失言からはじまる

「私が岩泉の事好きなの知ってるでしょ!」


思わず荒げた声は、休憩中のバレー部員が大勢いる体育館に響き渡った。
ふいに耳に届いた告白まがいの発言に、体育館の中にいた生徒の視線の全てが静香と、胸ぐらを掴まれた及川に向かう。

頭が真っ白になるというのはこういう事を言うのかと、静香はその場に崩れ落ちてしまいたくなった。

静香が岩泉に好意を寄せていると及川が知った日から、散々にかわかわれ、おちょくられた。
始めのうちは恥ずかしくて言い返す事も出来なかったが、最近では適当にはぐらかしたりしていたし、いい加減慣れていたはずだった。
やたらと岩泉の話題を持ち出し、ニヤニヤとこちらを眺めて楽しんでいる様は憎らしく、今のように及川の胸ぐらを掴む事も何度かあった。
今日も今日とて、岩ちゃんが同じ委員会の女の子と仲良く話していただの、体育の時間に大活躍して黄色い声浴びてただのと、にこやかな笑みを浮かべて話してくるのだ。
花巻達が話しているのを耳にしたのだが、どうも昨日及川は彼女に振られたらしい。
その憂さ晴らしなのか、面倒くさがられて花巻達にスルーされているからなのか、妙に静香に絡んで来る。
いつもなら、それなりに適当な対応で流せたはずなのだ。

しかし、実は昨日、岩泉が後輩の女の子と下校して行く姿を静香は目撃してしまったのだ。
わざわざ部活終わりに正門で待ち合わせをして、一緒に帰って行く姿を見たときの心臓の動きは凄かった。
並ぶ二人の後ろ姿がずっと忘れられず、夢にさえ出て来て「つき合いはじめたんだ」と岩泉が照れくさそうに言ったところで目が覚めた。
最悪の目覚めだった。
そんな暗い思いを引きずりながら、悶々と一日を過ごしていたせいか、精神的な余裕が無かった。

そしてこの及川の発言である。
もしかして、及川はすでに岩泉に彼女がいることを知っているのではないか。
自分は彼女に振られたのに、岩泉に彼女が出来たから、それが気に喰わないのではないか。
それで、静香という失恋仲間を増やそうとしているのでは無いか。
考えたくない事なのに、妙にしつこく及川が話しかけてくるものだから、いやな予感が現実味を帯びて来る。

「このままじゃ、岩ちゃんに彼女ができるのも時間の問題かもね。…いや、実はもういたりして」

何故、そんなことばかり言うのか。
こちらの不安を煽る事ばかりを言う及川に、ついに静香の我慢の限界がブチリと切れた。

「やめてよ」
「え?」

「私が岩泉の事好きなの知ってるでしょ!」

そして冒頭に戻る。


後悔というものは、してからでは全てが遅い。
体育館中のバレー部員に、静香が岩泉の事を好きだ、という事実が知られてしまった。
そしてそれは、松川や花巻とスコアボードを眺めていた岩泉本人にも伝わってしまった。

岩泉がこちらを見ているのは分かったが、恐ろしくて視線をそちらに向けられなかった。
驚愕の表情を浮かべる及川は、静香の剣幕を見て流石に口を噤んだ。
先程までペラペラと動いていた軽口が急に出なくなったものだから、静香はなんだか笑いたくなった。

喉元からこみ上げてくる熱いものを我慢してから、静香は無言で掴んでいた及川のTシャツを離した。
ああ、終わった。何もかも終わった。
この場から逃げ出したいあまりに、早足で体育館の出入り口に向かう。
静まり返る体育館に、静香が床を踏みしめる音だけが響く。

途中、及川に呼び止められたが「死ね」とだけ返して体育館を後にした。
とにかく人気がないところ、という事で生物室の裏を思いつき、そこへ向かう。
途中、廊下で生徒とすれ違う時は俯いて顔を見られないように心がけ、じんわり膜を張る目を隠す。

放課後の生物室は、部活動が無い限り滅多に人が寄り付かない場所だ。
今はほとんど活動をしておらず、2週間に1度程度のはずだ。
植物の栽培もしている事から、校舎の角の一角に教室が設けられており、小さな裏庭のようなスペースがある。
隠れるには絶好の場所であり、近場に水道もあるので顔も洗える。

案の定、今日の生物部の活動は無く、人の気配さえ感じられない裏庭に入り込んでから、校舎の壁に背中を預けて座り込む。
はぁー、と息を吐いた瞬間涙腺が緩み、ぼたぼたと涙が溢れる。
悲しい、辛い気持ちが溢れて流れ出る。
失恋を目前とした状況に落ち込むも、その後少し冷静になる。

