砂吐ける放課後

夏休みも終わり、文化祭と、その翌日に開催される体育祭の日が迫る。

高校生活最後の行事、ということもあり、3年生全体の準備への力の入れようは珍しく無い。
受験勉強もあってあまり時間がとれないものの、準備の時間というのは、勉強漬けの日々のいい気分転換になっていた。

そして今現在、LHRを利用しての劇の練習をしているのだが、教室の真ん中で死にそうに顔を歪めている岩泉に、静香は同情の眼差しを送った。

「気持ちが入ってない!もう1回、岩泉君!」
「か…勘弁してくれ…」
「駄目だよ!ここ見せ場なんだから…」

クラス委員長兼監督の檄が飛ぶ。
それに渋々応じ、重たい口を開きながら、岩泉は目の前に立っているお姫様役の女の子にひざまづいた。

「…わ、私の永遠の姫君よ…貴女を愛しています…」
「恥ずかしがらない!」
「ぐっ…」

他のセリフはそれなりにこなせたというのに、告白のセリフだけ上手くいかない岩泉は、厳しい監督の指導のもと、先程から告白シーンの練習ばかりさせられていた。
遠目でゲラゲラ笑っている男子を睨み、上手くセリフが言えない自分にイライラしているのか、この前買った玩具の剣を無造作にガシャガシャと抜き差ししていた。

「岩泉君大変だね」
「…そうだね」

一方、静香は教室の隅で劇で使う小道具を黙々と作っていた。
静香が演じる女騎士は、セリフも少ないし目立つ役でもない。
更にあまり出番もないので岩泉ほどしごかれない。
その静香の隣で同じく小道具を作っているのは、この劇の主役、孤独の王子役のクラスメイトである。
文芸部所属の彼だが、セリフを喋らせてみると思いの他演技派で、クラス一同目を見張った。
委員長にも絶賛される程の演技をみせた彼は、演技の練習はあまり必要ないだろう、と道具制作の手伝いに回されたのだ。

「あの騎士の役、岩泉君にははまり役だとは思うんだけど」
「うん?」
「岩泉君嘘言うの苦手そうだから、あのシーンの時だけ栗原さんがお姫様役やったら案外上手くいくんじゃない?」
「……」

それは冗談なのか本気の発言なのか。
彼とはそんなに親しいわけでもないので意図が読めず、更に真顔で言われたものだから、静香は反応に困った。

「そ、そうかな…」
「うん」

こくり、とまっすぐ目を見て頷く彼のことは、いまいち掴めない。
しかし、この掴みにくいミステリアスな雰囲気を漂わせている辺りが正にこの物語の”王子”にぴったりだと改めて思う。
謎に包まれた王子役の彼と他愛もない話をしながら作業をすること10分、静香の出番が回ってきたらしく、委員長に名前を呼ばれた。
といっても、セリフも少ないので、すぐに出番は終わるだろう。

呼ばれるままに教卓の前に広げられたスペースに歩いて出ると、やっと告白のセリフに及第点を貰えた岩泉が疲労感たっぷりの状態で立っていた。
何度も何度も愛の言葉を吐かされた岩泉は既にげっそりしているが、果たして大丈夫なのだろうか。
ちらりと委員長兼監督の様子を伺ってみたが、岩泉の様子など知った事かと台本をべらべら捲っていた。

「…岩泉、この場面終わったらもう出番無いから頑張りなよ」

こっそりと労いの言葉をかけると、岩泉は遠くを見るような目でぼんやりと呟いた。

「帰りてぇ」

切実な願いなのか、現実逃避なのか。
どちらにしても本音だという事は分かるので、静香は「お疲れ」という気持ちを込めて、ポンと岩泉の肩を叩いた。


次のシーンは、静香が演じる女騎士が、岩泉演じる騎士に想いを伝えるも振られてしまう場面である。
岩泉の彼女である静香にとってはなんとも複雑なところではあるが、まぁ劇だし、と割り切って台本片手にセリフを読み上げる。

