覚えたら即実行
岩泉は、及川の影響を受けやすい。
小学生の頃からの幼馴染みで腐れ縁、更にバレーではセッターとスパイカーということもあり、そんな2人を1セットとして見なしている人間も少なくは無い。
軽口を叩き合い、からかいあい、時に小学生のような喧嘩にまで発展している姿を見かけるが、彼ら二人の関係を一言で言い表すなら「相棒」という言葉がしっくりくる。
互いに素でいられる、気を遣わず本音でぶつかりあえる存在なのだ。
岩泉も及川を邪険に扱ってはいるが、一緒にいることが多いうえ、岩泉の話には及川の話題が多い。
「なんだかんだで及川の事嫌いじゃないでしょ?」と一度だけ岩泉に言った事があるが、その時の岩泉のもの凄く嫌そうな顔は忘れられない。
今でも思い出しても笑えてしまうくらいには、複雑そうな顔をしていたものだから、静香は暫く笑いを抑えられなかった。
及川も及川で、岩泉のことは大好き(笑)なので、なにかと岩泉の世話をやきたがる。
特に自身の得意分野である「恋愛」については殊更に。
その良い例が、静香が岩泉に好意を寄せている、と不運な偶然で及川にバレた後の奴の反応で静香は身を以て思い知っていた。
及川が「岩ちゃんのこと好きなんでしょ?プークスクス」と静香を煽っては「岩ちゃんの事好きとか変わってるね」などと何かにつけて馬鹿にしているような発言をするのは日常茶飯事だった。
しかしその実、及川に「こいつ岩ちゃんに相応しい女なのか?」とまさに息子の交際相手候補を吟味する母親のような目で観察されていたことには、静香はうっすらと気づいていた。
少し話が逸れたが、何が言いたいのかと言えば、岩泉も及川も互いに信頼を置いている。
特に岩泉は、及川の女子からのモテっぷりから、「及川の言う女の子事情」についてはあまり疑いはないらしい。
しかし、この信用が時に、思わぬ方向から静香に被害を及ぼすのだ。
「なぁ、壁ドンって何?」
「…えっ?」
岩泉の思わぬ発言に、静香は口に入れたアイスを落としかけた。
文化祭で同じ役をやるため、一緒に衣装や小道具を作るための材料を買いにでかけつつ、同時にデートをしているつもりだった静香は、岩泉の口から出た彼らしからぬ発言に動きを止めた。
近場のコンビにでアイスを購入し、公園で休憩をしてる最中にされた突然の話題に、驚くなという方が無理な話だ。
しかし、岩泉の言いたい「壁ドン」というのは、壁を殴る行為のことを言いたいのか、それとも女子がときめくシチュエーションのことを言いたいのか。
横目で隣の岩泉を伺うが、本人は特になんの思惑もなさそうな顔をしている。
「なんか、女子の好きなやつ?なんだろ?」
及川から聞いた、という発言に静香はアイスで頭がきーんと冷えたふりをして頭をかかえた。
及川の言う「壁ドン」ならば、意味は女の子をドキドキさせる方だ。
何を岩泉に吹き込んでくれているのだ、及川。
岩泉のこの様子から見ると、まるで「壁ドン」という女子の流行アイテムがあるみたいな認識でいるじゃないか。
そして、それを私に説明させるというのか。
別に説明してもいいのだが、説明した後微妙な空気になることは必死だ。
頭の片隅で、及川が愛嬌たっぷりの表情でペロッと舌を出す。
あぁ、いつも余計なことをしてくれる。
「…物じゃないよ、なんというか…シチュエーションの1種だよ」
「へぇ」
無言で「どんな?」と聞いて来る岩泉の目はとても純粋だ。
ただの興味本位なんだろうなぁ、とは分かっているものの、答えないのも不自然なので。静香はゆっくりと口を開く。
「簡単に言うと、相手を壁際に追いやって、両手で囲い込む事なんだけど」
「…?なんだそれ」
静香の説明では伝わりきらないらしく、岩泉は首を傾げる。
いまいちイメージがわかないようだ。
静香もあれやこれやと表現と言葉を変えて説明してみたが、状況が理解できても、それがイコール『女子の好きなもの』に繋がらないらしい。
悩みに悩んだあげく、静香は思い切って腰掛けていたベンチから立ち上がった。
残りのアイスを食べきってから、木製の棒切れをゴミ箱に捨てて、ベンチに座ったままの岩泉を見下ろす。
岩泉は既にアイスを食べ終えており、手の中にはアイスの周りについていた紙を握ったままだ。
「ちょっと岩泉、あそこに立ってもらっていい?」
「?…おぉ」
