復讐の経緯という名の惚気話
(※最終話(30話)の前の話)
いっそ、ある意味の復讐を、アイツにしてやろうと思った。
6月10日。
やはり自身の誕生日というものは、それなりに意識してしまうものである。
携帯を開くと、友達から「誕生日おめでとう」というメッセージが届いているとそりゃあ気分はいいし、「今度昼奢ってやるよ!」と言われれば嬉しい。
今日は休みであまり同期に会う事も無いが、休み明けの事を思うとそんなに悪いとも思わない。
それに、今日が休みであるがゆえに彼女である静香が夕方家に来る事になっているから、逆に良かったとも思う。
「はじめの誕生日気合い入れるから!」と言って鼻息をフンフンいわせながら、握りこぶしをつくっていたアイツのことだ。
これまでの経験上、きっといろいろと手の込んだ事をしてくれるのだろう。
どんなことをしてくれるのか夕方を楽しみにしながら、岩泉は誕生日というこの日の朝を気持ちよく迎えた。
着替えを済ませて、朝食を食べ、朝ポストに入っていた郵便物を確認していると、花柄の封筒が入っていた。
自分が手に持つにしても不似合いな可愛らしい封筒をひっくり返すと、差出人は自身の長年の幼馴染みだった。
思わず眉間に皺をよせてしまうのは、及川の日頃の行いによる事なので仕方が無い。
なんでこんなファンシーなレターセットを持っているのか疑問に思いながらも、岩泉は容赦なく封を剥がして中身を確認する。
曲がりなりにも、今日は自分の誕生日で、及川もそれは重々に承知しているはずである。
きっと何かあるんだろう、そう思いながら開封した封筒には一枚の便箋が入っていた。
『誕生日おめでとう!ハッピーな一日を!』などとカラフルなペンで書かれた文字を追い、その後に続く追伸に目を落とす。
『P.S. 今日の岩ちゃんのラッキーアイテムを同封します。大事に使ってね』
何だ?と思って封筒の中に指を入れてみると、中から1本の藁が出て来た。
何だこれは…と眉間に皺を寄せた時、なんともタイミング良く携帯に電話がかかってきた。
電話の相手を確認してから数秒後、岩泉はだるそうに電話に応答する。
「…もしもし」
『もしもし岩ちゃん?ハッピーバースデー!俺からのプレゼント届いた?』
「おう、なんかゴミ入りの手紙届いたんだけど」
『ひどいなー…ゴミじゃないよ』
電話の向こうの及川は何が楽しいのか、けらけらと笑っている。
そんな機嫌良さげな笑い声を聞きながら、岩泉は手の中にある1本の藁を捻って持て余す。
「で、これは何の嫌がらせだ?」
『違う違う。それは本当に、岩ちゃんの今日のラッキーアイテムだよ』
「意味が分からねぇ」
そのうち分かるよ、と少し落ち着いた口調で言った及川は、早々に岩泉との電話を切り上げた。
普段の及川ならば、もっと長話になってもおかしくないというのに。
届けられた手紙にも、1本の藁にも、長話をしない及川も不審すぎて岩泉は首を傾げる。
とりあえず今日のラッキーアイテムらしい藁を封筒にしまい、静香が家に来る事に備えて掃除でもしておこうかと箒をひっぱりだした。
しかしそのタイミングで、再び携帯電話が着信を知らせるために震えだす。
今度は誰だ、とディスプレイに視線を落とすと、電話の主は花巻だった。
「もしもし」
『やっほー岩泉、今暇だよな?』
「…おお」
暇だが、そういう風に決めつけられると素直に肯定したくなくなるのは何故だろう。
『俺さ、実は今趣味で藁人形作ってるんだけど』
「こえーよ」
というか、何だ突然。
花巻の発言は棒読みに近いが、内容の背景にゆらめく不穏さに岩泉は苦笑いを浮かべる。
「で、今超おしゃれな藁が欲しいんだよね」
「…おしゃれな藁って何だよ」
「で、岩泉が今超洒落た藁持ってるって情報を及川から耳にしたわけなんだけど」
「……及川から?」
「ウン」
この時点で、及川と花巻が背後で繋がっていること、そして何かを企んでいる事を岩泉は察した。
そうして丁度岩泉の家近くのカフェにいるらしい花巻に呼び出されるまま、岩泉はそこへ1本の藁片手に赴いた。
ラフな格好で出て来た岩泉に比べ、花巻は洒落た格好でテラスに一人腰掛けていた。
「おーす岩泉、誕生日オメデトー」
「おー、サンキュー」
