容赦無用の先制ブロック

体育祭の翌々日の休み明け、学校に登校して早々に静香はジョニーと遭遇した。

クラスメイトの誰にでも気さくに話しかけるジョニー(本名:井田)なのだが、仕方が無いというべきか、静香を見てあからさまに肩をびくつかせた。
その様子を見て、やはり先日公園にいたのは井田だったのだと確信する。

どうしよう、穴があったら埋まりたい。
内心動揺をするものの、出来るだけその感情が表に出ないように務めて「おはよう」と声をかけると、井田もぎこちなく「お…おはよう…」と返してくれた。
流石に気まずいのだろう、目線を泳がせている井田だったが、数秒して静香に視線を向け思い切ったかのように「あのさ…!」と口を開いた。
しかし、その先の言葉は紡がれる事は無く、静香の後方に視線を向けて、ジョニーは静止する。
井田の視線の方向につられて、静香もゆっくりと振り返ると、廊下の少し先で及川と岩泉がこちらに歩いて来ていた。

「あ…」と静香が言葉を漏らしたために、話しながら歩いていた及川と岩泉は2人の存在に気がついた。

「おはよー、栗原ちゃん、ジョニー君」

ジョニーのあだ名は、クラスの壁を越えたところにまで伝わっているらしい。
及川がごく当たり前のように言うものだから、静香は違和感に気づくことに遅れた。
井田は井田で、言われ慣れたあだ名に馴染みすぎているようで「はよっす」と自然に返した。
「はよ」と及川に続いて挨拶を口にした岩泉は、「何かあったっけ?」というくらいにしれっとしている。


再び井田が目を泳がせていることに気づき、静香も気まずさを取り戻す。
妙な空気を漂わせる静香と井田に、及川は緩く首を傾げる。

「…何、どうしたの?」
「さぁな」

さっさと教室入らねぇと授業はじまるぞ、と言って岩泉は軽く静香の背中を叩いた。
そうしてさっさと教室に入っていく岩泉を見送りながら、静香はある意味感心する。

分かっているくせに、しらばっくれるつもりらしい。
「じゃあね」と言って自分の教室に歩いて行く及川を認めて、静香も教室に足を踏み入れる。
入り際に一瞬だけ井田に視線を向けたが、何かを言いたげにしていたものの、井田は何も言わなかった。
静香はそれに密かに安堵し、これでこの話がうやむやに終わるだろうと、この時は思ったのだ。
ジョニーこと、井田は流石にそこまで踏み込んでは来ないだろう、と。



クラスのムードメーカーでお調子者、空気が読めないという欠点はあるが、素直で憎めない人柄も手伝って、井田は周りの人間から親しまれている。
面白い話が大好きで、この前誰が電柱で頭をぶつけただの、いけ好かないイケメンの男子(これは確か及川の事だった気がする)と他クラスの可愛い子が別れただの、くだらない話題を引っ張って来ては、それを披露する事が多かった。
ラブレターを貰ったから呼び出し先に行ってみたら、待ち構えていたのは可愛い女の子ではなく、『ドッキリ大成功!』と書いた紙を持った男子達だった、という話も聞かせてもらったことがある。
他人だけでなく自分のこともネタにしていくそのスタイルには、静香も流石という他無い。
皆が自分の話を聞いて楽しんでもらえればそれでいい、という考えが根本にあるのだろう。
思い返せば、岩泉と静香がつき合い始めたという話をバレー部伝いに耳にし、クラス全体に話を広めたのは井田だった。

日が暮れて辺りが暗い中、クラスメイトのカップルが公園でキスしている現場を目撃したというのは、面白い話に入るのだろうか。
どちらかというと、自分の身の回りで起きた悲劇として、井田なら友達に話しそうではある。
噂を広められたらどうしよう、と今になって不安に駆られる。

「この前のこと、言いふらされたらどうしよう…」

授業が始まる間際、今回の席替えで静香の後ろの席になった岩泉に振り返れば、岩泉はなんてことの無いような反応をした。

「ああ……言われてみれば、言いふらしそうではあるな」
「やっぱり…?」

不安が限りなく確信に近づき、静香は青ざめる。
それでも岩泉は先程と顔色も態度も変わらず、英語の教科書とノートをカバンから机の上に出して、平然としている。

「ま、別にいいだろ。つき合ってんだから変な話でもないし」

何故、岩泉はそこまで冷静でいられるのだろう。
以前から思っていたが、岩泉は時々、恥ずかしいという感情に鈍い。
たまに羞恥にかられている自分の方がおかしいのか?と考えてしまうくらいである。

「まぁ、言いふらすにしても俺達に直接話ふってくる事はないだろ」という岩泉の励ましの言葉は、全く励ましにならなかった。
思わず顔を両手で覆った静香は、顔だけでなく耳まで赤い。

