Beast and the Beauty


オイカワトオルは、庶民の家の出の男である。
オイカワもナマエも、同じ騎士学校で訓練を受けた学友であり、付き合いもそれなりに長い所謂腐れ縁というものだった。
しかしあの男は自身の実力で、この地域で一番の貴族のお抱えの騎士にまで上り詰める程の、優秀な騎士だった。
一度だけ、国の偉い人がやって来て城に来ないかとの誘いを受けたらしいが、オイカワはそれを断ったのだという。
きっと仕えている貴族家の令嬢と懇意だからだろうと噂をされてはいたが、本人曰く「この街にずっといたい」のだと言う。
何故それ程までにこの土地に拘っているのかについては、ナマエはある程度オイカワから話を聞いていた。
行方を眩ませたオイカワの幼馴染みを、ずっと探しているらしい。
彼がこの地に帰って来るまでは、自分はここを出て行く事は考えられないのだと。
もう何年も行方不明な友人の事を、まるで昨日会ったかのようにたまに零す彼が、ひそかに幼馴染み探しに駆け回っていることは、ナマエもこの時うっすらと気付いていた。

その件の幼馴染みが、ある日ふらっと帰って来た。
その幼馴染みが帰ってきたらしい日の及川はそれはそれは浮かれに浮かれ、普段の彼らしからず子供のように嬉しそうにしていた。
「帰って来たと思ったら、ちゃっかりお嫁さんつれて帰ってきちゃってさ〜。心配してたこっちの身になって欲しいよ〜」なんて文句を言いながらも、オイカワの表情は緩んでいた。
子供っぽく笑うオイカワを見たのは久しぶりな気がして、ナマエの口元も自然に弧を描く。

「そんな浮かれてちゃ、明日からの遠征失敗しないか不安だね」
「大丈夫だよ。いつものお嬢様の旅行に付いて行くだけだし」

軽く葡萄酒を煽ってから、オイカワは手に持ったグラスをテーブルにコトリと置いた。
二人の行きつけのこの酒場は、年期が入ってボロが出ているところはあるが、落ち着いた雰囲気の馴染みやすい場所である。
騎士学校に通っている時からの付き合いであるオイカワもナマエも、この酒場の店主とは随分と仲が良い。

「…もうそろそろ、潮時だと思うんだよ」

ふと、及川が真面目な口調で口を開く。
それを横目で伺いながら、ナマエは「何が?」と尋ねた。

「俺、この街を出ようと思うんだ」

ポツリと零されたその言葉に、ナマエはやや目を見開いた。
少しだけ、奴の口から出て来る事を恐れていた言葉であった。

「この何年かでお金も貯めたし、行方不明だった親友も見つかったし、俺もそろそろこの街を出てもいいかなぁ…って」
「街を出るって言っても、ずっと戻って来ないわけじゃないよ。いろんな所を見て回りたいんだ」
「世界は広いんだよ。俺達の常識を遥かに越えることが、そこら中に転がっているんだ」

そう話す及川の言葉を聞きながら、ナマエは目の前に置かれたグラスにじっと視線を向ける。
及川がこの街から居なくなる。
ずっと戻って来ないわけではない、とは言っているがきっと何年も帰って来ないつもりなのだ。

オイカワの幼馴染みが居なくなってから、奴はいろんな街に情報収集とばかりに出かける事が多かった。
その中で、「お前も一緒に来る?」なんて声をかけられることもそれなりにあった。
予定さえ合えば、ナマエもオイカワと一緒に出かけたて観光を楽しんだりしていた。
その道中で、及川はポツリと零していたのだ。
「いつか、何年もかけないと行けないくらいの場所にも行ってみたいなぁ」と。
幼馴染みを探している中で、オイカワはひとつの夢を見つけたのだ。

「でさ、そろそろ腹をくくろうかとも思うんだ」
「…ああ、あのお嬢様を説得するのは大変そうだもんね…」

第三者の目から見ても分かる程に、オイカワの仕えるお嬢様は及川を気に入っていた。
どこへ出かけるにも傍に置き、挙げ句の果てには「オイカワ以上の殿方以外とは結婚しない」と触れ回っている始末である。
そんな彼女に「辞めます」なんてオイカワが言った日には、ひと騒動起こりそうである。
その様子を思い浮かべて苦笑いをしているナマエに、オイカワは「違うって」と待ったをかける。

「そうじゃなくってさぁ…」

あーもう…、と額に指を当てながら唸った後、少しだけ恥ずかしそうにナマエの方に顔を向けた。
オイカワの纏う普段と違う雰囲気を感じ取り、ナマエもドキリとして背筋を伸ばす。

