ご当地ハーモニクス
花巻先輩は、なんというかとても意地悪な人だ。
「おはよー、苗字」
「…おはようございます」
なんだかニヤニヤとした表情の花巻は、制服姿にスポーツバッグを肩にかけた状態で、スタスタとこちらに歩み寄って来る。
あの楽しそうななんとも言えない表情には既視感がある。
きっとろくでもない事を考えついた時の顔だと、それなりに長い付き合いのナマエはすぐに分かった。
そうしてナマエが身構えた瞬間、花巻はおもむろにスポーツバッグに手を突っ込んだ。
ごそごそとスポーツバッグを漁り、歩きながら目的のものを探し当てたらしく、それをばさりと取り出した。
花巻の大きな手には小さいくらいの真っ赤な薔薇の花束を渡され、ナマエは身構えていたにか関わらずに硬直する。
「ハッピーバースデー、苗字」
「…私今日誕生日じゃないんですけど」
「知ってる」
じゃあさっきのハッピーバースデーとは何なのか。
分かっている。
そこにツッコミを入れてしまった時点で、ナマエは花巻のペースに乗せられてしまっているのだ。
しかし、それでもそうとしか言いようのないナマエは、いつものように花巻貴大という人に翻弄されるのだ。
「これ母さんからお前にだって。この前部活の試合で入賞したらしいじゃん?」
「…ありがとうございます。でも、なんでわざわざここで渡すんですか?」
口元を引きつらせながら、ナマエは周りに視線を向ける。
ここは所謂、登校して来た生徒全員が通って行くであろう下駄箱前で、そんな中で真っ赤な薔薇を出したとなれば完全に注目の的である。
「あの人赤い薔薇の花束渡してる…」と話す女子生徒の声が耳に入り、ナマエは「そら見た事か」と羞恥で泣きたくなった。
薔薇を貰った私の方が羞恥に震えているというのに、何故渡した花巻はこうも飄々としているのか、本当にいつも疑問に思う。
「今日帰ってから、家に直接届けてくれても良かったと思うんですけど」
「それだと面白くないじゃん?」
「おっ…面白さなんて求めてませんよ!」
「そうなの?」
「そうですよ!見てください、周りの生徒めちゃくちゃこっち見てますよ…!」
ナマエはなんとか花巻を説得しようと試みてはみても、そんな事分かった上であえてこんなことをしてくる花巻は、「悪い次気をつけるわ」と真顔で言い放った。
いつもそう言いながら、この地味な意地悪をやめないのが花巻貴大である。
何故彼はこんなことをするのか。
友人にそう嘆いてみたら、「もしかしたらナマエのこと好きなんじゃないの?」と言われて少しだけ舞い上がったことがあった。
こんなにからかわれるというのに、嫌よ嫌よも好きの内というべきか、花巻の彼女になるのは悪くないかもしれない…なんて都合の良い事を考えた翌日、「苗字聞いて、俺彼女できた」とピースサイン付きで報告された時は暫く凹んだ。
しかし、その1週間後くらいに別れたと風の噂で聞いた。
「すげー見られてるな、お前教室行ったらからかわれるんじゃねぇの?」
「…分かっててやってますよね?」
「うん」
「…本当にもう、何なんですか…」
彼を小さい頃から知っているというのに、時を経る毎にどんどん分からなくなっていく。
一体どうしたものかと、ナマエは軽くため息をついた。
花巻貴大という人は、ナマエの家の近所に住んでいる一つ年上のお兄さんだ。
一つしか年が離れていないのに『お兄さん』というと違和感があるかもしれないが、彼の身長や振る舞いゆえか、『お兄さん』という言葉が妙にしっくりくる。
小学生の時は近所のために登校班も一緒で、よく世話をしてもらったり、遊んでもらったりしたものだ。
お人形遊びやままごとにも彼は付き合ってくれたが、お人形遊びであると彼はいつも飼い犬の役で始終「ワン」しか言わなかったし、ままごとでは昼ドラに出て来るような姑役ばかりやって、母親達に「やめなさい!」と良く叱られていた。
花巻は所謂、お調子者のムードメーカー的な存在で、小学生の頃から今にいたるまで友人も多く、人に良く好かれている。
流石に高校生となると落ち着きはしたが、彼の本質というものは昔から変わらない。
大きくなっても悪戯好きなところは抜けきらず、たまにナマエに話しかけてきては意地悪な事を言い、満足すると颯爽と去って行くのが彼の常だ。
