ドキドキ、どきどき。自分の鼓動が身体中に響く。こんなに忙しなく脈打つことなんて早々ない。それだけこの日は俺にとって大切だった。

1月27日、花巻貴大誕生日。もうすぐ訪れる年に一回のイベントは過去17回行われてきたものとは自分の中で少しだけ意味合いが違っていた。…そう、初めて彼女がいる誕生日を迎えるのだ。家族やチームメイトにお祝いされるのももちろん嬉しい。でもちょっと甘酸っぱくて擽ったくなるような誕生日に今まで憧れなかったと言ったら嘘になる。そしてもうすぐ、それは現実となるはずなのだ。…受験というトラップが邪魔さえしなければ。

バレー部を引退した後、俺はすぐ推薦で大学を決めた。東京の大学だった。彼女もまた、以前から東京の大学を受験することになっていた。上手くいけば向こうで関係を続けられるかもしれない。こうして俺たちの周りを渦巻く不安のうち、ひとつはわりと簡単に解消された。
が、その皺寄せだろうか、進路の決まった自分と瀬戸際に立たされた彼女とではやはり生活リズムに少しずつ変化が生じた。無意識のうちに彼女に対して気を遣うようになった。気づけばメールすることすら億劫で、下校中の僅かな時間がクラスの違う俺たちが取れる唯一のコミュニケーションとなっていた。本音を言えばもっと彼女に触れたいし、彼女に甘えたい。そして彼女にも同じくらい甘えてほしい。頼ってほしい。そんな思いからちょっぴり欲求不満になることもあった。それでもやはり彼女の頑張りが実を結んでほしいとも思ってしまう。なんて自分勝手なのだろう。そのさみしさと自らへの憤りを紛らわすために、ここ最近では数ヶ月くらい堪えれると自分に言い聞かせ日々を乗りきっていたのだが。

でも、今日はちょっと特別な日。受験の重荷にはなりたくないけども、今日くらいは俺の小さなわがままをきいてほしい。
ほんの一言でいい。一番でなくていい。ただ、君のおめでとうっていう言葉があるだけでいい。それだけで俺はバカみたいにどこまでも舞い上がれるんだ。

0時ジャスト。一番に届いたのは松川からのメールだった。僅差で及川、数分後に岩泉。バレー部の他の同輩や後輩からも次々とお祝いメールが届いた。が、肝心のなまえからのメールが来ない。もう少し、もう少しだけ。そうやって粘りながら、そわそわした気持ちでベッドで寝返りを打ち続ける。未だ鳴り止まない自らの心臓とともにたった一通のメールを待ち焦がれていた。








バクバク、ばくばく。久々の全力疾走はなかなかきつい。誕生日に寝坊なんてなかなかついていないかもしれない。
あれから華麗に寝落ちした俺はアラームのかけ忘れにより過去最悪レベルの寝坊をした。慌てて制服に袖を通して、そのまま学校までひたすらダッシュ。朝食を逃したが、代わりに予鈴には間に合うことができた。(サボると後が怖い鬼教師の授業が一限目っていうのはこういうときホントに苦痛でしかない。サボりの対象がたとえ進路確定者であろうとも容赦しないなんて…。)

授業用の教室へ直行していると、たまたま、なまえのクラスの前を通った。


「マッキーおはよ!おたおめー!」
「朝から元気だね、及川。ありがと」


ひょこり。大男が爽やかな笑顔とともに扉から顔を出した。なんとなくむかつく顔だったので、一つデコピンをかましておく。


「イダッ!!なにするの!?」
「なあ、なまえいる?」
「スルー!?まあいいけど…ちょっと待ってね、っと」


教室の中へと姿を消して思いのほか時間をかけた後、及川は扉のところへ戻ってきた。なぜか浮かない顔をしている。果たして彼女になにかあったのだろうか。そう考えただけで一気に不安な気持ちに襲われた。


「ね、なまえはどったの?」
「見当たらないんだよ。…ねえマッキー。今日、もしかしてみょうじさんと連絡取ってないの?」


みょうじさんがサボりって考えられないし、この時間にいないってことは多分今日休みだよ。風邪でも引いたんじゃないの?
その言葉をきいて突如俺はいたたまれない気持ちに襲われた。連絡を取る機会が減ったことでなまえの一大事すら把握できていない可能性に気づいてしまったからだ。いくらなんでも酷い。冷たい彼氏だと誤解を受けてもおかしくないくらいだ。
それに、結局朝になってもメールが届かなかったのは受験勉強で忙しいからではなく、体調不良が原因かもしれないという考えに至ったのも今が初めてだった。それが本当だったとしたら仕方ない。最優先すべきなのはしっかり体調を整えて受験に臨むことだ。
なんでもう少し彼女のことを考えられなかったのだろう。いくら特別な日だからって浮かれすぎだ。そんなふうに自己嫌悪に陥る中、聞こえたチャイム音。


