Jランカーになって間もない頃、この道を通ったことがある。

トイレットペーパーを買ってこいという陳腐なミッションの最中、追加のミッションが流から届いた。指定ポイントに向かい、ターゲットに接触せよ。マスコットがミッション内容を読み上げた後に、短い文章と地図だけが転送されてきた。流が出したミッションにしては内容がぼやけていた。何か物の受け渡しをするのか、拘束して連れて行くのか。接触した後どうするかの内容がなにもなかった。疑問に思ったけれど、一度出されたミッション内容に追加説明を求めるのも野暮な気がして受諾ボタンをタップした。

やけに入り組んだ路地を抜け、手に持ったトイレットペーパーがどことなく重く感じたあたりで指定ポイントにたどり着いた。

「…病院?」

普通ならミッションが出される前に下調べをするべきだとは思うが、指定時間もあったため、指示される通りにポイントに向かってしまった。大きな建物ではあるが少しくたびれたようなおんぼろ病院。軽い扉を押して中に入ると、消毒剤の匂いが鼻についた。待合室には老人が数人会計を待っている。周りを見渡すと入院棟を指し示す看板があった。矢印は薄気味悪い通路を指し示している。
通路を抜けると薄暗い電灯が照らすホールに出た。エレベーターは医療運搬用を除いて来客用に1機。それもなかなか来ない。焦れったくなって脇にあった階段を駆け上がった。

4階の、南側の、角部屋。
向かう道中、いくつかあった部屋には患者がいるようで、看護師と話している声や漏れ出ているテレビの音が聞こえた。指定された部屋に近付くにつれ、その音が遠のいて、電子音が広がって行く。ふと立ち止まって振り返ると来た道が逆光で暗くなっていることに気付く。人気のある場所がやけに遠く感じた。

横開きの扉は閉められ、プレートに名前は書かれていない。周りを少し見渡して異常がないか確認し、端末を手に、扉を引いた。

その部屋は他の部屋とそう変わらない一人部屋だった。換気のためか窓が開いており、白いカーテンがはためいている。右手の壁に頭をつけるように大きめのベッドが置かれていた。その脇には音の発信源である機械と点滴が並べて置いてあり、ベッドの主につながっている。その人は人工的に与えられる栄養と酸素で深い呼吸を繰り返していた。本当に、生きているのか。壊さないように、そっとその人の頭を撫でると銀の髪がはらはらと流れていった。自分は、彼女を知っていた。

「…天花」


錦川天花はいつも流のそばにいた。いつも突然現れて、流のそばをぷかぷかと漂っている。その姿は浮世離れしていて、てっきり流が組んだプログラムか何かかと思っていた。それでも時々感じる人間らしさに違和感を感じていた。
秘密基地に戻ると流が「お帰りなさい」と声をかけてくる。おそらく天花が異能の力で生きている人間だと伝えるためにこんなミッションを出したのだろう。

「なんでこんな回りくどいことしたんだよ」
「必要な過程であったと思いますが」
「口で言えば早かっただろ」
「それもそうですが」

「天花が、会いたがっていたので」

流の視線の先にはキッチンで磐舟と楽しげに話している天花がいた。彼女が生きている人間だとわかれば、あの表情の豊かさにも説明がつく。花が咲くように笑い、顔を真っ赤にして怒り、時々寂しげな表情をする。それも自分たちと同じように、心があって生きているから。
流と同じように天花を見ていると視線に気づいたのかこちらを見てパッと笑った。そしてふよふよ近付いてくると「おかえり、スクナ」と声をかけてくる。それに短くただいま、と返すと嬉しそうにふふ、とまた笑った。やはり彼女は、生きている。天花はそれから、それからねと手を伸ばして、俺の髪を撫でる仕草をして言った。

「"わたしに"会いに来てくれて、ありがとう」



あの日通った道を、また歩く。薄暗い路地も、病院のツンとした匂いも変わっていないけれど、向かう先は変わった。待合から、通路を抜けてホールに出る。エレベーターも階段も使わずに、開かれた扉から中庭に抜けると明るさに目が眩んだ。舗装された道を進むと大きな木の木陰のベンチに人影が見えた。彼女はこちらに気付くと、ひらひらと力なく手を振り、言うのだ。

「会いに来てくれてありがとう」、と。