好きが振り切れる

「合格した」

嬉しそうというよりは、安堵した様子で、岩泉はこっそりと先日受けた大学の合否の報告にやってきた。
この時期ではまだ大学の合格者も少ないために、あまり公に口にするのは気が引けるのだろう。

「おめでとう!良かったね」
「おー」

お前のくれたお守りのおかげだな、なんて言って岩泉は左手の指をパクパクと動かしてみせた。
試験日前日に渡した黒ヤギのパペット人形の事を言っているのだとすぐに思い至り、静香も嬉しくてへらりと笑った。

岩泉が志望の大学に合格したことには、心から嬉しく思う。
しかしその反面、静香は未だ自分の目の前にそびえ立つ受験と尾言う壁と戦っているという現実を、改めて実感する。
静香が志望する県内の大学へは、静香の学力で合格できる微妙なラインである。
わりと勉強はしていたつもりだったが、受験の前ともなると、そんな自信も薄れてしまい、妙にストレスに感じてしまう。

「あーあ…毎日勉強ばっかりで気が滅入るなぁ…」
「なんか楽しいこと考えろ。そしたらやる気も出るだろ」
「…楽しいこと」
「おう」

何かねーの?とパックのオレンジジュースをジューとすする岩泉に対して、静香はゆるりと顔を上げる。

「…じゃあ相談なんだけど。今年のクリスマス、一緒にどこか行かない?」

気分転換にどうだろう。
岩泉は受験も終わってしまったし、予定さえあえば大丈夫なのでは無いだろうか。
それに、岩泉とクリスマスを過ごせるのだと考えたら、静香だってやる気も出るのだが。
そっと様子を伺うと、岩泉はストローを銜えたまま、無言で静香を見下ろしている。

「………」
「なんで無言になるの…?」

もしかして、嫌なのだろうか。
静香の脳裏に一抹の不安が過る。

「いや…悪い。俺も、クリスマスどっか行くか?ってお前誘うつもりだったんだけど。勉強で忙しいだろうから迷ってたっっつーか…」

先に言われちまったな、と言って岩泉は飲みきったジュースのパックを綺麗に潰した。
岩泉の無言の理由が悪い方向でなかった事に安心しつつ、静香は目を輝かせた。
そんな静香の様子に気づいた岩泉は、思わずプッと吹き出した。
分かりやすい奴だなぁ、なんて考えているに違いない。

「クリスマス、どっか行くか」

そうして岩泉とのクリスマスデートの約束を取り付け、静香は迎えるその日を楽しみに、受験勉強の最後の追い込みに集中した。
勉強で忙しいだろうから、という岩泉の気遣いで、なんとクリスマスデートのプランを岩泉が考えてくれる事になった。
いつも静香が「あそこに行こう」「ここに行こう」と提案をしていたものだから、岩泉が先導してくれるというのは新鮮だ。


そうして毎日毎日勉強浸けの日々を送り、ついに迎えたクリスマス当日。
12月ともなれば随分と気温は低いのだが、クリスマスの今日、空だけは清々しい程に晴れ渡っている。

待ち合わせ場所である駅前に着くと、10分前だというのに岩泉は既にそこに立っていた。

「ごめん岩泉、待たせちゃって…」
「いや、大して待ってねーぞ」

俺も1分くらい前に来た、と口にする岩泉の私服姿を見るのも久しぶりである。
デート自体が久しぶりな事も相まって、静香はにへにへと始終口元が緩みっぱなしだ。
それに気づいたのか、岩泉は照れくさそうにしながらも「お前表情筋だるだるだぞ」とゆるく静香の頬を摘んだ。

「ちょっ…いだだだ…」
「はは、変な顔」

岩泉は楽しそうに笑っているが、好きな人にその「変な顔」を見られるというのは静香としてはあまり嬉しく無い。
頬から手を離した岩泉が背中を向け、目的地に向かって歩き出そうとしている中、ガラス戸で自身の顔を確認する。
不細工な顔を晒していないだろうか、とガラスに写った自分とにらめっこをしていると、岩泉は呆れたように振り返った。

