それを知るのは後の話
「果たし状とかすごいね、初めて見た」
可愛らしい便箋に、不釣り合いな達筆で書かれた文面を眺めながら、松川は感心しているようだった。
花巻に至っては、無言で携帯を取り出し写真に収める始末である。
「昔俺達も遊びで書いたな、果たし状」「そういえばそうだね、懐かしー」と岩泉と及川は平穏な会話をしているが、静香はそんな呑気な事は言っていられなかった。
果たし状の内容は、簡単に言うと「お前がはじめ君に本当に見合っているか確認するから、今度の日曜日に公園に来い」とのことだった。
呼び出されて、一体何をされるのだろう。
一人顔を青くしてそんなことを考えていたら、丁度5組の教室に、元女子バレー部セッターであり、及川の彼女である有馬がひょっこり顔を出した。
「何やってるの?」
バレー部の集まりをみれば、当然の反応である。
顔色の悪い静香を見た有馬は、静香の手の中にある手紙をさり気なく覗く。
そして一番に目に飛び込んで来るであろう「果たし状」という文字に、当然ながら視線を止めた。
「えっ…どうしたの、それ。静香が貰ったの…?」
「…うん」
どうしよう、と固まったままの静香の様子を認めて、有馬は同情の念を抱いたらしい。
可哀想に…という表情を浮かべ、有馬は静香の肩をポンと叩いた。
「安心しなよ静香。私も果たし状貰ったことあるから」
「えっ」と間抜けな声を漏らしたのは及川だった。
「案外どうにかなるよ」などと助言までしている有馬は、件の果たし状の差出人である『美雪ちゃん』が岩泉のいとこであること、そして小学生であることを知らない。
有馬が一体、どういう状況で果たし状を貰う事になったのか、静香を含む全員がなんとなく察し、及川の方へチラリと視線を向ける。
当然及川も思い至ったのか、真面目な口調で「いつ誰に、そんなもの渡されたんだよ」と有馬に問いつめるも、彼女はそれを無視して親指を立てた。
「助っ人にはいつでも呼んで」
彼女の周りで一体、何があったのだろう。
良い笑顔でそう言いきった有馬は、顔を引きつらせた及川に「ちょっと来い」と腕を掴まれ連行されて行った。
そうして、迎えた日曜日。
とりあえず指定された公園にやって来た静香は、空いたベンチを見つけて腰掛ける。
待ち合わせ時間には15分程早くついたため、ぼんやりと公園の様子を眺めながら時間を潰す。
ぐるりと辺りに視線を向けると、遠目に見える噴水の辺りに腰掛けている綺麗なお姉さんが、ナンパらしい男に声をかけられていた。
「今一人?」「いえ、人と待ち合わせをしているので」と、ドラマで見た事のあるような会話をしている二人を眺めていると、不意にとんとんと肩を叩かれた。
「おねーさん、今一人?」
「………」
ゆるりと振り返った先には、何食わぬ顔で岩泉が立っていた。
ナンパのまねごとのような話のかけられ方をされ、静香は少なからず呆気にとられる。
何でここに岩泉が…とは思ったが、果たし状の内容を知っているのだから、別にここが分かっても不思議ではない。
「…ごめんなさい、今人と待ち合わせをしているので」
「生憎、待ち合わせしてる奴は遅刻だとよ」
ドカリと静香の隣に腰掛け、背もたれにギッと寄りかかった岩泉は苦笑いを浮かべる。
「今日もあいつ家に来てんだけど、宿題終わらせないと遊びに行くの禁止令出されてんだよ」
「…そうなの?」
「そうそう。今泣く泣く宿題やってるから、来るまで1時間くらいかかるかもな」
やれやれ…と言いたげな様子の岩泉は、この果たし状の事をどう思っているのだろう。
静香はそれを聞こうと息を吸ったが、岩泉の方が口を開くのが早かった。
「なんか悪いな、美雪が迷惑かけて。今日だって別に来なくても良かったのに…」
「…ううん。美雪ちゃん、岩泉の彼女が私で納得いかないんだよ。できたら今日、それを認めて貰えればいいんだけど…」
きっと美雪ちゃんの中では、岩泉に彼女がいるという事実だけでも愉快ではないだろう。
しかし、静香とて岩泉を譲る気もなければ、このままずっと一緒に居たいと思うくらいには、岩泉の事が好きなのだ。
ならば彼女にどうにか認めてもらうよう、自身が頑張るしかない。
罵られることもあるかもしれないが、美雪ちゃんが静香に嫌な感情をぶつけてすっきりとするなら、それでいい。
そんなことを考えながら、静香は遠目で噴水の辺りを眺める。
