チューの破壊力
部活休みの合間をぬって、静香は久しぶりに自身の教室に足を運んだ。
文化祭まで3ヶ月をきったことにより、そろそろクラスでの準備を進めなければならないため、夏休みの間に何回か集まろうという話になっていた。
教室のドアを開けると、すでにクラスメイトのほとんどが集まっており、友達からは「遅いよ静香」と笑いながら声をかけられた。
へこへこと謝りながら、自分の席について、肩にかけていたスポーツバッグを下ろす。
部活終わりや途中で抜けて来た人もそれなりにいるためか、ジャージや体操服を着たままの生徒も多い。
「はい、これ台本と原作ね」
演劇部員兼クラス委員長に台本と、分厚い手製の本を渡される。
『花冠り姫』と書かれた緑色の台本は分かるのだが、原作だと渡されたこの漫画は何だろう。
見るからに手作り感があるが、中をめくると、意外にもしっかりとした内容の漫画で、仕上がりも雑誌に掲載されているものとそんなに変わりが無い気がする。
文化祭では、うちのクラスでは劇をすることになっており、題材は我がクラスきっての美術部期待の星、ガハクさん(あだ名)が準備することになっていた。
台本の表には、ガハクさんの名前が書いてあるため、きっと彼女がセリフなどを書き起こしてくれたのだろう。
大変な作業だったろうなぁ、とパラパラ台本をめくっていると、隣の席のクラスメイトが思わぬ事を口にした。
「それ、漫画描いたのガハクさんらしいぜ」
「…えっ?」
台本だけじゃなくて?と聞き返せば、ウンと頷かれた。
「ガハクさん漫画家目指してるんだって。自作の漫画ネットで公開してて、結構評判いいらしい」
「へぇ…凄いなぁ…」
そのガハクさんの自身のお気に入り一作が『花冠り姫』らしい。
クラスメイトの描いた漫画に興味が湧き、静香は中身を開いた。
簡単に概要を説明すると、ある王国の王女である花冠り姫が、敵対する王国の孤独の王子の元に嫁ぎ、王子の氷の心を溶かしていくという、言ってしまえばありきたりな内容の物語だった。
しかし、このお話の凄い所は、それぞれの登場人物のバックグラウンドや思いが複雑に絡み合い、どのキャラクターにも深みを感じることにある。
心理描写や表現の仕方も上手く、結構面白いなぁ、と次のページをめくる手は止まらず、気がつけば最後までじっくりと読み込んでしまっていた。
静香が気がついた時には、劇の配役決めが始まっており、静香は委員長から漫画を読むのをやめろと注意されてしまった。
教卓の前には委員長と原作者兼監督のガハクさんが立ち、スムーズに劇の流れについての説明をはじめる。
一応教室に来ていた担任の先生は、委員長達の自主的行動力の高さに感心しながら、ガハクさん原作の漫画を読んでいた。
まずは主役の花かぶり姫、と孤独の王子役についてだが、これは思いのほかすんなりと決まった。
お姫様は去年のミス青城の女の子、そして孤独の王子は文芸部の寡黙な男子となった。
お姫様の配役にも文句のつけようがないが、特にこの孤独の王子の配役はぴったりだなぁ、と漫画の中の王子と文芸部の男子生徒を見比べる。
一人きりの寂しい王子が漂わせている哀愁が、彼の雰囲気にはぴったりだと思う。
そして次は準主役である王子の親友役と、お姫様の付き人である騎士の役決めに移ったのだが、ここで予想外の事が起きた。
「この騎士役を頼みたい人がいるんだけど、指名してもいい?」
ガハクさんの思わぬ発言に、クラス一同がざわつく。
指名する、という程にはまり役の生徒がいるらしい。
登場人物一覧を開き、『餞の騎士』と書かれた項目に目を止める。
お姫様には、男女一人ずつの騎士の護衛がついており、男の方の「騎士ラインハルト」は、この物語の影の主人公と言っても過言ではない存在である。
「実は、このラインハルトのモデル岩泉君なんだよね」
「…はっ?」
