岩泉家の人々と新事実
部活を終え、女子更衣室でジャージから制服に着替ながら、静香は今日家に帰ってから何をしようかと考えていた。
明日は夏休み期間中にある部活も休みだし、DVDでも借りて映画鑑賞でもしようか。
帰りにレンタルビデオ屋に寄って、ついでにお菓子も買って帰ろう。
のんびりとそんなことを考えていると、先に部室を出て行った女子バレー部セッター、有馬がひょっこりと戻って来た。
「静香、外で旦那が待ってるよ」
「…旦那って…」
恐らく岩泉の事だろうが、旦那と言われると少し照れくさい。
しかし、今日は特に岩泉と何か約束をしていたわけではない。
悲しい事に、岩泉と静香の家の方向は真反対で、一緒に下校するという高校生カップルにとって定番中の定番なイベントができないために、共に学校を下校する事もない。
たまに放課後、一緒にご飯を食べに行ってみたり、公園で小学生とバレーをしたりすることはあるのだが、こういう時は事前に連絡をくれるのだ。
何か急に出来た用でもあるのだろうか、そう思いながら静香は肩にカバンをひっかけた。
岩泉は、女子が練習で使っていた第一体育館の出入り口辺りに立っていた。
隣には及川もおり、ヘラリとした顔で手をひらひらと振っている。
「待たせてごめん」
「いや、こっちこそ悪いな。急に呼び出して」
肩にかけたカバンをかけ直し、岩泉はすぐに本題とばかりに口を開く。
「あのさ、今日これから何か予定あったりするか?」
「…いや、このまま家に帰るだけ」
話の流れで、何かの誘いなんだろうなぁ、とは予想がついた。
しかし、隣に及川がいることから、デートとかそういうものでは無いらしい。
何だろうなぁ、と呑気に首をかしげた静香だったが、岩泉の次の言葉には、硬直せざるを得なかった。
「俺ん家にメシ食いに来ねぇか?」
「…はい?」
何がどうなって、その誘いになるのか。
ぽかんと口を開けた静香の様子をみて、及川はプッと笑い、岩泉は言いにくそうに口を開いた。
「実はな、このクソ野郎が俺の家に来る度に、俺の親に栗原の事を話しまくってたんだよ」
「は?」
「…ちょっと、俺と岩ちゃんとで態度違いすぎない?」
「いや、岩泉のご両親に何言ったの?」
「別にそんな変な事は言ってないって!ねぇ岩ちゃん」
「多分な」
「岩ちゃん!?」
ギッと静香が睨むと、及川は「やべぇ」と言いたげな顔で一歩距離を取った。
後でどんな目で見られるかわかっているくせに、からかうことをやめられない及川は馬鹿なのだろうか。
かいつまんで事情を聞くと、こうだ。
及川が岩泉の家にいく度に、岩泉両親(主に母)に静香の事を話しまくって岩泉をおちょくっていたらしい。
そのせいか、岩泉両親が妙に静香に会いたがり、事有る毎に連れて来い連れて来いとうるさいのだそうだ。
両親にそう言われるのに段々疲れて来た岩泉は、そのうち静香を家に呼ぼうかと半ば折れていたらしい。
そこに丁度、今日近所の人の旅行のお土産で高級な魚を貰ったらしく、いつもより少し豪勢な岩泉家の夕食会に及川が呼ばれ、同時に静香も誘うことにしたのだという。
「私が行ってもいいの?」
「おー、母さんも父さんも会いたがってたし」
「そ、そっか…」
どうしよう。
心の準備など何もできていないが、折角誘われた夕食会。
断るのは気が引けたし、何より岩泉の家に行けるというのは非常に魅力的な話だった。
静香はほんの少し悩んでから、岩泉の誘いに首を縦に振った。
よし、とカラリと笑う岩泉はどこか嬉しそうな、安心したような笑みを浮かべる。