「お前ら朝っぱらからイチャついてんなよ…」と隣の席の男子からの抗議を受け、静香の赤面はより酷くなる。
挙げ句の果てに、1時間目の授業のために教室にやって来た先生に点呼をとられた際「栗原さん熱でもあるの?」と心配される始末である。
ブルブル震えている静香を見て、思わず吹き出したのは岩泉で、それにつられてクラスメイトもクスクスと笑い出す。
そんな中、静香は頭を抱える他無かった。



昼休み、静香は昼ご飯を済ませて早々に、友達と図書室に足を運んでいた。
本日出された、来週までにこなさなければならない宿題に使う資料を借りにきたのだが、皆それぞれ、小説コーナーなどでで面白そうな作品はないかと物色をしていた。
図鑑などが並べられているコーナーで松川を見かけ、軽く会釈をしてから、静香も資料とは全く関係のない本棚の一角に足を運ぶ。

家庭科コーナーにある料理本を手にとり、さまざまな料理が紹介されているそれをパラパラと捲る。
料理本の中に「おいしい揚げ出し豆腐」を紹介するページを見つけて、静香は思わず目を止める。
岩泉の好物が揚げ出し豆腐であるとバッチリと覚えている静香には、興味を持つなというのが無理な話である。

来週提出の宿題に関する本を申し訳程度に選んだ後、料理本を手に、静香は本棚の近場にある椅子に腰掛ける。
図書館の奥の窓際、テーブルを間に4脚の椅子が並んだそのスペースで、静香は持ってきた本を広げた。


当初の目的である宿題に使う資料等そっち退けで、料理本に目を落とし、数分程経過した頃だった。
不意に静香の正面で物音がし、顔を上げると、なんと井田が立っていた。

「栗原さんも、来週の宿題の調べもの?」
「…うん」

素直に質問に答えると、井田は「実は俺もなんだよねー」と間延びした口調で言った後、目の前の椅子を後方に引いた。
朝の醜態に関する恥ずかしさが薄まってきたタイミングで、わざわざ正面の席に座って来た井田に、静香は本をめくる手を止める。
この前のこともあるというのに、こうやって静香に話しかけて来るということに、嫌な予感しかしない。

「栗原さん、何の本読んでるの?」
「…初心者でもできる!今日の晩ご飯」
「それ、宿題に使う本じゃないじゃん」

そういう井田の手に握られているのも、宿題に全く関係ない、天才外科医の名作漫画である。
パラパラとページを捲りだす井田は、どうやらそれをここで読むつもりらしい。

「岩泉に何か作るの?」

漫画を読みながら、井田にさりげなくされた質問に、静香はうっ…と言葉を漏らして固まる。
この流れはまずいのではないか、頭の中で警報が鳴り響く。
「まぁ、言いふらすにしても俺達に直接話ふってくる事はないだろ」などと朝話していた岩泉を思い出し、そんなこと無いじゃないか!と責めてみたところで、今ここに居ない本人にそんな言葉は届くはずもない。

「…えっ、違うの?」
「いや…そうです」

やや時間を置き、井田の質問に答える。
ふーん、とこちらを伺うような反応をする井田に、静香は内心冷や汗がダラダラである。
パラリ、と漫画のページが捲られる音が響くくらいには静かな図書室で、静香の周りにだけ妙に張りつめた空気が漂っている。

「岩泉って、栗原さんの前だと油断してるよね」
「…そうかな」
「うん。なんかすげぇ気を許してる感じがする」

岩泉から話題が離れない。
揚げ出し豆腐の調理過程の写真を眺めながら、静香の頭に内容は全く入って来ない。
先日の公園での出来事を突っ込まれるのではないか、という緊張感でいっぱいで、井田がこちらをじっと見ている事にすら気づかなかった。

「岩泉見てたら、彼女っていいなぁ…って思うんだよな。正直羨ましい、俺も彼女欲しい」
「…ジョニーなら、そのうちできるんじゃない?」

女の子の友達多いでしょ?と返しながら、井田が何故こんな話題を静香に持ち出すのだろうかという疑問のあらかたの見当をつける。
きっと井田は、昨日の出来頃をネタに、静香に何か揺さぶりをかけるつもりなのだ。
他に岩泉との交際に関する面白い話は無いのかと、根掘り葉掘り聞き出したいのかもしれない。

