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この世界には常識ではありえないことが溢れている。たとえば、どこにでもいそうなサラリーマンが実はすごい能力をもっていたりとか、はたまた人外ななにかが人間のふりをしてごく普通にわたしたちと同じように生活していたりとか。
誰かに話せばそんなの嘘じゃんありえないからって笑い飛ばされるような話ばかりだけど、みんなはなにも知らないだけで、信じようとしないだけで、実際は非現実的でそれこそ嘘のようなことがこの世には溢れ返っているのだ。
だから誰も知らない。わたししか知らない。神様が人の姿をしてわたしたちと同じように暮らしていることなんて、だあれも知らないのだ。

「神様、黒崎くんを殺して下さい」

神様を心から信じているわたしは、なんだって神様にお願いができる。神様はわたしの味方だ。わたしがお願いすれば、神様はわたしをいじめた黒崎くんをすぐに消してくれる。赤子の首をひねるよりも簡単に、ぽきっと。そのはずなんだけど。

「物騒なことを言うな」

どういうことか睨まれてしまった。神様のだるそうな感じはいつもと変わらないけど、いつにも増して気だるさが倍増しているような気がする。真紅の切れ長の瞳がわたしを捉えて、すぐに逸らされた。それでもわたしは喋るのを続ける。

「だって黒崎くん、わたしのことブスだとか根暗だとかとってもひどいことを言ったんですよ。死んで当然だと思いませんか?」
「なら言い返せばいい」
「わたしが言い返せる性格じゃないの、神様知ってますよね?」
「だったら文句を言われないようお前が変わるしかないな」
「変わるってそんなのすぐには無理です」

もしも変われたとしても、黒崎くんのために性格を変えるなんて嫌。そんなことなら、黒崎くんがひどい性格を直してほしいくらい。

「諦めという便利な言葉があるらしい」
「ふざけてるんですか? 怒りますよ」

そうすると、今までぷかぷかとお気に入りの煙管を吹かしていた神様は、ようやく体ごとわたしの方を向いた。はだけた着物から神様の綺麗な胸板がちらちらと見えてどきどきする。

「お前が私を怒れるのか?」
「お、怒れますよ」
「ほう、それは興味があるな」

なんとも色っぽい笑みを溢した神様は、試してみろと言わんばかりにわたしを見据える。しかし怒りますと言ったのは言葉のあやで、神様を怒るなんてそんなことできるわけがない。黒崎くんよりも先にわたしが消されてしまう。
うっと口を噤んでいると、神様はわたしの心情を汲みとったのか、咥えていた煙管を一度吸うと、ふうと煙を吐き出した。

「お前はなにか嫌なことがあるとすぐに私に言ってくるが、少しは自分でなんとかしようと思わないのか?」
「思いません」
「返事が早いな」
「だってわたしの悪口を言ったんですよ? 死んで償うのは当然だと思います」
「お前がそんなに偉い身分だとは知らなかったよ」
「なに言ってるんですか。わたしは見てのとおりただの一般市民です。それと、神様の親しい友人です。いえ、親友といっても過言ではありませんね!」
「悪いが、私はお前のことを今まで一度も友人などと思ったことはないぞ」

まっすぐ目を見つめられてそんな辛辣な言葉を言われた私の心は、一瞬にして粉砕しそうになる。ショックで悲しいのと怒りが混じって、だけどなにも言えずせめてもの抵抗として涙目になりながら私は神様をきつく睨む。

「どうした? 神に頼むか? 私を殺してくれと」
「……そんなの無理に決まってるじゃないですか」

神様は意地悪だ。出来ないって分かってるくせにそんなこと言うなんて。ちょっとでも気を抜けば涙が溢れそうになって、私はふいっとそっぽを向く。だけど神様の手のひらが私の頬に触れてそうさせてくれない。

「顔をよく見せろ」
「いやです。さわらないでください」
「私に触れられるのは嫌か?」

そんな綺麗な顔でそんなことを言うなんてほんとに神様は意地悪だ。さわらないでなんてそんなの本心じゃない。神様もそれを分かってて聞いてくるからひどい。神様の手を振りほどいてやりたいけど、そんなことできない私は黙って首を横に振った。

「別に見れないわけじゃない。顔の好みなど人それぞれだ。黒崎とやらはお前の顔を嫌っているようだが」
「神様はどうなんですか」
「なにがだ」
「わたしの顔は好きですか?」
「私に好みなどない」
「もしかして照れてますか?」
「お前には私が照れているように見えるのか?」
「いいえ、見えません。ていうか神様、たばこ煙いです」

わたしは神様が持っていた煙管を無理やり奪って煙草盆の上に置く。たばこを吸う神様は嫌いじゃないけど、いまは邪魔。

「私に口答えできるお前が、なぜ人間一人に言い返せないのかさっぱり分からないよ」
「さっきも言ったじゃないですか。わたしは神様と親しい友人だからです」

だから言えるの。なんだって言える。わたしは神様のことを心から信じてるから、どんなことだって怖くない。だけどまた友人じゃないって否定されたら今度こそ泣いちゃいそうだから、わたしは神様の口を塞ぐの。

「お前は友人と口付けするのか?」
「神様は特別だからいいんです。わたしの特別ですよ。うれしいでしょ?」

そう言って笑うと、神様のやさしい手がわたしの髪を撫でた。神様に触れられるのは好き。すごく幸せな気持ちになるから。さっきまで黒崎くんのことで悩んでたのなんか吹っ飛ぶくらい。気持ちがよくて目を閉じたら、まぶたの向こうで神様が笑った気がした。

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