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Long Short



「浜浦、おまえ明日の朝から補習なー」

 マジっすか先生。
 マジマジ。だっておまえ小テストの結果悪すぎ。笑えねーよ。

 担任である英語教師とそんな会話をしたのがつい昨日のこと。つまりは今日から補習が始まる。
 朝から英語なんてやりたくないし見たくもない。それが私の本音ではあるが行かないわけにはいかない。

 何時もより一時間ちょっと早く起きて、空いてもいないお腹に無理矢理トーストを入れる。
 「行ってきまぁーす」と母親に声をかけ、まだ頭が覚醒しきらないまま外に出れば、思いの外肌寒い空気にぶるり、と震える。
 空を見上げれば、まだ白い。手袋をつけてくればよかったかも、なんて今更少し後悔をする。

「あれ、遥?」

 丁度私が家から出てきたのと同時に、向かいの家からも人が出て来た。

「周助、くん」

 思いもよらなかったその人の姿に私は思わず固まった。

「今日は朝早いんだね。どうしたの?」
「え、英語の補習があって……」

 恥ずかしい。補習だなんて。
 いたたまれなくなって語尾が小さくなる。
 けれども彼は特に気にした様子もなく、「そうなんだ」と言葉を返した。

「周助くんは、朝練?」
「そう。折角だから、一緒に行こうか」

 うん、と私は小さく頷いた。

 いつも登校する時よりもずっと静かな道を二人で歩く。
 私よりも少し高い位置にある周助くんの顔。周助くんは男子にしてはそんなに背が高い方じゃないけど、それでも女子の平均身長である私よりかは幾分かは高い。昔は、同じくらいだったのになぁ、なんて懐かしく思う。
 それにしても。こうやって、二人肩を並べて一緒に歩くのは、いつぶりだろうか。

 私と周助くんは家が向かいで、幼馴染だ。とは言え、私と周助くんはそこまで仲が良いわけじゃない。どっちかって言うと、私は周助くんの弟の、裕太との方が仲が良かった。
 周助くんは昔っから、大人びていて、しっかりしていて、どこか儚げで、私にとって少し近寄りがたい存在だった。
 周助くんは優しいし、頭も良いし、テニスだって上手い。だから私なんかが周助くんの傍にいるのはいけないような気がして。
 中学に入ってからも、女の子にもすごくモテるようになったし、天才少年なんて騒がれたりして、余計に。凄く遠い人のように感じていた。まるでテレビの向こうにいるアイドルみたいな。この人が私の幼馴染だなんて実感はあんまりない。
 そして裕太が寮に入ってからは、もう周助くんと顔を合わせることは本当に少なくなっていた。
 学校でも、私と周助くんが幼馴染だなんて知っている人は殆どいない。
 だから、周助くんとこうやって二人歩くのは、少し緊張する。

「英語の補習って、この前の小テストで悪かった人が受けるんでしょ? 遥、何点だったの?」

 どこか楽しそうにそう尋ねる周助くんに私はうっ、と答えにつまった。
 とてもじゃないけど人に言える点数じゃない。周助くんには、なおさら。

「何点?」
「…………7点」

 有無を言わせないその問いに、ちょうど足元にあった小石を蹴飛ばしながら、渋々口にする。ちなみに50点満点のテストである。
 いや、だって英語は意味がわからない言語だし。日本語だって自在に操れない私みたいな人が外国語なんてできるわけないじゃん。なんでみんな、ああもあっさりとできるのよ。
 くすくす、と周助くんが小さく笑う声がする。カッと頬が熱くなるのがわかった。

「だって、わからないんだもん。笑うなんて酷い。周助くんなんて、嫌い」

 周助くんは自分ができるから、できない人の気持ちがわかんないんだ。

「ごめんごめん。だから、そんなこと言わないで。──僕が、教えてあげようか?」

 思いもよらない言葉に驚いて周助くんを見れば、周助くんも私のことを見ていた。
 周助くんの瞳が、思っていたよりもずっと優しい色を纏っていたものだから、私の心臓がとくん、と小さく跳ねた。

