餞の騎士よ

気がつくと、静香は落ち着いた雰囲気の酒場のカウンターテーブルにへたり込んでいた。
何故そんなことになっているのか理解できてもいないのに、自分はやけ酒をしているという自覚があった。
酒場の主人に次のお酒を注文し、テーブルに肘をついたまま、静香は視線を隣に向ける。
静香の丁度左側、酒場の開放たれた入り口には、お忍びで城下町に遊びに来ているお姫様と、そのお付きの騎士の姿があった。
静香も本来、お付きの騎士の一人ではあるのだが、今日はオフのために一人寂しくお酒を飲みにここに訪れている次第である。
お姫様に生涯仕えると誓った餞の騎士である岩泉は、ころころと笑うお姫様に相槌をうち、談笑をしている。

何よ、デレデレしちゃってさ…。
ぶす、を膨れっ面になりながら、静香はカウンターの前に置かれたお酒を一気飲みする。
自身の想い人を取られたような心境に陥り、悔しくてスンと鼻をすする。
そうしてお姫様と岩泉から目をそらしたものの、すぐに気になって再び視線を元に戻す。

そうして相変わらず楽しそうに話している二人を眺めていたのだが、しかし。
不意にお姫様は笑って岩泉の背中を押して、上品に手を振ったのだ。

何だ?と疑問符を浮かべる静香を他所に、岩泉は赤くなって気恥ずかしそうにしてから、お姫様に頭を下げた。
そして騎士の格好をした岩泉はお姫様に背中を向け、酒場で飲んだくれている静香の傍にやって来た。
酒場の主人であるジョニーはギョッとした顔で岩泉を眺め、手の中のグラスを取り落としそうになっている。

そうして周りから向けられる視線に目もくれず、餞の騎士に扮する岩泉はまっすぐに、呆気に取られている静香を見つめる。


「お前に、言いたいことがあるんだ」

そう言って岩泉は穏やかに笑い、カウンターの上に放り出されて静香の手をそっと握った。
静香が目を見開くと、岩泉は照れくさそうに口元を緩ませる。

「     」

岩泉がなんと言ったのか、聞き取る事ができなかった。
「もう一度言って」と口にしようとしたタイミングで、静香はこの奇妙な夢から覚めた。



この夢の内容は、高校3年の文化祭にやった『花冠り姫』という劇に関係するものではないだろうか。
もう3年程前になる出来事を、何故今夢に見たのか分からず、静香は首を傾げる。
配役は当時のままに、妙なアレンジが加えられたストーリーや人間関係を思い出しながら、静香はゆっくりと体を起こした。

朝を知らせる鳥の鳴き声を聞きながら夢の原因を考えてはみたが、答えが見つかるわけでも無い。
そして特に深く考えぬまま思考を早々に放棄し、静香はベッドから抜け出した。


空は快晴。気温も丁度良く心地よい、そんな某日。
今日は1年に一度の、静香の誕生日である。

自身の誕生日を意識するなというのが無理な話で、静香は特別な一日の幕開けをじわりと実感しながら着替えを済ませた。
母から誕生日プレゼントを貰い浮かれるままに大学へ登校し、午前の講義を一つ受け、昼前には大学を出た。
大学で会った友達に貰った誕生日プレゼントをかばんに入れ、鼻歌を歌いながら帰宅した静香は、出迎えてくれた母に1通の手紙を渡された。


「静香宛に届いてたわよ」


そう言ってキッチンに戻って行く母を見送り、静香は自室に向かいながら、渡された封筒を眺めた。
水色の無地の封筒の表面には、丁寧な力強い字で静香の家の住所と宛名が書いてある。
見覚えのある筆跡に「まさか」と思い至り、静香は封筒をひっくり返す。

封の裏側には、端に寄せて小さめの文字で『岩泉一』と書いてあった。
それに驚いて、静香は自室に入る前に一度足を止め、差出人の名前を凝視する。

今現在、岩泉は部活の遠征で県外に行っているはずである。
静香の誕生日と遠征が被り、会えない事を申し訳なさそうにしていた岩泉とは、遠征から帰った翌日にデートの約束をとりつけていた。
そうでなくとも遠征帰りで疲れているはずなのに、静香がデートを別の日にずらそうと言うと「大丈夫だ」の一点張りで岩泉は退かなかった。
いやに頑固な岩泉の態度に静香は首を捻ったが、岩泉の押しに折れて、今に至る。