「でも俺、人生で一度も彼女できたことないんだけど」
「…誰か気になる子にでも、声かけてみればいいんじゃない?」
「あんまり上手く行く気がしねぇ…」
「そう?」

特に深い考えもなく、静香は感想を述べただけだったのだが、井田はぴたりと漫画をめくる手を止めた。

「…栗原さんは、俺とつき合いたいって思う?」
「うーん…」

どうだろう、と言葉を濁しながら、井田に対する疑いが晴れて行くと同時に、静香の肩の力はだんだん抜けていく。

これではまるで、ただの恋愛相談だ。

そわそわとしている井田を見ていると、静香の予測は勘違であるような気がしてきた。
井田には特に深い考え等無く、身近な彼氏持ちの女子に、どういう男だと彼氏にしたいのだとか聞いてみたいだけなのかもしれない。

「ジョニーの彼女になったら、毎日楽しいかもね」

いつも賑やかな彼のことだ、きっと彼女になればいつも楽しませてくれるのだろう。
そう安易に想像して言葉にしたつもりだったのだが、井田は若干反応に困ったようだった。
目の前に座る井田が急に黙ったものだから、静香は不思議そうに首を傾げる。
別に悪い事は言ってないよね…?と自分の発言を振り返ってみるが、問題がありそうなところは見当たらない。

自分の様子が伺われていると気づいたらしい井田は、慌てて漫画のページを捲り、普段通りを装い始める。
ごめんなんでもない!とアハハと笑ってみせる井田は怪しい事この上ないのだが、あまり深く詮索されたくなさそうにしているので、静香も深くは追及しなかった。

再び、互いに手にある本に目を落とし、静かな時間が二人の間に横たわる。
劇の役の関係もあり、今回の文化祭の練習時期から井田とは良く喋るようになったなぁ、と思い返しながら、静香は料理本の中の揚げ出し豆腐の完成写真をじっと眺める。

これくらい揚げ出し豆腐が上手く作れるよう、家に帰って練習しよう。
美味しく出来たら、岩泉にも食べてもらいたいが、いつごちそうできる機会があるだろうか。
ああ、お弁当を作って来るという手があるじゃないか。
岩泉ならきっと食べてくれるだろう。
そうしたら、お昼休みに二人でお弁当も食べられて一石二鳥じゃないか。
静香の中で、花畑色の今後の展望がどんどんと構築されていく中、そんなことも知らずに井田が再び口を開いた。

「栗原さんはさ、岩泉とやったりするの?」
「やる…?」

この時静香は、井田が何を言っているか上手く察するっことが出来なかった。
岩泉に揚げ出し豆腐を作って、お弁当を一緒に食べるというプランについて思考が奪われていたことも原因のひとつではあったが、まさかそんなことを聞かれるとは夢にも思わないだろう。
質問の意味を聞き返した静香に、井田は律儀にも分かりやすく、そしてストレートに言い直した。

「岩泉に抱かれたりすんの?」

ピタリ、と静香は料理本のページをめくる手を止めた。
井田の言いたい事をやっと理解した静香は、思わず顔を上げて正面にいる井田を見た。
何故そんな事を聞いて来るのか全く持って意味が分からないうえ、あまりにもデリケートな話題をこんなにもあけすけに聞かれたことが衝撃的で、静香はパクパクと口を動かすものの言葉は出てこなかった。

薄暗い部屋の中、もつれるようにベッドに沈み込む男女のイメージが脳裏を過り、静香はわなわなと口を震わせた。
じわじわと体温が上がっていくのが、自分でも良く分かる。


「で、それを聞いてどうすんだよ」

ガタン!と勢い良く静香の隣の椅子が、急にもの凄い音をたてた。

静かな図書室の片隅の一角とは言え、静香達が座る席の視界の範囲内にいる生徒は、室内に響いた物音に「何事だ?」と言いたげな視線を向ける。
集まる視線など知った事か、という様子で椅子に腰掛けたのは、岩泉だった。
憮然とした態度で腕を組み、背もたれに背中を預けた岩泉は、井田が自身の質問に答えるのを待っている。

何故ここに岩泉が。
静香と井田の頭を通り過ぎて行った疑問は、間違いなくこれだった。

あまりに急な出来事に静香は硬直するが、先程のジョニーの発言を岩泉に聞かれたと思い至った瞬間、ボッと全身に熱が伝わっていき、みるみる顔を赤らめさせた。
岩泉はむっつりと黙ったまま、真顔でじっとジョニーを睨んでいる。
隣にいる静香にすら、その威圧感が伝わって来る程である。

