唇を指先に乗せて
「今日、及川がテレビに出るらしい」
休みの日の朝、そんな連絡を受けて岩泉の家に来てみると、恋人はテレビの番組欄とにらめっこしていた。
全国放送のバラエティ番組の企画でバレーボールをするらしく、その企画に及川の通っている大学のバレー部に出演依頼が来たとのことだ。
テレビに出る数人のバレー部員に1年生の及川が選ばれた理由は簡単、「かっこいい」からである。
そんな理由で画面の向こうに映る事になった及川の勇姿を見届けるべく、岩泉は真剣に考え込んでいた。
「まずいな…番組の名前わかんねぇ」
「…聞かなかったの?」
「聞いたんだけど、あん時はすげーどうでもよくて聞き流したんだよ…記憶にねぇ…」
ぐぬぬ、と腕を組んでうろうろと部屋の中を行ったり来たりしている岩泉は落ち着きがない。
ぶつぶつと呟きながら必死に番組名を思い出そうとしている岩泉をよそに、静香はテレビに映し出された番組一覧を眺める。
ひとくくりにバラエティと言っても、今日という日にはたくさんのバラエティ番組がある。
何の情報も無く、その中のどれかを探すのは、とても難しいことだろう。
「せめて放送の時間が分かればなぁ…」と静香は適当にテレビのチャンネルを変える。
もうすぐ昼時というこのタイミングで、テレビに映ったラーメンのCMには空腹を刺激される。
「そういえば…お昼ご飯何にする?」
「あー…、冷蔵庫に冷麺あるぞ」
唸りながら台所の方に歩いて行く岩泉についていくと、確かに冷蔵庫の中には冷麺が4袋程あった。
この前岩泉のお母さんが家に来た時に置いていってくれたらしい。
昼ご飯の準備をすべく、きゅうりや卵を冷蔵庫から取り出していた岩泉は、ふと手元のきゅうりに目を落として動きを止めた。
「思い出した」
おもむろにそう言い放ち、岩泉はきゅうりを握りしめて奥の部屋へと戻っていく。
割った卵をボウルに入れ、箸でかき混ぜていた静香ものろのろと岩泉の後に続く。
奥の部屋に戻ると、キュウリを左手に、リモコンを右手に持った岩泉は再び番組表を開いていた。
そしてある番組の欄を選択し、内容を静かに確認していた。
丁度あと30分後くらいに始まるお昼のバラエティ番組の説明文には、「バレーに挑戦!」などという文面がちらりと見える。
きゅうりを見た岩泉が、何故番組名前を思い出したのかは分からないが、本人は非常に満足そうな顔をしていた。
常日頃は及川を蔑ろにしているわりに、「うし」というかけ声と共に岩泉はしっかりとリ録画ボタンを押す。
普段は週末夜に放送している映画やバレーに関する番組くらいしか繰り返し見ない岩泉が、バラエティを録画することすら珍しい。
「はじめも、なんだかんだで及川の事気にしてるよね…」
「そりゃぁな」
静香の発言に、岩泉はニヤリと口端を上げる。
「今朝、及川が電話かけてきたんだよ。『今日のテレビ見ないで欲しい』ってな…、これは見ないわけにはいかねぇだろ」
「……」
テレビ出演が決まった時は、及川は自慢げに岩泉に電話してきていたらしい。
それが一変し、及川が「見るな」と言うものだから、岩泉は逆に見る気になったようだ。
純粋に楽しみにしているわけでは無い岩泉に、静香は「相変わらずだなぁ…」と苦笑いを浮かべる。
「あの言い方は多分、収録で何かやらかしたんだろアイツ。意地でも見てやる」
録画設定をしっかりと確認してから、岩泉は再び台所に戻ってきて冷麺の調理を再開する。
最近、早いスピードで千切りすることに力を入れている岩泉は、意気揚々と包丁を握った。
目指せ記録更新、となんでもないような事にも全力で取り組むところは、「男の子だなぁ」としみじみと感じさせられるところである。
そんな岩泉を横目で眺めながら、静香は卵を熱したフライパンの上に落とした。
約15分後、そうして出来あがった冷麺をテーブルに置き、二人で手を合わせて昼食にありつく。
こうして岩泉の家で一緒にお昼を作り、食べる事にも慣れたものだ。
大学生になってからはここに良く来るしなぁ…と口元を緩めていた静香だったが、ある事にはたと気づく。
