02. シュガーボーイとスパイスガール

天井が見えないほど高いのに、どこか息苦しいのは何故だろう。要塞と呼ばれる学園の通路を歩きながら、俺はどこか遠くで思う。カツン、と響いては闇に消えていく俺と担任の足音。ただ教室に向かっているだけなのに、あまりに堅く冷え切った空気に飲まれて、思わず自分が何をしているのかわからなくなりそうだ。

声を掛けるまで、ここで待っていなさい。
そう淡々と呟いて担任は教室に入っていった。
聞きなれたはずのチャイムの音ですら、どこか遠くに感じる。雷門とは全く違う雰囲気。果たして俺は本当にここでやっていけるのだろうか。いや、やるしかない。そのために俺はここに来たのだ。自分自身に何度も言い聞かせたこの言葉。大丈夫。大丈夫だ。
ふう、と一つ息を吐けば、担任の声が聞こえた。不安と緊張に苛まれながら、俺は重々しい扉を開く。校門を潜るまで見ていたはずの太陽の光が随分と懐かしく感じた。



・・・☆・・・



緊張の自己紹介は、佐久間のおかげでなんとか乗り切った。休み時間になれば、噂を聞きつけたサッカー部員がわらわらと集まってくる。懐かしい顔触れに俺も自然と笑顔がこぼれた。


「それにしても、風丸、相変わらずの爽やかっぷりだなあ」
「いや、そんなことはないさ」
「モテるのも時間の問題かもな!」
「おい、辺見。口を慎め」


からかうように辺見が笑えば、佐久間が眉間に皺を寄せたのを俺は見逃さなかった。それだけではない。どこか、ピリッとした空気が教室に流れた。突然の変化に動揺が隠せない。佐久間の叱責の意味が分からず、俺は僅かに狼狽えた。


「落ち着けよ、佐久間。風丸が驚いてるぞ?」
「…すまない、風丸。お前は何も悪くないんだ」
「いや、大丈夫だ。…一体、どうしたんだ?」


バツが悪そうな佐久間。そんな彼を見かねて、源田が事情を説明してくれた。
要するに、帝国では騒がれることが好まれないこと。そして、サッカー部では恋愛は以ての外ということ。だから誤解を与えないように、自然と浮いた話は避けてしまうということ。そういう訳だった。どうりで今までマネージャーに女性を見かけなかったわけだ。佐久間もキャプテンとして示しを付けなければいけないのだろう。ファンクラブもあるくらい騒がしかった雷門と比べて、ここは随分と落ち着いた学校なのだと察した。しばらくの間は少々、気を遣って過ごさないといけないのかもしれない。


「しかし、つまんないよなあ。恋愛禁止って。お前もそう思わないか?愛実」


愛実と呼ばれたその少女は、気怠そうにこちらを向いた。茶色いショートヘアに透明感のある肌。切れ長の瞳と長い睫毛が綺麗で思わず見惚れそうになる。そんなことはつゆ知らず、彼女はのんびりと辺見に応える。


「へえ、恋愛禁止なんだ。知らなかった」
「は!?お前、相変わらずだなあ…」
「だって、わたしには関係ないし」


そう言って彼女は机の上に突っ伏した。
源田が「だらしないぞ、神崎」と注意してもぴくりとも動かない。聞く耳持たずと言わんばかりの態度だ。


「あいつのことだ。次の授業はどうやって上手いこと寝ようか考えてるんだろう」
「もう寝てるけどね」
「ほんと、相変わらず変わってるよなあ」


皆の声を聞きながらもう一度彼女を見つめた。すうすう、微かな呼吸の音がする。肩がゆっくりと上下するのを見て、早くも眠りについたのがわかった。陽の光を浴びながら、のんびりと昼寝をする彼女。黄味がかった茶色い髪と相まって、まるで三毛猫のようだと思った。
帝国らしからぬマイペースさとアンニュイな雰囲気を持ち合わせた神崎愛実さん。今まで出会ったことのないタイプだ。不思議と気になったのは、きっと俺の中で留めておいた方がいい秘密なのだろう。


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