明日からどうすればいいんだろう。
部活が同じだから、岩泉とは必ずと言っていいくらい顔を合わせる事になる。
気まずい、非常に気まずい。
そして男女バレー部員の大勢に見られたことから、この話はそれなりに広まるだろう。
周りからの同情と好奇の視線に耐えられるだろうか、と先行きが不安すぎて仕方ない。

足を抱え込み、顔を伏せる。
なにもかも考えたくなくて、いっそこのまま寝てしまおうかと思った辺りで、人の足音が耳に届いた。
びくりと肩を揺らし、身を縮こませるも、この裏庭には逃げ場がひとつしかない。
近づく人の気配は唯一の逃げ場の方から聞こえ、静香はただその場所で固まるしかなかった。
見つかりませんように、という静香の願いもむなしく、足音は静香の前で止まる。


「…こんな所にいやがった」

しかも、よりにもよって、岩泉である。
ぐっと、唇を噛んで静香は腕で強固に顔を隠す。
今日、知ってしまうのだろうか。不明確だった、岩泉の彼女の存在を。
ああもう、本当についてない。

「おい…泣いてんのか」

岩泉が静香の前にしゃがんだのが気配で分かった。
静香は顔を伏せているので、岩泉がどんな表情をしているのかは分からない。
岩泉の顔を見るのが恐ろしい。
おそらく、見ただけで自身の想いの結末がどうなるか分かってしまう。

「なぁ」

岩泉の声色は普段通りで、感情は読み取りにくい。

「…さっきの、本当なのか」
「……」
「栗原」
「……」

声を出したら嗚咽を抑えられる気がしない。
何も返事ができないまま、岩泉の投げかけだけが続く。
そしてついに呆れたのか、岩泉は深いため息をついた。
あぁ嫌われたかもしれない。
これでもう、前みたいに気軽に話したり、笑い合ったりすることができなくなるのだろうか。
それは嫌だなぁ。
こんなことになるくらいなら、あんな事言うんじゃなかった、もっと冷静に対処すべきだった。
ぐるぐると悪循環する思考に、静香すら笑えて来た。
静香と岩泉の間に流れる沈黙にしびれをきらしたのか、岩泉は「あー」とか「うー」などと唸っている。
何かを言おうとして言い辛そうにしている風に聞こえるそれに、静香の背筋は凍り付く。
言わないで欲しい、という静香の気持ちも虚しく、岩泉が吐き出した言葉は、意外にも静香を喜ばせるものだった。


「俺も、お前の事好きなんだけど」

何の前触れも無く落とされたその発言を耳で拾い、数秒思考が停止する。
流れる沈黙の後、岩泉が何やら唸る。

「あー…何か反応してくんねーか?」
「…嘘」
「嘘付いてどうするよ」

やっと反応したな、と岩泉が静香の頭をぽんぽんと叩く。
顔上げろ、と優しい声色で囁かれ、静香の耳は羞恥で染まる。
恐る恐る腕の檻を外し、目の前の岩泉を見ると、照れくさそうに笑った。

「ひでぇ顔」
「…それ、好きな子に言うセリフ?」
「……急に強気になったな」

岩泉はゆっくりと立ち上がり、座り込んだ静香に手を差し伸べた。
岩泉と差し出された手を見比べて、静香はその手を掴み立ち上がる。
大きくてごつこつした男らしい手に、口から心臓が飛び出てしまいそうだ。
泣きそうだった先程とは違い、今度は顔から火が出そうである。


「でも…岩泉昨日、女の子と一緒に帰って無かった?」
「あ…?…あぁ、委員会同じ奴だよ、お前も顔見知りだと思うけど…備品一緒に買いに行っただけ」
「な…なんだ…そっか…」

安心した、とほっとため息をつく。

「何だやきもちか?」

岩泉が真顔で聞いて来るものだから、思わず「違う!」と反論してしまうも「何だ違うのか」とやはり真顔で返して来る岩泉に、静香は口を引き結んだ。
からかっているわけではないのだろう、岩泉は自身が思った事を口にしただけで、特に駆け引きだとかそんな難しい事を考えているわけではないのだ。
そういう良い意味でも悪い意味でも実直なところが、岩泉の好きなところである。

「…やっぱり、やきもちかも」
「なんだそりゃ」

カラッと笑う岩泉は、「嫉妬されて嬉しいかも」という殺し文句と共に、静香の頭をぽんぽんと叩いた。


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