修羅場なら死んだよ
岩泉と付き合いはじめて2ヶ月。
それなりに順調な交際を続けていると思っていた静香だったが、目の前で繰り広げられる光景に危機感を覚えずにはいられなかった。
学校行事の関係で体育館が午後から使用できないために、ほとんどの部活は午前中に活動を終わらせ、生徒達が下校していく昼前時。
今日この祝日に、午後が無条件にオフになると知った瞬間、静香の頭に岩泉が浮かんだ。
お互いに活動が活発な部活に所属しているために、それなりの期間つき合っているのに、一緒に出かけることもままならなかった。
この機会を逃すべきではない!と勇気を出して、岩泉に「休みの日どこかへでかけませんか」とデートのお誘いをしたのは、1週間前の話である。
「おー、いいぜ」と岩泉に色よい返事を貰った時からすでに、静香の頭の中は花園だった。
部活動の後、一旦昼ご飯を食べに帰ってから、2時くらいに駅前に待ち合わせをして、それから最近できたショッピングモール(スポーツ用品店有り)に行く事になった。
学校帰りに一緒にどこかへ行く事は何度かあったが、今日のように私服でデートをするのは初めてである。
悩みに悩み、選び抜いた服のコーディネートは、既に静香の部屋のクローゼットの中で待機している。
今日という日に浮かれていた静香は、女子バレー部の活動の後、男子バレー部が練習に使用している第三体育館の前の方に立っていた。
駅前で待ち合わせ、と約束したものの、駅前のどの辺りにするか話し合うのを失念していた。
定番の噴水前にしよう、とある程度の見当をつけて、静香は待ち合わせ場所の詳細を伝えるために、そわそわと岩泉を待っていた。
暫くして、ぞろぞろと男子部員達が出て来るが、大体最初に出て来るのは1、2年生が多く、3年生は後でのったりと現れることが多い。
それを知っていたために、静香は第三体育館の前方にある花壇の縁にのんびり腰掛けた。
そうして遠目に、体育館から出て来る生徒を眺めていると、ひょっこりと及川が現れた。
その後に続くように、岩泉や花巻、松川が体育館を後にする。
周りに3人がいると話しかけ辛いなぁ、と気が引けたが、岩泉に待ち合わせ場所を伝えなければ、後で困るのは自分達だ。
携帯に連絡する、という手もあるが、バレー部員が集まる目の前で岩泉に告白することになったあの時に比べたら、なんら大した事は無い。
ここまで来たんだし口頭で伝えればいいか。
そう思い直して、静香が花壇から立ち上がった瞬間、女の子の黄色い声が辺りに響いた。
及川さーん!とハートを飛ばさんばかりの声色の主は、青城男子バレー部主将のファン達だ。
部活動の後、よく女子生徒に出待ちされている及川が女子に囲まれているのは、もはや日常である。
囲まれた及川を置いてさっさと帰っていく岩泉や松川、花巻達3人の姿も見慣れた光景だ。
しかし、今日は何やら及川ハーレムの隣辺りで3人は足止めをくらっていた。
及川の追っかけにくっついてやって来た4人の女の子達が、3人の前に歩み出たからである。
何かを話しているらしい4人の女の子達の、真ん中にいる背の低い女の子が、顔を真っ赤にして松川に何かを差し出した。
松川は驚いていたようだが、素直に差し出された紙袋を受け取り、優しげにお礼を言った。
一方、隣の花巻は据わった目でプレゼントを受け取る松川と女の子を見ている。
空気を読んでその場を退散しようとした岩泉は、左腕を花巻に掴まれて動けなくなっていた。
何あの集団、という体育館から出て来た国見君の声がかすかに聞こえた。
静香も全く持って同じ意見である。
相変わらず女の子に囲まれている及川は、松川が女の子に何かを貰った事に目ざとく気づき、岩泉達の方をもの凄く気にしているようだった。
友達の交友関係や恋愛事になるとやたら首を突っ込みたがる及川らしい反応だ。