「置いてくぞ」
「えっ!」

待って!と静香は慌てて走り寄り、岩泉の隣に並んだ。



まず岩泉が寄ったのは、駅の近くの大型ショッピングモールだった。
クリスマス限定のイベントが数々開催されており、それに二人して参加した。

クリスマスキャンドルを作ろう、という企画で作ったミントグリーンのキャンドルはなかなかの出来で、静香は自作のキャンドルをさまざまな角度から眺める。
岩泉が作ったのは、白いゆきだるまのキャンドルだ。
作った人間に似た目つきの鋭い雪だるまを眺めて「あんま可愛くねぇ」と岩泉はボソリと零す。
静香としては、岩泉がキャンドルを作っているうえに、手の平にゆきだるまを乗せているというだけで、殺人的に可愛い画だと思う所ではある。
無言で携帯を取り出し、雪だるまをじっと睨んでいる岩泉をパシャリと写真に収める。
また岩泉ギャラリーに新たな1枚が増えたことにご満悦な静香とは反対に、岩泉は微妙な表情を浮かべていた。

キャンドル作りを終えた後、ショッピングモールの専門店を適当に見て回りながら、先に待ち受けている大学生活のことについて話した。
岩泉はなんでも大学の近くのアパートで一人暮らしをすることになったらしく、雑貨屋などで日用品を物色していた。
一人暮らしにはどんなものが必要か、などと相談しながら二人で日用品を眺めるのは、思いのほか楽しい。

「このマグカップ可愛いなぁ…」
「買えば?」
「いや…でも最近、新しいの買っちゃったんだよね」

うーん、と静香が唸っていると、岩泉は静香の手にあるマグカップを覗き込んだ。

「俺の新居に置いとけばいいだろ」

ケロッとした顔でそう言ってのけた岩泉は、目に付いたどんぶりを手に取り、「これなら米たくさん盛れるな」と吟味し始めた。
ギギギと首を動かしてから岩泉をじとりと睨んでみたものの、本人はご飯がたくさん入るどんぶりに夢中である。

殺し文句をさらりと言った自覚が無いのは、相変わらずだ。

夜遅くに点灯されるイルミネーションまでの時間潰しのためのウィンドーショッピングだったのだが、日用品の物色に夢中で時の経過も気づかず、ふと時計を見れば夕方になっていた。

慌ててショッピングモールを後にし、女の子に人気のあるお洒落なお店で晩ご飯を食べた。
まさか岩泉にこんなところに連れて来て貰えるとは思わなかったので、静香は暫し呆気に取られた。
岩泉、こんな店のこと知ってたんだ…と感心していたら、岩泉は気まずそうに真実を口にした。
どうやら及川達に、女子が好みそうな店を恥を承知で相談したらしい。
「クリスマスデートかよ!」と散々にからかわれたらしく、それを思い出した岩泉は居心地悪そうに料理を口に運んだ。
そうまでして岩泉がお店を探してくれたことが素直に嬉しく、静香が口に運んだパスタは、特別美味しく感じられた。


駅から少し歩いた所にある大通りでは、例年たくさんのイルミネーションが飾り付けてある。
クリスマスという事もあり、周りはカップルだらけで、人通りも非常に多い。
通りの中央部にあるクリスマスツリーの前でキスをすると、恋人との関係が長く続く、なんて噂話があるせいか、ツリーの周りは特に人が多い。
ただ眺めに行くだけでもかなり大変そうである。


「毎年イルミネーションなんて変わらねーのに、なんであんなに人が集まるんだろーな」

クリスマスツリーに群がる人を眺めながら、岩泉は不思議そうに呟いた。
イルミネーションを見に来ておいて、岩泉が元も子もない事を言うものだから、静香はお笑い芸人よろしく転けそうになった。
岩泉とクリスマスにイルミネーションを見るなんてロマンチックだなー、と内心浮かれていたから余計にだ。