岩泉が帰って来るのは、今日の深夜近くだったはずだ。
明日デートで会う約束をしているというのに、その相手から手紙が届くとはどういう事だろう。

不思議に思いながら、静香は自室に入って大学のカバンを床に置いた。
封筒を開封しながら、部屋の中央の机の側に座り、中に入っている便箋を取り出す。
シンプルなラインが入っただけの便箋は数枚まとめて折り畳んであり、中は文字でしっかりと埋まっている。

疑問符を浮かべながらも、静香はゆっくりと文面に目を落とし、脳内で文を読み上げはじめた。



《 栗原 静香様

俺は今、部活の遠征で宮城を離れていると思う。
前の俺の誕生日に、静香はいろいろと準備をしてサプライズとかしてくれたよな。
俺も何かお返しをしようと思っていたのに、肝心のお前の誕生日に一緒にすらいられなくてごめん。
本当はお前が腰を抜かすような事をやってやろう、と結構前から考えてはいたんだ。

そして実は今日、お前の誕生日の2日前になる。
物理的に離れたこの距離で、せめて何か出来る事はないか、ってずっと考えていた。
どんなことをしたらお前は喜ぶだろう、といろいろと案を出して、最終的に手紙を書こうと思いついた。

自分で言ってて恥ずかしいけど、いわゆる、ラブレターってやつだ。
…今、お前絶対顔赤いだろ。俺も超恥ずかしい。明日も朝から練習あるのに、寝られる気がしない。
が、しかし、今日書いて明日投函しないとお前の家にまでこの手紙が届かないので、頑張って書こうと思う。
お前もきっと恥ずかしいやらで忙しいとは思うが、頑張って付き合ってくれ。

俺達が付き合い始めてから、早いもんで3年が経ったな。
お前が及川の胸ぐらを掴んで「私が岩泉のこと好きなの知ってるでしょ!」ってすげぇ剣幕で怒鳴ってたのを今でも良く覚えてる。
あの時はかなり驚いたが、お前が俺の事好きだと知って、すげぇ嬉しかった。
…前にお前が聞きたがってた事だが、俺も高校2年の中盤くらいには、お前の事が好きだったよ。
委員会で一緒になってやっと、お前が同じバレー部だって知ったけど、一緒に話しててすげー楽しくて、わりと直ぐにお前の事を気にしはじめてた。
俺は及川みてーに女に慣れてねぇし、気の利いた事もできねぇし、アプローチ?とかいうやつもする度胸も無かったし、何にも出来なくて、男らしくなかったけど。
だから正直、あの時の及川には少し感謝してる。
お前には、あんまり面白くない出来事だったとは思うけど、お前の本音を聞けたから、俺もお前に本音が言えた。そんで、お前の彼氏になることができた。
付き合い始めの頃は、俺も距離感とか全然分からなくて、お前には苦労をかけた。
後で及川達に聞いたけど、俺は随分お前の心臓に悪い事をしていたらしいな。本当に悪かった。
もうしない、とは言いきれないけど、許してくれ。
付き合い始めの頃は、公園でチビ達とバレーやったり、一緒にラーメン食いに行ったり、夏には沢に泳ぎに行ったりしたっけ。
…そういや泳ぎに行った時に、はじめてキスしたよな。
お前あの時、水着のまま俺にひっついてくるから、誘ってんのかと思ったわ。
理性総動員してキスだけにとどめた俺を褒めて欲しい。
この際だからぶっちゃけるが、あの時お前の水着姿と言うか、普段あんまり見ることのない肌を見た時は少し興奮した。
まぁ、今でも興奮するからしょうがない。
…スケベ、なんて言うなよ、男の性だ。
…と、話が変な方にそれたな。後は何だったかな。…あぁ、そうだ。

