「あ、やっべ」
 ぼそっと呟かれる、危機感の無い言葉。その声を聞いて、机に突っ伏して寝ていた俺は前髪を掻き上げながらゆっくりと顔を上げた。
 大量の蔵書が保管されている図書館。特にやることもない昼頃。暇を潰すためだけにやってきたここには、当然俺たち以外誰もいない。いくつかの蝋燭の光だけで照らされているここは古書やカビの匂いで包まれていてお世辞にも綺麗な空気とは言えないが、静かで落ち着いているこの場所を俺たちは気に入っていた。
 そんな沈黙に愛された空間の中、言葉を発した張本人――レーヴェを見ると、彼は自身の人差し指をぼんやりと眺めているところだった。蝋燭の光が彼の端整な横顔を縁取るように照らす。陶器のように滑らかな白い肌。レッドベリルを彷彿とさせる美しい赤の瞳。艶やかな濡れ羽色の髪。昔から行動を共にしている幼馴染みに思わず見惚れてしまうが、何とか己を律して、俺はレーヴェに「どうしたの?」と問いかけた。するとレーヴェはちらりと美しい瞳を俺に向けて、白くて長い指を俺に見せる。
「本読んでたら指切った」
 見れば、そこから流れているのは一筋の赤。ごくり、と唾を飲む。しかしそれを悟られないように平然を装った俺は、呆れたように笑みを浮かべた。
「あーあ、痛そう。ちょっと貸して」
「は? 貸すって何」
「いいから」
 今考えると、この時の俺はきっと冷静で無かった。不審げに俺を見つめるレーヴェの赤い瞳から目を逸らし、彼の手首を掴む。とろりと流れるその血は、とても白い肌に映えて綺麗だった。甘い、匂い。
「お、おい!」
 静止の声をかけるレーヴェを無視して、俺は欲望のままにぱくりと彼の指を口に含んだ。ちゅ、ちゅ、とわざと音を立てて血を吸い出す。口内に広がる甘い味。濃厚で、それでいて柔らかなそれは、今まで俺が飲んできた血とはまるで比べ物にもならなかった。頭がくらくらする。何も考えられない。頭を占めるのは、もっと欲しい、それだけで。
「シャルル、お前……!」
「ん、んぅ……ねえ、レーヴェ……もっと……」
 きっと今の俺は、娼婦のようにいやらしい表情をしているのだろう。とろけた視線をレーヴェに移す。そして無意識にすり、とレーヴェの足に自分の足を絡ませた。唾液が止まらない。動機と、息切れ。ここがどこなのかも分からなくなってくる。欲しい、欲しい。ねえ、もっと、ちょうだい。それだけを繰り返し、繰り返し、そして――そこから、記憶がない。

レッドベリルの憂鬱




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