洗面所の方から水音が聞こえてきた。ああ、起きたんだ。ちらっと時計を見てみれば時刻はまだ6時前。休日なのに、相変わらず忙しいひとだ。まあ私もパソコンと共に一晩を過ごしたわけだから人のことは言えないのだけれども。


「おはよう、せーてー」
「ここでその呼び方は止めろ」
「はいはいわかってますよーだ」


ずっと同じだった体制を崩すように両手を組んでぐぐーっと上に押し上げた。直後、視界の端からエメラルドグリーンが入ってくる。「この間頼んだ資料か」「そ。早く使いたそうだったからね。あと30分もあればできるよ」「徹夜までさせて…すまないな」「なに謝ってんの。睡眠5時間も満たない人が」苦笑しながらデータを保存して一旦休憩に入ることにした。そこで何時間かぶりに椅子から立ち上がったことに気づいてもう一度背伸びをする。ううーん、これはあとで身体にきそうだな…。


「すぐに朝ご飯作るね」
「いや、もうすぐ迎えが来るんだ」
「うわあ、今日は特別忙しいんだね」


真っ赤なスーツを身に通し、じゃらじゃらとしたアクセサリーをつける彼の背中に声を掛ければ、まあなと随分素っ気ない返事が返ってきた。そのまま凛とした表情に切り替わる。『聖帝・イシドシュウジ』の完成だ。あ、これはもう頭のなかは仕事のことでいっぱいだな。もしかしたら今の私の話も聞いてなかったりして。
そんな彼を尻目に、私はとことことキッチンに向かう。目的は昨日の夜のうちに作っておいたサンドイッチを取りにいくためだ。シンプルなケースと最近常備しはじめたサプリメントを袋の中に詰める。あと疲れた時のためにチョコでも入れといてあげようかな。うわ、なんだか愛妻弁当みたいだ。別にあの人の妻になった記憶はないけれども。あとはペットボトルのお茶を揃えれば完璧だ。


「はい、これどうぞ」
「わざわざすまないな」
「いーえ。お腹すいた時に食べてね」


ブーツを履き終えた彼にいつもみたいに玄関でお弁当を渡す。「じゃあ行ってくる」「はい、いってらっしゃい」そのままいつものように頑張ってねーと言って見送ろうとした、けれども。


「…なまえ、」
「ん?どうしたの」


ドアノブに手を掛けたかと思えば急にこちらを振り返った彼。いつの間にか雰囲気は『豪炎寺』に戻っていた。なんだろう、何か言いたげだけど。「その…」「なに?」「…は、」「は?」ああもう焦れったい、はっきりしろよー!なんて肩を叩きそうになったその瞬間。


「ハンバーグが、食べたい」
「へ?」
「き、今日の夜…」
「……ぷっ、」


なにこの子かわいい。思わずクスクス笑ってしまった。「な、そんなに笑うな!」「ごめんごめん、めずらしいからつい…」未だに笑いは止まらないけれど、そんな中でも“豪炎寺どうしたの?”なんて言葉は飲み込んでおく。めったに甘えない彼からのお願い。もちろん聞いてあげるに決まってるじゃないか。


「ハンバーグだけじゃなくてほかにも好きなものいっぱい作ってあげる」


だから今日は早く帰ってきてね。
ようやくおさまった笑いのあとに一つ呼吸をして、彼に優しく笑いかければ視線を反らしながらも照れ臭そうに笑ってくれて。「…ああ」「いってらっしゃい」「ん、いってきます」こういうのを束の間の幸せっていうんじゃないかなあなんてどこか遠くで思った。

さてと、まずはさっきの資料を完成させて。ちょっと遅い睡眠をとってから溜まりに溜まった洗濯物と食器を片して。それから買い物に行って夕飯の準備をして。そうやってゆっくり彼の帰りを待つことにしよう。波乱の毎日を生きる私達だけど、たまにはこんな風にのんびりとした時間を過ごしても…いいよね?









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友達以上恋人未満でとにかく忙しい2人の生活を書いてみたくなって結果こうなりました。2人がいるのはフィフスの極々一部の人間(味方の虎ちゃんくらい)しか入れないマンションの一室みたいなところをイメージしてみましたという裏話。もっとぶっちゃけちゃえば聖帝に「ハンバーグたべたい」を言わせたかっただけという裏の裏話(=本音)。