思い出と始まりの青葉
通い慣れた道、風景。
今まではそれが当たり前で、感慨深く思う事も無かったが、今日ばかりは違う。
制服を着て、学校に通うのも今日で最後なのだと思うと、感傷に浸らずにはいられない。
青葉城西高校卒業式。
正門に立てられているその看板を見て、静香は「ああ、本当に卒業するんだなぁ」とここでようやく実感した。
制服の胸元に花をつけ、体育館に入場すると、在校生の拍手で迎え入れられる。
これまでに何度かあった式典の練習の時とは違った雰囲気に、静香の涙腺も思わず緩みそうになる。
壇上に立ち、卒業の言葉を述べる生徒を眺めながら、脳内にはこれまでの思い出がぽつりぽつりと浮かんでいた。
いつもは退屈に過ぎ去る卒業式も、今日ばかりは時の流れを速く感じた。
式典の後教室に戻ると、クラスの卒業記念冊子が配られた。
中には以前渡された質問シートの解答や校内の写真、思い出を振り返る記事から先生からのメッセージなど、様々なことがまとめられている。
出席番号順に並んでいる個人ページをぱらぱらとめくっていた静香は、辿り着いた岩泉のページに思わず目を止める。
以前図書館でこの用紙を記入していた岩泉は、結局どんなことを書いたのだろう。
そう思いながら、筆圧の強い達筆で記された内容に目を通す。
そして前から気になっていた『好みのタイプ』の項目を覗くと、そこには『話してて楽しいやつ』と書かれていた。
これはこの冊子に載ることを想定した無難な解答なのか、岩泉の本音なのかは分からない。
しかし、岩泉に関する事には興味津々な上、努力を惜しまない静香は、早々に「岩泉の好み」について考える。
岩泉が話していて楽しそうにする話題は何だったっけ…?と過去の岩泉との会話を思い返しながらも、他の項目を流し目で読んでいく。
ちなみに、静香が書いた質問シートの『好みのタイプ』の項目の答えは『かっこよくて優しい人』である。
静香がうんうん悩んでいる時、岩泉は隣の席の男子に「かっこよくて優しい岩泉君、一緒に写真撮ろうぜ!」とからかわれていた。
冊子を眺めながら、最後のHRを終え、皆友人との会話に花を咲かせはじめる。
静香も友達と話したり、写真を撮ったりと高校生活最後の思い出作りに走る。
代わる代わるにいろんな人と写真を撮り歩いていると、カメラを構えていた友達が不意にニヤリと口端を上げて笑った。
「静香、岩泉君と写真撮っとく?」
「えっ…?」と声を漏らすと、丁度近くにいたらしい岩泉も、自分の名前が呼ばれた事に気づいて顔をこちらに向ける。
「呼んだか?」
「呼んだ呼んだ。岩泉君ちょっとそこ立ってて」
何をするのか良く分かっていない様子で、岩泉は腕を組んでその場で立ち止まった。
友達の指示に疑問を抱きつつ、素直に従ってくれる辺りは岩泉らしい。
「ほら、隣に並びなよ」
友達のこそりとした耳打ちに後押しをされ、静香はもじもじとしながら岩泉の隣に並んだ。
静香が隣に立っても尚、岩泉は状況が良く分かっていないらしく首を傾げる。
そしてカメラを構えた友達を見て、岩泉はやっと何をしようとしているのか気がついた。
「は?写真撮るのか…?」
「はーい岩泉君、笑ってー」
一瞬慌てた岩泉は腕組みしていた手を解き、手持ち無沙汰に彷徨わせた。
しかし、カメラのレンズが向けられていることと、隣に立つ静香が畏まったのを見て、どこか諦めたかのように腰に手をあて、カメラに視線を向けた。
岩泉と静香がこちらを向いた事を確認し、友達は「はい、チーズ!」と楽しそうに合図し、シャッターを切った。
「岩泉君、良い顔で写ってるよ」
「…そうか」
撮った写真を確認する事無く、フイと顔を逸らした岩泉は、男子の集まっている教室中央に戻って行く。
照れくさいんだろうなぁ…などと他人事のように思いながら、静香は友達の持っているカメラを覗く。
先程撮って貰った写真を見せて貰うと、そこには穏やかに笑っている岩泉と自分の姿が写っていた。
今日で着納めになってしまう制服姿で、岩泉と一緒に写真を撮れたこれは良い思い出の品になるだろう。
画面に写った写真を見ながら「後で写真送るね」と言う友達に、静香はしっかりとお礼を言った。
教室や廊下での級友達との会話に区切りをつけ、静香はカバンを肩にかけて教室を出る。
静香はこの後、女子バレー部の送別会に参加する予定である。
しかしその前に、なんとなく岩泉と話しておきたい気がして、廊下で見慣れた後ろ姿を探すが見当たらない。
