甘やかに迫る
1月末週、久しぶりの登校日ということもあって、教室内はそれなりに賑やかだった。
1月の大きな試験が終わってからは、既に大学が決まっている生徒は自由登校ということになっている。
この時期になると教室にやってくる生徒の数も減っていたのだが、今日という日はクラスメイト全員が揃っていた。
そのためか、久しぶりに会った友達との会話が盛り上がり、この後カラオケに行こうだの、ご飯を食べに行こうだのという会話がちらほらと聞こえる。
そんな中、すでに大学合格を決めている生徒数人が「クラスの卒業記念の冊子をつくろう!」と皆の前で提案した。
どうも一ヶ月程前から考えていたらしく、手際よく資料を配り、簡単に説明してくれた。
配られた資料に記入し、提出してくれれば後はまとめて冊子にしてくれるらしい。
そして冊子を作ることに際し、写真も募集するとのことだ。
そしてこの日、偶然デジタルカメラを持ち合わせていた岩泉は、カメラマンとして駆り出されることになった。
HRが終わり、補講を受けない生徒は帰宅する中、男子何人かと一緒に岩泉は写真を撮りに出て行った。
それを見送り、静香は荷物をまとめて図書室に向かう。
今日は補講を受けるつもりはないのだが、折角学校に来たという事もあり、少し自習して帰るつもりである。
1、2年生は通常の授業を受けている中、3年生はわりと自由に校舎内を歩ける現状は、なかなかに新鮮なものがある。
早速図書室にやって来た静香は、手頃な席に腰掛け、カバンの中の勉強道具一式を引っ張りだした。
そうして図書室で勉強をはじめて1時間程立った頃。
暗記系の内容を頭に詰めるが、温かな日差しと快適な室温が静香の眠気を誘う。
昨日もわりと遅くまで勉強をしていたことも影響し、睡魔により何度か意識が飛ぶ事があった。
開いた単語帳の中身も記憶に残らなくなり、最終的に静香は机に突っ伏した。
15分でもいいから仮眠をとろう。
それだけでもいくらかは睡魔もふどこかへ行くだろうと期待し、伏せたまま目を閉じる。
念のため、ポケットに携帯を入れてアラームをセットし、静香はゆっくりと意識を手放した。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
次に静香が目を覚ました時は、まだ空も明るく寝る前の様子となんら変わりないようだった。
しかし携帯のアラームの振動で目を覚まさなかったことから、なんとなく寝過ごしたのだと察する。
ポケットに入れた携帯を取り出し、時刻を確認すると案の定アラームは切れてしまっていた。
幸いな事に、寝過ごしたのは30分程度である。
ぼちぼち勉強を再開させなくては、と体を起こすと、静香の肩にかかっていた何かがずるりと滑った。
何だ?『何か』に触れて振り返り、静香はその正体に気がついた。
静香が身に纏っているブレザーと同色の上着ではあるが、どうみても男子生徒用のそれである。
「何でこんなものが」と肩にブレザーをかけたまま正面に顔を向けると、答えはすぐに見つかった。
ブレザーの持ち主であろう人物が、カッターシャツにセーターを着た状態で、机に伏せて眠っていた。
ツンツンとした短い黒髪を見ただけで、それが岩泉であるとすぐに察した。
隣の椅子に置いているカバンから、静香がクリスマスに渡したマフラーが覗いており、すぐにそれは確信に変わる。
静香の対面に座り、静かに寝息をたてている岩泉の傍には、デジタルカメラとシャーペンが転がっている。
何でここに岩泉が。
体を傾けて様子を伺ってみるが、特に起きる気配も無い。
岩泉がクラスの卒業記念冊子に載せる写真を撮っていたことを思い出し、静香は机の上に転がされたデジタルカメラを手に取る。
朝からバシャバシャ撮っていたから、きっとたくさん写真が収められているはずだ。
どんな写真を撮ったのだろう。
何の気無しに履歴を開いた瞬間、目の前に飛び込んで来たのは、図書室の机に伏せて眠っている静香の写真だった。
それを見て思わず硬直し、静香はさっと岩泉に視線を向ける。
未だ夢の中の岩泉を見下ろしながら、「一体何を撮っているんだ…」と頭の中でツッコミを入れる。
若干照れながら、次の写真の履歴を見ると、またもそこには眠っている静香の写真が映し出される。
結局、合計4枚程の自分の寝顔の写真を見つけることとなり、静香はカメラを持ったまま頭を抱えた。
岩泉が何を思って静香の写真を撮ったのかと考えるだけで、顔から火が出てしまいそうなくらいに恥ずかしい。
この写真をクラスの冊子に載せるつもりだったのだろうか。
それとも個人的にこの写真が欲しかったのだろうか。
静香は岩泉の写真を家で眺めたりしているのだが、もしかしたら岩泉もそういうことをしているのだろうか。
浮かれた事を考えている自分が恥ずかしくなり、思わずぶんぶんと頭を振った。