んじゃぁ行くか、という岩泉の隣に並び、3人で岩泉宅へ向かう事となった。
親に友達の家で夕飯をご馳走になる、と連絡し、静香は携帯をカバンにしまう。
私今、服装とか髪型とか、変な所は無いだろうか。
そわそわと身なりをチェックしていると、及川が「健気だねぇ」と他人事のように呟いた。
「あ、待って。岩泉の家に行くなら、何か茶菓子でも買って行かなきゃ」
「あ?いいって、別に」
「駄目だよ、第一印象は大事なんだから!」
「栗原ちゃん、結婚の挨拶に向かう彼氏みたいに必死だね」
手土産なんて別にいいじゃん?と言いたげな岩泉と及川を、静香はじとりと睨む。
岩泉と及川にとっては日常的な事であっても、彼女である静香にとっては非常に重要な事なのだ。
「じゃあ逆に聞くけど、彼女の家に初めて行く時に、手土産無しで行く?」
「……」
「……」
静香の発言に岩泉と及川は黙った。
「ほーら見ろ」と言いたげな静香が、無言で近くの洋菓子店に入って行っても、特に何の文句も言わずに二人は付いて来た。
さっぱりとしたゼリーを人数分購入し、いざ戦場に辿り着いた名前は、『岩泉』と書かれた表札を凝視した。
ここが岩泉の家か、とごくりと息を飲む。
ごく普通の大きめのお宅のはずなのだが、静香には荒野に立つさまざまな関門のある城のように感じた。
「なぁに、栗原ちゃん緊張してるの?」
「…少し」
「んな肩に力入れんなくても大丈夫だって」
はぁ、と呆れたように言う岩泉は、静香が息を整える前に、さっさと自宅のドアを開けてしまった。
「ただいま」という岩泉の声に反応し、家の奥からパタパタと軽い足音が響く。
「おかえり、一、徹君…と」
ばちり、と岩泉のお母さんを目が合った。
第一印象は大切!と静香はとびきりの笑みを浮かべ、挨拶をする。
「初めまして、本日はお招き頂き、」
「貴女が静香ちゃん!?」
ばたばたと玄関から飛び出して来るような勢いで、興味津々とばかりにこちらを見ている岩泉のお母さんは、纏う雰囲気がどことなく岩泉に似ている。
「いつも息子がお世話になっています」と笑いかけられたので、静香も丁寧に「いえいえ、こちらこそ」と応えた。
「おい、栗原ドン引きしてるじゃねぇか…」
「あら、ごめんなさいねぇ」
随分と元気な岩泉のお母さんは、「ささ、徹君も静香ちゃんもどうぞ」と家に招き入れてくれた。
案内されたリビングには、既に岩泉家と及川、静香の分の料理が皿に取り分けられ並べられていた。
料理の完成にはまだ時間がかかるから、という岩泉母の言葉を聞いて、静香は「手伝います」と名乗り出る。
「座って待っててくれていいのに」
「いえ、ごちそうになるので。是非手伝わせてください」
「そう?じゃあお願いしようかしら」
そう言って、岩泉母の指示のもと、静香はお鍋に入った料理をよそう。
どうやら今日の夕飯のメニューはほとんど完成しているらしく、静香の手伝えることは盛りつけと洗い物くらいしか無かった。
しかし、何もしないよりはいいだろう、と静香はせっせとお玉に豆腐を乗せてから、崩れないようにそっとお皿によそう。
そんな真剣な静香の表情に、隣に立つ岩泉母はクスクスと笑った。
「うちの子に彼女が出来たってだけで、もう凄く驚いちゃったんだけど…。話には聞いていたけど、静香ちゃんは一には勿体ないかしら」
「そんなことは無いです、私の方が…その、はじめ君は勿体ないというか」
「あらあら、そんな事はないわよ。ねぇ、一?」
机の上に並べるコップを運んでいたらしい岩泉が、丁度岩泉母と静香の背後を通りかかる。
お母さんのからかうような発言に居心地悪そうにしながらも、岩泉は「おー」と照れくさげに返事をする。
