ネットの海の中を飛ぶ、一羽の鳥がいた。

その鳥は時に小さなウグイス。時に大きなフクロウ。羽根は白く、緑に光る目が優しく瞬く鳥だった。見た目は違ってもおそらく同一個体で、界隈ではゴーストと呼ばれていた。
ジャンぴぃとかいうマスコットとは違う、jungleの中で時折飛んでいるそれは、jungleの守神とも、使い魔とも呼ばれた。というのもゲーム内で劣勢の相手にキーアイテムを渡したり、時に嘲笑うようにプレイヤーの邪魔をしてくる。重要な局面、というより友人と遊んでいるときにそのゴーストと出会う、らしい。というのも自分はそういう場面では遭遇したことがなかったのだ。曰くゴーストはプレイヤーにじゃれつくように飛び回り、ひとしきり満足すると去っていく、まるで子供のようだと。クリエイターが気まぐれで作ったCPUだとか、ゲームマスターのアバターだとか様々な噂が流れていたが、どれも信憑性がなく真実を知る者はいなかった。

自分はそのゴーストに、何度か遭遇している。





「伏見、例のファイルだが」

注視していたパソコンから目を離すと、淡島がこちらをみて黒いファイルを差し出していた。それを受け取り中身を確認すると胸の奥が重たくなるような心地がして深く息を吐いた。淡島はいい顔はしなかったが、同じく気が重いらしく腰に手を当てて目を伏せた。

「本件において重要度の低いものだった。」

そうでしょうね、と皮肉を込めて返す。重要人物が触れたファイルだからと用心深く解析をしたが何も見つからなかったのだから。だからどうした、という意味を込めて淡島を見上げると話の続きがあるらしく言い淀んでいた。会話の続きを聴くのが億劫で処分しておきます、と言おうとすると少し強めの声で「待て」と言われる。

「本来の持ち主に、返却してくれ」

ああやはり余計なものを見つけるのではなかった。
面倒ごとを押し付けられて思わず舌打ちをした。


本来の持ち主。
おそらく淡島は今回の事件の重要参考人である錦川天花のことを指していたのだろう。今まで昏睡状態だった彼女は、ドレスデン石版が破壊されたあの日に目を覚ました。しばらく声も発していなかったからか言葉を話すときには不自由そうにしていたが意識ははっきりとしていた。一時期はキセキの子と呼ばれた少女が今になってなぜセプター4に重要参考人と言われているのか。

端的に言ってしまえば、彼女がゴーストだったからだ。

彼女がゴーストであったと証明する証拠はいくつかあった。
jungleの幹部たちがドレスデン石版を奪いに来た時、自分と榎本がゴーストに遭遇している。御勺神や五條がかく乱していたとしても、御柱タワーに近づく航空機に気付かないはずはないのだ。磐舟が王権者の能力を使った際に計測器が測定不能になっていたが実際石版を奪われるまで、近辺の映像データや情報が全く入ってこなかったのだ。気付いたときに画面に現れた銀髪の女に、榎本が声を上げた。自分が気付いた時には画面から女が消えかかっていて表情までは見えなかった。だが挑発するように笑う、女の緑の目にどこか見覚えがあった。

次にその女と会ったのはセプター4を出てjungleに幹部として迎えられたとき。
女は王を守るようにその周りを飛び回り、こちらをみて笑っていた。からかうように、時に鋭い目で笑っていたのだ。実際に見た、というより彼女は空中に投影されていたので実際錦川本人かどうか、判断することは出来なかった。錦川本人のデータを見るまでは、緑の王が作り出したアバター、CPUか何かだと思っていた。それにしてはほかの幹部たちも女がここにいるような話しぶりをするのだ。
違和感の正体に気付いたのは、jungle壊滅後のことだった。

jungleのデータベースの中に、彼女の治療に関わるデータが見つかった。何重にもプロテクトされたデータを取り出したのは他ならぬ自分だ。約10年もの間そのデータは更新され、管理されていたような形跡があった。そして、ゴーストとして動いていた彼女の形跡も残されていた。ただ目覚めを待つように更新され続けたデータは、皮肉にも王の死と同時に記録を終えた。見つけた顔写真と、jungleの基地内で見かけた女が同一人物だ、と証言したのも自分なのだ。



退院は近い、と病院の医師は言っていた。
セプター4の監視のなか、錦川は皮肉にも回復していた。十年眠り続けていただけあって、最初のころは起き上がり、言葉を発することすらできなかった。いまは時折訪れる隊員たちと談笑するまでに回復している。気が進まなかったがやけに白い廊下を通り抜け、一人部屋にしてはやけに広い病室に入った。

「猿比古」

いらっしゃい、と言って錦川は笑みを見せた。かつて自分の王が呼んだように自分のことを名前で呼ぶので気分が悪い。手元には文字の詰まった文庫本が置かれていて先ほどまで読んでいたのが分かる。軽い物でもしばらく持っていると疲れるらしくちょうどよかった、と言った。

「久しぶりだね」
「できれば来たくなかった」

まあまあそう言わずに、とベッド横に置かれている丸椅子をすすめてくる。一刻も早く帰りたかったので勧められた席には座らずに内ポケットにしまっていた封筒を取り出した。データをそのまま持ってくるわけにいかなかったので、わざわざ印刷する手間をかけた。さっさと仕事を済ませて戻ろう。手に取った封筒を錦川に渡すと少し驚いたように受け取った。

「なに、ラブレター?」
「黙って見ろ」

本来、セプター4の監視下にある錦川にあまり自由はない。もともと昏睡状態が長かっただけあり、錦川自身の荷物はあまりない。生き残った幹部たちと連絡を取らせるわけにはいかなかったため、電子機器などもこの部屋にはおかれていない。だからこそ異質なまでにこの部屋は殺風景だった。突然渡されたそれに錦川も違和感を感じ、少し警戒しながらもその封筒を開けた。一枚の紙を取り出すと、表情を曇らせた。そっと優しい手つきでその紙を撫でてぽつりとつぶやく。

あまりに小さい声だったから、何を言っているのかわからなかった。錦川はすぐに紙を封筒に収める。先ほどの威勢はどこに行ったのか口数が少なくなってただ張り付けたような笑みをこちらにむけた。居心地が悪い。もともと用などそれだけなのだからさっさと部屋を出てしまおう、と出口に向かう。

「猿比古」

小さい声で、名前を呼ばれる。
止まってやる義理はない。ドアの引き戸をつかんだところでか細い声が聞こえた。それはどこか震えているように聞こえた。



『0010101101011100』

ゴーストと出会ったのは、あれが初めてではない。
フレンドも持たず、一人でjungleをプレイしていた自分はパズルゲームの対戦相手としてゴーストに遭遇した。プレイヤーとしてゴーストが現れるのは聞いたことがなかった。それが本物のゴーストかはわからなかったが、緑の目の、白い羽をもった鳥だというのは知っていた。なりすましの可能性もあったが、いい暇つぶしになる、と対戦を始めるボタンを押した。だが何の反応もなかった。ゴーストが、数字の羅列を送ってきたのだ。やはり偽物か、とすぐ接続を切ってしまったのだが気になって数字の羅列を解析したのだ。

『あなたもひとりなの?』

解析した言葉に呆れて言葉も出なかった。ただの煽りかよ。そう言って悪態をついたものだが、今ならその言葉の意味が分かるような気がした。電子の海に生きていた錦川が発した、同類を探す言葉。うるさい。余計なお世話だ。それに少なくとも、お前はひとりじゃねえだろ。