ナンパに失敗した男の姿は無く、先程ナンパされていた女性は未だに、待ちぼうけをしている。
「お前……」
隣に座る岩泉が何かを言いかけた時、目の前を通りかかった男の子が不意に足を止めた。
「…はじめにーちゃん、何してんの?」
岩泉に視線を向け、バレーボールを抱えて足を止めたこの男の子には見覚えがあった。
確か、岩泉と付き合い始めた時期くらいに、一緒に公園でバレーボールをした男の子ではなかっただろうか。
「ヒロキ?お前こそ…なんでここにいんだよ」
「バレーしに来ただけ。…はじめにーちゃんは、またデート?」
すっと静香に視線を向けて、ヒロキ君はニタリと笑う。
悪戯っぽく笑うこの顔を、静香は忘れられるはずも無い。
前に一緒にバレーをした時、罰ゲーム有りのラリーでミスをした静香に、「岩泉の好きなところを10個言え」と言い放ったのは彼である。
当時はもの凄く恥ずかしくて、勘弁してくれと思ったものだ。
「いや、デートっつーわけでもねぇんだけど…」
「ふぅーん」
ちらりと静香の方に視線を向けてから、ヒロキ君は再び岩泉に視線を戻し、「今ひま?」と首を傾げる。
「…まぁ、暇じゃねぇこともねーけど…」
「じゃあ、一緒にバレーしない?」
ヒロキ君は、ポイとバレーボールを岩泉に投げて寄越す。
それをキャッチした岩泉は、「バレーすんのはお前だけか?」とヒロキ君に尋ねた。
もはやそれだけで返事をしたようなもので、静香は「動きやすい靴を履いて来て良かった」と立ち上がる。
「皆とあっちで待ち合わせしてるんだ」
ヒロキ君が指差した先、奥の広場の方を見れば、小学生の男女がわらわらと集まっている姿が見えた。
遠目にも、以前一緒にバレーをした見覚えのある子供達が伺える。
そして、宿題を終えてやって来るであろう美雪ちゃんを待つ間、岩泉と静香は、ヒロキ君達とバレーをすることになった。
静香も久しぶりにバレーボールに触れるということもあり、気分が少し高揚する。
しかし、もうあの罰ゲーム有りのラリーはしたくない。
そう思いながら、公園の広場に集まっているヒロキ君の友達達のところへ行けば、彼らはしっかりと静香の事を覚えていた。
そして、嫌がらせのように「ラリーをしよう!」と元気に提案してくるものだから、静香は表情をひきつらせる。
岩泉は岩泉で、前回の静香の公開暴露の事等忘れているのか、わりと乗り気である。
今度は何を言わせられるのだろう…と身構えた静香だったが、今回の彼らの矛先は岩泉に向いた。
「はじめにーちゃん。もしミスしたら、静香ねーちゃんの好きなところ10個言ってね」
「は?」
ラリーが始まった瞬間、ヒロキ君がさらりとそんな事を言うものだから、静香が危うくボールを取り落としそうになった。
あからさまに体勢を崩した静香に、周りの子供達に「何やってんだよ静香ねーちゃん」と笑われて、非常に恥ずかしい。
岩泉は岩泉で顔色を変え、丁寧にボールをレシーブする。
絶対にボールを取り落とすか、と言わんばかりに気合いを入れて構える岩泉を横目に、静香は冷静になろうと心がける。
岩泉が自分のどこを好きなのか、正直聞きたいところではある。
しかし、そんな事を言われたら言われたで、経験上静香の心臓は保たない気がするのだ。
更に、これだけいる小学生の前でそんな事を言われてしまえば、尚更である。
そんな複雑な心境に陥りながらも、静香は最終的に岩泉を応援することにした。
他の小学生達全員が岩泉にボールを返している中、静香は子供達に満遍なくレシーブを返す。
「静香ねーちゃん、聞きたくねーの?」
「…は、恥ずかしいからいい…」
「ええー、つまんないなぁ…あっ」
静香にそんな事を言っていたヒロキ君がボールを取り落とした。
静香に話しかけて気をとられたタイミングを見計らって、岩泉がボールを返したのが分かり、ヒロキ君は表情を歪める。
「あーあ、ヒロキ罰ゲーム!」
「何がいい?」
「…何でもいいよ」
諦め顔のヒロキ君に言い渡された罰ゲームは、10秒間ひたすらにくすぐられるという『くすぐりの刑』である。
執行人に指名された静香は、やや緊張した面持ちのヒロキ君と視線をあわせ、にこりと笑ってみせた。
今まで散々にからかってくれた仕返し、とばかりに脇腹をくすぐりあげ、ヒロキ君は涙目になっている。
それを見て、皆がげらげらと笑っている中、ふいに第三者がバレーの輪に声をかけた。
「何やってるの?」