緩く祝いの言葉を述べる花巻同様、岩泉もそれに答える。
適当に飲み物を注文し、岩泉が椅子に腰掛けて落ち着いた辺りで、花巻は唐突ににテーブルの上にブタの貯金箱を置いた。
海外風の洒落たカフェには不釣り合いな、日本風の味わいあるデザインの貯金箱が出て来たものだから、流石の岩泉も二度見した。
「で、岩泉一君」
「…おお」
「君が持っているスタイリッシュな藁と、この貯金箱交換してくれませんかね」
棒読みでそんな事を言う花巻に、岩泉は持参した藁を差し出した。
それを受け取った花巻は、藁をろくに見ぬままポケットにしまった。
それが欲しかったんじゃなかったのかよ、とツッコミを入れてやりたくなったが、花巻は藁を貰うために岩泉をここに呼び出したわけではないだろう。
「…何を企んでやがる」
花巻の最近の趣味が藁人形を作ることだということも、スタイリッシュで洒落た藁を探しているというのも、うさんくさいことこの上ない。
何かある、と思わない方がおかしいこの状況で、花巻はしたり顔で笑う。
「それは、お楽しみってやつだ」
どうやら、岩泉の質問には答えてくれるつもりはないらしい。
まぁ、それもそうかと岩泉は諦め気味に息を吐きだす。
流石に、気づかないはすがない。
恐らく、これは岩泉の誕生日に合わせたサプライズ企画というものの一環だ。
「あ、それとは別なんだけど、これ誕生日プレゼントな」
「…わりぃな、わざわざ」
「いいってことよ」
岩泉の考えを確信に導くように、花巻は手に収まるサイズの包みを差し出した。
その包みを剥き出しのブタの貯金箱と共に受け取ると、花巻は「思い出した!」と言ったように大きめの空の紙袋をテーブルの上に置いた。
「この紙袋もやるよ、多分役立つから」
そうして岩泉は1本の藁を差し出して、花巻から誕生日プレゼントとブタの貯金箱、大きな紙袋を貰った。
さっぱりと意図が掴めぬ状況の中、それらを持って帰宅した途端、今度は松川から電話がかかってきた。
『岩泉、実は俺…すげぇ神秘的な貯金箱探してるんだけど、心当たりない?』
「……」
無言で手の中にあるブタの貯金箱を眺めながら、これは果たして神秘的なのだろうかと数秒悩んだ。
電話の向こう側にいる松川は、はなんだか楽しそうに待ち合わせ場所を指定し、「神秘的な貯金箱」を持ってくるようにと岩泉に言った。
「誕生日オメデトウ」
第一声にそう言った松川は、花巻の時と同様にまず始めに貯金箱を要求した。
流れが分かり、岩泉は呆れた表情でブタの貯金箱を取り出し、それを松川に渡した。
「あ、そうそう。それそれ」
「…で、何と交換だ」
「ん、このテディベアやるよ」
ふわふわとしたキャラメル色のぬいぐるみを渡され、岩泉はそれを難しそうな表情で眺める。
及川達が一体何をするつもりなのか、全く持って意味がわからない。
そんな戸惑い気味の岩泉の様子を見て、松川は思わず吹き出す。
「困ってんね、岩泉」
「…そりゃそうだろ。何なんだこれ」
聞いた所で、先程の花巻同様教えてくれないだろうと岩泉は思っていた。
しかし、その予想とは反対に、松川は今の岩泉の状況のみだけ教えてくれた。
「わらしべ長者、ってやつだよ」
わらしべ長者とは、最初持っていた藁と何かを交換していき、最終的に金持ちになる…という話だったような気がする。
何故今俺がそんな状況に陥っているのかと聞けば、松川曰く「サプライズ」らしい。
やっぱりそうなのか、と妙に納得したところで、松川もテディベアとは別に誕生日プレゼントをくれた。
そうしてこの後は、ひたすらに似たような事が続いた。
矢巾に呼び出されてテディベアとリュックを交換し、その後は国見に呼び出されてリュックと色鉛筆セットを交換、更には母親に家に呼び出されて赴いてみれば今度は色鉛筆セットと帽子を交換、次は及川の母親に呼び出され……を繰り返し、気がつけば時刻は夕方近くになっていた。
花巻が「役立つだろう」と言って岩泉にくれた紙袋には、今日会った人達から貰ったプレゼントでいっぱいである。
こうなるように仕掛けたのだから当然といえば当然なのだが、岩泉は改めて花巻の気遣いに感謝した。
そうしていろんな人から貰ったプレゼントをかかえ、岩泉はやっと自身の家に帰宅した。
