惚れた欲目


「愛してる」
 この人生で積もり積もった劣等感、憎しみ、悔いだとか。絶対見えないようにしていたはずの醜いものを、唐突に、痛みなんて感じるはずのない言葉で、大好きな刀が色あざやかに映し出した。前の主が最後の地で着られなかった服を自分の瞳と同じ色をしたマフラーで飾っていたはずの私の刀は、自分らしくアレンジした新しい戦闘服を纏って、本丸に帰ってきた。何かを決意したか、もしくはすべてを手放したかのように清々しい顔が、舞う桜の中で破顔している。「おかえり」と伝えるはずだった口は帰還してすぐに彼が放った告白で「え」の形で固まって、その後の言葉は続かなかった。
 加州が私を熱っぽくみつめる。頬は薄紅色に染まっている。幸せを噛みしめるような、私のすべてを知り、すべてを愛おしんでいるかのような微笑みが、どうにも私を責め立てる。全部わかってるよ、そう言いたげな瞳に「ありがとう」としか言えなかった私は、うまく笑えていただろうか。

 そんなことがあってから私が本丸を逃げ出すまで、そう時間はかからなかった。本丸の中でどれだけ避けようとも、加州は私を目敏く見つけて隣に座ってきたり、手を繋いできたり、他の刀がいないところでは膝枕を強請ったりする。返事はいらないのか何なのか、そのようなことをしながら加州は一方的に愛の言葉を囁き、私の心を乱した。このまま本丸にいては気がおかしくなってしまいそうで、だから、逃げ出した。
 逃げると言ってもその日の日課は完璧に終わらせていたし、政府に長期休暇の許可も取っていた。暫く私がいなくたって大丈夫なぐらいの資金も潤沢に用意した。それに、今日は宴の日だ。特に祝い事があるわけではないけれど、みんなには美味しいお酒を差し入れしたから相当に盛り上がっているだろう。その喧騒に紛れて出ていこうという算段だ、計画的な犯行だった。そう、顕現してからずっと近侍だった加州を遠征に送ったのも、計画のうち。遠征部隊の発表後、そこまでするもんかねぇ、と誰かが呟いたのを聞いたが、聞こえない振りをした。
 終業後、全てを整っていることを確認して、テーブルに書き置きを残す。「しばらく帰りません。小判は好きに使っていいから、元気でいてね」
 それから、初めて本丸に来た時と同じ服に身を包み、自室をそっと抜け出した。最後に本丸を一瞥し、さようなら、と呟く。自室では聞こえていたはずの短刀たちがかるた遊びに勤む声は、もう聞こえなかった。眠ってしまったのだろうか。泣いて止められては決意も揺らいでしまいそうだから、丁度良いけれど。しかし酒飲みの刀たちが宴に盛り上がる声は絶えることなく聞こえている。宴は私もたびたび参加したりさせられたりしたものだけど、今日の声はなぜだかとおく感じた。

 時空を抜ける門をくぐろうとしたとき、「挨拶もなしに行くつもりかい」と、凛とした声が空間を割った。夜風がさあっと、私と声の主の間を吹き抜ける。振り向くと、歌仙が戦装束に身を包み、本丸を背に立っていた。
「突然僕を近侍にしたときから、怪しいとは思っていたのだけどね」
 そう言うと、歌仙は瞳の青い風信子石に影を落とした。私が「かなわないなあ」と零すと、その影はいっそう濃くなった。何かを言いかけて、何も言えずに閉じる。歌仙が幾度かそうするのを、私は静かに見ていた。それが招いたしばしの沈黙、その後、歌仙はしっかりと私を見据えて灸を据えた。
「君の帰りを待つのは彼だけではないこと、忘れないことだね」
「うん。ごめんね」
「いいさ、逃げるもまた作戦だ」
 雅ではないけれど。苦笑しながらそう付け足す歌仙を見て、留守中の本丸のことは歌仙がなんとかしてくれるなと安心して微笑んだ。勝手だと言われそうだから口にはしなかった。
 「いっておいで」その言葉に背中を押されて、門をくぐる。突風が面前で吹き荒れて、思わず目を瞑った。次に開いた時には、なぜだか懐かしい、現世の我が家が目の前にあった。


