騎士様が怖い
「岩泉は彼女とかいねーの?」
「いねぇ」
昼休み、席の近くの男子で集まって弁当を食べている最中「つき合ってる彼女とかいる?」という質問に、岩泉は興味無さげに答えた。
色気より食い気といった様子で、「どんな女が好みか」という話題にも大して参加せず、目の前の焼き肉弁当に集中している岩泉を見て、「あぁ、岩泉に彼女ができるのは当分ないな」なんて安心していた。
しかし、その3日後。
登校早々にバレー部の友達から「栗原さんがすげぇ告白して岩泉とつき合い始めた」という話を聞かされた。
『彼女居ない歴=年齢』仲間だと俺が勝手に認定していた岩泉に、彼女ができた。
それがだいたい、半年前の話になる。
「なぁ岩泉、栗原さんとはどんな感じ?」
「はぁ?」
なんだいきなり、と言いたげな様子で顔を上げた岩泉の手には、今年の文化祭で演じる劇の台本が握られている。
歯の浮くようなセリフ満載の役になってしまった岩泉は、最近劇の練習になると憂鬱そうにしている。
今日も今日とて、委員長にびしびし指導され、疲労の色が伺える。
「愛してる、とか言ったりすんの?」
「言わねーよ…」
脱力したように言う岩泉の言葉に「ふーん」と頷いて、井田は視線を教室の後方辺りにいる静香に向ける。
酒場のジョニー役である自分と、岩泉の彼女である栗原さんは、劇の後半で恋人になる。
劇の役だと割り切ってはいるものの、岩泉はそれがなんとなく不満らしい。
俺が栗原さんの横に立っていると若干ムスッとした表情になるからわりと分かりやすく、そしてそのことを岩泉自身が気づいていないというのが面白い話だ。
「でも好きなんだろー?」
「………」
呆れたような目でこちらを見る岩泉をからかうように笑ってみせれば、無言で視線を逸らして台本に集中しはじめた。
どうやら俺の話をスルーするつもりらしいが、そうはいかない。
勝手に彼女居ない同盟を抜けたのは、許されない事実である。
「なぁ、いつから好きだったの?」
「……」
「チューとかしてるよな、チュー」
「……」
「…もう済ませたのか、セック「おい」
バシン、手に持っていた台本を井田の顔に叩き付け、岩泉は発言を阻害する。
「教室で何を言ってんだお前…」
「あ、その反応はまだだな」
良かったー、と言えば岩泉は苦い顔をして盛大なため息をついた。
心底「面倒くさい」と言いたげな表情の岩泉を眺めるのは結構楽しい。
「で、どうなの?つき合っててどんな感じ?」
「……まぁ、順調なんじゃねーの」
井田の質問に答えなかったら更に面倒くさいと察して、岩泉はしょうがなく答えてくれる。
順調、ということは上手くいっているということなのだろうが、聞きたいのはもっと詳細な事実である。
その後も根掘り葉掘り聞き出し、岩泉もできるだけ答えられる範囲で交際状況を口にした。
始めは羞恥心にかられていたようだったが、話しているうちに慣れたのか、話す内容がだんだん惚気に変わっていく。
岩泉も惚気たりするんだなぁ、と感慨深く思ったのはここだけの秘密だ。
「いいなぁ、彼女。俺も栗原さんみたいな彼女が欲しい」
正確には、岩泉と栗原さんのような関係を築ける「彼女」が欲しい。
そんなニュアンスを汲みとったのか、岩泉は機嫌を害する事なく、カラリと笑った。
「やんねーぞ」
冗談めかしてそう言う岩泉は、幸せそうだった。
それが羨ましいと思ったのがきっかけだったのか、それから妙に岩泉と栗原さんを意識するようになった。
ベタベタとくっつきあっている訳ではないが、わりと機会が合えば二人で良く喋っている。
次の授業のテストがまずい、部活での調子がどうなど、ありふれた会話を口にしている事が多く、互いにハートを飛ばし合っているというわけでもない。
しかし、ふとした時に、あの二人が恋人なのだと思い知らされるのだ。
例えば下校前、首に巻いていた岩泉のマフラーがほどけかかっている事に気づき、栗原さんがさりげなく、そして当然のように岩泉のマフラーを巻き直したことがあった。
それに気づいた岩泉もされるがままで、整えられたマフラーを見て「サンキュ」と栗原さんにお礼を述べた。
まるで当たり前のように繰り広げられた光景に、俺と俺の隣にいたクラスメイトは呆気にとられてしまった。
更にもうひとつ。普段栗原さんが岩泉をからかうような冗談を言うと、岩泉は居心地悪そうな顔をしながら、彼女の頭をコツリと小突く。
岩泉なりの抗議なのだろうが、小突かれた栗原さんは大体嬉しそうにニコニコしているので、岩泉もつられて最後には笑っている。
岩泉は、栗原さんに甘い。
そして栗原さんも、岩泉への好意を隠してはいない。