そんな岩泉と、頬がやや紅潮した静香を見比べて、岩泉母は口元に手をあててウフフと笑う。
「やーねぇ、こっちが照れちゃうじゃない」
上機嫌な母親を見て、岩泉は面倒くさそうな顔で机のあるリビングへ向かう。
及川は勝手知ったる岩泉宅のリビングのガラス戸にかけられたカーテンを少し開き、「おじさんまだ帰って来ないねー」とのんびりとしている。
静香もやっとこさ揚げ出し豆腐をよそい終え、お皿をリビングへと運ぶ。
途中、手持ち無沙汰になって仕事を探しにやってきた及川が静香の手の中のものをチラリと覗く。
「あ、岩ちゃんの好物あるよ」
「まじか」
小さめの深い皿に入った揚げ出し豆腐を見て、岩泉はちょっと嬉しそうな顔をする。
岩泉、揚げ出し豆腐が好きなんだ。
そういえば、岩泉の好物を聞いた事は無かった。
「岩泉、揚げ出し豆腐好きなんだね」
「おう」
「……私、」
「ん?」
「揚げ出し豆腐作れるように練習するよ」
いつか岩泉に振る舞えたらいいなぁ、とお皿を渡すと、岩泉も静香が何を考えているのかなんとなく分かったらしい。
「…そっか、頼むわ」
岩泉は優しくはにかんでから、揚げ出し豆腐を机の上にコトリと置いた。
「うわぁ甘酸っぱいなぁ」
「本当、一があんな優しいの久しぶりに見たわ」
「大体彼女の前ではデレデレしてますよ」
「まぁ、無愛想なあの子が…」
ひそひそ、と話している及川と岩泉母の会話は、恥ずかしながらこちらにまで聞こえている。
かぁーと赤面する静香の隣で、「聞こえてんだよボケェ!」と岩泉は暴言を吐く。
それを聞いて、及川と岩泉母が楽しそうにニヤついたタイミングで、岩泉父が丁度帰宅した。
帰ってきた岩泉父は、静香を視界に入れるなり硬直し、しばらく黙った後、ぎこちなく「いらっしゃい」と言った。
その後そそくさと岩泉母の元に飛んで行き、なにやら慌てたようにこそこそ話していたが、岩泉母に背中を叩かれて背筋を伸ばしていた。
岩泉はお父さんに良く似ていると思う。
しかし、ワイルドな男前という雰囲気のお父さんは、見た目に反して少し挙動不審である。
どちらかと言うと、お母さんの方が内面は男前でどっしりとしているのではないだろうか。
そんなことを思いながら、静香はくすりと笑みを零す。
愉快なお父さんとお母さんの元、ここで岩泉が育ったのかと思えば、感慨深いものがある。
「それでは、今日は徹君と、特別ゲストの静香ちゃんが来ているとのことで、ここは僕が乾杯の音頭を」
「アナタ、話は短めにね」
岩泉父のぎこちない挨拶により、手を合わせて「いただきます」と言った瞬間、ずっとお腹をすかせていたのであろう岩泉と及川はもの凄い勢いで料理をかき込んでいく。
お土産で貰ったという、高級な魚の刺身も煮付けも、味わうということ無く腹に入れていく二人に、岩泉母は苦笑いを浮かべた。
「もうちょっと味わうとかしなさいよ…」
「腹へってんだよ」
「全く…あ、静香ちゃん、このお刺身おいしいわよ」
こうして夕食会は和気あいあいとした雰囲気ではじまった。
特に静香は、岩泉両親から「バレー部なんだよね、ポジションは?」だとか「一とはいつ仲良くなったのか」などと質問責めにあった。
両親共に、静香の詳細を聞き出しつつ、息子の交際事情には興味津々だった。
度々岩泉は嫌そうな、気恥ずかしそうな顔をしていて、その間は始終及川はニヤついていた。
からかえるタイミングがあれば、岩泉を茶化していた及川だったが、今日はあまりにも過剰に岩泉におちょくったらしい。