家を出る前に手にあった藁は、最終的に誕生日ケーキになった。
出かける前に電気を消して空けた部屋には、今は明かりがついている。
夕方くらいに岩泉に家に来ると言っていた静香は、すでにここに来ているようだった。
合鍵を渡していたから待ちぼうけをせずに済んだらしく、岩泉はそれに安堵する。
そうして、何だか長旅をしたかのような疲労感に襲われながら、岩泉はゆっくりと自宅のドアを開けた。
「ただいま」
そう声をかけると、奥の部屋から静香が姿を現した。
家に帰ってこうして迎えられるなんて、まるで嫁さんを貰ったみたいだ。
そんな浮ついた事をぼんやりと考えた岩泉は、一瞬遠くにそれた意識を立て直し、目の前に立つ彼女を眺める。
「おかえりなさい、はじめ…」
エプロンをつけたまま玄関に出て来た静香は、何を恥ずかしがっているのかもじもじとしている。
今日一日の長旅でやや疲れ気味の岩泉は早々に家の中に入ってしまいたいのだが、静香は玄関に立ったまま動こうとしない。
何かを言いたげに口元をもごもごさせている様子に首を傾げながら、無言で静香の様子を伺う。
そして目の前に立つ彼女はフゥー…と息を整えた後、腹をくくったかのように口を開いた。
「ご飯にする?お風呂にする?それとも……」
カーと赤くなっている彼女を眺めながら、岩泉は呆然とした。
流石の岩泉も、どこかで聞いたことのある台詞である。
ああ、それを言うために恥ずかしがっていたのか。
そんなことをぼんやりと考えながら、静香が最後まで言うのを待つも、中々に彼女の言葉は進まない。
続く沈黙に耐えられなくなり、言いよどんでいる静香の言葉の先を促すように、岩泉は口を開く。
「…風呂と飯と…何?」
「……わ…わた……」
そこまで言ったら、もはや言ったも同然だろうに。
岩泉はひそやかに息を吐くように笑い、この先どう答えてやろうかと思案する。
「お前が欲しい」と言ったら、どんな反応をするのだろう。
うっすらと邪な事を考えてしまう程度には期待している岩泉は、静香が今正に吐き出そうとしている言葉の続きを待つ。
しかし、そんな岩泉の期待を裏切るように紡がれたのは、全く持って意味の分からない言葉だった。
「わたあめ!!」
どんな誤摩化し方だ、と岩泉がツッコミを入れる前に、静香は背を向け部屋の中へと戻っていった。
逃げたという表現が適切な光景ではあるが、岩泉の家の奥の方に行った時点で自ら檻の中に入ったようなものである。
どうやら羞恥が勝ってとりあえずこの場から脱したようだが、岩泉はそんなに甘くはないし、逃がしもしない。
そんな彼女を追うように玄関に上がって奥の部屋に入ると、どちらかというと質素な岩泉の部屋はささやかながら飾りつけられていた。
机の上には既にたくさんの料理が並び、パーティー用の三角の帽子まで置いてある。
見る限り、このご馳走はほんの数十分では作れないだろう。
静香は夕方頃に来るとは言っていたはずだが、岩泉が外でわらしべ長者をしている間にここに来て準備をしていたことは明白ある。
どうやら、静香も及川達と通じていたらしい。
それに呆れながらも、嬉しいと思うのが正直なところだ。
そうして岩泉は口元を緩め、背中を向けて部屋の隅に座り込んでいる静香に声をかける。
「静香、わたあめくれ」
「………」
からかい気味に声をかけると、静香はそろりと顔を上げて振り向いた。
さぞや羞恥にかられた表情を浮かべているのだろう、と思っていたのだが、静香はニヤリと悪戯が成功した子供のような顔をしていた。
それに呆気にとられた岩泉を確認し、静香はおもむろに、花束をパッと取り出した。
壁と自身の体の間に隠されていた色とりどりの花の群れに目を見開く岩泉に、静香は嬉しそうに頬を染めて笑う。
「お誕生日おめでとう!」
彼女から花束を貰う彼氏と言うのは、珍しいのではないだろうか。
おずおずと花束を受け取った岩泉の様子を見て「びっくりした?」と聞いてくる静香には、正直完敗である。
貰った花束を花瓶に生け、岩泉と静香は二人して食卓を囲み、豪勢な夕食にありついた。
その後はケーキを食べながら二人して、岩泉が受け取って来たプレゼントを開封していった。
俺の性格というか好みを把握しているのか、タオルなどの実用品が非常に多いのがありがたい。