「俺の幼馴染みもすぐ結婚するらしいし、俺もそろそろかなー…と思うんだよ」
「…うん」
「で、どう?」
「……ど、どうって?」

これはもしかして、プロポーズなのだろうか。
ナマエは平静を装いつつも、内心では大騒ぎ状態でなんとか及川の質問に答える。
答えるというより、自分が期待してしまっている事が正しいのか自信がないので、適当に誤摩化したというのが正しい。
オイカワとナマエは、それなりに付き合いは長いが、恋人という関係ではない。
しかし、お互いに一緒にいて気が楽であること、そして惹かれていることには薄々と勘付いていた。
そんな曖昧な関係を続けて長い二人だからこそ、こうして決定的な事を口にしたのは、オイカワがはじめてだった。

「…分かってるくせに、分からないふりしないでくれる?」
「だ…だって、本当に分からないんだもん!」
「嘘つきなよ、お前今顔赤いよ。絶対にその顔は『分かってる』って顔だ!」
「オイカワだって顔赤いよ!」

そうしてギャーギャーといつもの調子で喧嘩を始めた二人を眺めながら、酒場の店主と婦人は朗らかに笑う。

「はっはっは、夫婦喧嘩もついに現実になる時がきたか」
「そうねぇ」

そんな会話が交わされている事に気付かぬまま、オイカワもナマエもいつもの嫌味の応酬に精を出し、気がつけば随分と時間が経ってしまっていた。
言い合いの途中で自分たちの不毛な争いに気付いた二人は、揃って頭を冷やしがてら酒場を出る。
店主と婦人にいい笑顔で見送られてしまったのが少し恥ずかしく、そして隣に立つ人物になんと言ったらいいのかと、二人して黙り込む。
そうして暫く続いた沈黙を破ったのは、またしてもオイカワだった。

「俺、4日後の夜に帰って来るからさ…。その時、俺の家においでよ」
「…えっ?」
「俺の新しい門出を祝うパーティするから」
「……あのボロ家で?」
「そこには触れないで」

スン、と鼻を鳴らしたオイカワは、そろりとナマエの方に顔を向ける。
素直になりたいけど素直になれない。
そんなオイカワの葛藤が伺えて、ナマエは思わず安堵してしまった。
あぁ、私もオイカワも、同じなのだ。

「パーティのためにお土産たくさん買って来るから、付き合ってよ」
「……うん」
「綺麗な格好して来なよ」
「…うん」
「綺麗な格好してきてくれたら、俺がご褒美にキスしてあげるから」

酷く上から目線の発言ではあったが、及川の発言には少しだけの緊張と、気恥ずかしさが伺えた。
そのつっけんどんな言葉にナマエがコクリと頷くと、オイカワは少し驚いた様子ではあったが、素直に口元を緩ませた。
「楽しみだね」なんてふざけて笑い合って、二人はここで別れた。



そうして日は過ぎ、ナマエは及川が帰って来る今日という日を迎えた。

「綺麗な格好して来なよ」と言ったオイカワを驚かすべく、ナマエはあまり行き慣れない街の仕立て屋に訪れていた。
基本的に仕事着や動きやすい格好の多いナマエでも、仕事で着ていく用のドレスは持ってはいるが、流石にそれでオイカワの帰りを迎えるのは憚られた。
きっと今日という日は、人生最大の節目であり、ナマエの一生の思い出になるだろう。
だからこそ、とナマエはこの日のために奮発をして、仕立て屋の奥に飾られていた美しい星色のドレスを買った。
あのオイカワをあっと脅かせてやろうと、小道具もアクセサリーもそろえ、化粧も腕利きの知人に頼んだ。
全ては準備万端、あとはオイカワを迎えるだけである、というところである。
しかし、仕立て屋さんに裾上げなどの調整をして貰ったドレスを受け取りに来たというのに、店主は一向に顔をのぞかせる気配がない。
いくらベルを鳴らしてはみても、一切音のしない仕立て屋の空気に、ナマエは違和感を覚えた。
何かがおかしい。
そう思って店内を見渡していると、やっと店の奥から物音が聞こえた。