そんな男子バレー部3年生達を遠目でぼんやりと眺めていた静香だったが、松川に何かを渡した女の子の傍にいた女子生徒が、おもむろに岩泉の前に立ったので思考が止まった。
岩泉は驚いたように目の前に立つ女子生徒を見下ろして、戸惑い気味に花巻の方に寄る。
しかし、岩泉を逃がしてたまるか!というように女子生徒がカバンからラッピングされた包みを取り出した。
「これ岩泉先輩に差し入れです」
女子生徒の声は、遠巻きにいた静香の耳まで届いた。
そしてこの後、その女の子の口から発せられた言葉に頭をガンと殴られた。
「私、岩泉先輩のこと好きです」
なんと、不特定多数の人間が居る前で、公に告白をしたのである。
信じられない勇気と度胸に、かつてない程の危機感が静香を襲う。
呆気にとられたのか、岩泉は暫く固まったまま、差し出された包みを凝視していた。
岩泉の腕を掴んでいたはずの花巻は、いつの間にか手を離し、薄暗い目で虚空を眺めていた。正直、少し怖い。
しかし、一向に受け取る気配の無い岩泉に、女子生徒は業を煮やし、ぐいっとプレゼントを押し渡した。
そのまま女の子4人はやっちゃった!と黄色い声をあげて退散して行った。
彼女達が嵐のように過ぎ去った後、取り残された面々の心の内はさまざまだ。
ちょっと嬉しそうな松川、渡された差し入れを手に固まったままの岩泉、暗い表情で二人を眺めて舌打をする花巻、ファン集団から逃れて全力で3人の元に寄っていく及川。
そんな3年生達を遠目で眺めながら、静香の存在に気づいた国見と金田一。
そして、1年生二人の「岩泉さんまずいんじゃないの?」という呟きをしっかり耳で拾った静香。
それぞれ抱く心境は、正に天と地である。
呆然と立ったままの静香の心には、複雑な感情が渦巻いていた。
片思いをしていた頃、何故岩泉はあまり女の子にモテないのかと、ずっと疑問に思っていた。
確かに、華やかな及川の隣にいるためにあまり目立たないかもしれないが、バレー部のエースでスポーツ万能、ザ・男前精神を素で発揮するうえ、ぶっきらぼうではあるが周りに気を配れる男である。
恋というフィルターがかかっていたとしても、岩泉は優良物件だと断言できる。
及川がよく「だから岩ちゃんは女の子にモテないんだよ」などと事ある毎に岩泉に発言し、殴られている光景は見慣れたものではあったが、静香は岩泉の事が好きだったために、いつも内心及川の発言を否定していた。
ここに岩泉を見ている女子がいますよ、などと思っても口にできるはずも無かったが。
しかし、ここで静香ははたと気づく。
もしかして、岩泉に思いを寄せている女の子はそれなりにいるものの、皆それを公にしていなかっただけでは無いのか。
以前の静香のように、ひっそりと岩泉を眺めて満足していたのではないか。
ただ偶然、岩泉に積極的になれる女の子が目の前に現れただけで、別段変わったことではないのかもしれない。
サァ…と静香の顔色が悪くなった辺りで、花巻が遠巻きに突っ立ったままの静香の存在に気がついた。
「おい岩泉やべぇぞ」と岩泉の肩を叩き、ここで我に帰った岩泉は静香を視界に入れて、目に見えて驚愕の表情を浮かべた。
岩泉と目が合う事数秒、お互いにどう言葉をかければいいのか分からず沈黙が続く。
先にこの硬直状態から抜け出したのは岩泉で、受け取ったプレゼント片手にずんずんこちらに歩いて来る。
岩泉の後方に集まっている花巻、松川、及川は遠巻きに「岩ちゃん行ったァー!」と実況解説アナウンサーのような盛り上がりを見せるので、なんだか腹立たしかった。
じゃり、と地面を踏みしめ目の前に立った岩泉は、それはそれは難しそうな顔をしていた。
「…悪い」
「…いえ」
こういう時はなんて言えば正解なんだろう。
きっと岩泉も静香も、同じ事を考えている。
「俺カップルの修羅場見るの初めて」「えー、まっつん見た事無いの?」「及川には日常茶飯事だもんな」「うるさいよマッキー」などという平和な会話がバックで聞こえるが、岩泉と静香の間に漂う空気は未だ戦場だった。