今は図書室にいる生徒も数人で、静香の奇行に気づく生徒もいないことがありがたい。
ふぅ、と息をつき、静香は落ち着きを取り戻す。
しかし、正面で眠りこけている岩泉を見てしまっては、口元だけはだらしなく緩んでしまう。
きょろきょろと周囲を見渡し、人がほとんどいないことを確認した後、静香はそっと席を立つ。
岩泉のブレザーを肩にかけたまま、そそくさと岩泉の隣の席に移動し、静かに椅子に腰掛けた。
それでもやはり、岩泉は起きる気配はない。
自身の腕を枕にし、目を閉じている岩泉の表情はどこかあどけない。
そんな岩泉の腕の下敷きになっている一枚の紙に気づき、静香はそっとそれを覗き込んだ。
途中まで書き込んであるそれは、クラスの卒業記念冊子を作るため配布されや質問用紙だった。
高校生活一番の思い出は?一番頑張ったことは?などの定番の質問から、好きなアーティストは?好きな色は?などの今更聞いてどうするのか、というような質問まで、内容は様々である。
クラスメイトにこの質問用紙を書いてもらい、それを最終的に一冊の冊子にして配る予定らしい。
静香が寝ている間に、岩泉はこれを書いていたのだろう。
手元に転がっている、使い込まれたシャーペンがそのの証拠である。
質問用紙の下の方にある「高校生活の一番の思い出」の項目には、力強い字で「バレー!」と書かれており、静香は思わず破顔する。
好きな色、好きな食べ物、など見える範囲の質問と答えを順番に読みながら、ふとある質問のところで静香の視線は釘付けになる。
『好みのタイプ』
目に飛び込んで来た項目の答えは残念ながら、岩泉の腕の下敷きになって確認できない。
興味を持つなというのが無理な話で、静香は慎重に紙をひっぱってみた。
しかし、しっかりと押さえ込まれた紙は動かず、これ以上無理に引き出すと岩泉が起きてしまう恐れがある。
なんて書いてあるんだろう、と静香はそわそわとしながら息を飲む。
先程まで勉強をしていた時よりも頭を回転させ、この気になる質問の解答をどうやって確認しようかと静香は無言で考える。
しかし、1分程考え込んだものの、結局妙案は思いつかない。
最終的に、岩泉が起きた時に隙を見て質問用紙を抜き取り、内容を確認することにした。
そういえば、静香が岩泉に片思いをしていた時期に、及川が岩泉のタイプを教えてくれたことがあった。
及川は「リードしてくれる年上のおねーさん」などと言っていたが、あれは果たして本当だったのだろうか。
自分が及川の言う「岩泉の好みのタイプ」に当てはまるのかと言われれば、静香は言葉を濁す他無い。
どちらかと言うと、リードしてくれるのは岩泉の方で、静香はだいたい翻弄されている。
及川も適当に言ってみただけのような気もするが、その本当の答えは岩泉しか知らない。
そしてそれを面と向かって聞く事ができるのかと言われれば、なかなかに気恥ずかしい。
だからと言って、岩泉が正直にこの質問用紙に「好みのタイプ」を書いてくれるのかは怪しいところではあるのだが。
結局どうにもならないんだよなぁ、と心の内でぼやいて、静香は何気なく時刻を確認する。
後10分程で1、2年生達が受けている授業が終わる頃である。
休み時間ともなれば、図書室にやってくる生徒もちらほらと増えるだろう。
そんな人目がある中で、岩泉のブレザーを肩にかけたままだと流石に注目されてしまうかもしれない。
今のうちに脱いで岩泉に返しておこう、と静香は岩泉のブレザーを握り、男物の上着の大きさに気づいて動きを止めた。
肩にかかっているブレザーは、当然ながら静香の体よりも一回り以上に大きい。
及川や花巻、松川と並ぶと「一番小さい」と言われてしまう岩泉ではあるが、普通の高校生や大人と並ぶと、充分に背は高い。
そんな岩泉に抱きしめられれば、静香は裕に腕の中に収まってしまうのだ。
背中に腕を回され、包み込まれるように抱擁されると、このまま岩泉に溶け込むことができるのではないかと、いつも錯覚してしまう。
先日の久しぶりのデートの時も、自身と岩泉の体格の違いをまざまざと思い知らされて、静香はたまらなくなった。
自身の大きな体に強引に引き寄せているくせに、静香の腰に回した腕は酷く優しい。
罪深い矛盾を孕んだ岩泉に「逃がすつもりは毛頭ない」とばかりに押さえ込まれては、静香がどうしようがビクともしない。
結局あの日は『静香のキスの練習』と称して、死にそうになる程に口づけの応酬が続き、静香は骨抜き状態だった。
このまま美味しく頂かれてしまうのではないか、今日はどんな下着つけてきたっけ、などとぼんやりとした意識の中で、静香はそんなことを考えていた。
このままベッドにでも連れて行かれるかと思ったのだが、しかし、岩泉はそうはしなかった。
