なぜそうなったのかはわからない。彼女は隣のクラスにいて、ときどき廊下で見かける子。そんな程度にしか認識していなかった。
 そうだ。彼女との接点は、特にない。それなのになぜか、俺たちはよく目が合うのだ。

 はじめは単なる勘違いだと思った。しかし、俺も人間。一度気になると余計に意識してしまう。だから次に彼女とすれ違ったときに、ついそっと見つめてしまったら、たしかにゆるりと視線が絡んだのだ。時間にしてみれば1秒にも満たないはずの一瞬が、随分と長く感じたのは記憶に新しい。

 それからも俺たちは気づけば視線がぶつかることが多かった。会話をしたこともない。彼女の名前すら知らない。なんとも不思議な関係だった。








 太陽の日差しが眩しい。雲ひとつない青空の下、グラウンドからの照り返しを受けながら、今日も俺はボールを追っていた。ピーッと空気を切り裂くような鋭い音と休憩と叫ぶマネージャーの声で、ピリピリとしていた空気が一気に緩んでいく。
 ふっと息を吐き、汗をぬぐいながら、少しでも身体を涼めようと木陰で休憩していると、休憩前のクールダウンでもしているのだろうか、遠くで陸上部の奴らが軽快に走ってくる姿が見えた。その中のひとりに思わず目が釘付けになる。
 あの子だ。いつもと違い、柔らかそうな髪を後ろでひとつに括ってはいるが、たしかにそこに彼女がいた。そうか、彼女は陸上部だったのか。そこで初めて「隣のクラスの女子」以外の情報が俺の脳に追加されていく。


  「お、みょうじだ」


 隣に腰かけていた風丸が、俺の視線に気づいたのだろうか、同じように陸上部に目を向けた。「おーい、みょうじ」と片手を上げて爽やかに声をかけている。彼女は振り向き、俺たちの存在に気付くとはにかみながら控えめに手を振って、また軽快に部員の女子と戻っていった。笑った顔、初めてみたな。…それもそうか、なんせ俺たちはまともな会話すらしたことがないのだから。心の中でひとり突っ込む。暑さのせいだろうか、なんだか頭の回転が鈍くなっている気がする。


  「彼女、みょうじっていうのか」
  「ああ。女子陸上の次期エースだな」


 ようやく名前を知った。そうか、みょうじか。陸上の次期エース。笑った顔は結構かわいい。
 次々に追加されていく彼女の情報。ただの他人のはずなのに、不思議ともっと知ってみたいという好奇心が湧いてくる。こんなことは初めてだ。


  「ああ見えて、あいつ結構男子に人気なんだぜ?」
  「……へえ、そうなのか」


 雷にうたれたような衝撃を味わう。そうか、やはり彼女はモテるのか。遠目からでも容姿が整っているのはわかるからな。ひとり納得して、いつも目が合ったときの彼女のことを思い出す。
 サラサラな黒髪。ぽてっとしているが小さくて可愛らしい唇。ビー玉のような瞳とくりっとした睫毛。あの目に見つめられたら……、見つめられたら?


  「………」
  「どうした豪炎寺。もしかして、お前もみょうじに惚れたのか?」
  「………」
  「……え?おい、豪炎寺?」


 にやりと冗談めかしで笑ったはずの風丸が表情を引きつらせた。きっとこいつは俺の呆れた態度を期待していたのだろう。…ははっ、まさかな。そんなあいつの呟きはもう耳には届いてこない。
 今の言葉で、さっきまでどこか重かった頭が嘘のようにクリアになった。胸の奥で渦巻いていたもやもやが晴れていくのを感じる。
 ああ、そうか。好きなんだ。俺、みょうじのことが好きだ。
 そう自覚すれば、話は早かった。








  「好きです」


 次の日の放課後。部活の前に体育館裏に呼び出してそう伝えれば、みょうじは目を丸くした。黒目がちで澄んだ瞳はまるで小動物のようで愛らしい。


  「えっと、となりのクラスの豪炎寺くん、ですよね?」
  「ああ」


 鈴がなるような可愛らしい声。初めて聞いたその声に胸が熱くなる。


  「サッカー部のエースで、ファンクラブもある、あの人気者の豪炎寺くん?」
  「ファンクラブのことはよく知らないし、人気もあるかはわからないが、俺が豪炎寺だ」
  「……わたしたち、話したことありましたっけ…?」
  「いや、ないな」


 そもそも接点がないに等しい。そう言葉を紡げば、みょうじは眉を下げた。突然のことで困っているのだろう。それもそうだ。赤の他人にこんなことを言われて受け止められる人なんてそうそういない。少しだけ罪悪感が芽生えた。


  「あの、わたしのどこがいいんですか?わたしたち、ほぼ他人なのに…」


 彼女のどこがいいか。それは俺にもまだわからなかった。何せ、彼女の情報はまだまだ少ないのだ。こんなことを言えば、どんなにみょうじが優しかったとしても傷つけることは目に見えている。
 それでも俺は、この子がいいと思うのだ。この子しかいないと、心が叫ぶんだ。
 そんな気持ちを代弁するかのように、俺はこんな言葉を使った。


  「……視線が合ったから?」
  「答えになってないです…。そもそも、それは豪炎寺くんが見てくるからで…!」
  「みょうじだってそうだったじゃないか」
  「………」
  「否定、しないんだろ?」


 顔を真っ赤に染めてうつむいた彼女を見て、俺の口元が緩んだ。俺の思い違いじゃなかった。やっぱりみょうじは俺を見てた。喧騒の日々の中で、密かに交わる視線を思い出し、どうしようもないくらい鼓動が早くなる。


  「あの、せめてお友達から…」
  「友達?…ああ、そうか。」
  「そ、そうですよ。じゃないと女の子たちに何を言われるか…!」
  「関係ないさ。それに、みょうじも男子に人気なんだろ?俺も何言われるかわかったもんじゃないな」
  「いや、そんなことないし!そもそもわたし、自分の人気とか知らないし!というか、豪炎寺くんとこんな話してるのがおこがましい…!」


 真っ赤な顔でわたわたと慌てるみょうじ。その姿はどこか幼い。そうか、こんな顔もするのか。ころころ変わる表情が可愛らしくて、ずっと見ていたくなる。話しかけることがなければ、知らなかったみょうじの一面。もっとみょうじのことが知りたい。彼女のいろんな顔を見てみたい。


  「はあ…こんなところ、誰かに見られたらファンのみんなにシメられます…」
  「いいんじゃないか、バレたって」
  「え、ちょっと…!」
  「俺は本気だぜ?」


 今はまだ友達でも、行く行くは付き合いたいと思う。
 そう伝えれば、みょうじは金魚のように口をパクパクさせた。その表情に満足した俺は、踵を返してグラウンドへと歩みを進める。

 そういえば、音無のやつ、新聞部っていってたな。サッカー部と陸上のエースの熱愛か。スクープされるのも、時間の問題なのかもしれない。その時は転校してきた頃のように、また騒がしい毎日が始まるのだろう。そんな中で彼女とふたり、誰にも知られることなくこっそり視線を交差させる日々を思えば、それはそれで楽しいのかもしれない。
 ふいに足を止めた俺を不思議に思ったのだろう。彼女は「あの…?」と小首を傾げている。その姿がまた可愛くて、みょうじにそっと微笑めば、これでもかというくらい顔を真っ赤に染めていた。



(かくれんぼ)
無意識の一目惚れに気付くとき


凾ォみとなら週刊誌に載ってもいい
豪炎寺修也(inzm)
180708 / title by 魔女