◎スパイ発覚



「土門くんの様子がおかしいの」


周りの変化に敏感で、なおかつ彼の幼なじみでもある秋がそう言ったからには私はさらに目を光らせておく必要があった。そしてここ数日で思ったこと。今までの土門くんとは何かが違う。何を考えているのかは未だによくわからなかったけれど、何かを企むような怪しい感じがするというよりはじっと考え事ばかりしている感じがすると言った方がしっくりくる。


「(どういう風の吹き回しだろう…)」


その答えを知るのに、そう時間は掛からなかった。



▽ △ ▽ △



「春奈、記録を。音声は私が録るから」
「う、うん…!」


ポケットに入っていた愛用のiPodを取り出しながらいつも以上に真剣な声で春奈の耳元にそっと指示を出した。よかった、この一大事に新聞部の部員がいてくれて。夏未がいるとはいえ、これでさらに確実な証拠もとれるし学校側にも報告しやすくなるだろう。目の前の光景をじっと睨み付けながら私はそっと前に出た。


「冬海先生、バスを動かせないのは貴方自身がバスに細工したからではありませんか?この手紙にあるように!」
「……ク…ッ……」
「……!」


手紙。それを聞いてピンときた。告発したのは、土門くんだ。これはつまり、自らの手で帝国を裏切ったということになる。そうか、それで最近彼の様子がおかしかったんだ。
みんなが動揺を隠せない中、私はちらりと後ろに視線を向けた。でも…何故?彼は今まで雷門の中で何かを探っていたんじゃないの?おそらく「あの人」と繋がって裏で連絡を取り合ってたんじゃないの?わからない。彼の行動が、心理が読めない──。


「答えてください、冬海先生!」


夏未の声でハッと我に返った私。そうだ、今はそれどころじゃない。
気付けば壊れたように笑いながら車を下りた先生が目の前にいた。そのままブレーキオイルを抜いただとか、私達を大会に出させると困るだとかなんとも酷いことを言い始める始末。そしてその話を聞いていて思った。…ああ、先生が最も恐れているのはクビなんかじゃない。


「帝国の学園長か?帝国のためなら生徒がどうなってもいいと思ってるのか!?」


私の思いを代弁するように修也の言葉が入った。その強い口調からいつもクールな彼がどれだけ怒りに満ちているのかがうかがえる。それでもなお“君達はあの方がどんなに恐ろしいかを知らない”という先生にはもう話も何も通じないことがわかった。「ああ、知りたくもない!」「貴方のような教師は学校を去りなさい!」これで先生が素早く立ち去ってくれれば、私はこのあとこっそり土門くんに事情を聞くことができたのに。雷門のみんなが、土門くん本人が傷つくことはなかったのに。醜い人は、どうやら最後の最後まで醜いようだ。


「しかし、この雷門中に入り込んだ帝国のスパイが私だけと思わないことだ」
「え……?」
「──ねぇ、土門君?」


それは私の中の1つの可能性が確信に変わった瞬間だった。こんな状況じゃなければ、きっと今ごろ土門くんに事の真相を突き止めていただろう。
だけど今、私の怒りの矛先は彼ではなく冬海先生に向いている。理由は簡単だ。
顧問の先生が、一緒にプレーしていた仲間がスパイだった。みんなにとってこんなにショックなことはないと思う。もちろん、スパイなんてやっていい訳がない。でも、もっとやっちゃいけないのは仲間同士で訝しげあうこと、傷つけあうこと。それをこの人は軽々と仕向けてきたんだ。
今まで黙っていた私がついに口を開いたのはこの時だった。


「…“目には目を、歯には歯を”っていうわけ……?」
「ハァ?」
「いい加減にしなさいよ!自分がどれだけ汚いことやってると思ってるの!?いい歳して恥ずかしいとは思わないわけ!?」
「フッ、汚いこと…ですか」
「惚けないで!私達の仲まで壊して何がしたいのよ!」
「真央、落ち着け!」
「離して、修也!」


我を忘れて冬海に詰め寄る私を、みんなはただただ見つめている。きっと私がこんなに感情を露にしたのは初めてのことだったから心底びっくりして動けないのだろう。そんな私を知っている唯一の存在、修也でさえ必死に止めに入ってくれても私の怒りは簡単におさまることはなかった。


「おやおや、荒れてますね」
「誰のせいだと…!」
「そんなこと言って、いいんですか?」
「いい加減にしないと、」
「あなたは結局何もわかっていない。一体、私がどこから来たスパイだとお思いで?それとも、私が何も知らないとでも?」
「………!!」


ハッと息を飲めば、目の前の顔が勝ち気に笑うのがわかった。「…何を知ってる」「おや?今、この場で言ってもいいんですかね」さらにニヤリと笑う冬海。なんて卑怯なやつなんだろう。
「…真央?」後ろから聞こえた円堂の声。振り向けばチームメイト全員の不安そうな顔があった。「あ…」まずい。このままだと今まで隠してきた意味が、慎重に動いていた意味が全部なくなる。それどころかみんなの私への信頼も、さらには春奈への信頼も失い兼ねない。勝手に私が動いてただけなのに、大事な妹が傷つくなんてそれこそ堪えられない…!


「今までタイミングがなかなか掴めなかったのですか?なら、私の方から皆さんにお話して差し上げますよ」
「! 止めて!」
「最近、あの方のお気に入りが酷く雷門に執着なさっていると聞きましてね?どうやらその理由は選手だけに留まらないようなんですよ」
「止めてってば!」
「さらには貴女はデータ収集が得意ということをカモフラージュにして、どうやら最近は帝国のことばかり調べているそうじゃないですか。それもある1人の選手のことばかり。まあ、これは土門君からの情報ですが…」


みんなが急な展開で頭がついていかない中、愉しそうな声色で冬海はどんどんと話を進めていく。そんな彼を私は必死になって止めようとするのだけれども、次第に身体が、声が震えて始めてあまり意味をなさなくなっていた。私自身が完全にパニックに陥っていて、頭が正常に働かないのだ。
真実を知った時、一体みんなはどんな反応をするのだろう。事態が混乱していく中で「私達」の関係はどうなってしまうのだろう。相手が因縁の相手・帝国学園のあの選手と知った時、修也は一体どう思うのだろう──。全てが考えただけで、怖かった。


「皆には黙ってこっそりと土門君を生かしておく…よくもまあ私のことを汚いと言えたものだ。貴女だって十分汚いじゃないですか」
「ちがう!」
「違わないですよ。彼に対してよく鋭い視線を向けていたのも、あるチャンスを狙ってたのではないですか?」
「…やめて、」
「──何せ貴女は、」
「やめて…!」
「冬海先生!」


突如入った鋭い声。それは意外にも私のだいすきな彼の声ではなかった。


「いくらなんでも、プライバシーっていうもんがありますよ」
「……土門、くん…」


…嘘、何で土門くんが私のことを庇うの?何で彼の口から“プライバシー”っていう言葉が出てくるの?そんなのもう私達の事情を知ってますって言ってるようなものじゃない。そもそも、修也にすら詳しく話したことがない事情を彼が知っているの──?
混乱した頭で考えても答えにはたどり着かなかった。そうこうしているうちに冬海は夏未に再度促されて高笑いしながらこの場を去っていく。残された私達には、ただ不穏な空気だけが流れていた。