教室に既にいなかったから、岩泉は既に男子バレー部の送別会に行ってしまったのかもしれない。
岩泉を見つけられず少し肩を落とすと、後方からとんとんと肩を叩かれた。
「栗原、ちょっといいか」
「…あれ?」
振り返ると、そこに立っていたのは岩泉だった。
普通に教室の方から現れた恋人は「何だ?」と首を傾げる。
先程教室を見回した時はいなかったはずなのに、と静香の方も疑問符を浮かべる。
何だか良く分からないが、入れ違いになっていていたらしい。
こんなに身長のある男を良く見失えたな…と自分にある意味感心していると、岩泉は思い出したように口を開いた。
「あのさ、今度土曜日空いてるか?」
「土曜日?…多分、大丈夫だったと思う」
静香の3月の予定は、基本的に大学の準備以外は空いている。
強いて言うなら、中旬くらいに両親が同窓会に行くために地元に帰るので、その間一人で家事雑務をこなさななければならないくらいである。
「悪い。引っ越しの手伝い頼んでいいか…?」
申し訳無さそうな岩泉の表情を見ながら「そういえばそうだった」と静香はハッと思い出す。
県内の大学に進学する岩泉は、自宅からでも大学へ通うことができるのだが、社会勉強で一人暮らしをすることになっている。
早めに新居の環境に慣れてから大学へ通いたいという岩泉の希望のため、引っ越しの日取りはそれなりに差し迫っているのだ。
「うん、いいよ。手伝う」
二つ返事で答えた静香に、岩泉はもう一度お礼を言ってからゆっくりと下駄箱に向かって歩き出す。
それにつられるように静香も一緒に歩きながら、岩泉のカバンにぶら下がっている恐竜のキーホルダーに目を止めた。
「…岩泉、そのキーホルダー1年の頃からつけてるよね?」
「おお…良く知ってんな」
「1年の頃は岩泉の事あんまり知らなかったけど、そのキーホルダーつけてる人がいるのは知ってたよ」
1年の頃、部活終わりに見かけたカバンに、この恐竜がぶら下がっていた。
体育館の前に無造作に投げ出された真新しいスポーツバッグに、小学生の男の子がつけているようなおもちゃのようなキーホルダーを認めて「子供っぽいなぁ」と微笑ましく思ったものだ。
それが岩泉のものだと知るのは高校2年になってからのことで、当時は岩泉の思わぬ可愛らしさに衝撃を受けたものだ。
「ちっちぇえ頃恐竜大好きでさ、こういうの集めてたんだよ。高校入ったくらいに部屋の掃除してたらこれが出て来て、とりあえずカバンにつけてそのまんま、だな…」
「へぇ…」
とりあえずつけていたキーホルダーとも、気がつけば3年の付き合いになっていたらしい。
そんな長年の相棒に触れてよく見てみると、確かに年期の入った汚れが染み付いていた。
「俺、幼稚園の頃の将来の夢、恐竜博士だったわ」
「ぶっ…!」
「あと虫博士」
「あはは!」
静香が思わず吹き出すと、「単純だよなぁ」と岩泉も笑った。
『精悍な男』という表現が相応しい岩泉が、未だにどこか子供っぽく笑う姿を見ると、どうやら根っこの部分は変わっていないらしい。
「今は…?」
「……プロバレー選手」
ぼそりと呟かれた岩泉の将来の夢は、クラスの卒業記念冊子にもしっかりと書かれていた。
たくさんの観客が見守るバレーのコートに立ち、高く宙を飛んで背をしならせ、強烈なスパイクを放つ岩泉を想像しながら、静香は口元を緩める。
いつかその夢が叶うと良い。そして願わくば、その時は岩泉の隣に立っていたい。
「お前は?」
「……内緒」
唇の前に人差し指をたてると、岩泉は納得のいかない様子で「はぁ?」と声を上げた。
卒業記念の冊子に「将来の夢はしっかりとした大人になること」と将来の夢というよりも目標を書いていた静香は、密かな願望を己の胸にしまい込んだ。
「俺も言ったんだから言え」
「冊子に書いてあるよ」
「あれは夢とは言わねぇだろ…」
やや食い下がって来る岩泉を誤摩化している間に、いつの間にか下駄箱にまで辿り着いていた。
静香が白状しない事を悟ったのか、岩泉は聞き出すことを潔く諦め、自身の下駄箱から履き潰したスニーカーを取り出した。
そして静香も、同じように自身の下駄箱に手をかける。
しかし、ここで予想外の光景が目に入った。
下駄箱を開けると、ローファーの上に折り畳まれた小さな紙が乗っていた。
何だろう、と特になんの疑いもなく紙を手に取って中を確認し、静香は目を見開いた。
4本の皺の入った小さな紙には、ひかえめな字で『実は好きでした。卒業しても元気で』と記されている。
