優しい特効薬

文化祭と体育祭まで1週間をきり、クラスも委員会も準備で大忙しというこのタイミングで、静香は体の節々に痛みを感じながら目を覚ました。
妙に体がだるく、そして酷い寒気と頭痛に、もしやと思い体温計を取り出した。
脇に挟むこと1分、アラームの鳴った体温計の表示に目を落とすと、それなりの高体温を示す数値が並んでいた。

「嘘でしょ…」

微熱くらいなら学校に行こうかとも思ったが、こんなに高い数値を見たのは久しぶりである。
高熱を出していると分かった瞬間、体が更にだるくなり、起き上がるのも寝たままでいるのも辛く億劫だ。
どうしよう、と回転の悪い頭でぼんやりと考えるも、とてもまともに授業を受けられる状態ではないのは明らかだった。


結局、静香は学校を休む事になった。
この日は熱が下がらず、病院へ行って薬を処方してもらってから、その後は家でずっと寝て過ごした。
翌日には熱が引いたものの、大事をとって2日目も学校を休むことにしたのだが、それなりに体力の戻ったせいで眠気もなかなかやって来ない。
寝ていなければならないにも関わらず、睡魔も無くただ布団に入って天井を眺めるという状態は、なかなかに苦痛である。
だからといって他に何かをする気も起きないので、今の静香の状況を簡潔に言ってしまうと、とても暇なのだ。

布団に入り、適当に本を手に取ってはみたものの、読む気が起きずに投げ出した。
英単語帳を開いてみたが、これも本と同じ結果となる。

ベッドに入ったままだらしなく携帯を操作し、最近のやり取りなどを無意味に眺める。
そんなことをして1時間程、少し眠くなってきた辺りで最近収めた写真を保存しているフォルダを開く。
ひっそりと別のフォルダに分けてしまってある岩泉の写真を眺めながら「ああ、会いたいなぁ」と心の中でぼやく。
この前隠し撮りした寝顔の写真、沢に一緒に遊びに行った時の写真、去年友達に隠し撮りして貰った応援団姿の岩泉の写真など、岩泉ギャラリーは着々と増えつつある。
これからもっと増えるといいなぁ、とにやつきながら画面を眺めて、ぽとんと携帯を布団の上に落とした。
お昼過ぎの時間帯ということもあるのだろう、じわりとやってきた睡魔にあらがう事無く、静香はゆっくりと目を閉じた。

明日は学校に行きたいなぁ、なんて考えていたからだろうか、文化祭の準備をする夢を見た。
お姫様が頭につける冠の色を金にするか銀にするか、クラス内部で意見が割れ、大喧嘩になった。
何が皆をそこまでさせるのか、と異常な状況に気づいていたくせに、夢の中の静香は銀色を強烈に推していた。
意味が分からない。


どれくらい眠っていたのだろうか。
タンタン、ミシミシという2つの足音で静香はそんな夢から解放された。
部屋の扉の前に人の気配を感じ、静香はゆるりと目を明けた。

「静香、まだ寝てる?」

こんこん、とドアをノックしてすぐにドアが開け放たれる音を耳で拾う。
ノックの意味ないじゃん、とツッコミを入れようと起き上がってみたが、体は思いのほか軽かった。
だいぶ回復したなぁと実感しながら、ドアを開けたまま廊下に立っているお母さんに苦笑いする。

「今起きたよ…」
「なら丁度良かった。お友達がお見舞いに来てくれてるわよ」

お見舞い、という言葉に静香は母親の後で揺れた影に目を向ける。
お友達といえば、静香の頭に思い浮かんだのはバレー部の同級生やお昼を一緒に食べるクラスメイトの事だった。
わざわざ家にまで来てくれるなんてなんだか申し訳ない、などと呑気な事を考えていた静香だったが、母親の後ろから現れた人物に思考は停止する。

母親を悠に超える身長、ツンツンとした黒い短髪が覗いた瞬間、静香は夢でも見ているのかと本気で思った。


「い、わ…いずみ…?」
「…よぉ、大丈夫か」


何故ここに岩泉が。
静香の頭の中にはそれしか無かった。

岩泉を静香の部屋に(勝手に)招き入れたお母さんは、ウフフと上機嫌そうに笑って「ごゆっくり」と岩泉に声をかけている。
「あ、どうも」と頭を下げた岩泉は若干緊張した様子だった。
どうしよう私寝起きでパジャマだし髪もぼさぼさじゃないか、と静香は慌てて身なりを最低限整える。
お母さんが部屋から出て行くのを見送って、岩泉はガサリと片手に持った紙袋を静香に差し出した。


