揺らめく下心

金曜日、夜9時。
突然岩泉から着信があり、布団でごろごろしていた静香は飛び起きて居住まいを正した。
夜遅くに珍しい、と思いつつ電話に出ると、まず岩泉は申し訳無さそうに謝罪した。
岩泉の近くに誰かがいるのか、かすかに声のようなものが聞こえる。

『夜遅くに悪い、寝てたか?』
「流石にまだ寝ないよ。小学生じゃあるまいし」
『…それもそうだな』

クスクスとお互いに笑うと、電話の向こうでぎゃんぎゃん騒ぐ声が響いた。
「岩ちゃん!」と聞こえた気がするので、岩泉と同じ空間に及川がいるようだ。
及川がいるにも関わらず、岩泉が静香に電話をかけてくるということは、何か事情があるのだろう。

咳払いをして、岩泉はやや言いにくそうに要件を口にした。


『再来週、部活も学校も休みの日あるだろ。その日空いてないか?』
「ああ、この日…空いてるよ」

カレンダーを目で追って、岩泉の言う日にちを確認する。
もしかして、デートの誘いなのだろうか。
この日は既に夏休みに突入し、予定は受験へ向けての補習か部活くらいのものである。
受験生のため、遊んでばかりいられないものの、1日くらい息抜きしたっていいだろう。

『あのさ、その日俺、及川達と沢に泳ぎに行こうっつー話してたんだよ』
「え?」

デートの誘いじゃないのか、と期待した自分が少し恥ずかしい。
正座した足を少し崩して、静香は岩泉の次の言葉を待つ。

『で、お前も来ないか?』
「…私が行っていいの?」
『構わねえよ。というか…実は、本題はそこじゃねぇんだ』

どういうことだろう、と静香はますます首を捻る。
暫く言いよどんだ岩泉は、近くにいる及川に急き立てられて、しぶしぶと口を開いた。

『…何人か女子バレー部の奴らも、連れて来て欲しいんだけど』
「………」

数秒の沈黙が二人を包む。
この無言の間に、岩泉が何故わざわざ静香に電話をかけてきたのか、大体の理由を察した。

「及川が女子と遊びに行きたい、あわよくば水着見たい、とでも言ったんじゃないの?」
『だいたいその通りだ』
「それで岩泉に電話させて、女子何人か誘おうという魂胆でよろしいか?」
『よろしいです』
「…やっぱりなぁ」
『まぁそれを提案したの及川だけじゃなくて花巻もだけど』

受話器の向こうで「あっコラ岩泉!」と焦ったような花巻の声が聞こえる。
どうやらずっと声を潜めていたらしい。
というか、こんな時間に集まって、岩泉達は何をしているのだろう。


『まぁ、すげー迷惑な話だから、断ってくれてもいいぞ』
「…うーん、でもそうだなぁ…」

悩むそぶりをしてみたが、静香の中の応えは案外あっさりと決まっていた。
岩泉の背後で「何言ってんだお前!」と慌てる声が聞こえる。

「岩泉と出かけられるなら、行こうかな」

お前の素直なところが好きだ、以前そう言われたことを思い出し、少し照れくさげに静香は呟いた。
途端、静かになった岩泉の返答をドキドキとしながら待つ。
照れくさげに、しかしちょっと嬉しそうに笑う岩泉の様子を想像してニヤけていると、岩泉は言い辛そうに口を開いた。

『…悪い栗原、今こっち…スピーカーモードで話してんだ…』
「……えっ」

と、いうことは…。
先程の静香の発言は岩泉だけでなく、及川や花巻達の耳に入ったようである。
途端、ぶわぁと熱が体全体に広がる。
数秒前の自分に戻りたい、そう現実逃避するくらいには静香の頭は混乱していた。

「…あ、あ」
「…栗原、おい、大丈夫か?」
「あ、わかったから!声かけとくから!」
『あっ、おい待て静香、』

慌てて電話をきった静香は、岩泉が自身の名前を思わず呼んだ事に気づかぬまま、羞恥で布団の中に潜り込んだ。

休み明け、及川達にどういう目で見られるか、想像しただけで震えてしまう。
静香はこうして、花の金曜日に悶え苦しみながら就寝することになったのである。



【30分前 及川宅】

及川の家に集まっていた岩泉、花巻、松川のいつもの面々は、夕飯をごちそうになっていた。
明日は学校も休みだし、泊まっていけば?という及川の提案に、それなりに慣れた3人は直ぐに首を縦に振った。
及川家の人々も慣れたもので、帰宅した及川の父親は、風呂上がりの岩泉を見かけて「ただいまー」と言う始末である。

風呂から出て、及川の部屋に布団を敷いて、それぞれが寝る準備を整える。
しかし、就寝する気は全く無いため、それぞれ雑誌を読んでいたり、テレビを見ていたりと自由に過ごしていた。
そんな中、及川が思い出したように「そういえば」と口を開いた。

「今度、家族で沢に涼みに行くんだけど、皆も一緒に行かない?」
「おーいいな。けど俺達一緒に行って邪魔じゃねぇ?」
「父さん達はのんびり出かけたいだけだからいいってさ。友達誘えば?ってお許しも貰ってるしオッケーオッケー」
「まじか、いつ?」
「夏休みは入ってから1発目の休みの日だよ」
「泳げんのか?」
「岩泉はそこが重要なのかよ」
「でさ、岩ちゃんに折り入って頼みたいことがあるんだけど」
「…?何だよ」
「栗原ちゃんも誘って欲しいんだけど」


