に声をかけてきたのが流だったのだ。
「外に出たいと思いますか」
そう言った流だったけれど、今思えば選択肢などなかった。自分が置かれている状況もわからず、一人で過ごした時間は5年にも、10年にも感じた。そんな時に現れた、自分と同い年ぐらいの少年はあたりまえのことを問うたのだ。外に出たいと思うか、なんてそんな当たり前のことを。涙に濡れた顔を私は何度も縦に振った。一人は嫌だった。真っ暗闇も嫌だった。誰でもいいから助けて、という願いが叶ったのだ。
「君が俺の手をとれば、外に出ることはできます。」
「けれどそれはきっと君の望んだ生ではないです。」
「それでも、俺といきますか」
当時の私は、彼が言っていることがわからなかった。それでも私は彼の手を取った。もしも、彼が懇切丁寧に私の身体が意識不明の重体で、異能の力によって精神だけで外に出ると説明してくれたとしても、私は彼についていっただろう。手を差し伸べて立っている彼が、天使のように見えて私を救ってくれるような気がしたのだ。
「わたし、あなたと一緒にいく」
「つれていって」
身体を離れた私の精神は電子の海を漂っていた。これが流の言っていた望んだ生でない、ということなんだろう。電子の海で生きるということは幼い頃の私の身体には負担が大きく慣れるのにも時間がかかった。意識自体が電子の中に紛れて消えてしまいそうになったこともあったし、その度に流に引っ張り上げてもらった。
両親が世界のどこにもいないことも、自分に肉体的自由がないこともショックだった。それでも、時折外の世界を覗くとそこには自分の王たる流と、イワさんが暖かく迎えてくれた。一人ではないということにどれだけ救われただろうか。
毎日私が流にかしましく話しかけ、それを流が受け流す。イワさんはそれを見て笑っていた。それが私の日常になってから、しばらく経った頃。ある事件が起こる。
「流!おい開けろ!流!!」
夥しい量の血液が、風呂場まで続いていた。それが流のものだと理解するまで時間がかかった。イワさんが流に呼びかけている声もどこか遠く感じた。やっと風呂場から出てきた流はどこか嬉しそうな顔をしていて、イワさんは拘束具を着せて世話を焼いている。ちらりと見えた胸の光が、か弱い。流が、死んでしまう。
「天花、」
驚いたような流の声が聞こえる。服ごとイワさんに洗われている流は少しぐったりとしていた。そのくせ目は爛々と輝いていて。これからが楽しみで仕方ないという顔をしていた。なんでそんな顔してるの、死にそうになってるのに。
「泣いているのですか」
シャワーの音が流の声をかき消して行く。わずかに届いた声で、私は自分が泣いていることに気づいた。目元に手をやると確かに目から雫がはらりと落ちてくる。泣いてるんだ、こんな体になっても、私。イワさんも心配そうに流を洗う手を止めてこちらを見ている。心配させるとわかっていても流れる涙は止まらない。手でなんとか拭おうとするけれど次から次へと溢れて止まらない。
「あー…びっくりしたんだよな、大丈夫だぞ」
「ごめん、とまらなく、て」
イワさんは宥めるように私に声をかけてくれる。私はいたたまれなくなってごめん、というとすぐネットの中に引っ込んだ。流の手当てをするイワさんの邪魔をしたくなかった。蹲って、涙を止めようとする。イワさんも言ってた。大丈夫、流は大丈夫だからと自分に言い聞かせた。
それから、しばらく経って気付けば眠っていたようだ。ぴぴ、と鳴ったメッセージアプリの通知音で目を覚ました。私を外の世界に呼び出す、みんなと繋がるメッセージツール。寝ぼけ眼でそれを開くと流からのメッセージが届いていた。
『天花、出てきてください。』
ただそれだけ。メッセージが打てるということは少しは落ち着いたということだろうか。会いに行っても、いいんだろうか。自分はあの時何もすることができなかった。治療を手伝うことはおろか、声をかけることさえできずに。そんな後ろめたさを感じていると別のアカウントからメッセージが届く。
「薬買いにでるから、流たのむぞ」
ところどころ変換のできていない、イワさんからのメッセージ。イワさんはやっぱり大人で、怖気付いていた私の背中を押してくれる。はーーと大きく息を吐いて、周りを囲んでいたメッセージ画面を一度消す。会いに行こう、流に。
私が部屋に姿を投影させると、流は「天花」と声をかけてくれる。その顔はいつにも増して青白く、やつれていた。ソファに横たわる痛々しいその姿に胸が苦しくなる。隣り合っている人が、同志が、ともだちが、おうさまが、苦しんでいるのに何もできない自分が情けなかった。