「これ差し入れ。だいぶ良くなったんだって?」
「ありがとう…って。岩泉は何でここに…というか、私の家知ってたの?」

静香は岩泉を家に呼んだ事はない。
どの辺りにあるかまでは言ったことはあるが、だからと言って静香の家をピンポイントで特定するのは無理がある話だ。
静香がそう聞いてくるのを当然予想していた岩泉は、半目になって肩を落とした。
そして、静香の質問の解答と、どうして家に来ることになったかの経緯を簡潔に述べた。

「……有馬が、静香の見舞いに行くからお前も来い!っつーから一緒に来たんだよ。そしたらあいつ、お前の家着いた瞬間『用事思い出した!』とか分っかりやすい嘘ついて帰っていった」

はぁ、とため息をついた岩泉は憂鬱そうに自身のポケットに入っている携帯に視線を送る。
ピカピカとランプが点滅しているから着信があるのだろうに、携帯を手にとる様子は無い。

「電話、出なくていいの?」
「ああ」

頷く岩泉に「何で?」と聞けば、もの凄く面倒くさそうに吐き捨てた。

「どうせ及川からだ。…俺が有馬と一緒に帰ったの気にしてんだよ、マジで出たくねぇ…」
「…ああ」

最近知ったのだが、いつの間にか及川は本命の相手である女子バレー部セッター有馬とつき合いはじめていた。
及川に気がありそうな感じはなかったのに、と不思議に思った静香は一度「及川の事好きだったの?」と有馬に尋ねたことがある。
それに対する有馬の答えが「好きになれたらいいよね」だったものだから、静香は無言で頷くことしかできなかった。
どのようにしてつき合う事になったのか興味があったのだが、それを聞くのはいろんな意味で恐ろしい気がした。

静香の家に見舞いに来るまでの流れを岩泉から更に詳しく聞いた。
下校時の下駄箱で、及川と二人でラーメン屋に寄る気満々だったところを岩泉だけ有馬に引き止められたらしい。
「岩泉に重要な話があるから私と一緒に来てくれないか」という有馬の発言に及川は終止ご機嫌斜めだった。
岩泉に何の話があるのか、と及川が聞いても有馬が答えなかったものだから、有馬と及川は喧嘩になり、及川は拗ねて帰ってしまったらしい。
及川が帰ったその後に、二人して静香の家までやって来たのだと言う。

それは及川も不安になるわ、と同情の念が浮かんだ。
そして恐らく有馬には、特に悪気があったわけではないというのが話を余計に拗らせてしまっている。

「見舞いの事くらい及川に言えば良かったじゃねーかっつったら、有馬何て言ったと思う?」
「…何て?」
「言ったら多分及川も一緒についてくるから。最近及川疲れてるから休んだ方がいいと思って黙ってた、だと…」

あの後ラーメン食べに行くつもりだったんだけどな俺達、と付け加えて岩泉は肩をすくめた。

「……それ、後で及川に教えてあげなよ」

思いの他、あの二人は綺麗にすれ違っていた。
しかし、割と有馬も及川の事は嫌いではないようだ。
いや、そうやって気配りをしている辺り、むしろ好感度は高いのではないだろうか。


「それよか、お前だいぶ元気そうだな」
「うん、かなり楽になったよ。明日は学校に行けそう」

ふふ、と静香が機嫌良く笑うと「明日ちゃんと来て数学の小テスト受けろよ」と嫌な事を言ってきた。
そういえば、明日テストやるって言ってたなと思い出し、カバンに入ったままの数学のワークブックの存在を思い浮かべる。
まずい、あまり勉強していない。

「30点切ったら補習だとよ」
「うぐ…」

岩泉により提供された情報に呻く。
とりあえず岩泉に向き直ろうと、布団から下半身を抜き出してベッドに腰掛けるように体勢を変える。
しかし、静香が体勢を整えた拍子に押し出してしまったようで、ベッドに落としたままだった携帯が床に落ちた。

ゴトンと響いた鈍い音に、静香も岩泉も落下した携帯に視線を向ける。


「落としたぞ」

カーペットに落ちてしまった携帯を手に取り、静香に手渡そうとした岩泉だったが、誤って携帯の電源ボタンに触ってしまったらしい。
岩泉と静香の目の前でディスプレイが起動し、そこに表示されたのは去年隠し撮りして貰った応援団姿の岩泉の写真だった。

一瞬の沈黙が二人を包み込み、静香はもの凄い速さで携帯を奪い取った。

寝る前に岩泉の写真を眺めていたことをこの時にやっと思い出し、眠りに入る前に何故画面を閉じなかったのかと後悔してみたところで、後の祭である。
岩泉が息を飲んだのが分かって、静香は自宅にいるにも関わらず逃げ出したくなった。