お互いに好きのベクトルが向かい合い、重なり合っているが故の両思いというやつなのだと、二人を見ていると改めて思う。
あれが理想の恋人というものなんだろうか、と思いながら栗原さんを視線で追っていた時点で引き返していればよかったのだが、この時の俺はそんなことまで思い至りもしなかった。
そして恐らく引き金となったのは、悪天候のために男女合同で体育を行なった時のふたりのやり取りだった。
生徒の希望でドッジボールをすることになり、試合のためにコートに入って行く途中、同じチームにいた岩泉が栗原さんに呼び止められた。
思わず二人の方に振り向いてしまったのは、反射に近い。
ツイツイと岩泉の袖を引き、背伸びをして岩泉の耳元で何かを囁いた。
口の動きを見みるに「がんばってね」と言ったのだと思う。
栗原さんの高さに合わせて身を屈め、その言葉を聞いた岩泉は少し驚いたようで、やや目を見開いた。
しかしすぐに口元に笑みを浮かべ、優しげな表情で「任せろ」と返事をし、栗原さんの頭をぽんぽんと叩いた。
あの空間にだけ花でも飛んでいるのではないかと錯覚してしまうくらいに、甘ったるい空気が漂う。
しかしそれも一瞬のことで、切り替えの早い岩泉は気を引き締めてコートに足を向けた。
浮かれて失態を犯すなんてこともなく、通常運転の岩泉はなかなかの戦績を残し、チーム優勝に貢献した。
岩泉のこういう格好いいところは素直に憧れるし、感心してしまう、というのは余談だ。
健気に岩泉に応援の言葉をかける彼女、そんな彼女の応援に優しく応える岩泉。
たった数秒ほどのやりとりであったが、井田はズガンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
同時に「羨ましい」という感情がぐずぐずと別の色に染まるような心地がした。
今あそこにいる岩泉の”場所”が自分だったならば。
いつの間にか「栗原さんのような彼女が欲しい」という思いが「栗原さんが彼女に欲しい」という願望に変貌していたらしい。
それを自覚したとき、正直途方にくれたし、報われるとも思わなかった。
栗原さんは見るからに岩泉の事が好きだし、岩泉も栗原さんを大事にしている。
どうやったって勝ち目もないし、二人とも仲の良い友達である上、奪い取ってやろうという気力も無い。
そのため、ただただ友達の彼女を好きになってしまった、という罪悪感に苛まれる。
自分はどちらかといえば、馬鹿で大して何事にも悩まないことが取り柄だったのに、と嘆いた所で気持ちだけはどうにもならなかった。
時間が経てば、栗原さんの事も忘れられるだろう。
そんなことを願いながら日々を過ごしていたが、栗原さんと言葉を交わす機会があると、浮き足立ってしまうのは仕方が無いことだと思う。
特に劇の練習の時、最後に栗原さんと踊る場面があり、ダンスの練習をしている時は幸せだった。
栗原さんの腰に手を添えて、片手をゆるく握って踊るのだが、正直触れ合っているだけでもの凄く緊張したし、にやつきそうになる口元をひきしめるのに必死だった。
お互いのダンスのステップが噛み合ず、抱き合うようにぶつかる事が何度かあった。
栗原さんは申し訳無さそうに慌てていたが、女の子の柔らかい体の感触を堪能出来たので、自分としては役得だった。
酒場のジョニー役を選んで良かった!というのが文化祭の正直な感想だ。
岩泉から突き刺ささるような視線を向けられている気もしたが、「これは劇の練習だからしょうがないって!」という感じで振る舞うと、岩泉は何も言わなかった。(もしかしたら、言えなかったのかもしれないが)
そんなささやかな幸せの時間であった文化祭も終わり、翌日の体育祭の後に友達とゲームセンターに寄った後の帰り道。
クレーンゲームで取った可愛いぬいぐるみを手に、「栗原さんにあげちゃおうかな」などと浮かれていた。
今日の体育祭の借り物競走で連れ出してしまったことへのおわびだと言えば、プレゼントをするしっかりとした理由になるだろうし、岩泉だって簡単に文句は言えないだろう。
そんな企みを脳内に巡らせている途中、日も落ちて薄暗いというのに、公園のベンチに座って会話をしている岩泉と栗原さんを見つけた。
何を話しているのかは分からないが、思わず足を止めて二人の様子を伺っていると、丁度こちらの方に体を向けていた岩泉が俺の存在に気がついた。
自分を視界に入れた瞬間、口を閉ざした岩泉の様子が見て取れたので、井田は思い切って足を踏み出した。
公園にいるクラスメイトを見かけて話しかける体で、「おーい」と片手をひらりと上げて声をかける。
あわよくば邪魔をしてやろう、なんて企んでいた井田の心の内を見透かしたのか、岩泉は予想外の行動に出た。