まさかそんな事が書かれているとは思わず静香は暫く硬直していたが、すぐそこに岩泉がいることを思い出し、紙を咄嗟にポケットに入れようとした。
しかし、ささやかな恋文を隠す前に、背後から伸びてきた手にそれを奪わる。
そうして奪った紙の中央に書かれた文章を眺めながら、岩泉はすっと目を細めた。
「……油断も隙もねぇな」
岩泉の言いぶりは、このメモの差出人に心当たりがあるのかのように聞こえた。
呆気にとられたまま動けないでいた静香を一瞥した後、岩泉は何の躊躇いも無しに、その紙をぐしゃりと丸め、近場のゴミ箱に放り投げた。
「えっ…ちょ、岩泉…」
「何を…」と言いかけた瞬間、岩泉の鋭い視線を向けられ、静香は思わず口を閉ざす。
「いるのか、あれ」
静かな問いかけの中に、有無を言わせぬ迫力があった。
岩泉はゴミ箱に目をくれることもなく、ただ静香をまっすぐ見つめている。
静香は暫く呆気にとられたものの、岩泉が何を言いたいのかをじわりと飲み込んだ。
そして、きっと岩泉が望んでいるであろう返事をするために、静香はゆっくりと本音を口にした。
「…ううん」
小さく首を振ると、「なら、いいだろ」と言った岩泉は、静香に背を向けて歩いて行く。
下駄箱を抜けた先では、及川達男子バレー部の面々が集まっており、後輩から花束を受け取っていた。
岩泉もこの後、あの輪の中に入っていくのだろう。
静香もこの後、女子バレー部の送別会に行くので、今日岩泉と話すことが出来るのもこれで最後になる。
慌てて上靴をカバンにしまい、静香も靴を履き替えて小走りで岩泉を追いかける。
無下にしてごめん、と内心謝りながらも、静香の視界に手紙もゴミ箱も入っていなかった。
静香が岩泉の隣に並ぶと、岩泉は先程の神妙な表情を穏やかに崩した。
「…なんか、変な感じだな」
「変…?」
「こんなに同級生いるのに、会う事無くなる奴が圧倒的に多いなんてな…」
目の前に広がる卒業生の人ごみを眺めながら、岩泉はそんなことをしみじみと口にした。
それには静香も同意し、ゆっくりと頷く。
「及川も県外に出ちゃうもんね」
「そうだな…。まぁ、うるせぇ奴がいなくなって気が楽でいいわ」
「そんな事言って、本当は寂しいくせに…」
「…ねぇよ」
ハッと吐き捨てた岩泉だったが、否定するまでにやや間があったことを静香はしっかりと気づいている。
しかし、岩泉と及川が「会う事が無くなる」という事にはならないと思うのだ。
小学校からずっと一緒だった及川と進む大学は違えども、二人の打ち込むものも目標も、同じ場所にあるのだ。
腐れ縁だと口では言っているが、言葉にはしないものの、きっと同じコートに立つのを二人とも夢見ている。
そんなことを思いながら静香がクスクスと笑うと、岩泉は居心地が悪そうに首裏を掻いた。
「…岩泉」
「ん?」
「これからも当分、よろしくね」
少なくとも、地元の大学に通う事になる4年間は、岩泉と一緒の地にいられるのだ。
だからなのか、卒業式を迎えた今日は寂しいという気持ちよりも、新しい環境を二人で迎える事を楽しみに思う気持ちの方が強い。
静香の少し弾むような声を聞いて、岩泉は足を止め、じゃりと地面を踏みしめた。
急に訪れた静寂に、静香は目を瞬かせる。
「…なぁ、お前の将来の夢、当ててやろうか」
不意に落とされた声に顔を上げると、岩泉はこちらをじっと見下ろしていた。
その目が酷く凪いでいる事に気づき、静香は息を飲む。
岩泉から向けられた視線には、密やかな熱が籠っているようで、静香はそれに怖じけづく。
待って、何を言うつもり。
うっすらと開かれた岩泉の口元を見て、静香は時が止まったかのように錯覚する。
「俺の……」
何かを言いかけた岩泉だったが、それだけを口にした後むっつりと黙り込んでしまった。
身構えた静香は、いつまで警戒態勢をとればいいのか岩泉の様子を伺う。
しかし、岩泉はそれ以上何も言わず、微かに笑ってから静香の頭にポンと手を乗せた。
「…やっぱ、何でもねー。これからもよろしくな」
するりと撫でる手つきは優しく、静香の頭を滑る。
今何を言いかけたのか、聞いた所で岩泉はきっと教えてはくれない。
しかし、遠回しに「また今度な」と言われた気がして、静香は高校生活の最後の最後まで、岩泉に振り回されることとなった。
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