「…これ、返して来る。今度から、こういうの受け取らないようにするし、さっきのも断って来る」
だから誤解も心配もするなと、言葉でも視線でも意思を伝えて来る岩泉に嬉しいと思う反面、先程の女の子の影がちらつく。
あの子も、以前の静香と同じ感情を抱いているのかと思うと、とても他人事とは思えなかった。
しかし、だからといって岩泉を譲るだなんて考えは無いのだから、まるで自分は偽善者だ。
「…返さなくてもいいよ、それ。あの子、凄く勇気出したんだと思うし…」
「……それ、どういう意味だ」
付き合いはじめて、初めて見る岩泉の表情だった。
きっぱりと断る、と断言したというのに、彼女である静香の煮え切らない態度が勘に触ったのかもしれない。
静かに怒気を孕んでいる視線に怯みそうになるが、静香は自身の思った事をそのまま口にすることにした。
「…でも、他の女の子は見て欲しくない」
自分でも何が言いたいのか、よく分からなかった。
矛盾した感情に苛まれながらも、やはり優先事項は自分の事になってしまう。
この発言に、きょとんとした顔で静香を見た岩泉は、数秒後ふっと吹き出した。
「んだよ…お前に嫌われたのかと思って焦ったじゃねぇか」
「…そんな事はないです」
「みたいだな」
安心した、と優しげに微笑む岩泉の細められた目に、心臓がどくどくと鼓動を早めていく。
慈しむように見られている、そう期待してしまうような表情に、静香の顔は熱くなる。
「…お前のそういう素直なところ、好きだわ」
ぼそりと呟かれた言葉は、静香の耳にしか伝わらないような、囁きに近いものだった。
普段はそんな甘ったるい言葉なんて全く言わないくせに、こういう時にはサラリと殺し文句を投下してくるものだから、岩泉には敵わない。
決めるときは決める、いや、決めすぎる男だ。
赤面している静香に気づいた及川達は「まーた岩ちゃんが何か言ったみたい」と修羅場になりきれなかったこの状況に、面白く無いなぁと落胆していた。
「そういや、お前なんでここにいるんだ?」
「…えっ、あ!そうそう、今日の、待ち合わせ場所駅前って言ったけど、駅前のどの辺りにするかまでは決めてなかったなぁと思って」
「あぁ…そう言われてみればそうだな」
うーん、と数秒思案した岩泉は、妙案を思いついたとばかりに笑みを浮かべた。
「もうさ、このまま行こうぜ。昼飯もどっか店で食やいいだろ」
「えっ」
「あの辺に旨いラーメン屋あんだよ」
な?と小首を傾げる岩泉に、静香は頷かざるを得なかった。
もしかしたらラーメンが食べたいのかもしれない、そう思わせるくらいにはやや強めの主張だった。
そうと決めたら行動の早い岩泉は、後方で団子になっている及川達に別れを告げる。
「悪ィ、先帰るわ」
「何颯爽と彼女とデート行こうとしてるの?」
さっきまでの修羅場はどこ行ったの?という及川のツッコミを華麗にスルーし、手を振る松川に見送られながら二人して校門の外に出た。
今日のデート服を決めるのに3日かかったというのに、この苦労が報われるのはまた先になりそうだ。
何気ない雑談をしながら二人でラーメン屋を目指す道すがら、学校から離れた公園の辺りで、不意に互いの手が触れる。
そのままするりと指を絡ませると、流石に気恥ずかしくてお互いに暫し無言になる。
その沈黙の間に、何かを言おうとして言葉を探している風だった岩泉は、先程告白された時の話題を再び口にした。
「…俺、お前が他の奴に告白されてたらすげぇムカつくから、やっぱり断るよ」
それが答えだ、と言う岩泉の優しさに救われる心地がした。
お前もそうだろ、と握られた右手が雄弁に語っている。
スポーツバッグに入れられた差し入れを視界に捕えて、静香はそっと岩泉に身を寄せた。
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