鈍色の波に呑まれる前に


夕餉の片付けもひと段落した頃、炊事場に疾風さんが顔を覗かせた。
「七恵、網問の奴見てねぇか?」
「ここには来てませんけど……あ。もしかしたら、浜の方に……」
「は、浜!?もう暗ぇのに!?」
疾風さんが青ざめて、言った。疾風さんは、妖怪や物の怪の類が苦手で、暗いのも余り得意な方では無い。
「もう、日が落ちるの早いですもんね。私、見てきますから、皆さんのところで待っててください」
「頼んだ、七恵……気を付けろよ……!」
げっそりと戻っていく疾風さんを見送って、私は外へ出た。
網問さんは、時々夜の海を眺めている。ふらりと館を出て、ふらりと戻ってくるから、みんな気付いてない様だけど。
館から少し歩くと、網問さんはいた。波打ち際で、海のずっと向こうを見ていた。
「網問さん」
「!七恵……」
「何してるんですか?」
「何も。月、明るいなぁって」
昼間の元気いっぱいな彼とは違って、今は随分と大人びた感じで、何処か憂いを帯びている様にも感じる。ちゃぷ……と網問さんは浅瀬へ進んだ。
「っ網問さん、いかないで……」
なにかに、連れて行かれそうで砂を蹴って彼の腕を掴んだ。
「わっ、七恵、どうしたの?」
「網問さんが、このまま、何処かへ行っちゃうんじゃないかって……ごめんなさい、私……」
「ううん、おれの方こそ……故郷のことを思い出すとさ、少し寂しくなってよく夜の海を眺めたくなるんだ。海は、海だけはずっとおれの傍にあったから」
「網問さん……」
「さ、そろそろ戻ろっか」
「……今は……」
「?」
「今は、あなたの周りには水軍の皆さんが居ます。もちろん、私も。だから、寂しくなったら、1人で夜の海に行くんじゃなくて、誰かと過ごすのが1番ですよ、きっと。1人じゃ、余計に寂しくなるだけです」
「七恵……うん、じゃあ、七恵を誘う。七恵と海を見ながら過ごす」
「私……ですか」
「七恵と一緒なら、寂しくないからさ」
「それなら、いいですけど……。あ!疾風さんが網問さんのこと探していたんだった、すっかり忘れてた!早く戻りましょう!」
「え!疾風の兄貴が?早く戻らないと!」
2人で、夜の砂浜を駆ける。静かな波の音だけが響く。
「……ありがとう、七恵」
小さく呟かれたその声は、海だけが知っている。



HOMEtop