じゃり、と地面を踏みしめ立っていたのは、美雪ちゃんだった。
すっかりバレーをすることに夢中になっていたせいで、静香も岩泉も、今日の当初の目的を忘れてしまっていた。
顔を青くした静香に対し、ヒロキ君達男の子は同年代の美少女の登場に視線を奪われている。
そんな一同の様子を眺めながら、美雪ちゃんは可愛らしい顔を歪めて、岩泉に視線を向けた。
「はじめ君、何でここにいるの?コンビニに行ったんじゃなかったの?」
「…いや、偶然静香を見かけて…」
どうやらコンビニに行くと理由をつけて出て来たらしい岩泉は、気まずげに美雪ちゃんに視線を向ける。
恐らく、岩泉が何故ここにいるのかなんとなく察したのだろう。
今度は静香が美雪ちゃんに睨まれてしまい、慌てて謝罪する。
「ご、ごめん美雪ちゃん…」
「………」
無言のままの美雪ちゃんは、機嫌があまりよろしくない。
無言のまま固まっている静香と、眉をひそめている美雪ちゃんの様子を見かねて、岩泉は強引に間に入った。
「お前もするか?バレー」
もの凄く無理のある誤摩化し方だと、静香は思った。
強引過ぎたか…と岩泉も思っているのか、表情が若干硬い。
じとっとした目で二人を見ていた美雪ちゃんだったが、周りから向けられる視線に気づき、はぁとため息をついて腕まくりをした。
「いいよ、私もバレー好きだし」
そして、何故か美雪ちゃんもラリーの輪に参加することになった。
果たし状のことはいいのだろうか?とは思ったものの、ボールに触れる美雪ちゃんはなんだか楽しそうである。
岩泉の話が本当ならば、美雪ちゃんはさっきまで宿題をしていたはずだ。
もしかしたら、家で勉強していたせいで普通に遊びたくなったのかもしれない。
そうして美雪ちゃんを加えて、ふたたびラリーは再開する。
ミスをすると罰ゲームがあると知るや否や、美雪ちゃんは取りにくい球を静香に寄越し、丁寧な愛のある球を岩泉に返していた。
あからさまな美雪ちゃんの態度に、ヒロキ君達もなんとなく状況を察する程である。
こっそりと「静香ねーちゃん何かしたの?」とタイチ君に話しかけられ、静香は苦笑いを浮かべる他無い。
そうして罰ゲームありのラリーを続けること数回。
慣れてくる誰もミスすることなく、ひたすらに同じことを繰り返すものだから、流石に飽きてきてしまう。
あと1回、誰かがミスをしたら切り上げよう。
そう言って最後のラリーを始めたのだが、そこで予想外の事が起こった。
軽いボールが飛んできて、それをいつものようにレシーブした静香だったが、タイミング悪く風が吹き、静香のスカートを巻き上げた。
「あっ!」と声を上げて慌ててスカートを抑えた静香だったが、顔をあげると全員がこちらをばっちり見ていて泣きたくなった。
そして当然ながら、それを視界に入れた岩泉は不意を付かれたらしく、飛んで来たボールを取り落とした。
コロコロ…と地面に転がるボールを見て、ヒロキ君はニタリと笑う。
「よっしゃ!はじめにーちゃん罰ゲーム!!」
「………」
片手で顔を覆っている岩泉は無言である。
もしかして下着を見られたのだろうか、と羞恥にかられていた静香は、「ナイス静香ねーちゃん!」と親指をたてられても、全くもって喜べなかった。
今日どんな下着だったっけ…?と昨晩の風呂上がりの事を思い出していると、ヒロキ君は「待っていました!」とばかりに罰ゲームを宣告した。
「じゃ、はじめにーちゃん。静香ねーちゃんの好きなところ10個言って」
それを聞いた瞬間、美雪ちゃんは目を見開いた。
立ち尽くしている岩泉に子供達がはやしたてる中、静香はハッと意識を取り戻す。
まずい。
こんな状況で岩泉に、静香の好きなところなど言わせでもしたら、美雪ちゃんがどう思うか。
何とも言えない顔をしている岩泉が、うっすらと口を開いた。
瞬間、静香は勢い良く踏み出し、声を出そうとした岩泉の口を手のひらで塞いだ。
「いいよ岩泉…無理して言わなくて」
むぐ、と言い淀んだ岩泉は、口を抑えている静香を戸惑気味に見下ろす。
ちらり、と静香が後方にいる美雪ちゃんの方に視線を送ると、岩泉はなんとなく察したようだった。
静香がゆっくりと手を離しても、岩泉は沈黙を守ってくれる。
それを確認し、静香はひとまずホッと息をつく。
さて、後は期待の眼差しを向ける子供達をどう誤摩化すか。
数秒で次にどうするか考え、静香は子供達の方へ振り向こうとした。