秋頃は文化祭とか体育祭の準備とかで、一緒に出かけることも多かったな。
一緒に買った騎士の持ち物の100均の剣、俺未だに持ってんだ。
思い出の品というか、なんというか、お前と揃いで買ったものだからだろうけど、わりと大事に押し入れにしまってる。
…お前も、あの剣しっかり取ってあるだろ。実はこの前、お前の家に行った時に見かけた。
俺と同じ事してると知って、すげぇ嬉しかったから、お前にも言っておく。
正直、高校3年の時の劇の練習は軽いトラウマもんで、あんまり思い出したくなかったんだが、こうして時間が経つとそれも良い思い出だったように思えるから不思議だな。

冬頃は、部活引退した後の受験の時も、クリスマスも、年明けてからも、いろいろと世話になったな。
お前は受験に専念してたし、あんまり声かけるのも邪魔かと思って、年明け頃はあんまり会えなかったな。
受験の後じっくりと一緒にいられたのは、俺の引っ越しの時だったな。
あの時は家具の整理とかしてくれて助かった。あと夕食とかの準備もありがとう。
それから……1週間くらい後だっけな、お前をはじめて抱いたのは。
これについてはいろいろ思う事がありすぎて、何を書けばいいの分かんねぇし、書いていいもんかと悩むところではあるが、ひとつ言わせて貰いたい。
俺を信頼してくれて、ありがとう。
あの時も、今も、お前を抱く時はいつも、強烈な幸福感に襲われる。
好きな女が、俺の事を好きでいてくれて、身を委ねてくれるっつーのは、なんつーか…頭おかしくなるというか……。あー…何を言ってんだ俺。
…あとな、最近思うんだが、お前の行動と発言がいちいち俺を煽るのは考えもんだ。
具体的にお前のどんなところが可愛いか、懇切丁寧に教えてやりたいどころだが、そんなことをしたらいよいよ俺は今夜眠れなくなりそうなので、今日は省略する。
今度、実践を交えて教え込むつもりだから、楽しみにしていてくれ。

大学生になってからは、俺の食生活を心配して、よく夕飯とか作りに来てくれたよな。まぁ、今もだけど。
正直助かったし、お前のおかげで俺もそれなりに料理ができるようになった。
それと、誰かと一緒に飯も食えて、あんまり寂しくなかったし、すげぇ楽しかった。

自分で言うのもあれだけど、お前はいつも分かりやすいから、静香が俺の事好きでいてくれるのがすげぇ伝わってきて、俺はいつもたまらなく喜んでた。
頭撫でただけですげぇ嬉しそうにするし、手を握ったら赤くなるし、すぐ顔を覆うし、キスひとつにしてもそれなりに回数こなしてんのに未だに初々しいし、俺のすることに一喜一憂するし、俺はある意味死にそうだった。
心臓をお前に掴まれてるんじゃないか、って錯覚さえした。
まぁ、別の意味では間違っちゃいねーんだけど。
でも、そんなお前がどうしようもなく、好きだ。

こうして振り返ってみると、お前との思い出はこんな紙に書ききれない程にたくさんあったな。
まだ付き合って3年なのにな。
これからもっとお前との思い出が増えて行くんだろう。
そう思うと、この先の未来が楽しみに思えてならない。
俺がそう思えるのも、お前が生まれて、俺と出会ってくれて、こうして隣にいてくれるおかげだ。
本当にありがとう。

誕生日おめでとう。これからもずっと、俺と一緒にいてくれ。

日頃の感謝と、愛を込めて。
岩泉一 》



手紙を開いたまま、ぼたりを頬を伝う涙を拭わずに俯いた。
ああもう、なんであの人はいつもこうなんだろう。

だらだらとひたすらに泣いた後、気を落ち着かせてから静香はすくりと立ち上がる。
スケジュール帳を開き、明日の予定が空白であることを確認してから、手近なカバンを掴んだ。
財布、携帯を適当に掴んでいれた後、岩泉からの手紙をカバンに丁寧にしまい込み、静香は自身の部屋を後にした。

岩泉が遠征から帰って来るのは今日の深夜近くである。
誕生日とは言え、遠征疲れの残る岩泉に会いに行くというのは負担になるだろう。
しかし、この手紙の事を言わなければ気が済まない。
電話でもいいのだが、直接会ってお礼と気持ちを述べて、岩泉に思い切り抱きつきたい。
それだけやってから、岩泉にはゆっくりと休んでもらって、静香は早々に帰宅すればいい。
デートだって明日にしなくてもいい、1週間後だって構わない。
それが我が儘だということは、重々に承知している。
けどごめん、はじめ。


