3月になれば、ミュンヘンの寒さも穏やかになる。とはいえまだホットドリンクが手放せないのは、私が季節の変わり目に体調を崩しやすいためだ。リビングでおばあちゃんとお茶をしていると、来客を知らせるベルがなった。
私が見てくるよ、と椅子から立ち上がって玄関へ向かう。今日は、通販サイトで一目惚れしたワンピースが届く日なのだ。楽しみすぎて、ここ数日落ち着かなかった。
満を持して玄関の扉を開けると、よく見知った顔が現れた。
「Alles gute zum Geburtstag.」
そう言って差し出された白いカサブランカと青い薔薇の花束に、私はただただ驚いていた。
「みひゃ、くん、」
「嬉しすぎて、声も出ないって所か?ガビィ」
ほら、と渡された豪勢な花束を受け取る。確かに、今日は私の誕生日だが、彼は今日予定が入っているはずだ。なぜなら、昨日の練習の時、オフは何するの、と尋ねた所、クソ大事な予定があるとか何とか言っていたから。
「えっと、今日は大事な予定があるんじゃないの……?」
「?あぁ、ガビィ、まだ気付かないのか?」
「……あ……」
「ガビィの誕生日。3月25日は、毎年このクソ大事な予定で埋まってる」
「ま、毎年……それはそうと、ありがとうミヒャくん。わざわざ家に来てくれて……」
「わざわざ?俺の子猫ちゃんの誕生日だぞ?そんなのどうって事ない」
ガビィは気を遣いすぎだ、と彼は言う。
「あら?ミヒャエルくん?」
様子を見に来たおばあちゃんが彼を見つける。さっきまで私に向けていた呆れ顔から一変、好青年な印象しか与えない笑顔で、おばあちゃんに挨拶をする。
「Guten Tag. ガビィのお祖母様。お元気そうで何よりです」
「あ、あのね、ミヒャくんが、誕生日だからって……」
花束くれたの、とおばあちゃんに見せる。
「あらぁ〜良かったわねぇ、ガビィちゃん。ミヒャエルくん、是非上がって、ゆっくりしていって?お茶、用意するわね」
「いえ、お気づかいなく」
リビングへ戻ったおばあちゃんを見送って、玄関の扉を閉めて彼はさもこの家に住んでいるかのように自然な動作でスリッパ出してを履く。
「私の部屋、行っててね。このお花生けてから、お茶持っていくから」
「ああ」
待ってる、と2階に上がる彼。
私は花束を持ってリビングへ戻る。
おばあちゃんが用意してくれていた花瓶に、ラッピングを解き、花を生けた。
「素敵ねぇ」
「うん、綺麗」
「ふふ、はい、これお茶ね。気をつけて持っていくのよ」
「ありがとう、おばあちゃん」
トレーを受け取って、自室へ向かった。
「お待たせ」
部屋のローテーブルにティーセットを置いて紅茶を注ぎ、ソファに座る彼の隣に座る。
「ガビィ、これも」
「え?」
彼が差し出した綺麗にラッピングされた箱には、高級ブランドのロゴ。
プレゼントは嬉しいが、学生が到底手を出せるものでは無いという認識から、受け取るのを躊躇してしまった。
「み、ミヒャくん、これは……」
「ここで、つけてみてくれよ、子猫ちゃん?」
受け取れない、とは言わせない勢いで箱を差し出され、仕舞いにはここで身につけろと言われては、もう逃げ道が無くなってしまった。
おずおずと受け取り、緊張して少し震える手でリボンを解いた。
箱を開けると、シンプルなネックレスが入っていた。薔薇を象ったチャームも着いており、ネットで見るような手頃なネックレスとは違う上品さとなんと言っても高級感がある。
「す……すごい…………」
「ガビィ、つけてやろう」
恐れ多すぎて、取り出すことがはばかられる。
そんな私を見兼ねたのか、彼が口角を上げながら言った。
彼はネックレスをいとも簡単に取り出して、私の首に回した。チェーンにかかる髪を除けると、首筋にひんやりと金属があたる。
「えと……ど、どうかな?わ、私凄く不釣り合いだよね!?」
「何言ってるんだ、俺が選んだんだから似合うに決まってる。それに、お前は俺の女なんだから、ブランド品と不釣り合いもクソもない」
「そ、そう……?」
スマートフォンのカメラを起動して、内カメに切り替えて見てみるが、やっぱりどう考えても私には贅沢過ぎる。
「た、大切にするね。本当に……」
「毎日つけろよ?」
「えっ」
「子猫ちゃんには、首輪が必要だろ?」
「わ、私ペットではない……けど……」
「例えの話だ。このネックレスは、ガビィが俺のだと証明するものでもある、って事」
分かるな?と彼は私の顎を捕らえた。
こくりと頷くと、彼は満足気に笑って、ゆっくり口付ける。空いた手が、時々優しく首元を撫で付ける。驚いて身を縮ませても、その動作をやめない。
ソファに身が沈むのと同時に、キスも深くなっていく。時々漏れる吐息に、脳が危険信号を送って、彼を押し返す様に腕を伸ばした。遂に離れた唇は、酸素を求めて開いたままだ。
諦めの悪い彼は、スカートに隠れた太腿をすり……と撫でる。
「……や、やだ……」
「何故?こんな特別な日だぞ?」
「まだ、お昼間だから……!」
「時間なんて……」
「今日は、夜、外食だから……」
「……ふぅん?随分と可愛らしい理由だな」
「ミヒャくんも、時間があるなら一緒にどうかなって……思ってたんだけど……」
真っ直ぐ私を見詰める瞳を私も見詰め返す。言い訳でも何でもなく、本当のことだと伝わればいいのだが。
「勿論、ガビィの家族がいいなら一緒に行く」
「よ、よかったぁ……それで、ね?今は……」
「けど、今日はガビィの家に泊まらせて貰おう。外食後なら、良いって事だろ?」
「……えっ」
そんなこと一言も言ってない、と言える程頭は回っていなくて、ただ固まってしまった。
「今夜は楽しみだなぁ?」
「ひっ……」
私の思考がショートしているのをいいことに、彼はわざと耳元で囁く。思わず小さな悲鳴が出た。
彼は、ソファに沈む私を起き上がらせ、今度はその長い腕の中に閉じ込めた。
「ガビィ」
「なぁに」
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「!うん……私、ミヒャくんと出会えて良かった。今、とても幸せだし、辛くても、諦めなくてよかったって、貴方が思わせてくれてるから」
Danke、と彼の陶器のような頬に感謝のキスをした。
貴方のことも、貴方がくれた首輪も、ずっと大切にするね。
だから
「私を、離さないでね。私のメシア……」

「当たり前だろ。俺のプリンセス?」

 

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