特になんのためらいもなく建物の前に立った岩泉は、静香が何をしようとしているのかいまいち分かっていない。
ふぅー、と息をはいて気合いを入れた後、静香は思い切って岩泉を自身と壁で挟むように壁に手をついた。
ぺたん、と壁に手をついた可愛らしい音が妙に響く。
静香としては、かなり勇気を出しての行動だった。
岩泉も流石に静香の行動に驚いたものの、自身の胸元あたりで逆に羞恥にかられている自身の彼女を認めてもなお、やはり首を傾げた。
「これが壁ドンとかいうやつなのか?」
「…そうです」
ここで岩泉に赤面されても困るのだが、何やってるんだお前みたいな目で見られるのも納得いかない。
折角岩泉にわかりやすく伝えようと思って体をはったというのに、妙な敗北感を感じるのは何故だろう。
なんとなく腑に落ちないので、そのまま軽く岩泉に頭突きをする。
しかし、静香がただじゃれてきただけだと判断したらしい岩泉は、ぽんぽんと静香の頭を撫でただけだった。
そうじゃない、と言いたいところだが、岩泉にそうされるのは満更ではないので何も言わず、とりあえず壁についていた手を離した。
「及川が妙に真面目な顔で言ってきたから、どんなもんかと思ったのに」
「…及川はなんて言ったの?」
「壁ドン知らないとか遅れてる、だと」
遅れているとか、そういうものなのだろうかと静香は苦笑いを浮かべる。
及川の事だ。
大方、岩泉をおちょくりたかったためにそう言ったのだろう。
この場にいないくせに、ニヤリと笑みを浮かべた及川が脳裏を過る。
しかしここで、静香は不意にハッとする。
もしかして及川は、岩泉が静香に「壁ドン」の意味を聞くだろうと見越していたのかもしれない。
だとしたら手の込んだ茶々であるが、本当に特に何の意味もなく岩泉に言っただけ線も捨てきれない。
こんなことを静香が考えても、及川本人ではないので意図があったのかどうかの答えは出ないのだが。
「まぁいいや。次行こうぜ、静香」
疑問が解決し、早々に興味を無くしたらしい岩泉は、先程手芸屋で買った布の入った紙袋をベンチから持ち上げた。
それに付いて静香もベンチの上のカバンを肩にかけ、歩き出した岩泉の隣に並ぶ。
互いに約束しあったわけでは無いが、二人でいる時に岩泉は、静香のことを名前で呼ぶ。
たまに学校の友達の前で静香の名前を言いかけ、慌てて言い直すこともあるが、それを察したクラスメイトやバレー部仲間達から向けられるニヤついた表情は、なかなかに居たたまれない。
しかし、岩泉にそう呼んでもらえる事は、それはもう舞い上がって浮遊してしまうくらいには静香にとって嬉しいことだった。
静香も同じように、岩泉のことを「はじめ」と呼んでみることもあるのだが、未だに呼ばれ慣れないらしく、岩泉の反応は少しぎこちない。
平均身長を超えた図体のでかい男に言うセリフではないのかもしれないが、名前を呼ばれて一瞬固まった後、照れているのを必死に隠しながら「おぉ…」と返事をする岩泉は少し可愛い。
「腰に差す剣は100円ショップのおもちゃでいいかな?」
「あー…いいんじゃね?そういやこの辺に店あるぞ」
「そうなの?」
「おー、この前行った」
なんとなく、何を買いに行ったの?と尋ねれば、「なんかでかい店だったから入ってみただけ」と岩泉は言った。
静香も、その感覚はなんとなく分かる気がしないでもない。
お互いに同じ店の紙袋を片手に揺らしながら、岩泉の案内の元100円ショップを目指す。
最近できたらしい目の前の店は、確かに大きく、そして真新しい。
人もそれなりに多く、通路ですれ違う人を躱しながらおもちゃコーナーに足を運べば、幼稚園児くらいの男の子がキラキラした剣を片手に物色していた。
よく見ればもう片方の手にはピコピコハンマーが握られている。
どっちを買うか悩んでいるんだろうなぁ、と想像を巡らせている静香を他所に、岩泉は円柱状のケースにたくさん入っているおもちゃの剣を1本手に取った。
プラスチック製の剣は中が空洞になっているためにスカスカで重み等なく、岩泉は適当にブンブンと振った。
メタリックカラーのシルバーとブルーが特徴的なその剣の持ち手には、ゴテゴテとしたなんだかよく分からない装飾も施してある。
「振っても折れる心配は無さそうだな」
「折れる程振るシーンも無いから大丈夫でしょ」