そんな中変化球を投げて来るのは実の母親と及川で、前者がくれたのは「良い男になるための指南本」、及川がくれたのは「妙に洒落たランプ」である。
及川に至っては、わらしべ長者の旅で岩泉が家を空ける時間帯を狙ってプレゼントを郵送して来るほどの用意周到さだ。
そしてプレゼントのランプが洒落すぎていて、岩泉の部屋の雰囲気に全く合っていない。
部屋の明かりを消し、試しにランプを点灯してムーディーな光を微妙な表情で眺めている岩泉の隣で、静香は及川からの荷物をごそりと漁った。
「あれ、まだ何かあるみたい…」
及川からの荷物の奥に何かを見つけたらしい静香は、底の方から手の中に収まる程度の箱を取り出した。
シンプルなデザインのそれが一瞬何なのか分からなかっが、端の方に書かれた「極薄」という文面でそれが何か察した。
あの野郎…と岩泉が青筋を浮かべた事に気づかぬ静香は、その箱をひっくり返して内容物が何なのか調べている。
「…何だろうね、これ」
「………」
自身の口からは言う気になれず、静香が気づくのを待つことにした岩泉は、その箱が入っていた包みに視線を向ける。
良く見てみれば、中に小さな紙切れが落ちており、岩泉はそれを手に取った。
『誕生日おめでとう。楽しんでね』
今すぐぶん殴ってやりたいという衝動にかられるも、東京にいる及川を今すぐ殴りつけられるはずもない。
幼馴染みの誕生日に送るものがそれなのかと岩泉も呆れたが、正直貰って困るわけでもない、というのが複雑なところである。
ちらりと静香の様子を伺うと、先程まで開封作業を楽しんでいた時より随分と大人しくなり、手に持っている箱をゆっくりとフローリングに置いて俯いていた。
あの箱の中身が何なのか、やっと気づいたらしい。
及川に何もかも見透かされているようで癪に触るが、この機を逃す手はない。
「静香、明日休みだったよな」
「…うん」
視界の端に見える静香の荷物は、遊びに来たにしては少し大きい。
泊まることを視野に入れて来たのだろうと分かって、岩泉は口端を上げる。
泊まるということは、そういうつもりであると受け取ってもいいのだろう。
フローリングの上に置かれた、及川から送られて来た避妊具の入った箱を手にとり、岩泉は静香を引き寄せる。
「…折角だし、使うか?これ」
答えにくい事を尋ねている自覚はある。
愛しの彼女は、どんな反応をしてくれるだろう。
ちょっとした好奇心にかられている岩泉に気づいて、静香はじとりと睨んでくるが、全くもって恐くもないし、逆に別の感情が湧き上がる。
「馬鹿、スケベ」
そう文句を言うくせに、最後にボソリと落とされた「いいよ…」という囁きは非常に甘美で、岩泉は軽く目眩がした。
そのまま傾れこむように二人でベッドに沈みこみ、性急に身に纏う布を脱ぎ捨てていく。
及川がくれた洒落すぎたランプの光がいい雰囲気を醸し出しているのが腹立たしいが、この時ばかりは、悔しながらに及川に感謝した。
そうして散々に愛しあった後、眠りにつく前のまどろみの中、「わらしべ長者」の真相を静香が教えてくれた。
なんと発案者は静香らしく、及川にこの事を相談したら盛り上がり、話が広がってここまで大規模なことになったのだという。
「ごめんねはじめ、今日疲れたでしょ?」
「…いや、気にすんな。俺もいろんな奴に久しぶりに会えたから、いいよ」
確かに疲労感はあるが、こんなにたくさんの人間に祝ってもらったのは、初めてかもしれない。
それになにより、自分の事を思って、こうしてサプライズを考えて実行してくれたという事実に心が温まる。
腕の中に収まる静香を自身に引き寄せて、「ありがとう」とお礼の言葉を口にし、岩泉は幸福なままに眠りについた。
翌朝、岩泉よりも先に起きだしていた静香から、誕生日プレゼントを貰った。
品の良い大きめの弁当箱と揃いの箸、弁当包みを受け取り、そういえば今自分が使っている弁当箱はずいぶんとボロボロだったなと思い出した。
静香は受ける講義の都合でこの日は休みなのだが、岩泉は午前2限目から大学に行かねばならない。
そんな岩泉の予定を把握していた静香は、岩泉の昼の弁当のおかずを作っており、その様子を岩泉は隣で伺う。
