あるべきもの、或いは喪失
彼は昔から不思議な人だった。
あまり多くは語らないが、彼を形容するならば一言で“美しい”に尽きる。眉目秀麗、全てに於いて優秀、ただ1つ難があるとすれば、自分の意見や意思を強く持たない人であった。その代わりどこに行っても溶け込める、そんな人である。それは馴染む、というよりも、擬態する、といった方が正しい。彼に特定の居場所がない代わりに、どこででもひっそりと息をすることができる。それもある意味特別な才能であったと思う。
だから彼が、中学卒業後の進路に武軍装戦高校を選んだと知ったときは大層驚いた。もっと楽な生き方もあったろうに、どうしてだと。
確かに全てに於いて優秀な彼は、優秀な軍人に育つのだろうとは思う。そして至極普通に生きていくには、彼の全ての才能が持て余されてしまう。だけどその顔立ちや体つきがあまりにも軍人としては似つかわしくなくて、想像ができない。
何かを守ることができる、だけど彼に守りたいものがあったことも知らなかった。
同時に何かを壊すこともできる、彼に破壊願望があったことも知らなかった。そもそも私は、神鷹樹という男のことを中学三年間をもってしても何も知らなかったのだ。
だから今、目の前にいるこの男のことを、記憶との相違によって全く違う人間だと認識している。
面影は確かにあるのだ。本人ではないかとも思った。
だけどあの綺麗な顔をどうしてマスクで覆っている。澄んだ綺麗な瞳が、どうしてそんなに光を失っている。
中性的なあの声で、どうして喋らない。目の前にかつての同級生がいるというのに、どうして顔色ひとつ変えない。
私と神鷹は三年間同じクラスだった。何なら言葉を交わしたこともある。今更知らない仲ではない。だから今こうして、元より人形の様に美しかったが本当に意思を持たない人形に成り果てた彼を見たとき私は彼の存在を思い出したのだ。
猛威を奮った惨劇の中、死に損ないの私を静かに見下ろす彼は、優しく私を引っ張り起こす。それが職務であるからだ。
彼の淀んだ瞳一点を見つめる私の脈を淡々と測る彼の温度は、私の冷たくなりそうな体にはとてもじゃないけど温かすぎる。彼を温かな人だと思ったのはこれが初めてだ。
「しん、よう」
絞り出すように発した私の声に、ピクリと反応した彼に、嗚呼やはり別人ではないのかと思い直す。彼は私と視線を交わらせる。相変わらず彼は何も言わないまま、私を見下ろしていた。
「神鷹、なんだ、やっぱり」
力なく言う私に、彼は小さく頷いた。中学卒業後、こうして本当に誰かを守れる人になっていたと知ることができて、本当によかった。それだけでよかった。
彼は優秀な代わりに、意思疎通が苦手な人だったから。だから居場所を見つけたなら、それでいい。
17、8の青年にこんな惨状を見せる大人に腹は立つけど、同時に看取ってくれた人が彼でよかったとも思う。
昔から一際目を引いていた同級生と死に際に会えた私に、もうやり残すことはないだろう。
でも欲を言うならば、神鷹以外にも会いたかったなあ。成人式とかでさ、みんなで同窓会とかして。でも神鷹はきっと来ないんだろうな。
私、本当は好きな人がいたんだよ。誰にも言わなかったけど。知りたかったんだよ、君のこと。だけど初恋の人に死に際に会えるなんてさ、もうこれ以上の幸せはないと思うの。
だから、ねえ。もういいんだ、私。
でもさ、本当は。
君と一緒に、生きてみたかったよ。
目が覚めると、そこは知らないところだった。
真っ白で、無機質で。なんにもない。
嗚呼ここが天国か、と思った。だけど耳障りな電子音や、痛みを感じる体に気がついて視線を起こすと、ベッドの枕元に“#name1##name2#”とご丁寧に書いてある。
病院か、私は死んでなどいなかったのだ。
ナースコールを押すと、すぐに医師がやってきた。
記憶はある?、あります、体の具合は?、大丈夫です。
業務的なやり取りの末、数日間の療養を命じられた。
面会には家族や友人が来てくれて、退屈することはなかった。医師や面会人全ての人に、私を助けてくれた人物のことを聞いたりもしたのだが、「自衛隊の人」としか教えられなかった。
誰かを助けるための仕事で、守るための仕事であると理解はしている。だけどその人の名前を誰も知らないことに、私は違和感を感じた。助けられること、守られることを当たり前だと思うのは違うではないか。
退院したら、神鷹に会いに行こう。そう思っていたとき。
面会時間ギリギリにやってきたのは、神鷹だった。
横たわり、呑気に雑誌を読んでいる私を見て、少しだけ目元の緊張が和らいだように見える。こんな風に見つめられる日が来るとは、思っていなかった。中学時代の私に知らせてやりたいくらいだ。
「あの時、助けてくれてありがとう」
ベッドの脇に置いてある椅子を勧めると、首を横に振って拒まれる。忙しいのだろう。まだ同じ高校生なのに、彼は人の命を背負っている。
やはり彼は私を見下ろすばかりで、何も言わない。
元々口数は多くなかった。だけど極端に減ってしまった。
私も黙って見つめていると、ジェスチャーで何かを伝えようとする。それでも首を傾げていると、困ったような顔で頭を下げた。
その時初めて、彼が声をなくしているのを知った。
結局彼の伝えたかったことが何なのかわからないまま、時間は過ぎていき、彼は手を振って去っていった。
彼の静かすぎる足音が聞こえなくなって、堪えていた涙が溢れ出す。
彼は崇高な仕事と引き換えに、美しい声を失った。恐らくマスクで隠した素肌にも、傷が残っているのだろう。
何でも平均以上にこなせる人だと思った。だけどそれは失望ではない。ただ純粋に悲しいのだ。
こうして守られて当たり前だと思っている人がいる中で、彼から失われたものがあまりに大きい気がしたのだ。
私達がこうしてぬるま湯に浸かっている間とて彼は体を張っている。命を懸けている。惨状を目の当たりにして、そして大事なものを失っている。
ただでさえ言葉足らずだった彼から、何も声まで奪うことないだろう。
人と一線を引いていた彼が、それでも私に伝えたかったことはなんだったのか。それをわかってやれない自分に腹が立つ。
私は、彼が生かしてくれた命を全うしなければならない。
これからも彼は、私の初恋で、恩人で、だから憧れの人であり続ける。
彼と生きてみたい、だなんて、大それた願い、烏滸がましいにも程がある。
だけどせめて願わせてほしいのだ。祈るくらい、いいだろう。
どうぞ、ご無事で。
彼の伝えたかったことが何なのか、あのジェスチャーの意味を考え続けることで、私はこの先も生かされるのだろう。
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