「やぁ、いらっしゃい」

奥から出て来たのは、腰の曲がった老婆だった。
足が悪いのか、杖をつきながらなんとか歩く彼女は、上手く動かない指で手招きをした。

「すまないねぇ、今娘は留守にしていて…。申し訳ないんだけど、ドレスを取りにきてくれないかい?」
「…あぁ、そうなんですか」

確かに、ナマエがドレスの注文にやってきた時に迎えてくれたのは、老婆よりも若い女店主だった。
きっと留守にしている彼女のかわりに、なんとか歩いて店にまで出て来てくれたのであろう。
そんな老婆の手招きに従うままに、ナマエは慌てて彼女の立つカウンター奥へと足を進める。
そうして老婆の指差した先に、トルソーに着せられたままのドレスが飾ってある事に気付いた。

「わたしも腰が悪くて…上手く手が届かなくてねぇ…」
「いえいえ。私こそ、ご無理をさせてしまってすみません」

そうやらトルソーからドレスを脱がせたいものの、老婆一人でその作業ができなかったのだと、ナマエでさえすぐに分かった。
よろよろとしながらドレスのある方に寄って行こうとする老婆を押しとどめ、「私が自分で持って行くので大丈夫です」と声をかける。
それに大して老婆は申し訳無さそうにしていたが、そんな彼女に遠慮してもらい、ナマエはドレスの飾られているトルソーの前に立った。

子供の頃に聞いた、遠い国の物語。
意地悪な継母に引き取られ、いつも雑用ばかりをさせられていた娘が、魔女に魔法をかけられるお話。
素敵なドレスにガラスの靴、それらを身に纏って舞踏会へ行き、王子様と恋に落ちるという、おとぎ話。
そんな物語の事を頭に過らせる程度には、ナマエは浮かれていた。
目の前にあるこのドレスも、ナマエが昔に読んで貰った夢物語のヒロインが身に纏っていたものとよく似ていた。

今日という日は、こんな私でもあのヒロインのようになれるのかもしれない。
そんな期待を胸にオイカワと会う夜を待ちわび、その時を迎えるためにと、ナマエはそうして星色のドレスに手を触れた。

しかしその瞬間、目の前のドレスが一瞬で黒く染まり、ナマエは突然の事に目を見開いた。
途端、ドレスは塵の山が崩れるように消えてなくなり、ナマエは突然体が焼けるような痛みに襲われる。
そうして思わず膝をついて痛みに悶えているナマエの傍に、いつの間にか老婆が立っていた。

「綺麗だねぇ、ドレス」

この状況でそんな事を言う老婆に背筋を凍らせながら、ナマエは恐る恐る顔を上げる。
しかし、顔を上げた先にいるはずの老婆は、何故かナマエの視線の下にいた。
自分は膝をついて丸まっているというのに何故、という疑問が過った瞬間、ナマエは自信の体の異変に気がついた。
鍛えてはいるものの女らしさのあった腕から、まるで獣のようなふさふさとした毛が伸びている。
そしてそれがナマエの全身を同じように覆っていた。
着ていた服は大きくなった体に耐えられずに破け、ナマエの周りの床にはらりと落ちる。
何が起こったのか全く理解できないこの状況の中で、老婆は憎しみの籠った声でナマエに告げる。

「お前だけが幸せになるなんて許せない」

イッヒヒと笑う老婆は、とても年寄りとは思えぬ速度でナマエから遠ざかっていく。
待ってと手を伸ばしても、大きな獣の体は思うように動かず、毛むくじゃらの腕は届かない。
そうして仕立て屋に一人取り残された獣は、壁際に置かれた大きな鑑の存在に気がついた。
鑑に映し出されているのは、物語でしか見た事のないような大きな大きな化け物の姿。
それが変わり果てた自分の姿なのだと気付いた瞬間、ナマエの目からはボロリと涙が溢れた。

「…何、これ…」

何故こんなことになったのか、自分は元の姿に戻れるのだろうか。
さまざまな分からない事だらけの内容が頭の中を駆け巡り、整理もつかない状況の中、ナマエの脳裏にオイカワの姿がちらついた。
「綺麗な格好してきてくれたら、俺がキスしてあげるから」
そんな風に照れくさそうに笑う彼の姿が、一瞬にして遠ざかって行く。

「…そんな…」

こんな姿では、オイカワに会う事も、家に帰る事もできない。
誰も自分が、『ナマエ』であるだなんて信じてくれない。
何で、どうして、と問うてはみても、この異形の姿になった原因である老婆はこの場所からはすっかり姿をくらませてしまっていた。

その現実を飲み込み始めた瞬間、ナマエの目からはボロボロと涙が溢れていく。
ほんの少しだけ期待をして、ほんの少し夢を見ただけじゃないか。
それが駄目だったというのか。
幸せになりたかっただけなのに、なんで、どうして。

そうして響くナマエの叫びは、ただの獣の遠吠えでしかなかった。


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