01.勇者と果実




 アスルはすっかり不貞腐れていた。
 ――肌を照らす陽の強さと、乾いた空気。
 鋭くなる陽光に曝されても焼けぬ、嘘のように白く滑らかな肌は彼女の自慢で、波打つ春の空を溶かし込んだような色の髪もまた彼女の自慢だ。
 石畳の街道を太陽の下できらきらしく歩けばすれ違う何人かは振り向いて目を留める。笑いさざめく声の波間から悩ましげな青年の吐息が聞こえる。それがたまらなく愉快であった。
 気持ちの良い蒼穹に(というよりは己を賞賛する視線や声といった方が正しい)ほんの少し、興が乗っただけなのだ。夕飯の材料を買ってくるようにおつかいを申しつけられていたが、気分が上がって与えられていた予算の半分以上を自身の服飾に使用しただけなのだ。金銀の刺繍が見事な、桃色から水色へと色の変化が美しい紗を見かけてしまえば買わないという選択肢は無い。それなのに――。

「グレイル団長のばーか! 鬼! わからずや!」
 通りの真ん中でアスルは気を引きたくて堪らない幼子のようにわんわん喚いている。その様子に、道行く人は半分迷惑、半分微笑ましそうにアスルを避けていく。どこからどう見ても駄々をこねる子供であった。
「馬鹿はどっちだ馬鹿者。貧乏傭兵団だということをおまえはいつになったら理解する」
「貧乏でもお洒落は楽しまなきゃダメなんだからね? あたしが綺麗に着飾ったらそれこそ砦には連日連夜恋文と貢ぎ物の嵐だよ? そうなったら少しは余裕ができるじゃん!」
「ほう、そんな光景は一度たりとも見たことはないのだがな」
「それは村の男どもが意気地無しなだけ! はっ……あたしという美の最先端が田舎者には分からないのかもしれない……!」
 薄氷の双眸にとても真剣な色を浮かべ、真面目な口調でも、溢れる言葉はこれである。
 仕方なしに、それみよがしに屋台の前で立ち止まっては物色するアスルをグレイルが強引に引っ張っていくことになる。頻繁に足を止め、微笑ましい親子のやり取りに目を細める。吟遊詩人の歌に耳を傾ける。まっすぐ通った鼻筋が厳しくも精悍な若者を見つければ、所構わず声を掛けた。
「まったく、任務帰りだというのにこれではいつになっても帰還できん」
「それはそれはお勤めご苦労様ですよっと……、――」
 アスルが立ち止まり蒼天を仰ぐ。またか、とアスルの首根っこを引っ張ろうとしたグレイルもまた――足を止める。
 活気を漲らせる人々の上に、緊迫になりきれない警戒が漂う。
 道端を埋める露店商が慌てて撤退する、果実を買っていた客は袋を投げつけて逃げ出す。広場の片隅で弦を奏でる遍歴楽士も、路地裏に群れる物乞いも、喧騒をもって姿を隠す。
 振りかざされた鋼が空を鈍色に滲ませ、破壊を目的に揺れる。鋼の切っ先が石畳を抉り、慟哭めいた震えをばら撒く。
「ならず者かな。よくもまぁ、飽きないねえ」
投げ出された袋から投げ出された果実をそこから離れようとする人々が踏みつけていくのを見詰めながら、アスルはグレイルに目配せする。
「飯抜きは嫌だろう、アスル」
「芋と具のないスープしか並ばない食卓も勘弁願いたいけどね」
 そう言いつつ奇跡的に踏まれなかった果実を拾い、綺麗な箇所に口をつけた。一口咀嚼して顔を歪めたのち、地面に置いた。
「“雑用係”は戦えないのでここで待ってまーす」
「まったく、いつまでも世話の焼ける」
 溜息をついてトラブルを解決すべく走り出したグレイルを少女は小振りな唇にゆるい弧を描いて見送った。
「いってらっしゃい、勇者さま」
 独白のように零された少女のその言葉はざわめきを誘う爽やかな風にさらわれる。



「ってことがありまして、今日はご馳走でーす!」
「テメェは何にもしてねぇだろうが! この浪費女!」
 手を広げる自称功労者に、傭兵団の最古参はすかさず突っ込みをいれる。
「し・た・も・ん! お使いで渡された予算をちょっぴりお茶目なあたしが自分のために使っちゃう場面に団長が遭遇しなきゃ、あんた達全員芋と具のないスープで腹を満たすことになっていたんだからね!」
「アスル、いい加減にしなさい。団の経費を私利私欲に使うなと何度も言っているでしょう?」
「うっ……」
 副団長の叱責には、さすがのアスルも罰の悪そうに口を噤んだ。
「でも、ほら、結果オーライってやつよ! あたしは綺麗でかわいい紗が買えて、皆は団長が頑張ったおかげで美味しいごはんにありつける! ね、今日はと〜ってもいい日!」
 満面の笑みでそう言われるともはや呆れを通り越して殺意しか湧いてこない。
「アスルはしばらく掃除と洗濯係なんだから。お使いや買い出しは私たちで行くもん。ねー?」
 アスルは思わず匙を落としかけた。傭兵団の年少二人はさも咎めるように眉根をひそめ、いっそう冷ややかに続ける。
「うん。ぼくアスルちゃんと違ってバカじゃないから、ちゃんと言われたもの買ってこれるよ!」
「そうだね、アスルじゃあるまいしきちんと買ってこれるもんね」
 うん、うん、とその場にいたものは一斉に――心の中だけに留めた者もいるが――頷いた。
「あー、もう! 悪かったって! やります、やりますから。掃除でも洗濯でもなんでも!」
 アスルはすっかり匙の先で押し潰された肉を口に放りこむと、悔しさと一緒に咀嚼した。
 つつがなく晩餐は進み、賑やかな声は耐えること知らない。
 グレイルを団長とする、クリミア王国内に拠点を構える屈強の傭兵団――グレイル傭兵団。傭兵団の夜は始まったばかりである。