「マッキー、また後輩虐めてるの?」
ふと声をかけられ顔を向けると、花巻の所属するバレー部の一員である及川が呆れた表情で立っていた。
彼の隣には幼馴染みのツンツン頭のバレー部員も立っており、こちらはナマエに同情の視線を送っていた。
「虐めてないって。軽い触れ合い」
「その軽い触れ合いで後輩ちゃん泣きそうになってるじゃん」
「えっ……お前そんなに花束貰って嬉しかったの?」
「嬉し泣きじゃねーよ」
外野からツッコミを入れられても尚、花巻はペースを崩さない。
その様子に及川も岩泉もため息をつきつつ、面倒くさいのかナマエをそのままにそそくさと立ち去って行く。
そんな無慈悲な…!と心の中で助けを求めたところで、彼らの足は止まらない。
「早く教室行かねーと遅刻するぞ」という言葉だけ残し、二人はさっさと下駄箱へと行ってしまった。
そうして再び花巻とナマエの二人だけになったところで、花巻はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、その花束に薔薇の花6本あるんだけど、花言葉知ってるか?」
「…知らないです」
薔薇の花束には、本数によって様々な意味があることは知っている。
しかし、プロポーズなどの定番にされるような代物だ。
数ある花言葉全てが、きっと愛だの永遠だの、甘ったるい意味を孕んでいると察することができる。
「あなたに夢中、って意味があるらしい」
「…先輩は、それを私に言ってどうしたいんですか?」
こういう時、どういう反応が正しいのか分からない。
一瞬だけドキリとしたが、花巻を相手にすると、それも無駄なことではないのかと思ってしまう。
彼はいつも、私をからかってばかりだ。
表情も豊かで明るい人のはずなのに、彼が一体何を考えているのか分からない。
からかわれて振り回されてばかりいるせいか、ナマエはいつも疑心暗鬼に陥る。
「動揺したら面白いのに、と思って」
「それ、いつものことじゃないですか…」
「……そんなことないんだけどなぁ」
不意に真面目な声色で、ボソリとそんなことを言うものだから、ナマエは一瞬息を詰めた。
なんだかいつもと雰囲気が違う。
そう感じ取った瞬間、花巻は背中を丸めて、ナマエの高さに目線を揃えた。
「ドキドキした?」
ニヤリ、とまるで子供っぽい表情でナマエの顔を覗き込んでくる花巻を憎らしいと思った。
今のは心臓にきただろう?という確信を持っての質問である。
ああそうだ、その通りです。
そう自棄になって花巻に言ってしまいたい気はしたが、後の事を考えると恐ろしいという、ナマエの中の理性が勝った。
「してません!」
「そっか、残念」
クスクスと笑いながら、花巻は遠目にバレー部の友人である松川を見つけたようで、ナマエに軽く別れの言葉をかけてからそちらに走っていく。
花巻が寄って来た事に気付いた松川は、遠目に赤い薔薇の花束を持ったナマエを見て、呆れたように花巻の方に視線を向けていた。
「もうからかうのやめてやれよ」と松川が花巻に言っているような様子が伺えて、ナマエは苦笑いを浮かべる。
まるで嵐のような彼が去って行った後、ナマエも慌てて自身の下駄箱に向かう。
左手に持った薔薇の花束は人目を集めてしまうが、これをカバンの中にぎゅうぎゅうに押し込めてしまうのは可哀想である。
おふざけ半分、真面目半分、そんな思いの込められた薔薇の花束を見下ろしながら、ナマエの口元はなんだかんだで緩んでしまう。
こんなふざけた渡され方をしても尚、ナマエはこの薔薇の花束を花瓶に生けて、自室に飾ってしまうのだ。
近所に住むお兄ちゃん、そして密かに想いを寄せる彼が贈ってくれたものなのだと思うと、どうしても大事に大事にしたくなるのは、恋という病のせいだ。
何故こんな面倒な人を好きになってしまったのか、自身に問うたところで、理屈ではない何かが「仕方ない」と諦めてしまうのだから、しょうがない。
「あー…、あいつからかうの本当に楽しいわ」
「…そんなに毎日意地悪してたら嫌われるぞ」
「大丈夫。そのへんのさじ加減はわかってっから」
「…お前も本当、苗字さんの事好きだな」
「おー、可愛いよな」
他所でそんな会話があったことなど、ナマエは当然知る由もない。
ALICE+