2月14日。日本には、バレンタインデーとして好きな相手にチョコレートを渡すという文化があるらしい。まあ、そんなことこの青い監獄では関係ないだろうし、ドイツ人の私にも関係ない。もしあるなら……食堂のメニューにチョコレートが付くくらいかな?
統括マネージャーのアンリさん達からのバレンタインということで、そのパターンはありそうだ。だとしても、私にはあんまり関係ないか、と自己完結する。
今日もいつも通りやるだけだ、と伸びをして、マグカップの少し温いブラックコーヒーを飲んだ。
すると、コンコン、と数回ノックされた後、私の返事を待たずに自室の扉が開いた。
相手は分かりきっている。振り返って名前を呼んだ。
「ミヒャくん、どうしたの?」
フィードバックだろうか。それとも、データに不備でもあったのだろうか。後者だとしたら、早急に修正しなければ…と思っていると予想外の言葉が返ってきた。
「今日はバレンタインデーだろう?」
「えっ?」
「毎年、ガビィには俺から花束をプレゼントしてるが、今年はここにいるせいで出来そうにない」
「……あぁ!気にしないで?私はミヒャくんの気持ちだけでも嬉しいよ!」
綺麗な弧を描いていた眉を少し下げてそういう彼に、大丈夫だよ、と伝える。そして、さっきまでの浮かない表情から一変、何か良からぬ事を企んでいる時にする笑顔に。
「そういえば……日本には、バレンタインデーは好きな人にチョコレートをプレゼントをする不思議な文化があるらしいな?」
まさか……と嫌な予感が脳裏に過ぎる。
「ら、らしいね……誰に聞いたの?」
「誰?それは重要か?」
「少し、気になって……ミヒャくんはあんまり日本のメンバーと仲良くないから……」
出来るだけ、話題を引き伸ばす。まあ、純粋に気になる部分もあるのだが。
「……たまたま日本の奴等が話してたのを小耳に挟んだだけだ」
訝しげに私を見る彼は、一歩、私に近付く。
「ガビィ……もしかして……」
先程の質問は逆効果だった様だ。これは完全に勘違いされている気がする。……そういえば、昨日アンリさんに貰ったチョコレート菓子をまだ開けてなかったはずだ。もしチョコレートを強請られたら、それを渡せば満足してくれるかもしれない。
「み、ミヒャくん……?」
未だじっと私を見つめる彼。
訝しげだった表情は、いつもの余裕のある表情に戻っていた。
「ガビィは、俺の事、好きだよなぁ?」
そうやって、私を試す様に言う。
首を縦に振ると、違うだろう?と私の手を絡め取る。
きっと、チョコレートあるいは言動で示せということなのだろう。だが、今日は勝たせてもらおう。デスクの引き出しから、例のチョコレート菓子を取り出す。
「ミヒャくん、これ一緒に食べよう?それじゃ、ダメかな?」
ずい、と彼に差し出すと、案外すんなりとお菓子を受け取った。
「ふぅん。ガビィにしては、準備がいいな」
「ま、まあ……」
彼はパッケージを開けて、一つ取り出す。包みを開けて、私を見た。
「?」
「子猫ちゃん、あーん」
「えっ」
「ほら、早く」
言われるがまま、口を開けると、彼の持っていたお菓子が放り込まれる。一瞬にして、チョコレートの味が広がる。その甘さに、顔が綻ぶ。
すると、彼の整った顔が近づいてきて、まだ口内にお菓子が残っているのに、唇が重なり、入り込んだ舌によって荒らされた。
「ん、ーっ!」
やめて、と反抗しても、現役のフットボーラーには到底敵わないし、そうすればするほど彼は意地悪をする。
暫く遊ばれて離れた唇には、チョコレートの味なんて残っていなかった。
「み、みひゃくん……」
「この菓子なかなか美味いな」
「そうだけど……最後はあんまり、分からなかったよ……」
「なら、もう一個食べる?」
「!もう、いいよ!」
悪戯に笑う彼に、もうあとは全部食べていいよ、と言う。今ので何だかどっと疲れてしまった。振り回されるのはいつもの事だけれど……。
デスクチェアに座って、息をつく。今日も結局私の負けだ。
「ガビィ、拗ねるなよ」
「拗ねてないよ……怒ってもない……」
少し疲れただけだよ、と言うと、大丈夫か?と彼は私の髪を撫でる。貴方のせいだよ、と心の中で呟いた。
「……日本には、バレンタインデーのお返しをする日があるらしい」
「へぇ……そうなんだ」
「1ヶ月後だ」
「じゃあ、3月14日かぁ。お返しって考えは、日本らしいね」
「ガビィ」
「なあに」
「とっておきのお返しをしてやるから、楽しみにしてろよ」
「……へ?」
「今年はガビィにチョコレートを貰ったからな」
日本の文化とやらに則るべきだろ、と開いたままの私の口にまたチョコレート菓子を入れた。
唖然とする私の頭をまた撫でて、Gute Nacht と部屋を出ていった。
口の中で溶けていくチョコレート菓子は、最後まで甘くて、自然と口元も綻んだ。
 

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