もしかして私は岩泉の家に遊びに来すぎているのだろうか。
いやでも、岩泉も気軽に家に招き入れてくれるし…などと静香は勝手に自身に言い訳をしていた。
そんな静香をよそに、番組が始まる時に備え、岩泉は冷麺をさっさとたいらげた。
時刻は午後1時。
目的のバラエティ番組がついに始まり、岩泉も静香も身を乗り出すかのようにテレビに釘付けになる。
スタジオでのトークから始まり、続いて待ちに待った企画へと進む。
『ある大学でバレーボールに挑戦しました〜』と話すお笑い芸人の発言を聞き、岩泉も静香も確信する。
なんだかんだで、知り合いがテレビに出ると思うとドキドキしてしまうのは何故だろう。
『それでは、VTRをどうぞ!』というかけ声とともに、テレビ画面が切り替わった。
及川の通う東京の大学名の刻まれた門が映し出された後、場面は体育館へと移動する。
ジャージを着たバラエティ番組のレギュラー陣達が映しだされた後、カメラを向けられた大学生バレー部員数人の中に及川はいた。
いつも余裕綽々としている印象のある及川ではあるが、テレビ越しに見ると若干表情が強張っている。
緊張しているのが目に見えて、岩泉は早速お腹を抱えて笑い出した。
「ぶっくく…あいつすげぇ緊張してやがる…」
「本当…ぎこちないね…」
バレーの大会で地元のテレビ局にインタビューされた時、及川はもの凄く慣れたように優雅に話していた記憶がある。
しかしそんな及川とも言えど、東京の全国放送番組では流石に緊張するらしい。
初めに、番組の出演者にひとりひとり名前を聞かれ、大学のバレー部員達は簡単に自己紹介していく。
そうして及川の番が回って来る時を今か今かと待ちわびる。
若干浮いているように見えなくもない及川にハラハラしつつ、口を開いた及川の姿に、静香はごくりと息を飲んだ。
『1年の及川です』
『及川君…かっこいいねキミ』
『えっ……』
及川に声をかけたのは、番組レギュラーの女芸人だった。
まさか話しかけられるとは思わなかったのか、及川は口をやや開いて固まる。
いつもなら「ありがとうございます」と笑顔で言ってのけるであろう及川は、テレビの前ではとんでもなくガチガチである。
『凄くモテるんじゃない?』
『…どうでしょう…』
『そうなんすよ〜、及川連れて飲み会行くと、女の子持っていかれちゃって…』
緊張している及川に助け舟を出すように、主将がさりげなくフォローに入る。
それに乗じてそそくさとその先輩の後ろに隠れる及川を確認し、岩泉は笑いすぎてフローリングに転がった。
隠れるにしても、及川の方が先輩よりも背が高いので隠れきれていないところがなんとも言えない。
あんなに怯えたように緊張している及川を見た事が無く、かなり新鮮な光景である。
及川にも、こんな可愛いところがあるらしい。
テレビに映っている有名な女芸人は、及川を一目で気に入ったらしく、番組のコーナーでなにかと及川に話かけていた。
ボールをトスした及川に、女芸人はスパイクを打つふりをして及川に抱きつき、「何やってんだよお前〜!」と相方にツッコミを入れられたりしていた。
その時の及川の「どうすればいいのか分からない」という表情が更に岩泉のツボを刺激し、やっとフローリングから身を起こしたというのに、今度は静香の方に寄りかかってきた。
岩泉は笑いが収まらないままに静香の方に体を傾け、震えながらズルズルと滑って静香の膝の上に落ち着いた。
成り行きで膝枕状態になったものの、岩泉は笑いすぎてそのままむせはじめる。
「大丈夫?」と静香は呆れながら、岩泉の背中を摩るようにトントンと叩いた。
「あいつのヘタレ具合が全国放送で晒されるっつーのは爽快だな…」
フン、と鼻を鳴らしてそんな事を言う岩泉は、静香の膝の上から退ける気配がない。
そんな岩泉がクスクスと笑う震えが足から伝わって、少しくすぐったい。
そんなことに幸せを感じながらも、静香は甘えているのかふんぞり返っているのか良く分からない状態の岩泉の頭を撫でた。