剣を手に取って子供心を刺激されたのか、気持ちテンションが上がっている岩泉の隣で、静香も違うデザインの剣を手に取る。
金色の刃に赤い柄、持ち手の上には謎の紋章が施されているそれと、岩泉が手にしている剣を見比べる。
どちらかというと、落ち着いた色合いの方が騎士っぽく見える気がするので、静香は手にした剣をもとの場所に戻す。
そしてふと視線を感じ、岩泉越しに隣を見れば、おもちゃの剣を持った男の子がじっとこちらを見ていることに気づいた。
岩泉もほぼ同時に男の子の視線を感じたらしく、男の子に顔を向けてから、ニッと笑う。
「お前もそれ買うのか?」
「…うん」
男の子は、岩泉が持っているものと同じデザインの剣を握りしめ、こくりと頷いた。
「お兄ちゃん大きいのに、ジャスティスソード買うの?」
「おう、ちょっとな」
さらりと子供と世間話をする岩泉にも驚いたが、男の子の口から出た「ジャスティスソード」という横文字に静香はやや驚いた。
そんな難しい言葉を知っているのか…と感心していると、男の子は母親らしき女の人に名前を呼ばれる。
「何買うか決まったの?」という声に返事をしてから、静香達の方に振り返り、小さく手を振る姿は愛らしい。
静香と岩泉も手をふって、母親の元へ走って行く男の子を見送った。
「俺も小さい頃、変な剣買ってもらったなぁ」
「今も買ってるじゃん、大きいお兄ちゃん」
「…うっせ」
静香のからかいの言葉を誤摩化すように、岩泉はもう1本同じ剣をケースから取り出した。
「これでいいだろ」と言う岩泉の手には、先程の男の子が持っていたものと同じ剣が2本ある。
静香もそれには特に異論もないので、二人で会計に向かう。
並んだレジの前には、あの男の子のお母さんも並んでおり、連続して3本の同じ剣が売れたものだから、店員さんは不思議そうにしていた。
同じ手芸屋の紙袋に、入りきらず柄が見えてしまっている青とシルバーのおもちゃの剣を持った二人は、100円ショップを出て、再びアイスを食べに寄った公園の横を通りかかった。
静香と岩泉が座っていたベンチには、子供を連れたお父さんらしき人が腰掛けており、横にはグローブを置いている。
どうやら子供とキャッチボールをしに来ているらしい。
「ハジメも小さい頃キャッチボールとかやった?」
「…及川とよくやったわ」
岩泉が一瞬、不意に自分の名前を呼ばれた事で黙ったのを静香は見逃さなかった。
相変わらず初々しい反応を示す岩泉には申し訳ないが、静香は内心でほくそ笑む。
「へぇ、意外。バレーじゃないんだね」
「その後にバレーにはまったんだよ。それ以降はあんまやってねぇけど」
「なるほど」
静香が相槌を打った辺りで、先程の公園を通り過ぎ、人通りの少ない裏道に足を踏み入れる。
ここから駅の方向へはこの道が近道らしく、岩泉の行く先にあわせて歩いていると、ふいに岩泉が立ち止まった。
静香も歩くのを止め、黙っている岩泉の様子を伺う。
ポケットに手をつっこみ、片方の手に紙袋を持ったまま、岩泉は何かを考えているようだった。
「…えっ、もしかして迷った?」
「流石にちげーよ」
ならば何を悩んでいるのだろう、と呑気に首をかしげた静香だったが、急に岩泉が体の向きを変え、こちらに迫って来たものだから不意を突かれて目を見開いた。
裏道は細く、建物の壁と壁の間が狭いせいで、後ずさった静香の背中はすぐに壁にくっついた。
ペタン、と静香を囲うように壁に両手をついた岩泉は、壁際に追いやられた静香の顔を何喰わぬ顔で覗き込む。
様子を窺われていることを察し、静香は努めて冷静な対応をしようと息を吐いて落ち着こうとしてみたものの、至近距離に迫っている岩泉を改めて意識しただけでもうだめだった。
きっと深い考えもなく、覚えたての「壁ドン」を早速実行した岩泉は、顔を覆った静香の指の隙間から見える赤色に満足して笑う。
「なるほどな、これが壁ドンか…」
一人納得して壁から手を離した岩泉は、なんだか不穏な発言を投下した。
「参考になった」
一体何の参考にするというのだろう。
またいつか、思い出したかのように「壁ドン」をしかけられる未来が見えて、静香は嬉しいやら恥ずかしいやらで、複雑な心境に陥った。
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