勢いだけで家を出た静香は、カバンに入れていた銀色の鍵をひとつ取り出す。
短めの青いリボンが巻いてあるこの鍵は、岩泉の家の合鍵である。
先日借りたまま返しそびれていたこれが、こんな時に役に立つとは思わなかった。


そうしてバスに飛び乗り、静香は30分程で岩泉が一人暮らしをしている家の前に辿り着いた。
合鍵を使って来慣れた室内に入り、自身を落ち着かせるように息をつく。

岩泉が帰って来るまでにはかなりの時間があるから、それまでに掃除でもなんでもして待っていよう。
夜食なんかがあってもいいかもしれない。あぁ、どうせなら岩泉の好物の揚げ出し豆腐を作ろう。
そう思って冷蔵庫を開けてはみたが、中には肝心の豆腐の姿は無い。

…しまった、ここに来るまでに買い物をしておけば良かった…。
高揚するままに岩泉の家に来てしまったせいで、静香は特に何も考えていなかった自分に呆れた。
浮かれ過ぎだろう、と自身につっこみを入れてから、静香は何気なく奥の部屋に入った。

中央に置かれたテーブル、ベッド、テレビ、となんら変わり映えのしない光景に落ち着くくらいには、静香はここに足を運んでいる。
部屋備え付けのクローゼットの中には静香の私服や下着も数着しまってあるし、洗面所には歯ブラシが2つあるし、台所の食器棚には揃いの食器やコップもある。
大学生になってからの3年程で、岩泉の城に、静香も随分と溶け込んだ。
もうほとんど一緒に住んでるようなものじゃない?とだらしなく表情を緩ませている静香の顔を見て、「何か変なもんでも食ったのか?」と真面目に見当違いの事を言い放った岩泉の事は記憶に新しい。
良く分からないところで鈍感な岩泉ではあるが、そんなところも好きなので、なんら支障は無い。

しかし、そんな慣れ親しんだ空間の中で、静香は違和感を覚えた。

散らかっているわけではないが、ポツポツと物がフローリングの上に置かれていたり転がっていたりする光景は普段と変わりはないのに、中央に置かれたテーブルの上だけが妙に綺麗だった。
それを不審に思いながら、静香はゆっくりと室内に足を踏み入れる。

途中、部屋に落ちている冊子を数冊拾い上げてから、静香はテーブルの上に置かれた一枚の紙に目を止める。
普通の紙より厚みのあるカードのようなそれは二つ折りにされており、静香はそれに何気なく触れ、ぴたりと動きを止めた。

嫌な、というわけではない。しかし、何か予感がする。

これまで岩泉にある意味振り回され続けて数年、かつてない程に自身の頭の中に警報が鳴り響く。
ゴクリと息を飲み、静香は触れていたカードから手を遠ざける。

これは何か、恐ろしい爆弾のようなものを抱え込んでいるのではないか。
心してこの紙の中身を確認しなければならない。

静香はゆっくりと腰を落ち着け、テーブル上の紙を前に正座する。
そうしてすっと深呼吸をしてから、静香は質感の良いカードを手に取り、中を開いた。

目に飛び込んできたのは、見慣れた力強い、岩泉一という男の筆跡。そして中に忍んでいた、華奢な金色の輪。


『誕生日おめでとう。愛してる』


ほら、言わんこっちゃない。

感極まって、静香はテーブルの上に伏せた。
歓喜で人はこんなにも泣けるのかと、静香は岩泉に幾度となく教えられた。
幸福の限界を振り切るようなことをしでかすこの男と3年付き合っているが、今日も今日とて振り回される。

岩泉は、分かっていたのだ。
あんなラブレターを貰った静香が大人しく家で待っていられるはずもなく、感極まって自分の家に押し掛けて来ることを。
前にも似たような事があったから、確信があったのだろう。
という事は、静香が合鍵を返しそびれていたところから、岩泉の計画の内だったのだ。
鈍いふりをして、こういう時には畳み掛けるように仕掛けてくるものだから、静香の心臓はいくつあっても足りはしない。

