03. なまえの付かないあなたとわたし

やられた。めんどくさい教師の授業で寝てしまった。こいつの授業だけは寝まいと思っていたのに。だって仕方ないでしょう?ほどよく気持ちいい風が昼寝するのにぴったりだったんだもの。
はあ、と一つため息をこぼしながら、研究室の扉を閉じた。もう二度とこの教師の授業でバレる寝方をしないと誓う。首をぐるりと回していると、どこからか聞き覚えのある声でおつかれさまと労われた。その人物をみて、少しだけ目を見開く。噂の転校生、風丸くんだ。今日も碧色が爽やかに靡いている。


「おつかれさま。休憩?」
「ああ。呼び出しは終わったのか?」
「まあね。反省文、出さないといけないけど」
「それは厄介だな…」


佐久間から聞いた話によると、彼はどうやらサッカー古豪校でスタメンとして活躍していたらしい。それだけでも充分注目されるのに、この爽やかさが相まって学校中の乙女たちは今、密かに彼の話題で持ち切りだ。
もともと顔面レベルの高かったサッカー部に、さらにイケメンがやってきた。かっこいい。好きな人はいるのか。でもサッカー部は恋愛禁止だからもどかしい。
渦中にいる彼は果たして、彼女たちの熱い視線に気づいているのだろうか。


「…そういえば、神崎さんってよく寝てるよな」
「…え?」


突然のことに思わず間抜けな声が出た。見てたの?と訊ねれば、彼は「あれだけ寝てればな」と今日の授業を思い出したのか、クスリと楽しそうに笑った。どうやら周りの視線に気づいていないのはわたしの方だったらしい。あまり話したことがない彼に見られていたことに、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。

他愛もない会話をしながら気づく。そうだ、彼とこうして話すのは初めてだ。クラスが同じでも今まで大した関わりがなかったから、わたしの存在すら知らないと思っていたのに。言ってしまえばわたしたちはクラスメイト以下の関係だ。突き放すような鋭い言い方が嫌でもう少しニュアンスを変えたいけれど、2人の繋がりを表すぴったりな言葉が見つからなくてもどかしい。
そんなわたしたちの会話なんて、誰とでも話せるような味気ないものにしかならないと思っていたのに、案外サクサク会話が進んでいく。…不思議。わたし、コミュニケーション取るの得意じゃないのに。会話が宙ぶらりんになったらどうしようと思ったのは、どうやら杞憂だったようだ。


「あんまり寝てたら、授業ついていくの大変じゃないか?」
「いや、わたしそんなに成績悪くないと思う」
「へえ、意外だな」
「そう?まあ、そういう訳だから、お昼寝はちょっとくらい見逃してほしい」
「…総帥の前でも同じこと言えるのか?」
「………きつい」
「ははっ、だよなあ」


総帥の名前が出て、ふと、どうして彼は帝国に来たのだろうと思った。古豪に満足できなくなったのか?家の都合か?はたまた前の学校が合わなかったのか?様々な憶測がぼんやり浮かんでは消えていく。それなのにどれもしっくりこなくて、もやもやとした気持ちは消えず、ついにわたしは訊いてしまった。


「ねえ、なんでうちに転校してきたの?」
「ああ、そういえば詳しく言ってなかったな。サッカーのためさ」


古豪のはずの学校が廃部寸前の弱小校で、それでもたくさんの特訓をして、最後は日本一になったこと。それなのに世界は広くて、太刀打ちできないほど差があることを知ったこと。サッカー強化委員として、日本のサッカーを盛り上げていること。そうして彼はこの帝国にきたこと。
ときに楽しそうに、ときに辛そうに、ときに意志の強い瞳で彼は語った。

事の端末はわかった。日本一やら世界やら、壮大な話だなあと思った。
だけれども、なぜ彼がそんなにサッカーに情熱を傾けるのか。
わたしにはイマイチ理解できなかった。


「…神崎さん、あのさ、」
「なに?」
「いや…、神崎さんって本当に勉強できるのか?」
「まあ、問題ない程度にはできると思うけど」
「そうか。…実はさ、俺、この学校に強化委員として来たのはいいものの、勉強の水準が高すぎて、ついていけるか不安なんだ」
「へえ」
「こんなこと、神崎さんに頼むのも気がひけるんだけど、俺に勉強を教えてくれないか…?」
「え、ごめん。厳しい」


正直に言えば、めんどくさい。彼がどのくらいの学力なのかもわからないし、わたしは感覚派だから教えるのも苦手だし、そもそも顔見知り程度の彼に自分を時間を割いてまで教えることに抵抗を覚えた。
口には出さなかったのに、顔には出てしまったのだろうか。風丸くんは、だよなあ、と苦笑いしていた。ごめんね、わたし、自分のことばかりだね。


「サッカー部の誰かじゃ駄目なの?」
「前に教えてもらったんだが、レベルが高すぎて何言ってるのか理解しきれなかったんだ…」
「え、じゃあなおのことわたしじゃ無駄じゃない?わたし、教えるの苦手だよ」
「試してみないとわからないだろ?なあ神崎さん、だめかな?」
「えー……」
「もちろん、お礼はする。神崎さんのお願いならなんでもきくから」


お願いします、と懇願する彼の顔は本当に困っているようだった。…仕方ない。迷子の子犬みたいな風丸くんを放っておくほどわたしも冷たくない。それにしても。


「…イケメンはずるいな……」
「え?」
「いや、なんでもない。いいよ、時間がある時みてあげる」


そう答えれば彼は、本当か!?とパァっと嬉しそうに笑った。…うん。女の子たちが騒ぐ理由が少しわかったかもしれない。あざとい。あざといよ、風丸くん。

何はともあれ、こうしてわたしたちの間に不思議な関係が生まれた。
さて、貴重なお願い、何に使おうかな。


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