「……見た?」
「……見た」

気まずそうにこちらを伺う岩泉の様子に、静香は居ても立ってもいられずに勢い良く布団に潜り込んだ。
なんて言い訳をすればいいのか、恥ずかしくて死んでしまいたい気分である。

「いっそ殺して…!」
「落ち着けって…熱上がんぞ」

布団を被っているせいで岩泉の表情は見えないが、きっと呆れているのだろう。
なんとなく声色で様子が分かるから、余計に恥ずかしい。
岩泉もなんと反応すればいいのか困っているようで、「あー」と言葉を濁していた。

「つーか、それ去年のだろ。なんでそんなもん持ってんだよ…」
「お願い何も聞かないで言わないで、忘れてください…」

察して!と喚いてみたが、こういう時に限って岩泉は非常に鈍い。
「去年写真なんか撮った覚えねぇぞ」なんて言っているが、隠し撮りしたのだから当たり前だ。

そういえば、この写真を撮ってくれたのは有馬だった。
同時に、写真のお礼にやきそばパンを献上したことも思い出す。
そして最終的に、応援団姿の岩泉がかっこ良かったのが悪い、と心の内で酷い八つ当たりをした。


そうしてなんの落としどころも見つからないやりとりに、埒があかないと判断した岩泉は、思わぬ事を口にした。
意識的なのか無意識なのか、本当に不意をうつのは上手いと思う。

「俺もお前の写真持ってるぞ」
「……嘘…どんな写真?」

もぞりと布団から顔を出すと、思ったよりも近い場所で静香の事を覗き込んでいた。
ちゃっかり顔を出した静香を確認し、唇の前で人差し指を立て、「内緒」とニッと笑う姿にきゅんとする。
自分のさり気ない仕草に、いちいち静香の心臓が揺らいでいることなど岩泉は知らないのだろう。
天然ジゴロめ、と内心で悪態をついた。


「…あ、クラス写真とかでしょ?」
「ああ…そういやクラス写真もあんのか」

岩泉のこの反応を見ると、クラス写真では無いようだ。
しかし、ここでふと夏に沢に遊びに行った時、皆で写真をたくさん撮った事を思い出す。

皆で写真の交換会や送り合いもしたから、そのうち静香が写っているものでも貰ったのだろう。
現に静香も、このときに貰った岩泉の写った写真を大事に保存している。
静香がそんなことを思いめぐらせている間に、岩泉はベッドの傍に寄って床の上に腰を下ろした。


「お前、いつから俺の事好きだったんだ?」

静香が寝転がるベッドにギシと肘をつき、岩泉はこちらを覗き込む。
柔らかく笑うくせに、随分と意地の悪い質問をしてくるものだから、静香はソロリと視線を逸らす。
応援団姿の岩泉の写真を静香が持っていた事から、少なくとも、去年の体育祭の時点で好きだったということはバレてしまった。
もうそれくらいでいいじゃないか、これ以上私を辱めてどうしようというのだ。

「言わない…」
「そこをなんとか、教えてくれませんかね」

今度は完璧にニヤニヤといった表情で、わざわざ丁寧な言葉を持ち出す。
ああ、この顔は面白がってるなぁ。

「…教えたら、岩泉も教えてくれる?…その、」
「ん?」
「…私のこと…いつから…好きだったのか、とか」

後半は自分で言っていて恥ずかしくなり、声がだんだん小さくなっていったものだから、岩泉の耳に届いたのかすら怪しい。
ちらりと岩泉の様子を伺うと、案の定静香の言葉を聞き取れなかったようで首を傾げた。

「なんて?」
「…いや…だから、その……やっぱりなんでもない…」

私の事いつから好きだった?なんて2度も聞けるわけがない。
こんな気恥ずかしい事を良く言えたなぁ、と岩泉の相変わらずさにある意味感心する。
言い淀む静香をじっと眺めていた岩泉だったが、不意に息をついて呆れたように口を開いた。

「いつからなんて、覚えてねーよ」

何食わぬ顔で投下された言葉に、静香は唖然とした。

さっきの静香の発言を聞き取っていたくせに、わざと聞こえていないふりをしていたらしい。
そんな駆け引きのようなことがいつから出来るようになったのだろう、と半ば母親のような心境に陥る静香を他所に、岩泉は随分と楽しそうだ。

「よっしゃ言った。お前も言え」
「そっ…それは卑怯でしょ!」

思わず大きめの声を出すと、「いつもより元気じゃねーか」と笑った岩泉は、サラリと静香の髪を撫でた。


back
ALICE+