 帰省というのは難儀なもので、着いて三日ほどは甲斐甲斐しくもてなしを受けるのだが、それを過ぎれば急に態度を変え、家事の手伝いをさせられたり出かけることを強要されたりする。数年来帰って来なかった娘でもそれは同じことのようで、悠々自適に現世での生活を楽しむはずがいつの間にやらあらゆる雑事を任され、忙しい日々を送っていた。まあ、ぼーっとしていては本丸のことを考えずにはいられなかったから、ちょうど良いと言えばそうなのだけれど。そんな生活をし続け半年。歌仙や燭台切に任せっきりで全く向上していなかった料理の技術も上がり、掃除や洗濯が目を瞑ってでもできるほどになった頃、私はよく夢を見るようになった。それは必ず本丸の夢で、しかも明晰夢だった。ある日は、短刀たちと一緒にゲームをする夢。ある日は、希望した数振りと万屋で買い物をする夢。ある日は、本丸のみんなで花見をする夢。忘れないで、思い出して。そう言われているようで、目を覚ますたびに頭を抱えた。みんなに会いたくない……わけではない。だけど、夢の終わりはいつも加州が、寂しそうに笑って終わるのだ。加州は何も言わないが、その寂しそうな笑顔がどうにも私を責め立てて、帰る勇気を散らした。

 その日も、夢を見た。
 本丸の自室で目を覚まし、ああ夢か、と理解した。このまま寝ても現世で起きるのには時間がかかることはもうわかっていたから、何とは無しに外に出た。
 満月が浮かんでいた。そして加州が、縁側に座っていた。私は思わず物陰に身を隠したが、加州がこちらに気付く様子はない。加州は一心に、一点を見つめ続けていた。
 月明かりに照らされて紅玉のように輝く彼の瞳の下には、くっきりと隈ができている。寝ていないのかな。戦場に行くことはないから疲労はないはずだけれど。心配になってそっと近づくと、彼の視線の先に気付いて、息が止まった。
 加州は門を見つめていた。私が、加州を遠征に行かせている間に出て行った門。加州が遠征から帰還した門。そして、私が帰ったら、必ず通る門。その門を、ただただ、じっと見つめている。
 そのことに気付いた瞬間に、一途な彼の寂しい瞳を見ていられなくなった。いつだって清光は私だけを見つめていたのに、目を逸らしたのは私の方だ。加州をひとりでこの場所に居させたのは、私だ。
「加州」
 刹那、私が本丸を去ったあの日と同じ風が吹く。思わず目を瞑り、次に開いたときには加州が目の前にいた。加州はすこし目を瞠ったのち、心底嬉しそうに笑って、急に現れた私を抱きとめた。
「やっと、呼んでくれた」
 季節外れの桜が舞う。私は何も理解できないまま、舞っては消える桜の花びらに懐かしさを覚えた。
「わたし、なんで本丸にいるの」
「さあ、なんでだろうね」
 理由は知ってるけど、教えない。そう聞こえた。
 諦めて、私も加州の背中に腕を回すと、加州は幸せな笑い声をあげた。私が腕の中にいるのを確かめるように、指を這わせる。
「ねえ、なんで逃げちゃったの?」
 今度は加州が尋ねる番だった。私はうっ、と言葉を詰まらせたが、言い逃れを許さない彼の瞳に観念した。
「……加州が、私の弱いところも、醜いところも、全部知ってるような顔をするから……こわくなったの」
「そんなこと?」
「そんなことって」
「全部知ってるよ。それでも、愛してる」
 そう言うと、加州は私を縁側に座らせ、自分は庭に跪いた。安っぽいドラマみたいに、跪いて、私の手を取って、キスをした。「君が欲しい」なんて、好きだったドラマのヒーローが言っていたのを思い出す。

「主の、主が好きなところも嫌いなところも全部、俺にちょうだい?」
 この刀、本気で言っている。堪らなくなって目を逸らそうとしたけれど、加州の真剣な赤い瞳が私の視線を自分へと縫い付ける。どきどきと高鳴る鼓動も、頭が真っ白になっていることも、全部伝わっている、気がした。
 加州は耳まで赤く染まっている私を愛おしそうに見つめて、今度は私の薬指に誓った。
「全部、愛してあげるから。」