「先程、泣いていたので」
流にしては歯切れの悪い様子で、次に続ける言葉を慎重に選んでいるようだった。私はその間も何も言えずに、流の次の言葉を待った。役に立たないクランズマンはいらないと、言われるのかもしれない。私を拾ってくれたのは流で、ここにいられるのも全て流のお陰なのに、私は何も返していない。役に立っていないのだ。
けれど私の予想に反して、流はホッとしたような温かい目をして次の言葉を見つけた。
「心配、していました。」
途端、止まったはずの涙がまた戻ってくる。彼は、流は。こんな状態でも私に言葉を投げかけてくれる。出会ったときからずっと、小さい、不自由な身体で助けてくれるのだ。
「ながれが、しぬかと、おもって」
嗚咽の隙間を縫って出てきた言葉は自分でも信じられない言葉だった。たった数年、一緒にいて最初は成り行きだったはずが今では大切なものになっていた。わたしの、大切な王様になっていたのだ。
「まだ生きています。
勝手に殺さないでください」
「うん、ごめん」
でも、私もたくさん心配したんだよ。そう言うと流は「ではお互い様です。相殺です」という。何が相殺だ、最初に自分が黄金の王のところに宣戦布告しにいったことが始まりだというのに。漸く溢れていた涙が落ち着いてきた。流はそんな私をじっと見つめた。
「精神だけの姿でも涙を流すのですね、不思議です」
誰が泣かせたというのだ、という言葉は飲み込んで頬に残った涙を拭った。確かにそれは私の手のひらに残っていたが少しするときらきらと宙に舞って消えてしまった。
「俺が、拭えたら良かったのですが」
流がそんなことを言うとは思っていなかったので思わず身体が硬直した。そして流らしくない言葉に思わず笑ってしまった。今の私の涙に触れてみたいと言う好奇心から出た言葉なのか、単に流した涙を気遣ってくれたのかは分からなかった。それでもその言葉が嬉しくて。
「いつか、おねがいね」
来るかどうかわからない未来に希望をのせた。私が目覚める日が来たら、目覚めて泣いていたら。その時は流に涙を拭ってもらおう。その日が来るまで泣き虫な私はたくさん泣くだろうから、全部まとめて拭ってもらうのだ。目が覚めて、この小さな王様に尽くすちょっとしたご褒美として。
「外に出たいと思いますか」
そう言った流だったけれど、今思えば選択肢などなかった。自分が置かれている状況もわからず、一人で過ごした時間は5年にも、10年にも感じた。そんな時に現れた、自分と同い年ぐらいの少年はあたりまえのことを問うたのだ。外に出たいと思うか、なんてそんな当たり前のことを。涙に濡れた顔を私は何度も縦に振った。一人は嫌だった。真っ暗闇も嫌だった。誰でもいいから助けて、という願いが叶ったのだ。
「君が俺の手をとれば、外に出ることはできます。」
「けれどそれはきっと君の望んだ生ではないです。」
「それでも、俺といきますか」
当時の私は、彼が言っていることがわからなかった。それでも私は彼の手を取った。もしも、彼が懇切丁寧に私の身体が意識不明の重体で、異能の力によって精神だけで外に出ると説明してくれたとしても、私は彼についていっただろう。手を差し伸べて立っている彼が、天使のように見えて私を救ってくれるような気がしたのだ。
「わたし、あなたと一緒にいく」
「つれていって」
身体を離れた私の精神は電子の海を漂っていた。これが流の言っていた望んだ生でない、ということなんだろう。電子の海で生きるということは幼い頃の私の身体には負担が大きく慣れるのにも時間がかかった。意識自体が電子の中に紛れて消えてしまいそうになったこともあったし、その度に流に引っ張り上げてもらった。
両親が世界のどこにもいないことも、自分に肉体的自由がないこともショックだった。それでも、時折外の世界を覗くとそこには自分の王たる流と、イワさんが暖かく迎えてくれた。一人ではないということにどれだけ救われただろうか。
毎日私が流にかしましく話しかけ、それを流が受け流す。イワさんはそれを見て笑っていた。それが私の日常になってから、しばらく経った頃。ある事件が起こる。
「流!おい開けろ!流!!」
夥しい量の血液が、風呂場まで続いていた。それが流のものだと理解するまで時間がかかった。イワさんが流に呼びかけている声もどこか遠く感じた。やっと風呂場から出てきた流はどこか嬉しそうな顔をしていて、イワさんは拘束具を着せて世話を焼いている。ちらりと見えた胸の光が、か弱い。流が、死んでしまう。
「天花、」