我慢の限界が切れた、と言わんばかりに岩泉はガタリと立ち上がったが、少し考えて思い返したらしく大人しく席につく。
また殴られるのではないか、と身構えていた及川は拍子抜けしているようだった。
いつもの岩泉なら、殴らなくても怒鳴るくらいはしていたはずである。
静香も首を傾げたが、岩泉は不意に不敵な笑みを浮かべる。
何だ、と冷や汗を流した及川は、嫌な予感に襲われて、動かしていた箸の動きを止める。
「お前は、他人をからかって随分余裕そうだな」
「…?」
「そんな余裕あるんなら、本命にくらい素直に告白のひとつでもできんだろ」
思わぬ岩泉の発言に、岩泉両親も静香も動きを止めて、及川の方に視線を向ける。
本命、とはどういうことなのだろう。
及川本人は、自分が何を言われたのかすぐに理解できていなかったようだが、暫くしてビシリと体を固まらせた。
明らかに動揺している様子の及川は、岩泉の発言を肯定しているようなものだった。
静香も数秒、ぽかんと岩泉と及川を眺めていたものの、状況を理解してニヤと口端を上げた。
ふぅ〜ん、へぇ、ほぉ〜。
「及川、好きな子いたんだ。誰?」
「女バレのセッター」
「ちょっ…なんで岩ちゃん知って…というか言わないでよ!」
「えっ…有馬の事?」
今日の部活終わりに、静香に岩泉が待っている旨を伝えに来てくれた、女子バレー部セッターの有馬の事を思い出す。
しかし、静香の思い違いでなければ、及川と有馬はお世辞にも仲が良い関係では無かったはずだ。
同じポジションであるからか、それなりに話しているところは見かけるものの、話の内容は大体嫌味の応酬である。
また喧嘩してるよあの二人、と遠目で様子を伺ったことは数知れない。
及川の本性を知っているからこそ、及川をちやほやしない女子バレー部員の仲でも、特に及川をぞんざいに扱うのが有馬である。
そういえば、以前及川が有馬に対し、「あんな可愛げのない女子マジでないわ」と発言していたのを思い出した。
それが一体、どんな心境の変化があったのだろう。
岩泉も岩泉両親も、静香もニヤニヤしながら及川に視線を向けているものだから、及川は自身がターゲットにされた事に気づいて口元を引きつらせた。
「へぇ…徹君が好きになる女の子だなんて、きっと凄く可愛い子なんだろうなぁ」
「ねぇねぇ、有馬さんってどんな子なの、静香ちゃん?」
「あ、写真ありますよ。見ますか?」
「見る見る!」
女子部員だけで遊びに行くことが多々ある静香は、出かけた先で携帯でよく記念撮影をしていた。
今日これほどまでに、写真を撮っておいて良かったと思った事は無い。
写真をギャラリーから選び出し、丁度静香と有馬の2人だけが写っている、去年の夏祭りの時の写真を画面いっぱいに表示させた。
「この子が有馬です」
「…ほう、凛としたお嬢さんだね」
「あら、静香ちゃんの浴衣姿可愛いわねぇ。おばさんにもこの写真頂戴」
「そ…そうですか?」
ありがとうございます、と静香が照れくさげにお礼を言うと、不意に及川が立ち上がった。
残り少ない刺身をさらっていた岩泉は、不思議そうに及川に視線を向け、静香も首を傾げる。
「…栗原ちゃん」
「何…?」
「その写真、俺にも頂戴」
…え?マジでそんなにベタ惚れなの?と呆気に取られた岩泉と静香を他所に、及川の頬には赤がさしている。
まさかの事態に、無言になった3人の傍で、岩泉両親だけは平和そうに「若いっていいなぁ」「いいわねぇ」とのんびりとお茶をすすった。
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