そこにきみがいないなら


サッカーを奪わないで。
あなたのために、この言葉を何度口にしたのだろう。
燃えゆるような赤いスーツを見つめながらぼんやりと思う。

赤はあなたのすきな色だったね。
それなのにどこか他人のように思うのは、肩までかかる長い髪と大きなアクセサリー、そして決意に満ちた鋭い視線が歪に見えたから。
わたしの知る豪炎寺修也はたった今、消え去ったのだ。

こんなにもサッカーを愛しているのに、不運にもサッカーは何度もあなたから離れていったね。
だからこそ、あなたにはその苦しみが痛いほどわかるはずなのに。
サッカーを支配すると呟く彼。
目に見えない圧力がたしかにわたしを押し潰そうとする。

「聖帝」の誕生。
わたしは一粒の涙をこぼしながら、不覚にも彼にこの言葉を投げるのだ。


「サッカーを奪わないで」












昔はよくここで特訓したな。河川敷に集まった懐かしい顔ぶれを見て物思いに耽る。
長い時間を経て、サッカーを取り戻した今日、ここで一人の人物を待っていた。
しばらくすれば遠くから颯爽と歩く一人の男の姿が見えた。長い髪をひとつに結わえ、随分とカジュアルな格好をしている。その姿をみて、みんなが一斉に駆け寄る。
待ちに待った「豪炎寺修也」の帰還だった。

みんな口ぐちにおかえりと声をかけている。気付けば彼はみんなの中心で照れ臭そうに笑うのだ。
この光景も何度も見たな。変わらないことが嬉しくもあり、悔しくもある。

遠くで子供たちが楽しそうにボールを蹴っていた。その笑顔をみて安心すると同時にチクリと胸が痛む。
サッカーの未来を守れた。これでよかった。そう思うのに、彼自身の未来が捨てられたことが未だにショックで、わたしは今回の件の全てを受け止めきれていなかった。

豪炎寺は昔から自分をあまり大切にしなかった。
自分を押し殺してまで他人を優先することが彼の優しさだと知りながらも、わたしにはその優しさがときに痛くて苦しくてたまらなかった。
もっと自分本意になればいいのに。それができないところが豪炎寺修也であり、彼のひとつの正義でもあるのだろう。

わたしはずっとその正義を捻じ曲げてやりたかった。
しかしながら、果たせなかった結果が彼のプロでの活躍に突然のピリオドを打たせたのだ。
選手生命が絶たれた事実。サッカーができない辛さを誰よりも知りながら自らの手で押し付ける惨さ。そして何より彼自身の正義を知りながら、革命の本質に気付けず、彼だけにヒール役を背負わせたわたしの愚かさを、わたしはずっと許すことができなかった。

気付けば目の前に彼がいた。
無口なのに顔に出るところ変わってないね。
後ろめたさが隠しきれていないよ?
みんなが心配そうにこちらを見守る中、わたしたちはしばらくの間、ただただ無言で向かいあった。

あなたが帰ってきたら言いたいことがいっぱいあった。
たくさんの罵声を飛ばして、泣き喚いてやりたかった。
それなのに、不思議だね。頭の中を占めるのはこんなことばかりなの。

身長、前よりもずっとずっと伸びたね。
顔立ちもずっと大人びて、色気が増した。
それから相変わらず赤がお好きなようね。下品なスーツ姿よりラフなジャージとジーンズ姿の方がずっとずっと似合ってるとは言ってやらないんだから。

おかえりなさいが素直に言えなくて、ごめんね。
だけれども、本当に伝えたい言葉はありがとうでもおつかれさまでもない気がする。

…ねえ豪炎寺。もう自己犠牲は止めようよ。
サッカーができる素晴らしさを知るあなたがこの場にいなければ、この革命をやった意味はないとわたしは心から思うのよ。

どうか、神さま。
彼の正義を変えられない非力なわたしに代わって、叶えてほしい。


「…あなたから、サッカーを奪わないで」


ようやく絞り出した言葉に驚いたのは彼だけじゃなかった。
本当、いつまでこの言葉に頼らなければならないのだろう。
けれどもこの一言に全てが集約されている気がして、わたしは再びその言葉を紡ぐ。豪炎寺は息を呑み、ただただ申し訳なさそうにそっとわたしを抱きしめた。