しかし、振り向き様に右手首を掴まれ、静香は後方を向く事ができず、正面の岩泉に向き直る。
「そういう、誰にでも気遣いができるところ」
「…え?」
何を、と呆気にとられている静香を視界に入れても、岩泉の表情は特に変わらない。
力なく垂れたままの左手首もさり気なく掴まれ、静香は既視感のある危機感を覚えた。
「そんで、分かりやすいくらいに表情ころころ変えるところ」
「…岩泉」
背中に受ける子供達の視線を感じながら、静香は喉が酷く乾いていくな心境に陥る。
集まる視線の中には、当然ながら美雪ちゃんも含まれているのだ。
彼女が傷つくのは必死であるこの状況を回避しようとしたというのに、岩泉はそうするつもりはないらしい。
「照れるとすぐ赤くなるところ」
「ま…待って、岩泉」
「待たねぇ」とグイと両腕を引かれ、居住まいを正させられた静香は、いろんな意味で泣きそうだ。
やや強引な岩泉の行動に、周りで見守っていた女の子達が「きゃあ!」と黄色い悲鳴をあげ、男の子達は赤面する。
なんて拷問?と誰かに尋ねたくなったが、生憎静香がそれを言える相手は周囲には居ない。
「俺がやったネックレス、デートの度につけてくること」
「…そ、れは内緒なんじゃ」
「自分から誘っておいて、いざ俺がその気になると腰が引けるところ」
「!」
何を言っているんだ!と静香がカッと目を見開くと、岩泉は微かに笑う。
こいつらにはわかりゃしねーよ、と言っているような気がするが、そういう問題ではない。
「自分で言うのもあれだけど、俺の事、好きでいてくれること」
「………」
「ありがとな」
がちりと硬直している静香の様子を眺めながら、岩泉はしたり顔で笑う。
「…で、今何個だ、静香?」
「……分かんないよ」
腕を掴まれているために、顔を覆い隠すこともできない。
何で岩泉はいつもそうなのか、と嘆いたところで、心を根こそぎもっていかれてしまうのだから、ただの負け惜しみにしか聞こえない。
「ひゅーひゅー」とからかうような声が背中にかかり、静香は必死に口元を引き締めて俯いた。
もはや美雪ちゃんの事を心配する余裕も無く、自身の高ぶる感情を抑えるのに手一杯だ。
じゃり、と地面を踏んで、誰かがこの場から走り去っていくのが気配で分かった。
それが美雪ちゃんなのだと思い当たり、静香は自身の不甲斐なさにほとほと呆れた。
「心配すんな」
とん、と静香の肩を叩いて、岩泉は走り去る足音を追ってこの場を離れた。
取り残された静香は、暫く先程の岩泉から言われた言葉の数々を思い出しながら、しゃがみ込む。
解放された両手で顔を覆う事は許されたが、ニヤつく小学生達の好奇のまなざしを受けざるを得ない状況に、静香はしばし唸る。
「はじめにーちゃん、かっこいい…」
「…やっぱり、彼氏にするならああいう人がいいよね…」
ませている女の子達は、しみじみとそんな話をしながら、静香が回復するのを待っている。
年相応な男の子達は、急に目の前で繰り広げられた恋人達の甘い空気にあてられて惚けている者、空気が読めずにケラケラと笑っている者と半々だった。
そうして、静香が落ち着きを取り戻してから数分後、岩泉は美雪ちゃんを連れて公園へ戻って来た。
未だむすっとした表情の美雪ちゃんではあったが、すたすたと静香の前にまで歩いてくるや否や、「あの手紙の事は忘れて」とツンとした態度で言った。
それに目を見開き、静香は岩泉の方に顔を向ける。
腕を組んだまま、やや首を傾けた岩泉は「そういうことだ」と口端を上げる。
どうやら、岩泉は美雪ちゃんに何かを言ってくれたらしい。
フンと鼻息を鳴らした美雪ちゃんは、面白くなさそうであったが、最初会った頃の険悪そうな表情はしていない。
それどころか、惚けている静香と岩泉を見上げて、ニタリと笑う始末である。
「はじめ君、まだ罰ゲーム全部やりきってないんじゃない?」
ぎくりと肩を揺らした静香を認めて、美雪ちゃんは岩泉と同じように腕を組み、首をかしげてみせた。
こうしてみると、どことなく雰囲気が似ている気がするから、やはりいとこといった所だ。
美雪ちゃんのどこかすっきりとした様子を眺めながら、静香は一人思案する。
岩泉は一体、何を言ったのだろう。
後日、静香が尋ねても、岩泉は適当にはぐらかして、何も教えてはくれなかった。
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