「…じゃあ岩泉は、何でここに来たの?」

イルミネーションを見に来たんじゃないの?と静香が視線で訴えると、岩泉はふぅと息を吐いた。
冷え込む空気に吐き出された息は白く漂い、暗闇の空気に溶けていく。

「いや…長くデート出来るかと思って」

遠目にクリスマスツリーを眺めながら、岩泉はそんなことをボソリと呟いた。
ぽかんとしている静香がじっと自身を見ている事を察し、気まずそうに顔を背けていく。

今回は、自分が恥ずかしい事を言った自覚があるらしい。

顔を背けすぎて、完全に背中を向けた岩泉を眺めながら、静香は破顔する。
そうしてこっそりとカバンの中に手を入れて、中に忍ばせていた温かい布を取り出した。

寒さのせいなのか羞恥のせいなのか、耳まで赤い岩泉の様子を認めて、静香は岩泉の腕を引いた。
そうして引かれるまま、仕方なしに振り返った岩泉に、静香は手の中にあったマフラーで首元を包んだ。

「メリークリスマス、岩泉!」

深い青色のマフラーを丁寧に巻いて整えると、岩泉は目を見開いたまま、自身の首を温める布に触れた。
感触を確かめてから、無言で静香を見下ろし、そしてやっと首に巻かれたマフラーが、静香からのクリスマスプレゼントだと気がついた。

「…ありがとな」

口元を隠してしまっているマフラーを少しずらしてから、岩泉はお礼を口にした。
そうして岩泉は上着のポケットに手を入れて、白く細長いパッケージを取り出してから、それを静香に差し出した。
シンプルなそのパッケージには、細身の金色のリボンが巻かれており、右端には花のシールが貼ってある。

「俺からも、メリークリスマス」

手渡されたプレゼントをまじまじと眺めて、静香はごくりと息を飲んだ。
静香が岩泉へのプレゼントを準備したように、岩泉も自分へ何か贈り物をくれるのではないかと期待していなかったといえば、嘘になる。
しかし、こうして綺麗に包装されているパッケージを見ただけで、ほっこりと体が温まるようだった。

「ありがとう、岩泉……開けてもいい?」
「おう」

静香のプレゼントしたマフラーに顔を埋めて、岩泉はニッと笑った。
寒さのせいで少し赤くなった鼻が少し可愛い、なんて言ったらきっと変な顔をするのだろう。
そんな事を思いながら、静香はシンプルなパッケージを開封し、透明なビニールに入ったネックレスを取り出した。
ピンクゴールドのチェーンに、小さな花のモチーフがくっついた華奢なそれに見蕩れていると、不意にネックレスを岩泉が横から奪っていった。
ビニールから取り出したそれを手のひらに広げ、小さな留め具を外してから、静香の首に腕を回す。
外したときよりも悪戦苦闘しながら、なんとか静香のうなじ辺りでネックレスの留め具を固定し、岩泉は満足そうに手を離した。
「似合う似合う」なんて言って静香を眺め、岩泉はネックレスのモチーフをさらりと揺らした。
静香も胸元で光るネックレスに触れて、照れくさげに笑う。

「…なんだか、外で恥ずかしいことしてるね…私たち」
「今日くらいどうってことないだろ」

周りの人間も同じようなことしてるんだし、誰も気にしちゃいねーよ。
そう言って肩を竦めた岩泉は、静香の胸元で揺れるネックレスを見つめて、フッと笑った。

嬉しくて涙が出てきそうだというのはこういう事を言うのかと、静香はぐっと噛み締める。
ああ、今日はなんて幸せな日だろう。
俯きがちに岩泉に抱きつくと、流石に慌てたのか、周りをキョロキョロとしているのがなんとなく分かった。
しかし、数秒程して静香の背中に腕を回し、あやすようにトントンと背中を叩いてくれた岩泉は、静香がやや鼻をすすった事に気づいているようだった。




イルミネーションを見て回った帰り道。
時刻は深夜に近いこともあり、クリスマスとは言え、静香達が歩く通りは人通りも少ない。
それを良い事に、歩き慣れた地元の道を堂々と手を繋いで歩きながら、静香は「あーあ」とため息を零した。

「クリスマスを楽しみに生きてたのに、もう終わっちゃうのか…」

これからは何を目標に頑張ろうか、と静香は遠い目をする。
志望の大学に合格して、岩泉の新居に遊びに行くことがとりあえずの楽しみにはなるのかもしれない。
はぁ、と息を吐きだすと、岩泉は握っている手をクイと引いた。