静香は再び、ぐすぐすと泣き出した。
先程拾った冊子もよく見てみればアクセサリー特集が組まれた雑誌だし、岩泉のベッドの上には静香が最近好んで食べているお菓子の袋が置いてあるし、台所にある台の上にはお揃いのマグカップが出してあるし、静香を家に誘導する気満々の状況に嘆きたくなった。

この家には、静香の涙腺と心を刺激するものばかりで溢れている。

岩泉が帰って来たら、たっぷりと文句を言ってから、とびきりの感謝を込めて、抱きついてやろう。
そして、カードに添えられているこの輪について問いつめてやるんだ。

そう胸に誓い、静香は泣きながら、岩泉が帰って来る時間に備えて気合いを入れ直した。




岩泉が帰って来るのは深夜近く、ということしか聞いていなかった静香は、とりあえず部屋の掃除と買い出しを済ませ、夜まで昼寝を決め込んだ。
岩泉のベッドに転がって爆睡し体調を整え、目覚めてそそくさと夜食の準備を始めた。
持て余した時間は、岩泉からのラブレターの返事をしたため、ひたすらに岩泉の帰宅を待った。


そうして午後11時頃、部屋の前辺りから人の足音が聞こえ、静香はパッと顔をあげる。
音をたてないように廊下に出てから、静香はドキドキとしながら玄関で待ち構える。

そうして静香が今か今かと待っていると。扉の向こうの気配は不意にぴたりと止まった。
じゃり、と地面を踏みしめる音が聞こえたので、誰かがいるのは確かである。
しかし、一向に家に入って来る気配の無いドアの向こう側の存在に身構えていた静香は、妙な体勢のままに玄関に立ち尽くす。
何故家に入って来ないんだろう。
もしかして、はじめじゃないのだろうか?

急に不安になり、おろおろとしはじめたタイミングで、ピンポーンとインターホンの軽快な音が鳴り響いた。
一瞬呆気にとられた静香だったが、ドアの向こう側で笑いを堪えているであろう岩泉の気配を感じ、口元を緩める。

なるほど、そうきたか。
岩泉のちょっとした意地悪に付き合うように、ゆっくりと解錠してから、ドアをゆっくりと開いた。



「…ただいま」

ジャージ姿にスポーツバックを肩にかけ、ドアの向こうに立っていた岩泉は、静香の姿を確認してからニッと笑い、小首を傾げた。
連日の練習で疲労が残っているはずなのにわりと元気そうな様子の岩泉は、どこか楽しそうである。

「おかえり…!」
「うぉっ!?」

今朝の誓い通り、静香は岩泉に飛びついてぎゅうぎゅうと抱きつく。
突然の事に岩泉は静香を受け止めてから後方に1歩下がったが、そこからはぐっと堪えた。
そして、とんとん、と岩泉は静香の背中を優しく叩く。

「…手紙、届いたか?」
「届いた。読んだよ、家宝にする」
「…家宝って…んな大それたものじゃねぇだろ…」

とは言いつつ、岩泉も嬉しそうに静香を抱きしめ返す。
静香の頭に頬と鼻を寄せ、岩泉はすぅと息を吸い込み、「あー…癒される…」と呟いた。

「…お前、いつからここで待ってたんだ?」
「お昼頃、手紙貰ってからずっと」
「おいおい…」

そんな早くからかよ、と呆れたように言うが、遠回しにここに呼び出したのは岩泉である。

「すげぇな…。予想はしてたんだけど、お前本当に俺の家に来てるし。…こんな上手くいくとは思わなかった」
「本当だよ…私の考える事、全部岩泉に筒抜けみたいで恥ずかしい…」
「はは、まぁ…前にも似たような事あったし…付き合いも長いしな」

抱きついている静香の頭を撫でるように、岩泉は静香の髪をすく。
その心地よさに目を閉じてから、静香は岩泉の耳元にそろりと口を寄せた。

「あと、机の上に置いてあったカードと、指輪」
「……見たか?」

少しだけ、岩泉は緊張したかのように息を止めた気がした。
何を緊張することがあるのかは分からないが、岩泉のその不安を振り払うように、静香はするりと岩泉にすり寄り、囁く。