「…え、これ予鈴だよね」
「え、本鈴だよ!」
「…はあ!?」


俺の気づかないうちにいつの間にか予鈴は鳴っていたらしい。ギリギリ間に合うはずの予定が思わぬ出来事の連続で狂ってしまった。現在地から目的地まで、約2分。…ダメだ完全に間に合わない…。あれだけ走った意味がなくなった俺は、いろんなやるせない気持ちをもう一度及川の額にぶつけた。


放課後、なまえに『体調不良?お大事に』とメールを送ってから、後輩に連れられて久々に部室へ足を踏み入れた。そこには懐かしい後輩たちと何故か及川がいた。(こいつも推薦合格してることには後で気づいた。)部室の中央には山積みされたシュークリームと飲料水、スナック菓子。月曜オフということもありどうやらささやかな誕生日会を開いてくれるらしい。なまえと同じく受験真っ最中の岩泉と松川はこの会に参加できない代わりに、メールで改めておめでとうと送ってくれていた。
みんなの思いはとてもうれしいものだった。久々の野郎共との馬鹿騒ぎはスカッとする楽しさがあった。
が、完全に心は満たされない。その理由はもちろんわかっている。改めて自覚してみると情けない話だ。その思いは胸の奥の方でチリチリと蝕んできていた。








ズキズキ、ズキズキ。日付が変わる30分前になってもおめでとうという言葉も夕方の返信もなにも連絡はこなかった。やっぱり彼女はメールが打てないほど具合が優れないのだろうか。あるいは多忙な毎日を送っていく中で自然と俺の誕生日は忘れられていったのだろうか。いずれにせよこれは自分自身も知らなかった、自分の隠れた冷たさが招いたことだ。今さら彼女が心配で仕方ないなんて、なんて狡いんだろう。
こんな気持ちになるくらいなら、夕方電話してみればよかった。返信はいいからって伝えて、少しずつ簡単な内容のメールをする癖でもつけとけばよかった。そしたら彼女の無事がわかって安心できたのに。今より幾分か彼女のことを繋ぎとめれたかもしれないのに。後悔先に立たずとはまさにこのことだ。

さて、そろそろ日付も変わる。彼女との関係が今後どうなるかは次に彼女と会ってみないとわからないし、今はとりあえず詰みかなあと布団にこもろうとした頃。
聞き覚えのあるメロディが流れた。どっきん、心臓が大きく跳ね上がる。まさかこのタイミングで電話がくるなんて夢にも思わなかった。震える手で操作をする。


「…もしもし、なまえ?」
「もしもし、花巻くん。こんばんは、なまえです。遅くにごめんなさい」
「いや大丈夫、むしろ安心した…体調大丈夫?」
「え?…ああ、大丈夫だよ。ねえ、今外に来れる?」
「え、どこ」
「…実は、花巻くん家の前なんだ」
「…え?…は!?」


シャッ、と小気味よい音と共にカーテンを開く。窓から見下ろすとそこには確かに小さく手を振る彼女の姿が見えた。意味がわからない。風邪気味なのになんで外に出てるのとか女の子が遅い時間に外歩いちゃ駄目デショとか、言いたいことはいっぱいある。が、とりあえず自分のコートとマフラーを鷲掴んで素早く玄関に向かう。


「こんばんは、遅くにごめんなさい」
「こんばんは、じゃないよ。どうしたの、こんな時間にそんな大荷物抱えて。風邪引いてるんデショ、受験真っ最中なのに駄目じゃん」


言いながら俺は自分のマフラーを彼女に巻いて、コートを肩に掛けた。俯き気味な彼女に目線を合わせて、頭をぽんと軽く撫でる。…あ、こうして触れるのも久々だ。そう思うと愛おしい気持ちと切ない気持ちが混ざり合い、きゅっと胸が締め付けられた。


「…えっと、さ。長くなるけど順を追って話してもいい?」
「うん」
「…まずね、わたし、風邪引いてないの」
「…は?」
「連絡できなかったから心配させちゃったよね…しかも今日休んでたし…誤解させてごめん」
「いや、まあ…でも大丈夫にこしたことないし、うん、大丈夫だけど」