試合中に見せるような、伏し目がちな真剣な顔に、岩泉は呆れを通り越して感心した。
また何か企んでるな、と長年の付き合いである岩泉はすぐに気づく。

「……お前、何考えてやがる」
「だって男ばっかじゃ華が無いじゃん。栗原ちゃん誘って、女子バレー部の子も連れてきて貰おうよ」

瞬間、及川のこの発言に、ガタッとおもむろに花巻が立ち上がった。

「おい、ちょっと待てよ…」

松川は読んでいたジャンプから目を離し、のんびりと花巻を見上げる。
眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな様子の花巻は、グッと唇を噛んで言い放った。

「及川…お前天才かよ」
「マッキー…」

及川も立ち上がり、二人は固い握手をかわす。
そして、それを呆れたように眺めていた岩泉に、グリンと顔を向ける。

「ということで、今すぐ栗原ちゃんに電話かけて誘ってよ岩ちゃん」
「なんでだよ…」
「頼む岩泉一生のお願いだ」
「必死かよ」

小学生のこねる駄々のような発言をする及川と花巻に縋られ、岩泉は段々面倒くさくなってきた。
3人の問答を傍観している松川は、先日差し入れをくれた女の子といい感じらしく、女子関連の話題には、最近妙に余裕があった。

「いいじゃん、岩ちゃんだって栗原ちゃんの水着見たいでしょ?」
「はぁ!?べ、別に俺は…」
「何で今どもったの?なんでちょっと顔赤いの?何想像したの?」
「うっせぇ!!」
「岩泉も素直になれよ、男なんだからそういう事に興味あったっておかしくないんだぜ?」
「というか君たち、つき合って結構経つけどどうなの?」
「おうそうだぞ岩泉。彼女持ちはそれを報告する義務がある」
「ねぇよ!」
「キスもまだなんでしょ?」
「は、あぁ!?…んでそれを」
「栗原ちゃんに探り入れたもんねー」
「お前あいつに何聞いてんだよ!」
「キャー岩ちゃんこわーい」

「栗原さんに電話するんじゃ無かったの?」

収集が付かないまま騒ぎに発展している3人を見かねて、松川は岩泉に助け舟を出した。

「…あっ、そうだ岩ちゃん早く電話してよ。他の予定入れられちゃうかもしれないし!」
「…つっても、もう時間も遅ぇし」
「流石に起きてるだろ」

渋々携帯電話を取り出した岩泉に、他3人は「あ、やっぱ栗原の水着みたいんだ」と内心思ったものの、それを口に出すと岩泉の機嫌を損ないかねないため、黙っておく。
折角、女子達と遊び行く&水着を見られるかもしれないこの機会を逃すべきではない。

「あ、ちょった待って。できたら天使ちゃん連れて来て欲しいってお願いもして」
「天使ちゃん…?そんな名前の奴いたか?」
「あだ名だよ。ほら、リベロの巨乳の女子」
「あぁ…」

そのキーワードで誰だか分かったらしい岩泉は、履歴から静香の電話番号を選び発信した。
コールが鳴り響く間に「スピーカーにしてよ」と言った及川の発言に、特になんの考えも無く、静香との会話が"全員"に聞こえるように設定した。
まぁ、俺が静香との交渉に失敗したら困るから通話内容を知りたいんだろう。


そう思った岩泉の選択は、どうやら失敗だったらしい。


『岩泉と出かけられるなら、行こうかな』

相手の顔など見えない機械越しの会話、しかし、どこか控えめで弾むような声色に、静香がどんな顔をしているのか想像がついた。

自分の前で静香が良く赤くなるのは、岩泉でさえ自覚してる。
自身の無意識な一挙一動に、さまざまな表情をする彼女は、そりゃあもう岩泉をたまらなくさせるのだ。
何でこいつこんなに可愛いんだろう、となかば悟りの境地に陥るくらいには毒されている。

胸をわし掴みにされるような事を言われて、それに応えないわけにはいかない。
そうは思ったものの、岩泉は周りに及川達がいること、そしてこの通話が筒抜けであることを思い出した。

ここで、謝罪と共に静香に今の状況を伝えると、案の定彼女はテンパってしまい、通話を切られてしまった。


「…………」
「…愛されてんね」

松川のコメントと同時に、花巻と及川がおもいきり岩泉の背中をバシンと叩いた。

「いってぇ!」
「何堂々とのろけてんだよアァ!?」
「くっそ羨ましい俺も彼女欲しい」

及川にしては珍しい暴言を吐き、花巻は机の上に拳を打ち付けた。
及川がスピーカーにしろって言ったんじゃねーか!と言う岩泉の反論を無視し、今夜はヤケ酒だ!と及川はサイダーを一気飲みする。
俺も、とサイダーをコップに並々注ぎ始める花巻に、松川も自身のコップをそっと差し出した。
花巻は怒り狂いながらも、松川にもサイダーを注いでくれた。
岩泉は居心地悪そうに、叩かれた背中をさすり、座り直す。

「あ、ちょっと天使ちゃんも連れて来てって頼んでないじゃん」
「そうだぞ岩泉、明日絶対に栗原に言っとけよ」

もう今日はいい、と暗に言っている及川と花巻にの発言に、松川は他人事であるのをいいことに穏やかに笑っていた。


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