「見たよ。…凄く嬉しい。ありがとう」
「…おー」

あぁ、今日はなんて日なのだろう。
自分の誕生日にこんなに感極まったのは、初めてかも知れない。
ぐす、と鼻をすすると、岩泉は静香の肩に手を置いてゆっくりと距離を取った後、流れるように唇を重ねた。
軽く触れる程度のキスを落とし、岩泉は次に顔の角度を変えようとして、思わず吹き出す。

「お前…顔ぐちゃぐちゃ…」
「…誰のせいよ」
「俺だな」

ニシシと笑ってから、岩泉はやや深く口づけてから、静香の左腕をするすると辿る。
そうして辿り着いた手の薬指の根元に、自身が愛の言葉と共に忍ばせた輪が嵌っていることを確認してから、楽しそうに笑い出した。
指輪を薬指にちゃっかりつけている静香が余程可笑しかったのか、愛しかったのか、嬉しかったのか、岩泉は暫く肩を振るわせていた。

「高校ん時さ、劇やっただろ。花なんとか姫…みたいな題のやつ」
「…うん」
「あの時、王子が姫様に婚約の誓いで、なんか花だらけの指輪贈ってただろ?」
「……」
「これ、それに似てると思わねぇ?」

岩泉はするりと静香の指に嵌った指輪を撫でる。
花だらけという程ではないが、華奢な輪には、小ぶりの色鮮やかな花のモチーフが並んでいる。
岩泉の言うように、高校最後の文化祭で、お姫様役の女の子が指に付けていたものと、確かに雰囲気が似ている気がする。
しかし、3年も前の劇で使ったアクセサリーの事を、岩泉が覚えていたというのが静香には衝撃的だった。

「はじめ、よく指輪の事なんて覚えてたね…」
「いや、正直覚えて無かった。この前、高校の頃のアルバム見てて偶然思い出したんだよ」

苦笑いを浮かべながら、岩泉は静香の指の間に自身の指を絡ませ、きゅっと握る。

「婚約指輪だったよな、あれ」
「…うん」

さり気なく「婚約」という言葉を強調した岩泉に、静香は一瞬だけ呼吸を止める。
仄かに頬を赤くした静香を認めて、岩泉は「もっと赤くなってもいいのに、」とからかうように軽口をたたく。


「……そういう事だから、大事にここに、嵌めててくれよ」


照れくさげな様子の岩泉に、静香は内心で嘆きたくなった。
目の前のこの男は、これ以上私をどうするつもりなのだろう。

「あー、くそ…。これすげぇ恥ずかしいな」

居心地悪そうに口元をむずむずとさせている岩泉を見上げながら、静香はぽろりと本音を零す。


「私、今なら死んでも良い」
「…アホ、あと80年は一緒に生きろ」

あと80年って、はじめは100歳まで生きるつもりなのか。
しかも、私も一緒なんだね。
おじいちゃんおばあちゃんになっても、私と一緒に居てくれるんだね。
だったら私も、あと80年頑張って生きてみようかな…なんて。


感極まっている静香を眺めながら、岩泉は肩にかけたスポーツバックを地面に下ろす。
身軽になった岩泉は片腕を背後に回し、もう片方の手を自身の胸の上に添えた。
そうして仰々しく片膝をついてから、胸にあてていた手を伸ばし、静香の左手をとった。

そんな岩泉の所作に、3年前の記憶が鮮明に蘇る。

高校3年生、最後の文化祭。
騎士役を演じていた岩泉の姿と今の岩泉の姿が重なり、静香は息を詰める。
3年前の舞台では、岩泉はこんな風にお姫様役の女の子の手をとっていた。
その様子を舞台袖で眺めていた静香は、密かに「いいなぁ…」とお姫様役の女の子を羨んでいたものだ。
岩泉にあんなことされたら、静香ならば岩泉に飛びついてしまうだろう。
ただの想像でしかない出来事が、目の前で繰り広げられていることに実感がわかない。

呆然としている静香の様子を眺め、岩泉は穏やかな表情でゆっくりと口を開く。


岩泉演じる騎士は、お姫様に報われぬ恋をしていた。
それでも尚、生涯を捧げる事を誓ったお姫様に、餞の騎士が告げた言葉。


「私の永遠の姫君よ、貴女を愛しています」


……なんてな。

おどけて見せる岩泉に、静香は思い切り抱きついた。



餞の騎士よ


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