「いや、ごめん岩泉…つい興味本位で」
「興味本位で聞くには、随分と下世話な話題だな」

まずい…とあからさまに思っている事が顔に出てはいるが、それをなんとか隠そうとヘラリと笑っている井田に対し、岩泉は容赦無く切り込んで行く。

「しかもなんで、栗原にそんな事聞く必要があんだよ。俺に聞けばいい話だろーが」

その方が気軽に聞けるだろ?と岩泉も岩泉でとんでもない事を口にする。
これに慌てたのは静香で、「えっ」と言葉を漏らして右往左往する。
そりゃあ、静香も女友達に岩泉との交際の状況について話したりするから、岩泉も同じように友達をそういう話をしていてもおかしくはない。
しかし、そういう深い話までしてしまうのかと、静香は羞恥に襲われる。
ぽかんとしている静香に視線を向けて、井田は一瞬迷ったようだったが、あからさまに機嫌の悪い岩泉に対し、言い返す。

「…じゃぁ今聞いたら、教えてくれるのかよ」
「んな訳ねぇだろ」

教える義理もねぇしな、とボソリと呟いて、岩泉は口元だけ笑ってみせた。
俺に聞けばいいじゃねーか、などと言っておいてこんな返答をするものだから、井田も流石に呆気に取られたようだった。


「お前には一生、関係ない話だろ」


なんの躊躇いも無く言い放った岩泉に対して、井田は面食らったようだった。
静香も静香で、今の岩泉の発言にドキリとし、半ば修羅場のようなこの状況の中で、一人沸騰しそうになっていた。
静香とのあれやこれやに関係があるのは自分だけで、しかもこれから先ずっとそのつもりであるという意思が伺えるこの言葉は、状況が違えば殺し文句になっていただろう。

「で、他に何か俺に言いたい事はあるか?」

あるわけねぇよな?と岩泉の背後で無言の脅し文句がちらついている。
それを感じ取ったジョニーは、渋々と言った様子で席を立った。

「ごめん、教室戻る…」

居心地悪そうにしながら静香と岩泉に背をし、ジョニーはそそくさと図書室から出て行った。
それを見届けてフン、と鼻を鳴らした岩泉は、慌ててこの場から立ち去ったせいで井田が忘れていった漫画を手に取った。

「…悪い、変な話したな」

眉間に皺を寄せたまま、そう呟いた岩泉に視線を向け、静香は「ううん」と首を横に振った。
井田からのあの答え辛い質問からは逃れられて、安堵したというのが正直なところでもあった。

「松川からタレコミがあって来てみたんだが、正解だったな」

ボソリとそんな事を呟いて、岩泉はため息をついて頭をボリボリと掻いた。
そういえば、静香が図書室に来た頃に松川も同じ空間に居たな、と思い出す。
いつの間にか図書室から居なくなっていたが、どうも岩泉の所へ行っていたらしい。

「…やっぱりあいつ、お前にちょっと気があんな」

苦々しげに発言する岩泉は、あー…と唸りながら額を片手で押さえた。
頭が痛い、と言いたげな様子の岩泉に静香は慌てる。
どうしよう、とおろおろとしている静香に岩泉が緩く視線を向け、互いの視線がかち合うこと数秒。
カー…と仄かに頬を染めた静香を見て、岩泉はどこか安堵したように息を吐いた。
そんな岩泉も、少し顔が赤い。

「…前にさ、井田に…栗原とはどんな感じなんだ?って聞かれたことがあってよ」
「そうなの?」
「まぁ、適当に答えたんだけど…。今回のはそれが原因なのかもな…」

一体、岩泉は井田にどんな話をしたのだろう。
気になる所ではあるので、控えめに話の詳細を聞くと、恥ずかしそうに「勘弁してくれ」と言われてしまった。
視線を泳がせている様子からするに、静香には話辛いことなのだろう。
しかし、なんとなく話の方向性を察して静香も黙る。
期待してもいいのだろう。きっと所謂、惚気というやつなのだ。

「人のもんが、良く見えるんだろうよ」

また何か、あいつに変な事言われたら俺に言え。
そう言って静香の頭をぽんぽんと叩く岩泉に、静香はコクリと頷いた。
気恥ずかしさの中に、浮ついた雰囲気を醸し出す二人ではあったが、静香の友達が「何やってんの?」とにやついた表情で寄ってきたことにより、お互いにハッとして硬直する。

いつの間にか、図書室にいる生徒の視線を集めていたようで、それに気づいた岩泉と静香は、二人揃って俯いた。
それを見て楽しそうにしている友達の笑い声を聞きながら、二人はこれまた違った羞恥を味わうこととなった。


俯きながら、静香は改めて思い返す。
気がつけば、岩泉と付き合い始めて、半年程が経とうとしていた。
恋人になって初めて手を繋ぎ、抱きしめ合い、キスを交わし、次にあるのは何かだなんて、うっすらと理解はしていたものの、まだ随分と先の話なのだろうと思っていた。

しかし、ここではっきりと、お互いに意識をしてしまった。
いつか肌を合わせ、睦み合うような事をするのかもしれない。
二人にとってそれは、言う程遠い話でもないのだと。


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