コーナーの中盤、慣れて来たのか、及川にも余裕が見え始めた辺りから、岩泉は大人しくなっていた。
静香に頭を撫でられていたのが心地よかったのか、眠気に誘われてうとうととしている。
しかし、及川の出番が終わるまでは意地でも起きていようと、必死に瞬きを繰り返していた。
そんな岩泉を見下ろしてから、静香はもうそろそろ終わりを迎える番組に目を向ける。
コーナーの最後の最後で、及川は女芸人から別れを惜しまれていた。
『ねぇ及川君、連絡先交換しない?』
『えっ…』
『駄目?』
『駄目にきまってんだろーが!』
すかさず入った相方のツッコミに、一同笑いが起きる。
少し慣れが出た及川は、若干ぎこちないながらも笑っていた。
『及川君、せめてキスして!』
『せめてじゃねーよ』
『だったら投げキッスで!』
食い付く女芸人に、隣に立つ先輩がツンツンを及川を肘でつつく。
それに対して及川は苦笑いを浮かべた後、少し恥ずかしそうに投げキッスをしてみせた。
あまり手慣れていないような所作で投げられたキスには、「チュッ」という効果音とテロップが付け足された。
それに女芸人は嬉しい悲鳴を上げ、及川にたくさん投げキッスを返していた。
そうして笑いにつつまれたまま、番組のコーナーは終了し、次の企画へと移行する。
及川の出番が終わり、静香は力が抜けたかのように息を吐き出す。
「終わった終わった」と思いながら、先程から、点滅している岩泉の携帯に視線を向ける。
きっと及川絡みの連絡が入っているんだろうなぁ、と予想をたてながら、静香は岩泉の肩を揺すった。
「はじめくーん、テレビ終わったよ」
「…んー…」
「……このまま寝る?」
「…いや、起きるわ…」
眠そうにむくりと起き上がり、岩泉は点滅する携帯を手にとって確認する。
「及川に感想送ってやらないとな…」
眠気よりも、及川へからかいの言葉をかける事が重要らしい。
『お前の勇姿見届けたぞ。後で拡散しとくから安心しろ』と思ってもいないメッセージを及川に送り、岩泉はやりきったとばかりに立ち上がる。
テレビの前のテーブルに置いてある、揃いのマグカップの黒い方を手に取り、岩泉はそれを持ち上げた。
どうやら中に入っていたジュースが空になったらしく、継ぎ足しに台所へ行くらしい。
「飲み物、追加分いるか?」
「ううん、私のはまだ残ってるから大丈夫」
まだジュースの入ったカップを見せると、岩泉は頷いて台所へと向かう。
しかしカップを持って数歩進んだところで、岩泉はふと足を止めて、静香の方に振り返った。
テレビに視線を向けていた静香も、岩泉のそんな気配に気づいて顔を上げる。
何を考えているのか、岩泉は真面目な顔でじっと静香に視線を向ける。
「何…?」と静香が首を傾げると、岩泉は手の甲を静香の方に向けるように右手を動かし、人差し指と中指の指先を唇に当てた。
その所作に静香が目を見開くと同時に、岩泉はいつも通りの表情のまま、指先を唇から離して静香の方に口づけを飛ばしてみせた。
先程、テレビの中での及川がやらされていた所謂投げキッスというものである。
それに呆然としている静香と視線を合わせて数秒後、岩泉はみるみる紅潮していく。
それに反して目を輝かせていく静香に、ついに耐えられなくなって岩泉は逃走した。
カップを持ったまま、トイレに隠れてしまった岩泉を追いかけようと、静香はすぐさま立ち上がる。
恐らく、出来心だったのだろう。
しかし、だからと言って見なかったふりはできない。
岩泉が隠れてしまったトイレのドアをドンドンと叩きながら、静香はドアノブを掴む。
まだトイレのドアの鍵までは閉めきっていないようで、静香は回るノブに口端を上げるも、岩泉は力任せにドアノブが回転しないように必死に固定する。
「はじめ!もう1回!」
「無理」
「ねぇお願い!もう1回だけやって!」
「無理だ忘れろ!」
「投げキッス!」
「言うな…!」
こうしてトイレのドア越しに、恋人達の平和な攻防は続く。
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