「い、いい。先生に教えてもらうために、朝補習があるんだから」

 それ以上周助くんの目を見ていたら心臓がおかしくなりそうで、視線を前へと戻した。

 たまにすれ違うのは、犬の散歩している人とか、ランニングしている人とか。いつもと同じ道のはずなのに、いつもとは違う光景で、隣には周助くんがいて、さっきから続いている心臓の高鳴りが抑えられそうになかった。
 会話が終わってしまえば訪れるのは沈黙で、静寂の中、私達の歩き音だけが辺りに響く。
 だからもしかしたら周助くんに私の心臓の音が聞こえちゃうんじゃないか、って思って、慌てて口を開いた。

「裕太は? 元気?」

 同じ幼馴染の名前をあげれば、周助くんは「裕太?」と私の言った名前を反復した。

「多分、元気なんじゃないかな。けど、電話しても僕とはあんまり話してくれないから」
「え、そうなの。──聖ルドルフだっけ。すごいよね、寮暮らしなんて。私だったら絶対ホームシックになる」

 親元離れて一人暮らしとかは確かに憧れるけど、数年先でいいかな、とは思う。なんか色々やらかしそうだし。

「今頃裕太も朝練なんだろうなぁ。次いつ帰って来るんだろ」
「さあ。まあ学校自体がそんな遠い場所にあるわけじゃないし、いつでも会おうと思えば会えるからね」
「そうなんだ。あーあ、裕太が青学じゃなくなるなんて思いもしなかったなぁ」

 裕太ともここ暫く会っていない。裕太は裕太でテニスに忙しいからなぁ。最近私のこと放置プレイ気味だよ、あいつ。メールの量とかも以前と比べて絶対減ってるし。いや、なんだかんだ私の方からもメールすることも減ってるけど。
 やっぱ仲が良い幼馴染とは言え、会わなくなったらあっさり離れてしまうものなのかもね。第一裕太とは性別も、学年も違うし。
 前方に学校が見えてくる。一人で学校に行く時よりも、かかった時間が短い。
 まあそれは私がいつもはのろのろゆっくり歩いているだけで、今日くらいの速さが正常なんだろうけど。

「遥」

 突然呼ばれた名前に私は「なぁに?」と返した。
 小さい頃から周助くんとは一緒にいるけど、私は周助くんのこの優しい声が好きだった。穏やかで、春のそよ風みたいで、その声で名前を呼ばれる度、こそばゆい気持ちになる。
 久しぶりに聞いたその声に、心が暖かくなる。

「僕と一緒に登校しているのに、話題は裕太のことばっかりなんだ?」

 私は一瞬、何を言われたかわからなかった。数秒経ってようやく私は「えっ」と声を漏らす。

「いや、決してそういうつもりじゃなくてデスネ。ただ他に話題が思いつかなかっただけというか」

 だって周助くんに私の友達の話なんてしても楽しくないだろうし、最近面白いこともなかったし、変なことを言って周助くんに呆れられるのも嫌だったし、ちょうど良い共通の話題が裕太だっただけで、別にそこに他意があったわけじゃない。
 チラリ、と周助くんの様子を伺えば、あたふたとテンパる私を周助くんはニコニコしながら見ていた。
 何だ。何故私はこんなことを言われてるんだ。からかわれているのか。
 校門の前に着く。いつも私が登校する時間よりも、ずっと人が少ない。
 周助くんはテニスコートに行って、私は教室に行かなきゃいけないから、ここでお別れだ。

 学校に着くまで、なんだか幻みたいな時間だった。
 最近ずっと話していなかった周助くんとお喋りして、案外周助くんは普通で、昔とあんまり変わらなくて、私が勝手に遠い人だと思っていたのが嘘みたい。

「遥」

 周助くんが、私の名前を呼ぶ。

「明日も、朝補習?」
「うっ、まあ、来週まで、ずっと」

 くすくすとおかしそうに笑う周助くん。
 周助くんは頭が良いからって失礼しちゃうよ。なんてちょっとムッとする。
 周助くんはテニスコートに足先を向ける。
 じゃあね、そう言おうとした。でもその前に周助くんに先に口を開かれる。

「じゃあ、また明日もね」

 そう言ってふわりと笑って、テニスコートに行ってしまった周助くんが一瞬見せた優しげな微笑みがとっても綺麗で、私は暫く呆然と立ち尽くした。
 頬に熱が集まる。胸が苦しくなるほど、心臓が早鐘を打つ。

 また、明日。明日もきっとこんな風に、朝から心を揺さぶられる。
2016/02/25



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