急に自分の名前を出されて驚いたようで、岩泉は目をしばたかせた。
これには静香も驚き、ポカンと口を開ける。
「前に体育館に忘れ物取りに行った時、バレー練習中の岩泉君見かけてね。敵は全力でねじ伏せる!って感じの岩泉君のスパイクにインスピレーションを受けたんだ」
「…お、おぉ?」
「だから、この『餞の騎士ラインハルト役』は岩泉君にお願いしたいんだけど」
原作者直々の指名に、岩泉はしばしポカンとしていた。
しかし、特に悩み込む様子は無く、頭をがしがしと掻いてさっさと答えを出した。
「…まぁ、別に構わねぇよ」
「そう?良かった!」
ガハクさんはどこかほっとしたように笑い、黒板の『餞の騎士ラインハルト』の項目に岩泉の名前を記す。
「よっ岩泉!ナイト君!」
「変なあだ名つけんな」
男子のからかいにめんどくさそうに答えた岩泉は、机の上に置いていた台本を開く様子もなく、目の前の黒板だけを見ている。
もしかして、岩泉は全く作品の内容を読んでいないのでは?と直感した静香を他所に、役決めの話は進んで行く。
「で、もう一人。密かに『騎士ラインハルト』に想いを寄せる『女騎士アンネリーゼ』の役もあるんだけど…」
瞬間、チラリと岩泉以外のクラス全体の視線が静香に静かに集まる。
ラインハルトに想いを寄せる、という言葉に全員が反応したのだと静香も分かったが、あまりに注目を浴びたものだから思わず俯く。
どうしよう、もの凄く居たたまれない。
数秒続いた沈黙に流石の岩泉も違和感を感じ、クラス全員の視線が静香に集まっていると気づいて固まった。
妙な空気が教室内を漂う。
その空気を払拭するため、そして俯いた静香の顔をいい加減に上げさせるために、前の席の友達が振り向いて、静香の名前を呼ぶ。
「静香、あんた何かやりたい役あんの?」
「…いや…あの、特には決めてない…」
「じゃあこの女騎士役やればいいじゃん」
ラインハルト(岩泉)の彼女なんだから適役じゃん、とサラッと投下された言葉は、静まり返った教室によく響いた。
ひゅーひゅーと茶化す男子の声を耳で拾い、更に担任の「岩泉と栗原ってつきあってたのか」という呑気な発言に、静香は羞恥を通り越して死にたくなった。
その後、1時間かけてクラス全員の配役が決まり、クラス会議はお開きとなった。
この日は、帰りに岩泉とご飯を一緒に食べに行く約束をしていたので、静香は帰り支度を整えて岩泉の席に寄って行く。
しかし、岩泉の周りには、いまだ男子生徒が残っており、何やら雑談をしているようだった。
「もー、岩泉の浮気者」
「何でだよ…」
「あれ、お前台本読んでねーの?」
「?」
「お前のやる騎士の男、お姫様の事好きなんだよ」
「…そうなのか?」
「そうそう、告白のシーンもあるじゃん」
「は…?」
「ほら、これ」
ベラ、と広げられた漫画には、見開きいっぱいに騎士ラインハルトがお姫様に想いを伝える場面が描かれている。
そこに書かれているあまりにも熱烈で甘く切ないセリフに、岩泉は硬直する。
「…もしかして俺、こんなこっ恥ずかしいセリフ言わなきゃいけねーのか…?」
「見せ場だからな」
「当たり前じゃん」
「……」
誰かこの役代わってくれねーかな、と岩泉が現実逃避しているのが、浮かべた複雑そうな表情で分かった。
それに目ざとく気づいたガハクさんは、岩泉の開きかけた口が声を発する前に釘を刺した。
「今更の配役の変更は駄目だからね」
「………」
無言になった岩泉は、暫くして諦めたかのように肩を落とす。
それを見てプスプス笑っている男子に気づき、「てめぇらなぁ…」と顔をひきつらせていた。
「あーあ…ちゃんと台本読んどきゃ良かった…」
いやに絡んで来るクラスメイト達から逃げ出し、目的の飲食店に向かう道すがら、岩泉は疲れきった表情でそう呟いた。
心なしか足取りも重そうだ。
「いいじゃん、準主役」