「…そんじゃ、次の楽しみでも作っとくか?」
「えっ」
「受験終わったらのご褒美、準備しといてやるよ」

以前にも聞いた事のあるフレーズに、静香は密かに息を飲む。
前に岩泉の家に行った時、出題する英単語問題に答えられたら「ご褒美」をくれると言った岩泉の言葉が過る。

あの時は流れのままに、とんでもない事をしようとしていた事に二人して気づき、数日くらい会話が気まずくなったのだ。
岩泉のお母さんが帰って来なかったら、確実にもっと先の行為を行なっていただろうと静香も思うし、それは恐らく岩泉も同じだろう。
そんな恥ずかしい思い出を忘れてしまったのか、それとも故意的な発言なのか。
今の岩泉の態度からでは、それは読み取れない。

「ど…どんなご褒美くれるの…?」
「まぁ、俺に出来る範囲なら何でもいいぞ」
「…そっかぁ」

この返しも、この前と同じである。
やっぱりわざとなのだろうか、と疑いつつも、静香の脳内にはさまざまな「ご褒美」が浮かんでいく。

この前は抱きしめて貰ったし、今度はどうしよう。

胸元で揺れるネックレスに手で触れながら、岩泉へのお願い事を考える。
そして思いついた候補達の中から、きっとお願いでもしないと岩泉がやってくれそうなことを、ご褒美として選んだ。

「あ、あのさ……」

もじもじと指と指を触れ合わせて手悪さをしながら、静香は希望をおずおずと口にした。

「好き、って言って欲しい」
「……」

静香の発言に対し、無言のままの岩泉をチラリと見上げる。
予想でもしていたのだろうか、というくらいに岩泉の表情は先程と変わらず、少し目を細めたまま静香を見下ろしている。
お願い事を言う静香の方も恥ずかしいというのに、余裕そうな岩泉の様子を見ると、少しくらい照れてもいいじゃないか!と文句を言いたくなった。

「……何でそんなに冷静なの?」
「いや…なんとなくだけど。そういうご褒美要求してくるんじゃねーのかな、とは思ってたからよ」

そう答える岩泉は、照れる事も赤面することも無く、頬を染めた静香をじっと見ている。
優しげな視線で向けられている、という実感はあるので、静香は恥ずかしくてすぐに俯いた。


静香が無言で地面に視線を落とした事により、頭上からハハと楽しそうに笑う岩泉の笑い声が聞こえた。
そして岩泉は、両手の指同士を組んでいた静香の左手首を掴み、もう片方の手を頬に添えて静香を上向かせた。

そのまま流れるようにサラリと静香の唇を奪ってから、額同士を触れ合わせたまま岩泉は距離を取る。
岩泉から静香に向けられている慈愛に満ちた眼差しと至近距離で視線がかち合い、くらくらと目眩がしそうだ。


「お前が好きだよ、静香」


岩泉が控えめな声で落とした言葉に、静香は心臓を震わせた。

岩泉はそのまま目を伏せてから、静香を自身にゆるりと引き寄せ、肩口に顔を埋めた。
そして先程の言葉を、まるで追い打ちでもかけるように、静香の耳元で繰り返す。


「好き、好き、好き、好き……好きだ」


まるで刻み込むように、言い聞かせるように、染み込ませるように。
切なげな告白を耳元で囁く岩泉の表情は、残念ながら静香からは見えない。
包み込むように抱きしめられて、逃げ場もないままに愛の言葉を身に受け、静香は心臓は止まる思いがした。

今なら、死んでもいいかもしれない。

そんなことをぼんやりと思いながら、静香は岩泉の背中に腕を回した。
なんだろう、嬉しくて恥ずかしくて、泣いてしまいそうな程に胸が苦しい。


「……今、言っちゃうの…?」
「受験終わったら、もう1回言ってやるよ」

クスクスと耳元で笑う岩泉の息が耳に掛かって、少しくすぐったい。

岩泉と一緒にいると幸せだけど、いつも本当に、心臓が揺さぶられてばかりだ。
受験が終わったら、また同じような思いをするのかと思うと、今から気が遠くなってしまう。

しかし、それが癖になってしまうくらいには、静香は岩泉にほだされている上に、拗らせてしまっている。


「私も、大好き」
「…知ってる」

岩泉にトドメを刺されるのなら、もはや本望だ。


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