「ラインハルト、私は貴方が好きだ」
「…おう」
「いや、『おう』じゃないよ岩泉君」

彼女に告白されたといってもこれ劇だから!という外野のツッコミに岩泉はハッとして眉間に皺を寄せる。
慌てて「悪い」と謝って気を取り直した岩泉は、次のテイクで正しいセリフを言ったものの、もの凄く不満そうに「すまない、俺には心に決めた女がいる」と宣ったものだから、再びクラスメイトが笑い出した。
すかさず委員長の指導が入り、今度は告白を断るセリフを練習させられはじめた岩泉につき合うこととなり、静香は少ない出番とセリフ数にも関わらず、教室の疑似ステージに長い時間立っていた。
結局、LHRの最後の方まで岩泉は自身のセリフを言い続けることとなった。



この日の授業を終え、部活に直行したい所ではあるが、文化祭翌日の体育祭の準備のために、体育委員である静香と岩泉は体育倉庫の中にいた。
他の体育委員は、体育祭当日のクラス毎の場所配分や入場門などの大きなオブジェの設置場所の確認など、それぞれに仕事に駆り出されている。
静香と岩泉の担当は用具の在庫確認である。
バトンやタスキ、ハチマキなどの小道具が揃っているかのチェックを任せられ、渡された用具一覧のシートにひとつひとつに印をつけていく。

「今日の練習大変だったね」

岩泉に劇の練習の話題を振れば、眉間に皺を寄せてあからさまに嫌そうな顔をした。

「だから言っただろ…。…あんな恥ずかしいセリフ言えるわけねぇ」
「練習すれば大丈夫だって」
「…したんだよ」
「えっ?」
「…結構練習したんだよ、家で」

岩泉が、あのセリフを、何度も練習していた?
あまりに予想外のことに呆気にとられるも、岩泉が難しそうな顔で、あの甘いセリフをブツブツ唱えていたのかと思うとこみ上げてくるものがある。

駄目だ静香、岩泉は真剣なのだ。
堪えろ、笑ってはいけない、笑ってはいけない。
静香は黙りこみ、弛みそうになる口端を必死におさえていたものの、岩泉にはそんなものお見通しらしい。

「笑いたきゃ笑えよ、及川には既に笑われてんだ」
「…なんで及川?」
「練習してたらいつの間にか俺の家に上がり込んでて、聞かれた」

過呼吸になるんじゃねぇかってくらい転げ回って爆笑してた。
そう言いながら思い出したのか、ギリッと歯ぎしりした岩泉に、静香は思わず吹き出してしまった。
ギロリと睨まれてしまったが、これ以上笑いを抑えられずに、静香は肩を震わせた。

「岩泉の…そういう何にでも真剣で全力なところいいと思うよ」
「お前半笑いだけどな」
「…ごめんって」

トン、と岩泉の肩に頭をつけ、身を寄せてクスクスと笑う。
「謝るつもりないだろ」と岩泉は呆れたような顔をしたものの、くっついてきた静香を引きはがそうとはしなかった。

「お前、それやれば俺が許すと思ってるだろ」
「…ばれた?」
「ばればれ、そう何度も同じ手は食わねぇ」

雰囲気に流されて気が紛れないだろうか、と思ったのだが逆効果のようだ。
腕を組んだままムスっとしている岩泉の機嫌をどうとるべきか、静香はタスキの数をかぞえるのを止めてうーんと考える。

少し前まではちょっとくっついただけで照れくさそうにしていたというのに、どうやら岩泉はそれなりに慣れたらしい。
これくらいでは動じなくなった岩泉に寂しさを覚える静香を他所に、岩泉はバトンの入ったケースを黙々と数えていく。
体育倉庫で寄り添ったまま、唸る彼女と気難しそうな顔をした彼氏が並ぶ光景は、恐らく奇妙だ。

「あ、じゃあ膝枕は?」
「……お前なぁ」

余計な話を掘り返すな、と頭を掴まれ、柔く締め上げられる。
じわりと頭に力がかかるのを感じながら、ああこれはまだ免疫無くて照れくさい話題なんだなぁ、とひそかに把握する。
しかしこの話題も、いつか岩泉に慣れたようにかわされてしまうのかもしれない。

「あーあ…」
「…何だよ」
「岩泉から初々しさが無くなっていって少し寂しい」
「はぁ?」

意味わかんねぇ、と言いたげな岩泉の表情は予想通りだ。
自身の成長に気づいていない、無自覚というのが罪作りなところである。
静香は割と岩泉の一挙一動に振り回されているから余計に。