驚いたような流の声が聞こえる。服ごとイワさんに洗われている流は少しぐったりとしていた。そのくせ目は爛々と輝いていて。これからが楽しみで仕方ないという顔をしていた。なんでそんな顔してるの、死にそうになってるのに。
「泣いているのですか」
シャワーの音が流の声をかき消して行く。わずかに届いた声で、私は自分が泣いていることに気づいた。目元に手をやると確かに目から雫がはらりと落ちてくる。泣いてるんだ、こんな体になっても、私。イワさんも心配そうに流を洗う手を止めてこちらを見ている。心配させるとわかっていても流れる涙は止まらない。手でなんとか拭おうとするけれど次から次へと溢れて止まらない。
「あー…びっくりしたんだよな、大丈夫だぞ」
「ごめん、とまらなく、て」
イワさんは宥めるように私に声をかけてくれる。私はいたたまれなくなってごめん、というとすぐネットの中に引っ込んだ。流の手当てをするイワさんの邪魔をしたくなかった。蹲って、涙を止めようとする。イワさんも言ってた。大丈夫、流は大丈夫だからと自分に言い聞かせた。
それから、しばらく経って気付けば眠っていたようだ。ぴぴ、と鳴ったメッセージアプリの通知音で目を覚ました。私を外の世界に呼び出す、みんなと繋がるメッセージツール。寝ぼけ眼でそれを開くと流からのメッセージが届いていた。
『天花、出てきてください。』
ただそれだけ。メッセージが打てるということは少しは落ち着いたということだろうか。会いに行っても、いいんだろうか。自分はあの時何もすることができなかった。治療を手伝うことはおろか、声をかけることさえできずに。そんな後ろめたさを感じていると別のアカウントからメッセージが届く。
「薬買いにでるから、流たのむぞ」
ところどころ変換のできていない、イワさんからのメッセージ。イワさんはやっぱり大人で、怖気付いていた私の背中を押してくれる。はーーと大きく息を吐いて、周りを囲んでいたメッセージ画面を一度消す。会いに行こう、流に。
私が部屋に姿を投影させると、流は「天花」と声をかけてくれる。その顔はいつにも増して青白く、やつれていた。ソファに横たわる痛々しいその姿に胸が苦しくなる。隣り合っている人が、同志が、ともだちが、おうさまが、苦しんでいるのに何もできない自分が情けなかった。
「先程、泣いていたので」
流にしては歯切れの悪い様子で、次に続ける言葉を慎重に選んでいるようだった。私はその間も何も言えずに、流の次の言葉を待った。役に立たないクランズマンはいらないと、言われるのかもしれない。私を拾ってくれたのは流で、ここにいられるのも全て流のお陰なのに、私は何も返していない。役に立っていないのだ。
けれど私の予想に反して、流はホッとしたような温かい目をして次の言葉を見つけた。
「心配、していました。」
途端、止まったはずの涙がまた戻ってくる。彼は、流は。こんな状態でも私に言葉を投げかけてくれる。出会ったときからずっと、小さい、不自由な身体で助けてくれるのだ。
「ながれが、しぬかと、おもって」
嗚咽の隙間を縫って出てきた言葉は自分でも信じられない言葉だった。たった数年、一緒にいて最初は成り行きだったはずが今では大切なものになっていた。わたしの、大切な王様になっていたのだ。
「まだ生きています。
勝手に殺さないでください」
「うん、ごめん」
でも、私もたくさん心配したんだよ。そう言うと流は「ではお互い様です。相殺です」という。何が相殺だ、最初に自分が黄金の王のところに宣戦布告しにいったことが始まりだというのに。漸く溢れていた涙が落ち着いてきた。流はそんな私をじっと見つめた。
「精神だけの姿でも涙を流すのですね、不思議です」
誰が泣かせたというのだ、という言葉は飲み込んで頬に残った涙を拭った。確かにそれは私の手のひらに残っていたが少しするときらきらと宙に舞って消えてしまった。
「俺が、拭えたら良かったのですが」
流がそんなことを言うとは思っていなかったので思わず身体が硬直した。そして流らしくない言葉に思わず笑ってしまった。今の私の涙に触れてみたいと言う好奇心から出た言葉なのか、単に流した涙を気遣ってくれたのかは分からなかった。それでもその言葉が嬉しくて。
「いつか、おねがいね」
来るかどうかわからない未来に希望をのせた。私が目覚める日が来たら、目覚めて泣いていたら。その時は流に涙を拭ってもらおう。その日が来るまで泣き虫な私はたくさん泣くだろうから、全部まとめて拭ってもらうのだ。目が覚めて、この小さな王様に尽くすちょっとしたご褒美として。