井田の存在に気づいているくせに、岩泉はなんと栗原さんを引き寄せてキスをかましたのだ。
それも長くて熱烈で、荒っぽい。
栗原さんも誰かが自分の後方にいることは分かっていたのか、バシバシと岩泉の肩を叩いて抗議していたが、柔く封じ込められてしまった後は岩泉に体を委ねてしまっていた。
男女がキスしているところなんて、ドラマや映画でしか見た事が無い。
クラスメイトのカップル、しかも気のある女の子のそんな現場を見てしまったショックははかりしれなかった。
まさかそんな状態の二人に声なんてかけられるはずもなく、そのまま無言で帰宅し、枕に顔を埋めて落ち込んだ。
どこからどうみても、岩泉からの牽制だった。
うっすらと気づかれているような気はしていたが、恋愛絡みの話題に鈍い岩泉に希望を抱いていたのだが、流石に自分の彼女に横恋慕する男には敏感らしかった。
脳内にこの前家族で見た映画のラブシーンが過り、リビングが若干気まずい空気に包まれた時のことを思い出す。
最初はちょっとしたキスだけだったのに、だんだん男が女の体に手を滑らせて、ソファーに組み敷いた瞬間、とても耐えられずにチャンネルを変えてしまった。
あの後あの男女がどうなったのかなんて、想像は容易い。
そしてそれに重なるのは、岩泉と栗原さんの姿だった。
栗原さんは岩泉と、ああいうことをしているのだろうか。
岩泉に組み敷かれて、岩泉に身を委ね、腕を伸ばしているのだろうか。
まずこんな邪なことを考えている時点で、岩泉に殺されそうである。
脳内で好き勝手するのは自由だろうと半ば開き直ってみるが、興奮からなのか、命の危機からなのか、ドキドキと脈打つ心臓がうるさい。
知りたくないくせに、聞きたい。
そんな矛盾した感情をかかえるままに、図書室で見かけた栗原さんに話しかけた。
そして興味本位で「岩泉に抱かれたりするの?」などと聞いてしまったのがそもそもの間違いで、お姫様を守る騎士の如く登場した岩泉に、言い伏せられる始末である。
正直反省しているし、栗原さんにも岩泉にも申し訳ない事をしてしまったという自覚はあった。
図書室の失態があったものの、岩泉も栗原さんも俺を避けるようなことや態度を変えるような事はしなかった。
それにはとても救われたのだが、しかし。
当然ではあるが、岩泉は俺を警戒していた。
俺が栗原さんに気が有るかもしれない、と疑っていたであろう岩泉は、あの図書室でのやり取りではっきりと「井田は栗原静香に気がある」と認識したようだった。
そのせいで岩泉から向けられる視線が体に痛く、文化祭の後は栗原さんと話す機会もめっきり減ってしまった。
それでも朝会った時や帰りがけに「おはよう」「また明日」と声をかけるのをひそかな楽しみに過ごしていた。
そうこうしている内に12月に入り、月に1回の席替えが行なわれることになった。
くじを引き、紙に書かれた番号がふられた席につく。
ある程度後ろの方の席で、なかなかに悪く無いポジションである。
教科書を机の中に放り込んでいると、隣からガタリと机の揺れる音が聞こえた。
隣は誰だろう、と右側に顔を向けると、なんとそこに立っていたのは栗原さんだった。
「隣だねジョニー、よろしく」
図書室でのセクハラ発言のことを忘れてしまっているのか、気にしていないのか。
本当に普段通りの態度の栗原さんに、なんだか救われる心地がした。
受験があるけど、今月は栗原さんの隣で学校生活を送れるのかと思うと、正直嬉しい。
隣の席ならば会話だってたくさんできるな、なんて淡い期待を抱きながら、視線だけで岩泉を探す。
岩泉が前の方の席だったら、目を盗んで栗原さんに簡単に話しかけられるんだけどなぁ。
そんなことを考えながら視線を彷徨わせていると、ふいに後ろの席から椅子の足ををガンと蹴られた。
衝撃に思わず振り返ると、なんと俺の後ろの席に座っていたのは岩泉だった。
岩泉は背もたれに背中を預けて腕を組み、長い足を井田の席の方にまで伸ばしている。
岩泉の座る机に置かれているくじの番号は、まぎれもなく井田の後ろの席を示していた。
自分の顔がが徐々にひきつっていくのが良く分かった。
それを認めた岩泉は、ニッと笑ってみせるが、その笑みは「残念だったな」と雄弁に語っている。
「よろしくな、ジョニー」
副音声で、「お前の好きなようにさせねぇよ」と聞こえた気がした。
俺、今月生きていけるかな。
そんなことを呆然と考えている俺を他所に、隣の席の栗原さんは「また席近いね」と嬉しそうに岩泉に話しかけていた。
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