「良くねぇよ。見たか?あの歯の浮くようなセリフ…」
とても正気で言える気がしねぇ、と顔を青ざめさせる岩泉の動揺振りに、静香はクスクスと笑う。
「そういうお前はいいよな、同じ騎士役なのにあんまセリフ無くて」
「そうそう、岩泉に振られる場面くらいしか見せ場ないしね」
静香の演じる『女騎士アンネリーゼ』は、『騎士ラインハルト』に想いをよせているのだが、劇中でスッパリと振られてしまうのだ。
その事を思い出し、からかうように笑って岩泉を見上げると、岩泉は不服そうな顔をする。
「…振られんのはアン…アンネ…?だっけ、そいつだろ」
「そうそう、でも大丈夫だよ」
「?」
「岩泉に振られた後、酒場のジョニーに乗り換えるから」
「…なんだよお前、浮気かよ」
ラインハルトに振られたアンネリーゼは、なんだかんだで後半酒場の男といい雰囲気になることを思い出し、静香は冗談を口にする。
それを聞いた岩泉は。苦笑いをして、憂鬱げにため息をついた。
静香としては励ましたつもりだったのだが、岩泉は自身が演じる役に不安しか感じられないらしい。
どこか機嫌の直りきらない岩泉に、静香は誤摩化しがてら、別の話題を振ることにした。
「でも、手の甲にチューとか無くてよかったね」
「………」
原作の漫画では、『騎士ラインハルト』がお姫様に告白した後、手に口づけるシーンがあったのだが、流石にそこは省かれた。
もしそんなシーンがあったなら、岩泉は何が何でも代役を頼んだだろうなぁと呑気に思う反面、静香は嫉妬してしまう自信があった。
時間の都合があることと本筋には大して影響が無い事からカットされたが、それには静香も一安心した。
ふふ、静香が笑うと、不意に腕を岩泉に掴まれた。
突然の事に反応が遅れ、踏み出した足が少し縺れる。
そして引かれるままに岩泉の方に体を向けると、すぐに視界が岩泉でいっぱいになった。
顔を傾けた岩泉の鼻先が触れた時に、やっと何をしようとしているのか、回転の鈍い頭で気づく。
さらっと奪うだけの流れるような動作は、それだけで静香の思考を占拠し、揺さぶる。
一瞬触れただけの唇の柔らかく熱い感触には、静香は未だに慣れない。
「な、に…」
「……なんかお前の『チュー』って発言にグッときた」
自身の思った事をドストレートに言い放った岩泉に、静香は歩く足を止めた。
素で言っているのだろうが、「実は狙ってるでしょ?」と責めたくなるような発言に、静香は口元を引き結んだ。
ああ、顔に熱が集まって行くのがよく分かる。
私、岩泉の前で赤くなってばかりではないだろうか。
「…岩泉ってさぁ…本当は天然の皮被った確信犯なんでしょ?」
「はぁ?」
意味わかんねぇ、本能に従ったまでだ。
その反論すら、恐ろしい程の殺傷能力を持った刃であると岩泉は分かっていないらしい。
これ以上何か言ったら、自分の方がやられてしまう。
静香は意味の分からない危機感を感じ、顔を両手で覆った。
きっと赤くなっているだろう耳も覆ってしまいたいが、生憎2本の腕では隠しきれない。
それに悔しさを感じていると、頭の上の方で岩泉のクククと堪えるような笑い声が聞こえた。
反抗の意思を込めて軽く岩泉の足を蹴ると、今度はブハッと吹き出した。
「…笑いすぎ」
「悪い悪い」
顔から両手を離し、じとりと岩泉を睨んでみるも、何ら反省している様子は無い。
どちらかというと楽しそうで、静香を見下ろす岩泉の表情はどこか、静香を困らせたそうにしているようだった。
「…もっかいチューしていいか?」
ニヤリと悪戯を思いついた子供のような表情をするくせに、細められた目の奥には艶やかな色を秘めている。
子供の皮を被った目の前の男は、きっと今、確信犯の自覚がある。
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