自分とは味付けの違う卵焼き、星の形に切られた人参、タコの形をしたウインナー、彩りを考えて添えられたプチトマト、そして大食らいの岩泉のための大きなオムライス。
プレゼントしてくれた弁当箱に、静香はいろんなおかずを詰め込んでくれた。
いつもより倍近く種類の多いおかずに、岩泉は目をやや見開く。
更に、デザートに手作りのクッキーまで添えられ、岩泉はある種の感動を覚えた。
目の前の箱には、岩泉の事を考えながら作られた料理と、愛が詰まっている。
「はい、出来上がり」
お弁当箱を包み、静香は笑顔でそれを岩泉に差し出した。
呆気にとられたせいでボソボソとした口調になってしまったが、岩泉は「サンキュー」とお礼を言い、出来上がったお弁当を持たせて貰った。
いつもの自分なら適当に包んでしまう弁当袋は、今日は皺も少なく丁寧に仕上がっている。
ショルダーバッグにお弁当をそっと入れ、岩泉は大学へ向かうために借りているアパートを出た。
自転車置き場にある自身の自転車にまたがり、自身の部屋の方を見上げると、静香がベランダから顔をのぞかせていた。
「いってらっしゃーい!」
ぶんぶんと手を振るあいつは、まるでしっぽを振っている犬のようだった。
目に見えて嬉しそうに笑っている静香に見送られるとは、なんとも幸せで心が熱くなる。
あぁ、今日大学行くのやめようかな。
そう思うくらいに眩しい光景に、岩泉は目を細める。
自身に向ける好意を隠そうとしない静香に、岩泉は軽く片手をあげて応える。
あいつと付き合えたら、幸せだろうな。
既に恋人という関係であるにも関わらず、岩泉はしみじみとそんな事を考える。
高校時代に彼女に密かに片思いしていた時の頃のような、切なさの混じった甘酸っぱい想いは、今現在実っているというのに不思議なものだ。
そう思わせるくらいに、アイツはいつも、俺の心を掴んで離さない。
「なぁ、それ岩泉が作ったのか?」
昼休み。静香手製の弁当を広げると、近場に居た友人が早々に反応を見せた。
いつも適当に作ったザ・男料理!という表現が相応しい弁当をかき込んでいる岩泉が、こんな手の込んだ弁当を持っていればその反応も不思議ではない。
「んなわけねぇだろ」と答えれば、「彼女に作って貰ったのー?」「昨日誕生日だったもんな」等とからかいの言葉が飛ぶ。
いつもなら適当に話を流してしまうのだが、この日ばかりは浮かれてしまって「いいだろ」とまで自慢をしてしまった。
そんな岩泉の返答に、ひゅーひゅーと盛り上がる友人達を尻目に、岩泉はデザートのクッキーの袋を開いた。
昨日の昼に焼き上げたらしいクッキーは、バターのいい匂いを漂わせている。
そっとシンプルな丸い形のクッキーを口に運ぼうとした岩泉だったが、袋の中に小さなメモが入っていることに気づいて動きを止める。
後方で「俺にもクッキー頂戴」と言う友人に無視を決めこみ、岩泉は小さなメモを取り出した。
『学校頑張ってね。今日も夕飯を準備して待っています。 静香』
そのメッセージを見た瞬間、岩泉の中で何かがじわりと溢れ出した。
緩やかに決壊した、という表現が正しいかもしれない。
とにかくドバリと熱い何かがこみ上げて来て、思わず泣きそうになってしまった。
ぐっと唇を噛み締めると同時に、手に持ったクッキーの裏側に何かがあることに気づく。
そうしてクッキーをひっくり返すと、裏側にはチョコレートでハートマークが描いてあるものだから言葉も出ない。
もはや、トドメだった。
あぁ、もう、ちくしょう。
我慢の限界というのだろうか。
岩泉は机に思わず突っ伏し、こみ上げて来る感情の吐き出し口が分からずに悶える。
なんでこうもアイツはたまらないことをしでかすのだろう、と贅沢な悩みを抱えながら嘆いたところで、彼女には伝わりはしない。
きっと今頃は、岩泉の家で掃除をしたり、夕飯は何にするか考えているのだろう。
目に浮かぶほどに予測できる光景に頭を抱えながら、岩泉はひそやかに思案する。
あいつの誕生日には、一体どんなことをしてやろうか。
溢れる想いの矛先を静香に向け、岩泉は決意を固め、そして冒頭に戻る。
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