では何故彼女が休んだか。それは本命試験に行ってきたかららしい。そのために本気を出してたため最近はスマホすらあまり見てなかったようで、夕方送ったメールもつい先ほど気がついたみたいだ。
しっかり自分で説明してくれるおかげで今まで絡まっていた謎がするりとほどけていく。とてもすっきりした気持ちになった頃、シュンとした彼女をゆっくり確かに抱きしめて受験お疲れさまと労いの言葉をかける。耳を朱色で飾りながらきゅっと抱きしめ返してくれるところをみると、ああ、気持ちが離れていった訳ではなさそうだとひどく安心した。


「あとね、」
「うん」
「…お誕生日、おめでとう」


ギリギリ間に合ってよかった。そう照れ笑いする彼女とは反対に俺は驚きのあまり固まってしまった。そのせいで「…あれ、間違いだった?」と彼女を慌てさせてしまう。


「違う違う!びっくりしたの。まさか覚えててもらえたとは思ってなくて…」
「すきなひとの誕生日なんだよ?覚えてるよ。ちゃんと伝えたくて、誤解もちゃんと解きたくて。だから駅から直接お邪魔しちゃった。すっごい走ったんだよ?」


えへへと笑う彼女をもう一度抱きしめなおし、俺も自分の思いを伝えていく。今日はなにかと考えた一日だったからな。重荷になりたくなかったことも、さみしかったことも、初めて彼女がいる誕生日を迎えて浮かれていたことも、そのせいでつい中田の授業に遅刻したこともすべて打ち明けて。そうして口をついた言葉は胸の内を渦巻いていた自身の最大の不安だった。


「…気持ち離れてたらどうしようか、焦っちゃった」
「………」
「ただ気を遣ってメールもなにもなしじゃ冷たいよなあって。もっと大切にしなきゃだめだよなって、情けない奴だなってすごい反省してさ、」
「花巻くん、ストップ」


今まで相槌を打ちながら聞いてくれていたのに、急に制止の声を上げた。じっと見上げる瞳とその声の強さに続けようとした言葉は飲み込まれる。なにか嫌な展開になるんじゃないかという不安から、なに?と訊いた声は少しだけ掠れていた。
それなのに、俺の予想とは裏腹に彼女は「花巻くんはやさしいよ」とふわりと微笑むのだから、ああ、今日は本当に思考がついていかない。心臓がまたバクバクいっているのがわかった。


「今だってこうして温めてくれてる。花巻くんなりに気遣ってくれるの伝わってるよ。簡単には別れないから、そんなに自分を責めないで?」


それに浮かれることは誰にもあるよ。わたしもね、今ちょっとそんな気分なの。
いたずらっこのように笑って、さっきより強くぎゅうっと抱きついてきた彼女に俺は一瞬で救われた気持ちになった。彼女の温もりが身体に染み渡り、心音もだいぶ穏やかなものに変わっていく。ほっと息を吐くと、彼女はそんなに不安だったの?と呆れ気味に笑った。ああ、これだから俺はいつまで経っても彼女から離れられないんだ。


「今日さ、実は親旅行中でいないんだよね」
「…明日、中田の授業は?」
「ないよ。ね、少しくらいハメ外してみない?」


いたずらっこには悪戯で返して。そうやって遊んでみると「花巻くんは外しすぎ」となまえは可笑しそうに言った。すごくしあわせな気持ちでいっぱいで、寒さも忘れて二人でクスクス笑いあう。

誕生日に寝坊したり全力疾走したり不安な気持ちになったり最後にもらったおめでとうがなまえからのものだったり。こんなに中身の濃い誕生日になるとは夢にも思わなかった。きっと俺はこの日のことをずっと忘れないだろうと、彼女の柔らかい唇に触れながらそっと確信した。


しばらくして彼女のもとに合格通知が届いた。本命大学への合格だった。驚いたことに互いのキャンパスがわりと近いことを知り、彼女があんなに本命に拘った理由の一つに俺がいたことがどうしようもなく嬉しかった。
冷たい時期を乗り切った末、ようやく二人の間に訪れた春は今、満開の花を咲かせた。彼女のことが好きで好きで仕方のない俺の心臓は今も忙しなく動き続けている。


剩q啓 僕の煩い心臓
花巻貴大(HQ!!)
140127 / √3さまに提出
マッキーお誕生日おめでとう!