「安心しろ、お前の受験が終わるまで手は出さねーよ」
至極楽しそうにそんな事を言われてしまっては、静香は何も言い返せない。
暗に、受験が終わったら手を出すぞ、と宣言されたようなものだった。
だから覚悟をしておけと、事前に伝えてくれるのが岩泉の優しさではあるのだが、それすら静香には刺激的だった。
いつだって岩泉は、静香の心臓を掴んで離さない。
そんな事を思い返していた矢先、膝に置いていた左手に、不意に温かい手が這わされて静香は肩を跳ねさせた。
思わず左手に視線を向けると、左腕を枕にした状態で、静香の手に指を絡ませていく岩泉と目があった。
「…起きてたんだな」
寝起きだからなのか、岩泉はぼんやりとした表情でそう呟いた。
寝ぼけているその様子とは裏腹に、静香の左手の指を絡めとっていく手だけは異様に生き生きとしている。
「それはこちらのセリフだ」と言うように岩泉に視線を落として、静香は机の下で握られた手を握り返した。
「岩泉こそ、いつからここにいたの?」
「あー…わかんね。ここ来たらお前もう寝てたし…」
だとすると、30分程前に図書室にやってきたのだろうか。
図書室に何か用があったの?と静香が尋ねる前に、先に岩泉が疑問を口にした。
「というか、何でお前俺の隣にいんの?」
「…あ」
そうだ、と思い出し、静香は岩泉が体を起こしたのを見計らって一枚の紙を覗き込んだ。
ん?と首を傾げた岩泉も、先程まで自分が下敷きにしていた質問用紙に目を落とす。
しかし、先程から気になっていた岩泉の『好みのタイプ』の項目は、空白のままだった。
それを見て、「なんだ…」と静香は内心肩を落とす。
純粋に岩泉の好みが知りたかった事が半分、好みのタイプに自身が沿えているか知りたかったが半分。
ある意味で期待していた静香のことなどつゆ知らず、岩泉は質問用紙を手元に寄せた。
「この紙さっさと書いて提出しちまおうと思ってたんだけどな…寝てるお前見てたら、俺もなんか眠くなってきてよ…」
ふぁ、とあくびをする岩泉はいまだ眠そうである。
確かに、今日のような登校日ではないと岩泉は学校に来る事もあまり無いし、登校日ついでに片付けてしまったのだろう。
それにしても、何故わざわざ質問用紙を図書室で書こうと思ったのだろう。
純粋に気になって質問すると、「学校の中で一番快適そうだろ」とあっさりとした答えが返って来た。
そうして質問用紙に目を落とした岩泉は、静香が気になっている項目に目を止める。
「好みのタイプか…あんま考えたことねーな…」
しかし、ここで岩泉は緊張した様子の静香に気づき、「あぁ…」と静香の心の内を察した。
岩泉が起きて早々に、静香が質問用紙を覗き込んだ理由もこれで分かったのだろう。
じっとしている静香と視線を合わせてから軽く吹き出し、からかうように口を開いた。
「しゃーねーな、『好みのタイプは静香チャン』って書いといてやるよ」
「……本当にそう思ってる?」
やれやれ、と肩を竦める岩泉に問いかけると、岩泉は肩肘をついて不敵に口端を上げた。
「こういうことしておいて、好みじゃねぇわけねーだろ」
机の下で繋いだままの手を、まるで思い知らせるかのようにぎゅっと握られ、静香はドキリとして言葉を詰まらせた。
人気の少ない図書室で、まるで秘め事のように繋いだ手に、じわりと汗が滲んだ気がした。
「そっか…」と呟いてドギマギしている静香を見て機嫌の良さそうな岩泉は、ついでとばかりに畳み掛ける。
「何か、やましい事してるみたいで良いな、これ」
「……馬鹿」
岩泉をじとりと睨んでみるも、痛くも痒くもない、と言うかのように岩泉は楽しげなままだ。
最近の岩泉は、随分と明け透けな事を言う。
この前の久しぶりのデートの時もそうだったが、だんだん歯止めが利かなくなっているような気がする。
いや、歯止めが利かない、というのは正しくない。
岩泉は最近、故意にブレーキを踏むのをやめているようなのだ。
じわりとアクセルを踏んで、そのままじりじりと追い込んできているような、そんな感覚。
「嫌がってねぇお前も同罪だろ」
岩泉の言う通りだ。
嫌がっていないどころか、どこかで期待している静香も、岩泉の事を言えたものではない。
さっさと脱いでしまえばいいものを、いまだに肩にかけたままの岩泉のブレザーが、その何よりの証拠である。
岩泉に抱きしめて貰っているような感覚がするからブレザーを離しがたいと白状すれば、今の岩泉なら「本物が抱きしめてやるよ」とでも言って退けそうだ。
絡めた左手の指を解き、確かめるように絡め直すと、岩泉の大きな手もそれに応えてくれる。
優しく、じっと静香の様子を伺っている狼に、静香は食われる心の準備を整える他無い。
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