しかし、岩泉は静香の物言いにひっかかるところがあったらしい。
暫く思案した後、岩泉はフッと軽く息を吐いた。
やや口端が上がっているのがかろうじて分かり、静香は予感して身構えた。
岩泉が何を考えているのかは分からないが、何か静香にとって予測の斜め上の行動を起こす気がする。

静香はさり気なく岩泉から距離を取ったが、岩泉はスタスタと体育倉庫の出入り口に歩いて行く。
ガン、と鉄製のドアに片手を置いて、外の様子を伺った後、ズルズルと重いドアを引いて出入り口を塞いだ。
故意的に生み出された二人きりの空間に、流石の静香も察して硬直した。

体育館倉庫に漂う妙な空気に似合わず、岩泉はイタズラを思いついた子供のような笑みで振り返る。
身構えている静香の事を視界に入れても、予想の範疇らしく、その表情は変わらない。
クスクスと笑いながら距離を詰めてくる岩泉に、静香はわけも分からず後退する。

「どうしてドア閉める必要があるの…?」
「それはこれから分かる」
「な…なんでこっち来るの?」
「そりゃ、お前が逃げるからだろ」

楽しそうに笑う岩泉は、壁際に静香を追い込み、壁に両手をついて逃がさないよう囲い込んだ。
以前覚えた、壁ドンへの持ち込み方は隙が無く完璧である。

あまりの至近距離に、直接触れてもいないのに岩泉の体温を感じているようで静香はみるみる紅潮していく。
自身の胸の前で構えた用具一覧表のシートを挟んだボードだけが、唯一、岩泉と静香との間にある仕切りだった。

「…本当、お前いつもタコみてぇに赤いよな」
「こ…この状況じゃ仕方ないでしょ」

というかタコって何だ、と言い返したいのは山々だが、目の前の岩泉と目を合わせただけでどうにかなってしまいそうで、それどころでは無い。
普段の岩泉からはあまり聞く事の無い、甘く優しい声色に耳が痺れてしまいそうだ。

「静香、それ邪魔」

それ、と岩泉が視線で指したのは、間違いなく目の前に構えたボードである。
これを取り払ってしまったらどうなるか、静香にだって流石に分かる。

嫌なわけではない、ただあまりに急な展開に頭がついていかない。
どこで岩泉のスイッチを押してしまったのだろう、と現実逃避して思考を巡らせてみても、結局目の前の岩泉は静香を逃すつもりはないし、静香が捕まる意外の選択肢は無い。

「静香」

再度、言い聞かせるように名前を呼ぶ声に、静香はゴクリと息を飲む。
そして数秒の沈黙の後、観念して目を閉じ、ボードをゆるりと下ろした。

瞬間、微かな笑い声が落ち、柔らかな熱が唇に重ねられる。
やんわりと押しつけるようにくっついた後、少し離れて再び触れ合わせる。
何度かそれを繰り返し、それでは物足りないと角度を変えて口づけ、互いの唇の感触を味わう。
こんなに何度もキスをしたのは初めてで、静香は合間で熱い息を吐きながら、岩泉の制服をぎゅっと握りしめて、必死に岩泉の熱に応える。
まるで互いを侵食するような口づけに、手に持っていたボードは足下に転がり落ち、たまに耳が拾う、ちゅ、という水音に頭がくらくらと揺れる。

「…初々しさがねぇ分、こういうことできるからいいだろ」

キスの合間、子供っぽく囁かれた言葉に目眩がした。
無邪気さと妙な色気を孕んだ岩泉の表情に、腰が抜けそうだ。

「…岩泉の馬鹿」
「はぁ?」
「…死んじゃいそう」

距離を縮めるように背伸びをして、静香から岩泉にキスを送ると、驚いたようでやや目を見開いた。
しかし、すぐに嬉しそうに目を細めてから、岩泉は静香を抱き寄せた。
触れ合った体は熱く、まるで発火してしまうような錯覚に陥るほどだ。

「死んだらキスできねぇぞ」
「…頑張って生きる」
「おう、そうしろ」

そうして放課後、目的を忘れて愛を育んだせいで、用具在庫の確認が遅れ、体育委員担当の先生に「遅い!」と2人して叱られることとなったのである。


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